9話 「素人同士の対決」
虫や鼠、その他有象無象。それらの糞尿。元は人の管理下にあった場所は壁が崩れ、足元はひび割れて隙間から緑を覗かせる。自然はコンクリートさえも風化させ、元の姿に戻ろうとしている。水の流れが岩肌を削り、川を成すように。循環の中で不必要なものが削られていく。地球に於いては人類こそが不必要なのではないのか。それでも美しい営みは連綿と続いていくのだろう。
「証拠隠滅を図った割には杜撰だ。」
食欲増進の為か決められたフォーマットのように内側が赤く、外側が黒い弁当殻。割るのに失敗したささくれの酷い割り箸。口の開いたジャガイモのスナック菓子。飲みかけの清涼飲料水など。
「生活感。と言いますか、仮住まい感がひどいですね。」
廃工場と称された場所へ踏み入る二人。天井から剥がれ落ちた塗料がパリパリと軽快な音を立てる。それとは裏腹に照明が無く、光源は古びた換気扇や黄ばんだ目隠しシートの張られた窓から入る光のみの陰気な屋内だ。
「使えますね。」
先のチンピラが使っていたであろう懐中電灯。それにスイッチを入れると、接触が悪いのかチラチラと辺りを照らす。懐中電灯では少し大袈裟で、無ければ辺りの詳細が掴めない。そんな明るさとも暗さとも表しにくい光の程度。
真昼からは少し下がった時間、それにしては暗い屋内。深夜の暗闇に感じるような、心霊的な不気味さからくる不安とは違う。定規の当てどころのない歪な図形のような、感覚があべこべな曖昧さ。屋外から微かに聞こえる蝉の鳴き声と、がらんどうの屋内に響くパリパリという剥げ落ちた塗料を踏みしめる足音。いつ戻ってくるとも分からぬ仮宿の住人。鼓動は通常より早鐘を打ち、肌に着衣が張り付く。そんな複合的な不安。
日陰の為か外よりか幾分涼しく、首筋を伝う汗を冷やす。
「奥があるようだ。」
生活感という散らかった安心から離れ、捨てられた建物内を物色する。そして、廃工場の正体が懐中電灯に照らされて明るみに出る。
照らされたそれは黒ずみの酷い窯のようなものだ。正面の扉は開いており、内部には横倒しにされた梯子のように金属の棒が数本ある。役目をとうの昔に終えたはずのそれは、近づくと焦げ臭さに混じった何かの悪臭を感じる。
「ロストル式の火葬炉。中の金属棒の上に棺を載せて送る。特徴として火葬に掛かる時間が短い。旧式のものだと燃焼温度が低く、死の灰と呼ばれる黒い灰が出る。詰まる所、ここは火葬場だ。いまでは台車式がほとんどで、捨て置かれたロストル式の火葬場が多い。ここもその一つのようだ。」
「なんでそんなこと知ってるんですか。」
普通に生きるにはあまりに不必要な情報だ。
「時間のある時に知識収集をするのが趣味でね。一見不必要と思われる知識でも、今回のように存外使うときがあるものだ。まぁ、これで墓荒らしの動機が判明したわけだ。だが、今のところ状況証拠のみでやはり決定打に欠ける。」
音喜多は入院中やその他、時間の許す限り頭になにかを詰め込んでいた。満たされることの無い空腹を埋めようと必死になるように。しかし、形の合わないテトリスのようにどうしたってその穴は埋められない。
「あのう、動機って、」
そう言って出口へ歩を進める。
「この人との関わり方がわかってきた気がする。」
零した言葉が自身の耳にのみ入り、音喜多に対し泣き寝入りしている状況が少し可笑しく酷く腹立たしかった。_
「さて、どうするか。」
「知りませんよ!」
火葬場の敷地を出た途端立ち止まり、そんな言葉を発し思案を始める。
「とりあえず、ここを離れましょう。中の様子だと、チンピラは完全にここを離れたわけではなさそうですし。いつ戻ってくるか。」
如何に馬鹿だろうと最低限の処理は済ませて離れるだろう。それに男の様子だと何者かに命ぜられての行いのようだ、ならば勝手に引き上げることも出来まい。
「行きますよ!」
止めた脚を動かそうとしない音喜多の背を押し、その場から離れようとする。
「待て。何か書くものは無いか?」
「あ?ありますけど、それが、」
「貸してくれ。窯だけにカマを掛けてみて、煤が出れば上等だろう。」
「中にいたせいで、汗が冷えたようです。音喜多さんの場合は脳機能にまで支障をきたしているみたいですね。」
「あと、スマホも後で貸してもらえると有難い。では、戻って来ないか見張っててくれ。」
自分の要件だけ伝え、意味不明な発言だけ残す。_
「まだ帰られていなかったんですか。アンタ。」
再び事務所に訪れた招かれざる客に悪態をつく。
「もう、隠す気ないみたいですね。」
「フッ、なんのことかね。」
態度は隠さずとも、真相は隠す。そんな安い悪党の振舞いだ。
「もう少しで心許りのお手伝いが実を結びそうなので、ご報告に上がりました。」
その言葉自体が報告となる。それを受けた守屋は音喜多の足元を見ると白い塗料片が付着してるのを確認した。
「火葬場に行ったのか。」
「えぇ。」
「だから、どうだというのだ。アンタの妄想が正しかろうと証拠はなにも見つかってはいないだろう。ならば、警察は動かない。その妄想がどれだけ馬鹿げているかわからんでもあるまい。」
証拠は目の前にずっとある。カロートというパンドラの箱が。
「絶対に開けさせはしないぞ。もし、無断で開けようとすれば逮捕されるのはアンタだ。そんなこと分かりきっているだろうに、なぜまた来た。」
「手詰まりなので、なにかヒントでも貰えないかと。」
「何を馬鹿なことを。大体ただの素人になにができる。そうやって話を引き延ばして不用意な発言でも待っているのか。」
愚策だ。犯人と目される相手に進捗状況を晒すなど。だが、確実に進んでいるという事実に対する焦りと、愚行を晒しことで与える安堵。それこそが、素人である音喜多が打てる詰めの一手に他ならなかった。
相手もまた、素人の墓守だと信じて。