27 厄猪──ミスフォートボア── 2
厄猪に素手で挑む。
べつに自棄を起こしたわけじゃない。
それに厳密には素手でもない。
先ほどの“衝突”の感じからすると、“見えない盾”で厄猪を止めるのは、可能だろう。
短距離で勢いを乗せてくる厄猪の加速力は、攻撃頻度が高くて厄介だが、最大速度は害猪と変わらない。
速度が同程度なら体が大きい分、持っている運動エネルギーは大きくなるが、体重が害猪の二倍という事はない。せいぜい二割増しか、多くて三割増に見える。
最大攻撃力は害猪とさほど違わないないため、止めるのに問題ないだろう。
多くとも、三倍四倍とまでは行かないと思う。
だが今回は止めるだけでは足らない。
この厄猪は身体強化で体を硬化させる。言わば“身体硬化”を使うため、こちらの攻撃がダメージに繋がらない。
これは害猪の体当たりが単純な質量攻撃だったのに対し、厄猪の攻撃が切削や貫通性を持ち、こちらの防御がより困難になることを意味している。
狩猟用の穿孔弾と、軍用の被甲弾の違いに当たるかな。
これまでの闘いでは、俺が相手を押さえ、みんなが攻撃するという役割分担だったが、今回は厄猪を止めつつ、みんなに損傷を与えてもらう方法を探る必要がある。
こちらの攻撃が通じない上、他の者では厄猪の近くにいられないので、俺があれこれ試して、あいつの弱点を探し出そう! というわけだ。
その厄猪の装甲には、狼型を両断してのけたノルドの大剣ですら通用しなかった
ルーシーさんの剣と技能も、むかし通用しなかったんだろうな、あの様子だと。
そんな相手に俺の片手剣なんて、つま楊枝みたいなものだ。
だから今だけいつもの片手剣を除装して、代わりに塹壕ナイフを装備した。
短刀に、「 B 」の形のしっかりした護拳が付き、握りやすく取り落としにくい。名前の通り塹壕のような狭小で劣悪な空間での戦闘に特化した、近接戦闘用ナイフだ。
勿論こんな小さなナイフで損害を出そうというわけじゃない。
損害を与えられそうな場所を探ろうという話だ。
にしても厄介なものだね。攻撃が通らないっていうのは。
さて、どう損傷を与えたものか……。
厄猪の攻撃手段は、牙による刺突と、体重に速度を乗せた打ち噛まし、つまり体当たりによる質量攻撃と、身体硬化による付随損傷だ。
牙の攻撃は下段からの突き上げと考えれば対応できる。
質量攻撃への対処も害猪の相手で出来ていて、広い錨床全体で受け止めれば問題ない。
何しろ自分も相手も錨床の上にいるのだ。
すべて掌の上。
つまり、こちら──俺が倒されてしまう心配は、あまりしていない。
事実、先ほどから何度か攻撃を受けているが、完全に受け切れていて、損害は受けていない。
ないのだが、こちらからの攻撃手段にも微妙なものしかない。
“錨床”の目立ては続けているし、厄猪の標的は俺がとったので、リカルドたちへの突進を牽制する必要はなくなり、錨床の目立て効果は継続損傷ひとつに絞っている。
ただ七国とは違い、相手のHPバーが見えるわけじゃないので、どれほど体力を削れているのか判然としない。
椅子に座ってなら、厄猪を拘束して徹夜も考えられるが、かなり激しく体を動かしながらでは無理!
長丁場なら水分補給も食事もしたい。用足しにだって行きたくなる。
前の二つは収納を使えばなんとかなるだろうが、後半はどうにもならない。
極端に長い時間はかけられないだろうな。
また厄猪が突進してくる。
衝突の直前に、俺は上へと飛び上がった。
害猪を二枚に下ろした、縦型の風閂だ。
だが厄猪には通用しなかった。
弾き返されたわけではない。直前で減速して向きを変えられて、衝突が起こらなかった。
そう言えば洞窟蝙蝠は、水平に張った“見えない盾”に着地しようとしなかったし、狼型は“見えない壁”に沿って走っていた。
魔獣っていうのは、“見えない盾”を感じ取っているのかもしれないな。視覚とは別の感覚かもしれないが。
そして害猪は止まりきれずに切り裂かれ、厄猪は急加速と同様、急減速ができて止まれたという事か。
ともかく“見えない盾”の平らな面には体当たりをしてくるので、厄猪がぶつかる瞬間、塹壕ナイフを“見えない盾”から突き出して、相手の硬さをみてみる。
柔らかい所はないかな~?
だが当たる部分は攻撃に使う部位だけあって、どこも硬い。
ぶつかって止まった瞬間を狙い、脇へ回り込んでみるがやはり硬い。
もっと後半身へも行ってみたいが、それだけ時間をかければ離脱されてしまう。
早くも手詰まりだ。
相手が向かっ来てくれるので、それを受け止め短刀で体表の様子を探ることはできるのだが、全身くまなくとはいかない。
なぜか?
こちらの移動速度が足りてないためだ。
人は自前の足で、どれくらいの速度が出せるだろう?
フルマラソン、42.195キロメートルの世界記録が2時間ほど、時速にして毎時20キロメートルくらい。
100メートル走を10秒で走れば、毎時36キロ。
これはいずれも陸上競技のトップ選手が叩き出す値で、一般人ではこの半分にも満たず、自転車を使ってさえ非常に大変な思いをする事になる。
翻って、野生の“猪”の最高速度が毎時45キロ、馬なら毎時60キロ、狼も同じくらい。競走馬なら80キロメートルを超える走行性能を持っている。
こうして較べると、“人”がいかに鈍足なのかが分かるだろう。
野生の“猪”が走るところなど見た事はないが、開けた地形で、四足歩行動物に追われたら、人の足ではまず逃げ切れない速度差があるのだ。
だから狩猟も魔獣狩りも、遠隔攻撃か、罠を仕掛けるか、挑発してこちらへお越しいただく事になる。
ルーシーさんのスキルによる移動が、いかに破格なものかがよく分かるだろう。
先ほどの“自動追尾衝撃”は、攻撃手段としてどうだろう?
これは有効そうで、何発か入れれば倒せる可能性がある。
だが“却下”だ。
速度も出るし、相手に損害を与えられそうだが、ルーシーさんに自然な一撃を入れてもらう余地がない。
有効な攻撃手段があるのなら、自分で倒しなさいという話になる。
それで“厄猪を張り倒した男”として周囲に認識されるのは、二重の意味でありがたくない。
俺と月那が、このゲームにそっくりな世界で“冒険者”を始めたのは、生き延びて、元の世界へ戻るための手掛かりと、それを探すための移動の自由を得るためだ。
今回の件で変に名を上げて、何処へ行っても身バレするなんていう状況は好ましくない。
命の次に大切なのは、意思決定の自由だ。そこには移動の自由も含まれ、時によっては一番が入れ替わることすらある。
不必要に名前が売れてしまい、社会的に移動が不自由になってしまうのは有り難くない。
いよいよとなって他に手がなければ別だろうけど、いま取る手段じゃない。
月那や“白き朝露”の前ならともかく、現在は“怒濤の山津波”もいる。
ルーシーさんは個人的に信用できるが、立場上あとで組合に報告しなくてはいけないはずだ。
だから俺としては、“見えない盾”で説明できる範囲で、厄猪を押さえるにとどめ、攻撃や止めは他の人にやってもらえると有り難い。
‥‥‥飛ばなければどうだろう───?
鳥ならぬ二足歩行の人間が“空”を飛ぶのは、明らかな異常事態だ。
先ほど、伸ばした“見えない盾”の先端で、厄猪をペチンと弾く実験をやめたのも、明らかに異常だからだ。
だが速度は欲しい。
それなら、二本の足で立ったままの移動ならどうだろうか。
アニメの歩行型ロボットが、浮揚しながら移動したり、脚のタイヤやローラーを使って高速移動するやつだ。
現実のロボットにはまだまだできる事ではないが、“空”を飛ぶよりは、高速移動の異常さが緩くないか??
人間なら自立姿勢での移動は、おかしなことじゃない。
すぐそこには“瞬間移動”にしか見えない動きをするルーシーさんだっているのだ。
───ちょっと試してみるか。




