30 厄猪── sideルーシー
「それじゃあちょっと行ってきます」
私がうなずくとタツヤさんは────飛んだ!?
私が跳ぶのとは違う。
体を伸ばし空中を飛行して、握った拳から“厄猪”へ突っ込んで行った!!
何よあれは!!
タツヤさんが“厄猪”の横っ腹へ突っ込むと、厄猪が盛大に転倒した。
すごい。
あんなの、風属性の“破城鎚”や水属性の“激流波”並の威力じゃないの。
それを生身でやるなんて、どうかしている!
シルィーさんが反対側から“空気鎚”で脚を掬ったにしても、効果ありすぎでしょう。
どう考えても前衛職が個人で出す威力じゃないけど、あれもやっぱり何かの技能なんでしょうね。
小指を絡めた恥ずかしさと、人が飛んでいった驚きの連打で、古い記憶に押し流されそうになっていた恐慌は、どこかへいった。
でも体の強張りは、正直に残っている。
「倒れたぞ! 全員攻撃!」
スレインの号令が聞こえる。
そう、問題はなにも解決していない。
“厄猪”が現れてからの記憶が抜けているけど、怒濤の山津波とシルィーさんは健在だった。
けれどそれは厄猪に勝てることを意味しない。
五年前にアレと初遭遇したとき、私も少なからぬ攻撃を入れたけど、痛痒を与えることすら出来なかったのだ。
私はアレに、相手にされなかった。
それどころかリリア師匠でさえ溜めを作らせてもらえず、決め手を欠いた。
少なくとも私と怒濤の山津波に、戦いの局面を変える力はない。
いまも五人で攻撃しているけど、厄猪に損傷を与えた様子はない。
シルィーさんが、これまで見せた事のない上位魔術を撃てるなら、話は違うだろう。
ルカさんが使った“破城鎚”級の魔術が連打できれば、勝てる可能性はある。
今回はアレを止められる盾役がいるのだ。だから攻撃手段さえあれば、むしろ前回より条件がいいかもしれない。
けれど、そんな隠し弾が出てくる兆しはない。
タツヤさんが先ほどの人間大弩弓のような技能を連打できれば、やはりこの難局を突破できる可能性がある。
だけどタツヤさんは、一度厄猪を突き飛ばしたあとは、その場に着地して身動ぎしていない。
無理もない。
前衛の盾職が、Aランク魔術士が使うような打撃力を、体一つで出したのだ。
技能で実現したのだとしても、何かしらの反動があっても不思議ではない。
そのタツヤさんが
「──機会は俺が作ります。それが“盾職”の勤めです」と言ったのだ。
「アレに一撃入れたいなら歓迎します」とも言っていた。
有言実行のタツヤさんがそう言うのだ、何か考えがあるのだろう。
その時が来たらすぐ動けるようにしておくことが、いまの私にできることか……。
「ここは“壁”が張ってあるので安全ですが、ルーシーさんが“出たい”と思えば“壁”は消えます」とも言っていたわね。
私が飛び出しても、いまは役に立てない。
私がここに留まることで周囲に“見えない壁”があり続けるなら、これがスレインたちの掩体として使える。
いまはここに留まって、凝り固まった体を解すことを考えた方が良さそうね。
†
起き上がるのに難儀していた厄猪が、ようやく体を起こした。
スレインたちが慌ててこちらへ駆け戻ってくる。
「ルーシー、大丈夫なのか?」
「姉さん、ご無事で!」
「大丈夫。心配かけたようね。私の周囲にタツヤさんの“壁”が張られているから、防壁として使ってちょうだい。私が外へ出ると壁は消えるそうよ」
「それじゃあルーシーはしばらくそこで待機だね」
スレインが一言で状況を理解したことを伝えてくる。
さすが。
起き上がった厄猪は、こちらでもタツヤさんでもなく、なにもない方を向いて動きだす様子がない。
魔獣が襲ってこない場合がひとつある。
相手が自分より格段に強いと感じたときだ。
まさか──ね。
「タツヤさんが機会を作るそうだから、みんなそれまで体を休めて…」
「なにを言ってるんですか、姉さん。あんなぽっと出の若造ひとりにいい格好させられますかい」
「そうそう、それに数が多い方が当たりが出やすいでしょう」
「あんたたちねえ…」
面子を大切にしているのは分かるけど、ここまでまったく損害を与えられていないでしょうに。
それにタツヤさんって、冒険者の経験こそ短いけど、森精族のシルィーさんを除けば最年長でしょう。若造って──。
そうこう言っている間に、タツヤさんがゆっくりと厄猪へ近寄っていった。
そして遂には密着して、盾で──押している?
「ほら、はじ、まった。また、実験、する、つもり、だ」
シルィーさんがそう言う。
「ほう、あれがそうなのか」
「たぶん、さっき、飛んだ、のも、そう」
あれが実験なの?
なにしてるの? タツヤさん。それに厄猪。
タツヤさんが片手剣を収納へしまい、厄猪の前へ出て徒手戦闘の構えをとった。
ホントに何をするつもり?!
†
厄猪がタツヤさんに迫る。
タツヤさんがそれを受けた。
ほっ、無事だ。
厄猪を止めたタツヤさんが、なにかゴソゴソしているみたいに見える。
なに?
よく見ると、片手剣を収納した右手には、短剣が握られていた。
そうか、あれで弱点探しをする気なのね。
衝突を止めたゼロ距離状態では、片手剣でも長すぎるから短剣にしたのか。
衝突が二回、三回、四……真上に飛び上がった!
害猪を裂いた技。
でも厄猪は急減速して、横へ逸れてしまった。
ああ、残念。
さすが害猪の上位種、一筋縄ではいかないらしい。
それで猪は完全にタツヤさんを目標と定めたらしく、私たちには見向きもしなくなった。
でもそうなればなったで、タツヤさんの体力が心配だ。
腕力で止めているわけじゃないにしても、無限に動けるわけじゃない。
けれど彼の代わりはいない。そんな状況だ。
それに厄猪の頭から調べ始め、左右の前肢あたりまで調べてからは、ふたたび思案顔になっている。
あれっ?
いまどうやって避けた??
いまタツヤさんが厄猪の突進を、珍しく受けずに避けたのだけど、足が動いていなかった……気がする。
ああ、まただ。
タツヤさんが盾戦士から回避盾へ職種転向した?
いえいえそうじゃなくて、やっぱり足を動かさないまま回避行動をとっているみたい。
何回か──足を動かさないまま──避けた。
そしてまた受け止める。
訳が分からない、何がしたいの?
あ、避けて横っ腹へ盾鎚撃。
さっき飛んでぶつかったときと同じに、厄猪が転がっていく。
すごい。
そうか!
どうやって実行しているのかさっぱり分からないけど、さっき宙を飛んだときの加速を、地上で水平方向だけやっているのね。
本当に凄いな。
冒険者が、技能を含めて自分の手の内を晒すことはあまりない。けど宙を飛ばず足も使わないで移動するという事例は初めて見る。風属性魔術で宙を飛ぶ人はいるけどね。
冒険者組合の受付という仕事柄、他人の技能に触れる機会はひとより多いけど、それでも他に聞いたことがない。
固有技能である私の【跳躍】にしても、私の主観としては、ちゃんと歩を踏んでいるのだ。
礼儀として「他人の技能を詮索しない」ということはあるし、組合の守秘義務もあるから、大っぴらにそれについて語られることは希だ。
とは言え一時的にパーティーに入ったり、今日のように臨時のパーティーを組む場合もあるため、経歴の長い冒険者であればいろいろ目にするし、耳にすることがある。
そこで出し惜しみをする相手には、背中を預けられないからだ。
それでもいま起こっていることを説明できる話を、聞いたことがない。
目の前に繰り広げられている行景は、それほど珍しい。
でもまあ私にしたところで、どういう理屈で自分の“跳躍”が発動するのかは分かっていない。
だからタツヤさん自身にも、自分の技能が分かっていない可能性はある。
そうこうしているうちにタツヤさんは後半身も調べ終え、もの凄い急加速で厄猪と距離を取って向い合った。
そろそろかしら!




