第31話 へんしん
☆★☆★ コミカライズ 更新 ☆★☆★
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顔面にゼビルドの拳がヒットする。
軽いミィミの身体は砲弾のように吹き飛ぶと、闘技場を囲う木製の壁に突き刺さった。
あちこちに血が垂れ、折れた牙が硬い床に落ちている。
常人であれば、とっくにストップがかかっていただろう。
それでも、試合が止まらないのは、ミィミが立ち上がろうとするからだ。
闘技場は静まり返っている。敬意と祈りを込めるように両手を組み、観客たちは不屈の闘志を見せる小さな戦士に静かなエールを送っていた。
ミィミの粘りに心変わりしていたのは、観客だけではない。
ゼビルドもまた焦っていた。渾身の力で殴り、蹴り、叩きつけているのに、ミィミはゾンビのように立ち上がってくる。心が折れるどころか、その身体すら壊すことができていない。
次第に惨めな気持ちになってきたゼビルドは、最後に渾身の力を込めて、ミィミに追撃の一撃を叩き込んだ。
「これで終わりだぁ!!」
およそ人を殴った時に起こる音ではなかった。
この時、誰もが思った。終わったと……。
側にいて、常にそのミィミの闘志に敬意を払ってきた審判ロードルですら、そう感じていた。
「ミィミ!」
突然、誰かが彼女の名前を呼んだ。
ゼビルド、ロードル、そして観客の視線が通用口の方に向けられる。
立っていたのは、アンジェに肩を貸してもらったミュシャの姿だ。
まだ本調子ではないにしろ、その顔色はかなりよくなっている。
「立って戦ってくれ! 私のためではない! 自分のために!!」
「チッ! 大言を吐いておいてカブラザカの野郎、しくじったか! だが、一歩遅かったな。今、決着がついたところだ。おい。審判終わりだ」
ゼビルドは振り返って、ロードルに向かって怒鳴る。
しかし、ロードルは手を上げなかった。彼はジッと何かを見ている。
勝者であるゼビルドを見ているのかと思ったら、そうではない。
ロードルはこの戦いの間中、ずっとミィミの目を見ていた。
虚ろだった少女の瞳が、オアシスの水でも浴びたかのように輝いていく。
ゆらりと立ち上がると、後ろを向いたゼビルドの肩を叩いた。
「おじさん、どこを見てるの?」
「あん?」
ゴンンンンンンンンンンンンンンンンンンッ!!
それはこの闘技場で振るわれたどんな暴力よりも激しい音がした。
ゼビルドの巨体が、先ほどのミィミと同じく吹き飛んでいく。
そのまま反対方向の壁に突き刺さった。
「な…………なん……?」
ゼビルドに意識こそあったが、鼻が完全に明後日の方向へ曲がっている。
もんどり打つゼビルドに向かって、ゆっくりとミィミは立ち上がった。
その雰囲気はどこか優雅だ。大きく伸びをし、軽く肩を回す。今ベッドから起き上がったばかりのように欠伸を噛み殺した。
「は~あ……。やっと終わった。ずっと叩かれるのって案外退屈~。もう少し長かったら、眠っちゃうところだったよ。ふわ~あ……」
「あ、あんだけぶん殴ったのに……。なんで立ち上がれる?」
「なんで? おじさんの攻撃、全然痛くなかったよ」
「は――――っ?」
「きっとミィミが小さいから手加減してくれたんだね。最初は嫌いだったけど、おじさんっていい人だったんだね」
「て、てめぇからかってるのか!!」
「じゃあ、ミュシャも元気になったし。今度はミィミの番だね」
ミィミの髪がふわりと揺らぐと、闘技場の空気が一変した。
三下といえど、ゼビルドにもわかったのだろう。ミィミから放たれる匂い立つような覇気を……。
千年――――真の地獄を知る戦士の殺意を……。
「昔ね。『剣神』が言ってたんだ。ライオンを狩る時も、蟻を踏み潰す時も常に全力でやりなさいって……。だから、優しいおじさんにミィミの本気を見せてあげる」
ミィミは四つん這いになると、瞳を光らせ、吠えた。
ギフト『へんしん』
直後、小さなミィミの身体が肥大していく。褐色の肌からふさふさとした赤い毛が炎のように伸び上がり、彼女を包む。折れた牙は元通りになり、手や足の爪が鉤爪のように伸びて、床に突き刺さった。かわいい鼻は前に向かって伸びていき、目が鋭く吊り上がっていく。
少女の姿はいつしか巨大な狼へと変貌していた。
これにはゼビルドはおろか、側にいたロードルも呆気に取られる。
観客席からは悲鳴が上がり、観覧席の貴賓客たちも口を開けて固まっていた。
ミュシャやアンジェも、初めて目にするミィミの真の姿に息を呑む。
闘技場が騒然としていても、ミィミはまったく動じない。
モフッとした尻尾をくるりと動かし、地面を叩く。緋狼族の威嚇の合図だ。
フッと息を吐くと、殺気を含んだ冷たい獣臭がゼビルドの鼻をくすぐった。
たったそれだけでゼビルドの意思は折れる。腰砕けになると、女の子座りをして、その大きな狼を見上げた。
「ひぃ……。ひぃ……。おた、おたすけを!」
「やめろ! やめるのであーる! 審判! 試合を止めるのであーる!」
デーブレエス伯爵親子は揃って、試合を止めることを懇願する。
審判であるロードルはため息を吐いた。
「それは山々なのですが……。巨大な狼に人間の言葉が通じるかどうか」
「はっ?」
「そうだ。【魔物使い】のクラスの方を呼んで、通訳してもらいましょう。【魔物使い】の方! もしいらっしゃるならどうか出てきてください。……出てきませんな。弱りました」
「ふざけるなであーる、ロードル! 止めろ! 止めるのであーる!」
デーブレエス伯爵はなおも叫ぶ。
しかし、観覧席を守る皇軍も、伯爵の私兵たちも、当然観客も誰もミィミがこれから行う蛮行に対して、止めに入らない。たとえいたとて、今のミィミに忠告できる者などいなかっただろう。
ミィミは大きく口を開ける。
ぬらりと滴る唾液を見て、ゼビルドは半ば意識を失いかけていた。
「バイバイ! おじさん!」
「ひぃ! ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
ゼビルドは悲鳴を上げる。
下半身から湯気が上がり、青い鶏冠のような髪がズレて、闘技場の床に落ちた。
ミィミは牙を引く。実際、その牙はほとんどゼビルドに触れていない。
ただ滴った唾液が、ゼビルドの肌に落ちただけだった。
「あれ~。まだ何もしてないのに寝ちゃった。おじさん、戦いの最中に寝ちゃダメだよ」
ミィミはくるりと翻る。次の瞬間、尻尾を鞭のように振るうと、ゼビルドの顔面を捉えた。
意識を失ったゼビルドに抗う術はなく、反対側の壁まで吹き飛んだ。
「勝者――ミィミ! よって剣闘試合優勝者はミィミ・キーナ!」
ローデルの力強い宣言を聞くと、ミィミは勝ち名乗りと大歓声に応える。
一方、失禁に加えて、本当の正体を晒してしまったゼビルドは闘技場の人気者ではなく、笑いものとして名を残すことになるのだった。
「ふざけるなであーる!」
闘技場が笑いと、拍手に包まれる中、デーブレエス伯爵だけが怒りを露わにしていた。
天幕が払われた観覧席を飛び出し、闘技場の方まで降りてくる。
真っ白な頬は紅潮し、数段階段を降りただけなのに、もう息切れしていた。そうしてデーブレエス伯爵は転がり込むように闘技場に躍り出てくる。
大股で中央に向かって進むと、審判であるローデルに突っかかった。
「反則だ! こんなの反則であーる! あんな化け物に変身するなぞ聞いていないのであーる!」
「反則じゃない! ミィミはギフトを使っただけ!」
大狼になったミィミは金色の瞳を細め、デーブレエス伯爵を睨む。
それを見た伯爵は、素早くローデルの後ろに隠れる。デーブレエス伯爵とゼビルドの親子はさほど似てないように見えるが、怯えた表情においてはそっくりだった。
ローデルは自分の背後に回ったデーブレエス伯爵に振り返り、ミィミの意見に同意する。
「ミィミ殿の言うとおりです。禁止されているのは、中・遠距離の魔法やスキルのはず。肉体強化系の魔法やスキルは許可されています。確かにミィミ殿の姿が変わったことについては私も驚きましたが、変身もまた肉体強化の一部という解釈は可能かと」
「うるさい! 我が輩は認めぬのであーる!」
「そう申しましても困ります。そもそも規定を作られたのは閣下ご自身ではありませんか。ルールをコロコロと変更されては、試合が成り立ちません。まして、今大会は賭け事が許可されております。……それとも、ミィミ殿が優勝されては不都合なことでもあるのですかな?」
「ひっ!」
それまで我がままな主催者を静かに諭していたローデルであったが、最後の一言には何か殺意めいたものが込められていた。その気配を敏感に察した伯爵閣下は、思わず仰け反る。ペタッと地面にお尻を付けても、味方するものは誰もいなかった。
それどころか、その頭にまたも小石を投げつけられると、観客から罵声を浴びせられる。
「どう考えても、ミィミちゃんの勝ちだろ!」
「ひっこめ! このデブ伯爵!」
「お呼びじゃないんだよ!」
「金返せ!」
観客たちは殺気立っていた。中には相当額を賭けに突っ込み、敗れた博打打ちはいるだろう。
しかし、ゼビルドとミィミの戦いに関して、再戦や、不平不満を口にする観客は皆無だった。
自分に味方がいないとわかると、デーブレエス伯爵はがっくりと項垂れる。
すっかり意気消沈してしまったデーブレエス伯爵に、ロードルが追い打ちをかけた。
「さ。デーブレエス閣下、どうぞ身なりをお整えください」
「今さら、我が輩に何を繕えというのだ」
「何を仰っているのです。今から表彰式を執り行います。褒賞の準備はよろしいですかな?」
「褒…………賞…………」
ぽつりとデーブレエス伯爵は呟く。
すると、さっきまで赤くなっていた顔がみるみる青ざめていった。
褒賞は用意されている。だが、そこに入っているのは金貨三〇〇枚などではない。銅貨が入った袋だけだ。本来、八百長によってゼビルドが勝ち上がり、渡す予定になっていた。賞金だけではなく、副賞もだ。
それがゼビルドが負けたことによって、すべてが狂ってしまった。
今から金貨三〇〇枚を集めるなど不可能。
そもそもデーブレエス伯爵家は、当主自身の蒐集癖のおかげで火の車だ。
だから、手っ取り早く稼げる剣闘試合を開催し、そこで胴元となって得た金を借金返済に充ててきた。優勝賞金金貨三〇〇枚など、逆にデーブレエス伯爵がほしいぐらいなのだ。
「どうしました? よもや賞金がないと仰るまいな。すでにあなたは胴元として、相当な額を稼いでいらっしゃるはずですが」
「そ、それは…………」
途端声のトーンが落ちる。ついにはデーブレエス伯爵はロードルの眼差しから逃げてしまった。
その伯爵閣下がすがったのは、同じく観覧席から激闘を見つめていた皇帝陛下だ。
「へ、陛下! ど、どうかお助けください」
「…………」
「わ、我が輩は皇帝陛下御身のためを思って」
「なんのことかわからぬな、デーブレエス伯爵」
「なっ!」
「賞金と副賞を決めたのもそなた……。この剣闘試合を言いだしたのもそなた……。余はただ来賓に過ぎぬ。大会のことは大会主催者であるそなたが決めたことだ。余は一切関係ない。違うか」
ぐぅの音も出ない正論だった。確かにブラックを殺せ、とは命じられたが、大会の進行や賞金はデーブレエス伯爵の管轄である。皇帝がやったことといえば、精々皇軍による警備と、審判にロードルをつけ、さらに勇者を参加させたことぐらいである。
デーブレエス伯爵は結局闘技場に手を突き、項垂れる。
拳を握りながら、表情に無念を滲ませると、被っていた鬘がついに地面に落ちた。
「仰る通りかと……」
「うむ。……余は体調が優れぬ。悪いが表彰式は欠席させてもらうぞ」
「お待ちください、フィルミア皇帝陛下」
観覧席から立ち上がった皇帝陛下の前に立ったのは、ラーラ姫であった。
「ラーラ姫、そなたも欠席か?」
「いえ。恐れながら、陛下。……陛下に会っていただきたい方がいらっしゃいます」
「それって、俺のことか?」
観覧席に入ってきたのは、黒い仮面を付けた男――ブラックだった。
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小生、単純な人間ですのでポイントが上がると、すごくテンションが上がります。
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