第24話 歌声
「黙れ! こんなの無効試合だ!」
大歓声の中で、一喝したのは皇帝陛下だった。
目は血走り、真っ赤になった顔は今にも爆発してしまいそうだ。
俺と言うよりは、審判のロードルの方に人差し指を向けて、叱責する。
「こんなことがあり得るか。そこにはいるのは勇者。導きの星5にして、最強のギフトを持つ勇者だぞ。それがどこの馬の骨ともわからぬ男に負けてたまるか」
「恐れながら、陛下。この通り勇者殿は完全に気を失っておられる。このまま続行することは不可能かと」
「だったら――――」
「加えて、勇者殿は反則を犯そうとしました。結果的にブラック殿によって回避されましたが、仮にあのギフトが放たれていれば、多くの死傷者が出ていたのは必定。この者が何か不正をしていたというのであれば、陛下の命令というならば仕方ありません。しかし、その前に明らかに反則を犯そうとした者を罰しなければ、それは公平とはいえないのでないでしょうか」
「ろ、ロードル! 貴様!」
己の言うことに意義を唱え、またその理をまくし立てる家臣に対して、皇帝陛下の怒りは益々膨れ上がっていく。
いよいよ陛下がキレるとなった時、観覧席に小石が投げつけられた。
幸い天幕にいた皇帝陛下に当たることはなかったが、あと半歩天幕から出ていれば、頭にぶつかっていただろう。
「だ、誰だ、皇帝に向か――――!」
「ふざけんな!」
唐突に皇帝に暴言が吐かれると、それをきっかけにして波のように広がっていった。
「何が勇者だ!!」
「全然弱いじゃねぇか!」
「どうしてくれるんだよ! 全部勇者にツッコんだんだぞ!」
「金返せ!」
皇帝陛下がいる天幕に向かって、石や物が投げつけられる。
それは言ってみれば、「勇者」に賭けて、金をすった博徒たちの腹いせに近いものだったが、今回「勇者」に賭けていた者たちの額が違う。賭けていたものだけじゃない。勇者に対して期待し、その本性に絶望した者たちまで皇帝陛下に掴みかかる。
「あるじは悪くない! ミィミ、怒るよ!」
「そうだ! クロ――ブラック殿は何も不正などしていない」
通路口の側で、ミィミとミュシャも抗議の声を上げていた。
いよいよ危機を察したのか、皇帝陛下は家臣たちを盾にして、天幕の奥に引っ込む。
側では頭を抱えたデーブレエスに向かって、叱責した。
「デーブレエス! この者たちをどうにかせよ! いや、今すぐ首を刎ねるのだ!」
「う、承りましたが、このままでは我が輩らの首の方が刎ねられるのであーる」
「ならば早く我が皇軍を呼び戻せ! こいつらをころ――――」
「情けないですこと」
「「え?」」
皇帝陛下とデーブレエス伯爵が急に声をかけた来賓に向けられる。
それは特別に招かれた皇帝陛下に隠れて、密かに観覧していた少女だった。
椅子の背もたれに身体を預けず、ピンと背筋を立てて観覧していた少女はすっと立ち上がる。
華やかなドレスを揺らし、堂々と天幕から出ていった。
俺はその姿を見て、息を呑む。
「ラーラ?」
すると、通路口の方からミュシャの叫び声が聞こえてきた。
「あれはルーラタリア王国の姫君――歌姫ことラーラ殿下ではないか!」
え? ルーラタリア? 姫君??
いきなり暴走する観客の前で、ラーラが出てきたことは驚いたが、それが姫君なんて。
しかも、これから向かう王国の……。
観客も騒然となっていた。天幕に隠れて今までわからなかったが、まさか隣国の姫君までいたとは誰も知らなかったのだ。
観客の熱が冷めていく。その一瞬を見逃さず、金髪を靡かせながらラーラは歌い出した。
持っていた竪琴を鳴らし、まるで子守歌を聞かせるように緩やかな旋律を奏でる。
優しく、温かく、慈しみを抱いた歌は、それまで興奮状態にあった観衆の平常心を取り戻させるに十分な効果を秘めていた。美声を聞いて、口を押さえ、涙を流す観客までいる。
観客だけじゃない。ラーラの歌は俺の心の深い部分にまで浸透していく。戦闘で興奮していた身体が、気持ち良く冷めていく感覚は朝冷水で顔を洗ったものと似ていた。
「クラス【吟遊詩人】……。〈鎮静の歌〉か」
本来は、興奮した魔獣や魔物を抑えるために使うスキルだが、人間にも通じる。
効果のほどは見ての通りだが、おそらくこの歌はそれだけじゃない。
ラーラの歌はスキル以上に心に染み入る。本人の資質によるところもあるのだろう。
「みなさん、失礼いたしました。剣闘試合はまだ始まったばかり。ここからさらに熱い戦いが繰り広げられますので、是非ご注目くださ~い」
ラーラは全身を使って、みんなに手を振る。
最後に彼女本来が持つ華やかな空気が、暴走気味だった観衆たちにトドメを差した。
ひとまず事なきを得たようだ。
俺はホッと息を吐く。安心したのは俺だけじゃなさそうだ。
天幕の奥で子ネズミのように震えていた皇帝陛下はようやく立ち上がった。
「ら、ラーラ姫。助かった。お礼を言う」
「いえ。陛下にご無理を言って、観覧をご許可いただいた恩を返すことができましたわ」
「そ、そうだな。そなたの観覧を許可を出した余の慧眼の成せる技といったところか」
皇帝陛下、全然懲りてないなあ。暗愚であることは前からわかっていたが、帝国も長くないかも知れない。本格的に危害を加えられる前に、早いところおさらばしたいものだ。
そうしていると、皇軍たちが天幕にやってくる。それを見て、デーブレエスが声をかけた。
「陛下、皇軍が迎えに参りました。今のうちに脱出した方が良いのであーる」
「そ、そうだな。こんな危険な場所、一時とていられるものか」
最後に吐き捨てると、そそくさと闘技場から退場していった。
「ブラック殿」
一瞬、誰のことかわからず、反応が遅れる。
偽名をつけたのは俺だが、どうもまだ名前に慣れていないらしい。
振り返ると、あの審判が立っている。小脇に勇者を抱えていた。ミツムネは背が高く、体重だけでも八十キロ以上はあるはず。その上鎧まで着ているから、総重量でいえば、百キロは超えるというのに、それを片手で持ち上げていた。スキルでもなければ、相当な筋力の持ち主だ。
「立場上、こういうことはあまり口にできないのですが……」
「え?」
「見事な戦い振りでした。まるで『剣神』と戦っているような」
「それはまるで『剣神』と戦ったことがあるような言い方ですね」
「少々行き過ぎた言動でしたかな」
「いえ。……間違ってはいないと思いますよ」
ロードルと呼ばれていた審判は一瞬、眉尻を動かす。
俺はそれ以上何も言わず、闘技場から退場した。
「あるじ~!」
通路口に戻ってくると、ミィミがロケットみたいに抱きついてきた。
飼い主が帰ってきたわんこみたいに頬ずりし、尻尾をパタパタと振る。俺の勝利を称えた。
「さすがあるじ! あるじ、強い! あるじ最強!!」
「まだ初戦を突破しただけさ。でも、ありがとう、ミィミ」
「あるじなら絶対優勝できるよ。絶対!」
「おいおい。ゾンデさんのテントで、絶対優勝するって約束はどうした?」
「そっか。ミィミ、約束した。でも、あるじにも優勝してほしい。どうしよう、あるじ!? ミィミ、ピンチ!!」
「じゃあ、二人で決勝へ行って、二人で優勝しよう」
「なるほど! それならあるじも優勝、ミィミも約束を破らずにすむ。あるじ、天才!」
俺はミィミの頭を撫でてやる。我ながらうちのミィミは可愛いな。
千年前も可愛かったが、今世はさらに拍車がかかっているような気がする。
「クロノ殿、私からもお祝いさせてくれ」
「ミュシャ、ありがとう」
「ちなみにこの者も、クロノ殿をお祝いしたいそうだ」
そう言うと、彼女の影からひょこりと小さな女の子が現れた。
今にも泣きそうな顔で、こちらを見ておどおどしている。
「アンジェ! 確か人混みが苦手とか行ってなかったか?」
「頑張って……その、来ましたのです。その……、刀のことが気になった、のです」
「おかげさまで勝てたよ。アンジェ、ありがとう」
ミツムネに勝利した最大の功労者は、まさにアンジェとその刀だろう。
今刀身を確認しても、刃こぼれ一つしていない。
俺がアンジェに教えたといったが、作刀の工程だけで細かいノウハウはレクチャーしていない。なのに想定以上の性能が出ているというのは、アンジェの腕に他ならない。短納期でここまで作り込んでくれた彼女には感謝しかなかった。
俺はアンジェの頭を撫でる。
「ありがとな、アンジェ」
「あう……。だから、頭を撫でないでくださいのですぅ」
「あ。ごめん……。つい――――」
俺は慌てて手を引っ込めた。
なんというか、アンジェの頭の位置って、ちょうど手の置きやすい位置にあるんだよな。
あと、髪がすっごく柔らかくて、心地よい。
「次はミュシャで。その次がミィミだな」
「うん! 勝って、あるじと一緒に決勝に行く」
「おいおい。私を忘れてもらっては困るぞ」
「さ、三人とも頑張ってください!」
その後、ミュシャは危なげなく勝ち上がり、いよいよ真打ちミィミの出番となった。
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