第25話 ミィミ出陣
剣闘試合初戦で一時的にできた空気は、過去のものとなっていた。
試合は白熱の展開を迎え、見応えのあるものになり、賭け事を忘れて熱狂する観衆も少なくない。
さすがティフディリア帝国だけでなく、隣国からも集まった武芸者たちである。本戦ともなれば、それなりにレベルが高い。
そんな雰囲気の中で闘技場に立ったのは、ミィミだった。
俺とミュシャ、そしてアンジェは通路口からその様子を見守る。
「クロノ殿の力は、アンジェの鍛冶屋で見たから知っていたが、ミィミが戦うところを見るのはこれが初めてだな。やはり強いのか?」
「強いぞ。一瞬の爆発力でいえば、時々俺を凌ぐ時がある」
「で、でででも、相手の人も強そうですぅ」
ミィミの対戦相手が通路口から出てくる。
現れたのは、真っ黒な毛に尻尾、頭からピンと耳が立っていた。
亜獣人だ。黒狗族か……。亜獣人の中では、膂力、スピードとともにトップクラスを誇る一族だ。
さらに上背もあり、腕もしなやかで長い。口から伸びる牙も気を付けたいポイントだ。
『西の通路からやってきたのは、黒狗族グリン・ダ・ファ男爵ぅぅううう!』
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
グリンは己を鼓舞するように遠吠えを響かせる。やる気満々のようだ。
男爵かよ。亜獣人にしては珍しいな。よほどの功績を上げたか、金で買ったかのどちらかだろう。
『対するはミィィィイイミィィイイイイイイイ! なんと十二歳での参加! もちろん今大会最年少です。果たしてどんな戦いになるやら』
二人は向かい合う。体格でいえば、大人と子どもの差があった。
最初に仕掛けたのは男爵だ。まだ開始の合図はなっていない。ただその黒鼻をミィミに近づけ、すんすんと動かした。ミィミは無視していたが、グリン男爵の瞳が一際閃く。
「お前、奴隷だったろ?」
「…………ッ!」
「図星か。わかるんだよ。いくら取り繕うとしても、お前らのドブ臭さは鼻に衝くのだ。ここはな。お前らみたいなドブネズミがいるところじゃない。便槽の上にでも座って、男のナニでもしゃぶってればいいんだよ」
「男……。ナニ……? ナニって何?」
「チッ! 所詮クソガキか」
「両者離れて」
一触即発になりかけたが、審判のロードルが絶妙なタイミングで間に入る。
少し遺恨を残す形になったが、両者は大人しく引き下がった。
定位置につくと、ミィミは腰に差していた得物を豪快に抜く。
両手に持ったナイフよりも長く、ショートソードよりも短めの剣を見て、ミュシャは首を傾げた。
「双剣? 意外だな。ミィミはあの緋狼族と聞いた。ならその膂力を活かし、もっと重い武器を持たせると思ったが……。それこそリーチを補うような槍や両手剣なんかを」
「確かにミィミの馬鹿力は魅力的だな。でも、それじゃあミィミのもう一つの魅力を潰すことになる」
ミィミが構えると、グリン男爵は腕を交錯させた。すると手から鉤爪のように歪んだ爪が伸びる。
互いが構えたのを見計らい、ついに試合は始まった。
「はじめ!」
飛び出したのは、グリン男爵だ。
「ひゃあああああ! たまらねぇ! こういう試合を待ってたんだ。剣闘試合に事故は付きものだからな。ちょっと首の根っこを引っかけて、思わずぶっとい動脈を切っても、それは事故だ、事故。それにお前みたいな汚物は死ねば、世のため人のためになるってもんだろ!」
その目は赤く血走り、今にも昇天しそうなほどに興奮していた。
すると、その気配が消える。
スキル〈暗歩〉。クラス【暗殺者】だけが持つ固有スキルだ。
するとミュシャが突然立ち上がった。
「思い出した。あいつ、殺し屋男爵だ。予選会でも、二名の死傷者を出してる手練れだぞ」
「ふぇえええ! なんでそんな人が出場してるんですか?」
「事故だと片付けられたらしいが、まさか本戦にまで出場してくるとは……」
なるほど。事故と見せかけることができれば、人を殺しても罪に問われないか。
大方、男爵という地位も似たような手口で得たのかもしれない。
「まずいのです! ミィミさんが危ないのです!」
「大丈夫だよアンジェ。何の問題もない」
「クロ…………ブラックさん。――――って、どさくさに紛れて撫でないでください!」
アンジェはポカポカと俺を殴る横で、闘技場での戦いは――――。
決していた。
まるで空気の中に溶け込むように現れたグリン男爵を見つめていたのは、獣じみた少女の瞳だった。
グリン男爵としては気配を殺し、完全に死角に入ったはずだ。
なのに、ミィミはきっちりと反応していた。
「な、なんで私の姿を……。こうなったら!!」
グリン男爵は戦略を変える。
今度はスキルを使わず、速さでミィミを攪乱するつもりらしい。
さっきもいったが亜獣人の中で、黒狗族はトップクラスの身体能力を持つ。
ただしトップクラスであって、トップではない。さらに言えば、緋狼族は獣人でも亜獣人の中でも、トップオブトップの種族だ。
「あれ?」
気が付けば、グリン男爵の前からミィミの姿は消えていた。
一瞬惚けるグリン男爵、しかし、戦いの最中にあって、その一瞬は命取りだった。
すると、ポンと肩を叩かれる。
「鬼さん、捕まえた。今度はおじさんが鬼だよ」
「なっ! ま、待て! いつから鬼ごっこになった!」
「え? 違うの? ずっとおじさんが走ってるから、鬼ごっこをしてるのかなって思ってた」
「馬鹿な! ここは戦場だぞ!! 舐めてるのか!!」
「そっか……。忘れてた。ミィミ、戦わないと」
「はっ?」
「じゃ、行くね。おじさん」
ジャキッ!!
無数の剣閃が孤を描く。
ミィミを切り刻もうと思っていたグリン男爵が、逆に切り刻まれていった。
もちろんミィミは男爵を傷付けたりしない。
その代わり、その雄々しい黒の毛ははげ山同然となり、代わりに真っ白な肌が露出する。
そこに殺し屋男爵の殺意も、威厳も存在しなかった。
いきなり体毛を切り裂かれ、ハゲワシみたいになったグリン男爵は呆然とする。
しかし、その首謀者は一切悪びれることなく、無警戒に顔を近づけた。
「あのね、犬さん。最初に言おうと思ってたんだけどね」
「な、なんですか?」
「ミィミはね。ネズミじゃないよ。狼だよ」
ミィミは首を傾げ、無邪気に笑う。
敵を敵と見做していない態度に、グリン男爵は強者の香りを感じたのだろう。
ついには悲鳴を上げ、慌てて演武台から下りていった。
「あっ! ちょっと待って! ナニって何なの? 教えてほしかったのに。ぶぅー」
ミィミは引き留めるも、男爵は無視して西の通路口に消えていく。
オッズではグリン男爵の方が高かったようだが、観衆たちは愉快げに笑い、小さな闘士の健闘を称えるのだった。
「お疲れ、ミィミ」
俺はミィミとハイタッチを交わす。
本人は困惑した表情だった。実力の一割も出さなかったのだから、仕方ない。
「あれでよかった、あるじ?」
「ああ。よくやった、ミィミ。初戦突破だ。おめでとう」
「えへへへ……。あるじに褒められた。ところであるじ……。男のナニって、何?」
「ん? そ、それはだな?」
「男のナニをしゃぶるとどうなるの? あるじも嬉しい?」
「ちょちょちょ、ちょっと待て。ミィミ、落ち着け。それはそのセンシティブというか」
「せんしてぃぶ?」
「あ、いや……。と、ともかくミィミが知るにはまだ早い。そ、そういうのは大人になってから」
「ミィミが大人になったら、教えてくれる?」
「も、もちろんだ」
「じゃあ、大人になったら。ナニのことを教えてね」
ミィミは表情を輝かせながら微笑む。守りたいこの笑顔。
親心としては、一生〝ナニ〟の意味を知らずに育ってほしい。
ミィミとやりとりしていると、そこにミュシャがやってくる。
「あはははは……。ミィミはうぶいな。殺し屋男爵を一蹴した強者とはとても思えん」
「笑いごとじゃないぞ、ミュシャ」
「そういう教育をするのも、雇い主の務めだぞ、クロノ殿。それにしても見事な戦いだった。なるほど。ミィミのスピードを生かす戦術に出たということか」
リーチを埋めることも重要だが、俺はミィミの素材を生かすことにした。重い武器を持つと、ミィミのスピードが殺されてしまう。むしろ軽い武器を持って、動き回れる戦術を採用することにした。
結果、それがうまくはまり、初戦を圧倒する技量を得たというわけだ。
「これは思っていたよりも強敵だな。私もうかうかしてられない。ミィミ対策をせねば、優勝は少々難しいかもしれぬ」
「その前に俺と当たることを忘れてないか、ミュシャ」
「おっと! そうだったな。ならば次も勝って、準決勝で相まみえようぞ、クロノ殿」
「ああ!」
コツンと俺とミュシャは互いの拳をぶつける。
それぞれの方向へと向かい、次の戦いに備えるのだった。
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