第26話 ミュシャの意地
一時的に運営をラーラ姫と審判のロードルに任せ、皇帝陛下とデーブレエス伯爵は近くにある伯爵邸に避難していた。一先ず安全は確保されたわけだが、皇帝陛下の表情は優れない。
それを気まずそうに見ていたのは、デーブレエス伯爵だった。
陛下の気分が落ち着くようにと最高級の茶葉を出してはみたものの、まったく手を付けてくれない。ただただ紅茶が冷めていくのを眺めていることしかできなかった。
「おのれ! 余に恥を掻かせおって!」
唐突に皇帝陛下は癇癪を起こす。
デーブレエス伯爵は思わず「ひっ!」と悲鳴を上げた。
怒りの矛先にいたのは、無様に負けた勇者ではない。
ミツムネは担架に乗せられ、治療を受け、今はこの屋敷の客間で寝ている。
皇帝陛下が怒りを向けたのは、あくまで対戦者であったブラックに対してであった。
「デーブレエス!!」
「は、はい! はいであーる!」
「あのブラックとかいうふざけた奴を優勝させてはならぬ。場合によっては殺してもかまわん」
「こ、殺して……であーるか?」
「そうだ! どんな手を使ってでもいい。奴を殺せ!」
「人を殺せ」という明確な指示に、デーブレエス伯爵は息を呑む。
だが、それ一瞬のことだ。次第に自分の執務室で悪巧みする表情に戻っていく。
「陛下、もしあのブラックを止める者が現れた暁には……」
「よかろう。望みのものを与えてやる」
デーブレエス伯爵の口が裂ける。
呪われた人形のように笑うと、伯爵閣下は恭しく頭を下げた。
デーブレエス伯爵は自分の執務室に戻ってきた。
客間でやり取りを話すと、それを聞いていたデーブレエス伯爵の息子ゼビルドは飛び上がる。
「やったぜ! オレ様もこれで近衛兵、近衛兵長にだってなれるぞ」
「愚かな息子だな。なんなら、ロイヤルファミリーにすら我らはなれるかもしれないのであーる」
「とにかくこんな田舎からおさらばできれば、オレ様はなんだっていい」
ゼビルドは俄然やる気を漲らせる。
一方、デーブレエス伯爵は執務室にいたもう一人の方に視線を投げかけた。
勇者カブラザカと名乗るゼビルドの師匠である。
異世界人であることは間違いないのだが、デーブレエス伯爵もゼビルドも詳しい出自は知らない。
どうやらティフディリア帝国ではなく、他国で勇者召喚された者らしく、皇帝も知らない様子だった。本人は組織に属すことを好まず、こうやって用心棒紛いのことをして、ジオラントのあちこちを歩いて回っているらしい。
「先生、よろしくお願いするであーる」
「計画の変更はないということですな。よろしい。なら、すでに手は打ってあります」
カブラザカは数枚の紙を差し出す。
そこには参加者の名前と、人相がスキルによって描かれていた。
大会に参加するための願書だ。
そこにはブラック、ミィミ、さらにミュシャの願書が並べられていた。
「候補でいうと、この三人でしょうな。そうですな。といっても、ブラック当人は狙うのは難しいでしょう。そうなると、残りは二人。……まずは手始めに、この女から始めますか」
カブラザカは懐から取り出した小瓶を、そっとミュシャの人相書きの上に置く。
それを見て笑ったのは、デーブレエス伯爵だった。
「ブラック、残念だったな。お前に賞金も、我が輩の大事なコレクションも渡さない。優勝するのは我が息子ゼビルドであーる。ぐひっ……。ぐひひひひひひひ!」
奇妙な笑い声を上げ、デーブレエスは丸い身体を震わせるのであった。
◆◇◆◇◆
二回戦が始まった。
俺は二回戦も圧勝し、続けて行われた二回戦第二試合。
ミュシャvsゼビルド。
勝てば、ミュシャの次の相手は俺ということになる。だから、相当気合いが入っていた。
対するゼビルドのクラスはおそらく【剣闘士】。攻撃と体力に優れた前衛向きのクラスだ。
体格にも恵まれていて、簡単な相手ではないことが窺い知れる。
「はじめ!」
開始の号令がかかり、その緒戦――――。
ゼビルドの肉弾攻撃に最初ミュシャは面食らったようだが、戦術を変えて相手の攻撃をうまく捌き始めると、徐々にペースを取り戻していった。ミュシャの鋭い打ち込みに、ゼビルドの腰が引くと形勢は逆転する。
俺とミツムネが戦った時と似たような展開になってきた。
ゼビルドもミツムネと同じく、クラスや体格に恵まれていても、技量がまるで足りていないのだ。力不足は否めず、ミュシャに剣筋を読まれてパニックを起こすと、ついには無茶苦茶に大曲剣を振り回し始めた。
対戦相手が興奮しても、ミュシャは冷静に回避していく。
ゼビルドに疲れが見えるや否や、燃え上がった炎のように攻撃を加えていく。
連続攻撃も決まって、勝負ありかと見られた瞬間、膝を突いたのはミュシャの方だった。
「なんだ……」
俺には何か疲れのようなものが出たのかと思った。
様子がおかしいと感じたのは、ゼビルドが立ち上がってからだ。
下品な笑い声を上げながら、ゆらりとミュシャに近づいていく。大曲剣の腹で軽く己の肩を叩きながら、膝を突いたミュシャを見下ろす。
「どうした、ねーちゃん。さっきまでの威勢は?」
ゼビルドはサッカーボールキックでミュシャの鳩尾を蹴り上げる。
ミュシャは反射的に守ったが、衝撃を殺すまでには至らない。
難なく吹き飛ばされたミュシャは、闘技場を囲う壁に突き刺さった。
「あるじ、ミュシャおかしいよ。ミュシャ、どうしたの?」
突然動きが悪くなったミュシャを見て、ミィミは目を丸くする。
やっぱりおかしい。スキル? 魔法? いや、ずっと見ていたがゼビルドにそんな素振りはなかった。考えられるとすれば……。
「毒か」
考えられるのは、ゼビルドが持っている大曲剣だが、ミュシャは全部剣や武具で受けていた。それは肉体接触による攻撃にも同じことが言える。ならば、仮にミュシャが今、毒に冒されているとすれば、この闘技場に入る前からかかっていたということになる。
遅効性の毒なんていくらでも考えられるが、今それを調べても意味のないことだ。
「ミュシャ! 降参だ! 試合を放棄しろ」
「ダメだ!」
ミュシャは立ち上がる。
大してダメージを受けていないはずなのに顔色が悪い。青いというよりは紫色に近かった。
それでもミュシャは愛剣を掲げるが、その切っ先は明らかにぶれている。
瞼を開いたり閉じたりしているところを見ると、対戦者の位置を把握できていないのだろう。
「ここを勝てば、次は君だ――ブラック。私は君と戦い――――」
ぐちゃっ!
嫌な音がした。フルスイングしたゼビルドの拳が、ミュシャの顔面を捉えたのだ。
完璧なクリーンヒットだった。再び闘技場の壁に叩きつけられた彼女はピクリとも動かない。
「くぅううううう! 女を殴る感触はやっぱいい。今ので鼻の骨が折れたろ。まだ意識を失うんじゃねぇぞ。あと二、三発殴って、俺好みに整形してやっからよ」
「ゼビルド……。勝負ありだ」
審判のロードルが忠告する。
だが、それを遮ったのはミュシャだった。
半分意識がないのに、あの状態から立ち上がったのである。
「私はまだ戦える!」
その言葉に強い戦意が込められていた。おかげでロードルの判断は一歩遅れる。
待ってましたと笑ったのは、ゼビルドだった。
「ひゃっっっっはあああああああ! 立ち上がると信じてたぜ!!」
大きく振りかぶり、ゼビルドは渾身の一撃を容赦なく手負いの重騎士に見舞う。
ミュシャが動く気配はない。目の焦点すら合っていなかった。それでもミュシャは立っている。
本物の覇気を放ったまま。
ゴンッ!
巨大な鐘を打ち込んだ音が響く。熱狂的な歓声は一転して悲鳴に変わった。
闘技場全体が凍り付き、静まり返る。
ゼビルドの拳は完全に木の壁と、その向こうにある土壁にめり込んでいた。
膂力とスキルの威力には瞠目を禁じを得ないが、肝心の獲物の姿がそこにはいない。
「おいおい。これはどういうことだ、ブラックさんよ」
ゼビルドの表情が歪む。その拳の先にミュシャがいない。
代わりに真っ黒な仮面を付けた俺が、側に立っていた。その胸元にはミュシャを抱いている。
突然のブラックの登場に、闘技場内はざわつき始めた。
一方、ミュシャを抱えた俺は、ふっと息を吐く。
あらかじめ調合して置いた毒消し薬を取り出す。一般的な毒消し草を乾燥させ、粒状にし、それをゼラチンの膜で覆ったカプセル剤にしたものだ。
それを水とともに手早くミュシャの喉に流し込む。
しばらくすると、顔色がよくなっていった。
「これで安心だな……」
「ふふふ。あはははははははははははは!」
突然、笑い声が響き渡る。ゲームならボスキャラみたいな雰囲気だが、立っていたのは魔王はおろか、幹部にすら名を連ねられないような三下モブ顔のゼビルドだった。
出る番組を間違えたんじゃないかと思う程、ヒャッハーと声を上げて興奮している。
「馬鹿だぜ、お前?」
短く罵った後、ゼビルドは審判であるロードルに振り返った。
「しんぱ~ん。これって反則だよなあ。オレ様の対戦相手はともかくとして、このブラックって奴は次のオレ様の対戦相手だ。仲間を庇ったとしか思えないぜ」
「……その通りだ。第三者による援助があった場合、援助を受けた者は失格。またその第三者が大会参加者であり、かつトーナメントにて生き残っている場合、その者も合わせて失格となる」
「つまり、てめぇはここで失格。……自動的にオレ様が決勝に行くってことだ。ゲハハハハ!」
ゼビルドの笑い声が響き渡る。
ロードルは軽く頭を振ったが、言葉では否定しなかった。
「それでいい」
「あん? なんか言ったか?」
「俺はここでリタイア。それでいいと言ったんだ」
「はあ? なんだ? やせ我慢って奴か? いいね。オレ様は知ってるんだぜ。お前とそいつ、そして通路に立ってる犬耳娘とイチャついているのをな。仲間なんだろ? それでもいいってか? 随分と冷たいじゃないか?」
「問題ない。ミュシャの仇はミィミが取ってくれる」
ミィミやミュシャとは戦いたかったというのは、本当のことだ。
けれど、ブラックはあまりに目立ち過ぎた。優勝なんてしたら、今度は仮面どころか顔まで整形する必要がある。そこまでして、俺も逃げたくはないし、目立ちたくもない。
準決勝ぐらいで退場するのが、ちょうど良かったのだ。
幸い、この中にミィミより強い奴はいないしな。
ただ一つ心の残りがあるとすれば、目の前のクズに一発入れることができなかったことだろう。
「フフ……。仇ねぇ。討てたらいいねぇ」
ゼビルドは去って行く俺を見ながら、鼻で笑った。
ミュシャを担いだまま、俺は通路口に戻ってくる。
そこには担架が用意されていた。どうやらミィミが呼んでくれたようだ。
ミュシャはそのまま担架に乗せられ、処置室へと向かう。親友であるアンジェがそれに付き添った。
「ミュシャは大丈夫だ。毒消しは飲ませた。じきに……ミィミ?」
ミィミの身体は震えていた。毒に怯えているのかといえばそうではない。
浅黄色の瞳を燃やし、眉間に皺を浮かべて怒っていた。
「ミィミ、あいつ許せない! 絶対ミィミが倒す! ミュシャの仇とる!」
「ああ。頼む」
「そして、あるじの代わりに絶対絶対ぜ~~~~っっっったい! 優勝する!」
一緒に決勝にいけなくなって、残念がると思ったが、取り越し苦労だったらしい。
俺はミィミの頭を撫でる。それまでピンと立っていた尻尾が、機嫌良さげにユラユラと揺れた。
すると、ミュシャに付き添ったアンジェが帰ってくる。
「クロノさん! ミィミさん! ミュシャさんが大変なのです!」
悲鳴じみた声を張りあげる。
それを聞いて、俺はミィミとともに飛び出していった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「面白い!」「更新はよ!」「続きを読みたい」と思っていただけたら、
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小生、単純な人間ですのでポイントが上がると、すごくテンションが上がります。
是非よろしくお願いします。