第29話 ピンチ
◆◇◆◇◆ ミィミ ◆◇◆◇◆
「はあ……。はあ……。はあ……」
荒い息を吐き出していたのは、闘技場で戦うミィミだ。
全身に無数の打ち身、額が切れて、赤い血が流れ、履いてる靴の裏まで染みこんでいる。
ぐったりと闘技場の壁にもたれながら、少しでも体力回復を図っていたが、そんなミィミの思惑を知ってか、ゼビルドは赤い髪を掴み、引っ張り上げた。
「おいおい。もうへばったのか?」
ゼビルドは大きく口を開けて笑い、ミィミの顔面に拳を打ち付けた。
観客の悲鳴が闘技場に響く。その雰囲気は二分されていた。ミィミを心配する客もいれば、ゼビルドに賭けた博徒たちは「トドメを刺せ」と吠えている。観覧席のデーブレエス伯爵は口角を上げ、ラーラはキュッと唇を締めて、ショーに耐えていた。
ゼビルドは容赦がない。
良い玩具でも見つけたとばかりに、ミィミの頬を張っては、お腹に打撃を加える。
その度に小さな鼠のような悲鳴が上がった。
「かはっ! かはっ!」
血反吐を吐きながらも、ミィミは決して「参った」とは言わない。
それどこから顔を上げ、ゼビルドに反抗的な瞳を向ける。
しかし、それは逆にゼビルドの嗜虐心を煽る結果となった。
「いいねぇ。楽しいねぇ!」
口を目一杯広げて笑ったゼビルドは、再びミィミに向かって、暴力を振るう。
審判であるロードルは止めようとするが、ミィミの目はまだ死んでいない。
まだ何かを狙っているような瞳を見て、ゼビルドは一瞬躊躇したが、再び暴力を再開した。
◆◇◆◇◆
頭は朦朧としていたが、記憶したものをなくしたわけじゃない。
俺の頭には、デーブレエス邸の見取り図がしっかりと記憶されている。
視界は薄らぼんやりしていたが、頭にある見取り図を頼りにして、壁伝いに歩いていた。
「ここだ」
そこはデーブレエス邸の最奥にある部屋だった。
鍵はかかっていたが、事前にラーラからマスターキーを借りていて、すぐ開けることに成功する。
(本当にラーラは何者なんだ? どう考えても一国の王女様の領分を超えているように思うのだが)
鍵を見ながら思案したが、今詮索している場合ではない。こうしてる間にもミィミはゼビルドに殴られ続けている。頑丈な緋狼族の身体とは言え、絶対なんてものはあり得ない。
カブラザカは俺がこの部屋に来ていることに気づいていないようだ。
見取り図によれば、この屋敷には医療室が存在する。
おそらく俺が真っ先に解毒剤を捜しに来ると、考えたのだろう。
だが、俺の狙いはそっちじゃない。
扉を開き、あったのは無数の本だった。
デーブレエス伯爵の愛蔵書が収められた書庫である。
小さな図書館並みの蔵書量。たった一人の貴族が抱えているにしては、異常な冊数だ。
普通の魔導書も、上位の魔導書も本棚に並んでいる。よりどりみどりだった。
その書庫にあったのは、本だけではない。
ゆらり、と影が揺れる。カブラザカと思ったが違う。
次の瞬間、闇が蠢くのを見て、俺は重い身体を無理矢理動かした。
〈あんこく〉
咄嗟に伏せた瞬間、頭上を赤黒い奔流が駆け抜けていく。
直線的に射出された魔力の塊は、廊下を一直線に進み、奥の壁に当たって爆発した。
爆音が轟き、砂煙が逆流して俺のところまでやってくる。大量の砂埃がかかり、〈霧隠れ〉の効果が半ば消失した。
すると、書庫の中から男の笑い声が聞こえてくる。
「くくく……。よう。ブラック……。まさかオレの顔を忘れたわけじゃないよな」
「ミツムネ……」
「やはりこっちでしたか?」
嬉々として声を上げ、俺の背後からカブラザカが現れる。
「申し訳ない。罠を張らせてもらいました。あなたの選択肢は三つ。一つは逃げ帰ること。まあ、これはあり得ないと思いました。他人のために貴族の屋敷に忍び込むぐらいです。人の命もかかっている。あなたの症状も危うい。だからこそ、解毒剤がありそうな医療室と思いましたが、なるほど……。第三の選択をなさいましたか。つまり、書庫にて適合する魔導書を探し出し、クラスアップを図る。そして起死回生を狙うといったところでしょうか。素晴らしい……。素晴らしい生への執着ですよ、ミスターブラック」
「くっ!」
「しかし奥の手というのは、最後に使ってこそです。さあ、聞かせてくださいよ。死が忍び寄る中、必死に考えた逆転の策……。それを摘み取られた今の気持ちを教えてくださいよ。ねぇねぇ、どんな気持ちですか? ふふふ……。ははははははははは」」
カブラザカの表情がどんどん悪魔じみていく。
これがこいつの本性。ただ薬を横流ししただけとはいえ、それによって二十八人の男女を殺した最悪の幇助者。おそらく異世界に来て、その罪の数はより増えているはずだ。
「カブラザカ! てめぇは黙ってろ! お前の策に乗ってやったが、ここまでだ。そいつを仕留めるのは、このオレだ」
「かまいませんよ、ミスターミツムネ。直接手を下すのはわたくしの美学に反するので。……さあ、ミスターブラック。どうします? 大ピンチですよ。わたくしとしては、ここを華麗に抜けきってほしいものですね」
「そんなチャンスはねぇよ。ここで仕留めてやる。覚悟しろ!」
ミツムネは手を掲げる。今度は外さん、とばかりに俺を睨み付けた。
その顔を見て、俺は笑みを浮かべる。
「なるほど。奥の手というのは、最後に使ってこそ――か。まったくその通りだ」
「ほう……。すでに起死回生の手があると」
「ああ。ありがとうな、ミツムネ。お前が開けてくれた穴のせいで援軍到着が早まりそうだ」
「は?」
「援軍到着?」
俺は口に指を入れると、鋭い音を立てて指笛を鳴らした。
何かが廊下の奥から走ってくる。チャッチャッチャッと奇妙な音が徐々に近づいてきていた。
すでに夕暮れだ。屋敷の奥となるともう暗い。その中で、二対の目がカブラザカとミツムネに襲いかかる。
「い!」
「ぬ!?」
犬じゃない。それは魔獣の一種だ。
魔犬種ドッグシャンク。Dランクに属する魔獣で、リザルドンと同じく人に懐きやすい。
千年前でも、貴族の中にはドッグシャンクを飼うものがいた。犬よりも力が強く、魔獣相手にも怯まない。五十匹のドッグシャンクを操り、中隊として運用する【魔物使い】もいたぐらいだ。
ドッグシャンクを起こした後、〈劣魔物の知識〉で手懐けた俺は、指笛を鳴らしたら助けに来るようにあらかじめコミュニケーションを取っておいたのである。
Dランクの魔獣など、カブラザカにとってもミツムネにとっても取るに足らない相手だろう。
だが一瞬でいい。一瞬、この二人の動きを止めることができれば、十分だった。
俺は着ていたマントを脱ぎ去り、身体にかかっていた砂埃を払い去る。〈霧隠れ〉をかけ直すと、ドッグシャンクに手こずるミツムネの横を通り過ぎて、書庫に入った。狙いは『悟道の書』。この山のようにある蔵書の中から探すのはひと苦労だが、『悟道の書』には他の魔導書にはない特徴がある。
即ち、魔導書の中でも別格に分厚いということだ。
「あった!」
広〇苑もかくやという分厚い魔導書を見つける。
千年前、何度も見てきたから間違いない。
俺は『悟道の書』のある書棚に向かって一気に駆け上がる。
背後でドッグシャンクから解放されたミツムネとカブラザカの喚き声が聞こえた。
「くそ! 逃がすかよ! 〈あん――――」
「書庫でギフトはヤバいですよ、ミスターミツムネ! ここにある本はうちの雇い主のお気に入りなんです。一部でも消滅したなんて聞いたら、逆にあなたが命を狙われますよ」
「うるせぇ! だったら、オレは皇帝の野郎の命令で動いてんだよ。邪魔すんな!」
ここに来て、仲間割れか。所詮は烏合のコンビだな。
おかげで俺は『悟道の書』を本棚から引き抜き、ページを捲ることができた。
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