梳きバサミ
――シャキリ
私は、彼の髪を指で挟み、そこに梳きバサミを当てていく。
カーテンが梅雨の湿っぽい風に揺れる傍ら、心地よい音と共に、茶色い髪は肩へと落ちた。
「結構、伸びたね」
そういいながら、私はまた手に程よい力を込める。
すると、この一ヶ月で伸びたであろう髪は、あっけないほど簡単に彼から離れていった。
私は、彼の肩へと落ちた一房を手に取ると、すっと鼻元に持っていく。
そこから香るどこか懐かしく、仄かに甘い香り。
それは、きっと彼の汗と……他の女の匂いなんだ……そんな気がしていた。
【梳きバサミ】
私が今、髪を切っているこいつは新城 晶。付き合って三年の、私の愛しいヤツ。
今日も「咲、髪切ってくれ」、そんな戯言をのたまいながら私の家へやってきたのだ。
私は渋る仕草を見せながらも、結局、彼を部屋へと招き入れてしまう。
会うのはもう二ヶ月ぶり。その間、こいつがいたのは多分……他の女の所。
だけど、そんな晶を私はいつも家に入れ、美容師である私は、こうして今日もまた髪を切ってあげてしまう。
私は、ただ彼の頭を見ながら、彼の髪のバランスを整えていく。
いらない分の髪が、ハラハラと散っていった。
「ねぇ、晶」
形の良い後頭部に、言葉を投げかける。
「なんだ、咲?」
すると晶は、待ってましたといわんばかりに、楽しげに言葉を返してきた。
そして私が、(恐らく彼の期待通りに)「今まで連絡もしないで、どこいってたの?」そういうと、晶もいつもと同じように「他の女のとこ」そういうのだ。
ふいにハサミが止まった。それは、何かをためらうように。
その何か、それはきっと私が晶を求め、いつも晶を許してしまうことなんだ。私は、動かない手を見ながらぼんやりと思っていた。
晶は私とベッドに入るとき、いつも「お前が最高だ」「咲しかいない」といい、
時折、他の女の話をわざとする。そしてその後に、とろけるくらいに、のぼせるくらいに濃厚なキスをするのだ。
私を傷つけ、それを治す。まるでその繰り返しを楽しんでいるかのように。
「どうした」
「うぅん、なんでもない」
けれど、私はそんな彼に吸い寄せられるように、手を伸ばしてしまう。
花を探すミツバチのように。明日を待つ夜のように。
私は揺れるカーテンの向こう、青空の向こうに待つであろう夜に想いを馳せた後、自分の手に視線を戻した。気が付けば、ハサミはすでにスムーズな動きを取り戻している。
「その女な」
晶がまたいった。私がそれに答えないでいても、彼は構わずに言葉を続けていく。
「すっげぇ、いい女でさ。その女のとこならずっといてもいいかな、って思えたんだ」
胸が苦しくなった。締め付けられるように痛くて、木枯らしのように灰色で冷たい風が吹いて……どこまでも寂しかった。
「でもな、不思議なんだよ。どんないい女と出会っても、結局オレ、咲のところに帰ってきたくなるんだぜ」
その言葉に、軽く目を見開いてしまう。
嘘ばっかり、心の中でそういいながらも、口元を緩めてしまう。
胸中に吹く木枯らしは、いつしか柔らかい春風に変わっていた。私は思わず、後ろから彼の身体を抱きしめる。
「おいおい、ちゃんと切ってくれよ」
「……うん、わかってるよ」
困ったように笑う彼に優しく微笑み返し、私はまたハサミを持ち直した。
窓にかかるカーテンが、また大きく揺れた。
――シャキリ
ハサミが動くと共に、彼からは彼の欠片がこぼれ落ちていく。
こうして、彼の髪にハサミを入れながら、不安と幸せの中で思ってしまうのだ。
彼が、いつも私だけを見てくれればいいのに、と。
彼への想いという名の好きバサミが、私以外のすべてを彼から切り落としてくれればいいのに、と。そうすればきっと、私とずっと同じ時間を過ごしてくれるから。
私は、そんな想いを胸に、彼から何かを切り落とし、また、彼を好いていく。