新年
「ただいま…」
「…お帰りなさい」
年が明けたその日の朝、帰宅した私は恐る恐るただいまの挨拶とともにリビングの扉を開ける。
案の定、静かに不機嫌である蓮司がそこにいた。
読んでいたであろう本を閉じ、テーブルの上に置くと私に向かって手招きをする。
「疲れているところ悪いと思うけど、侑奈さんに話しがあります。」
「…はい」
トントンとテーブルを指先で叩き、自分の前に座るように示す。
怒っているというよりは、自分の意見が受け入れてもらえなくて拗ねている子供と同じなのだが、普段が穏やかな分、今迄見たことないような不機嫌さを露わにしている姿に、少しの怯えが湧いてくる。
素直に椅子に座ると、蓮司が掛けていた眼鏡を外してテーブルに置く。
「…仕事お疲れ様」
「うん、明けましておめでとう。」
彼の不機嫌さを素知らぬふりしてわざと明るく新年の挨拶を口にすると、あからさまにため息を吐かれる。
「…今迄なら、仕事だから仕方ないって割り切ってたけど、今年は一緒に新年を迎えたいって俺は随分前から侑奈さんに伝えていたつもりなんだけど。」
「いや、ほら…基本的に年末年始のお休みは家族持ちの人たちに優先してお休み振り分けてあげたいと思って…」
そう口にするが、本当は自分が休みを申請していないだけである事は相手も知っているだけに、その言葉がただの言い訳なのはバレバレである。
それだけではない。
この年末に向かって、大事なイベントでもあるクリスマスすら仕事を入れてしまっていたので、そのことも含めて彼は不機嫌になっているのだ。
「侑奈さん、いつまで夜勤続けるの?」
12月に入ってから何度も聞かれた質問だ。
蓮司を引き取った頃は幼かった蓮司と一緒の時間を増やすために、一時期夜勤をやめていたことはある。
けれど蓮司の高校進学とともに夜勤を再開した。
ちょうど同じ時期に人手が減ってしまったこともあって、上司から何度か打診されていたから。
その時の蓮司は文句ひとつ言わなかったのに。
「夜勤は私の仕事上必要な勤務だから、やらないわけにはいかないって言ってるでしょう?」
「昼間だけの勤務にできない訳じゃないでしょ?」
何とか理由をつけようとしても、以前に昼間だけの勤務であったこともあるので、そう指摘されてしまえばこちらからは何も言えなくなってしまう。
12月に入ってクリスマスと年末年始を一緒に過ごせないことを告げてから、蓮司はどうにかして夜勤をやめさせようとしているみたいだった。
「侑奈さんが仕事好きなのは知っているよ。夜勤が大事なのも知らない訳じゃない。でも……今年を特別に思っていたのは、俺だけなのかな。」
怒りよりも切なさを声から感じてしまい、胸が痛む。
どんなに言い訳しても、その裏側にあることを蓮司には見抜かれているような気がして俯いたまま顔を上げることができない。
まるでクリスマスも年末年始もわざと仕事を入れたのを知っているみたいだ。
前の年までとは変わってしまった関係性を、私はまだしっかりと受け入れられていない。
彼の想いを受け入れてから、やはりどうしてもぎこちなくなってしまった。
あっという間に子供から男の人に立ち位置を変えてしまった蓮司に戸惑ってしまう。
家族から恋人に変わったその関係性からか、彼の私に対する接し方がひどく甘いものに変わってしまった。
今まで甘やかしてくれるような人が居なかったわけではないが、それを蓮司にされるとくすぐったくてどうにも居心地が悪い。
蓮司を守るために頑張ってきたのに、急に守られる側に回れと言われても、そんな切り替えがうまくできていたら、こんなに困った状態になっていない。
だからこそクリスマスも年末年始も一緒に過ごすのが怖くなって、仕事を言い訳に逃げた。
言葉を発することができずに唇を引き結んだままの私に、蓮司は一つ小さく溜め息を吐いた。
「…クリスマスの返事も聞いてない」
小さく呟いた言葉に心臓が跳ねる。
「答えは急がないって言ったけど、『NO』と思っていた方がいいのかな?」
自虐的に笑うような声に視線を上げると、辛そうな表情の蓮司がそこにいた。
何かを言わなくてはと思うのに、何も言葉が出てこない。
「……違う。ごめん。今更嫌だって言われても、俺は侑奈さんを手放せないよ」
耐えるように瞼を閉じる蓮司が痛々しかった。
そうさせたのが自分なのだと理解して一層苦しくなる。
蓮司は自分を受け入れると腹をくくっているのに、受け入れるようなふりをして逃げ回っている自分が恥ずかしかった。
「蓮司…」
恐る恐るテーブルの上に置かれた蓮司の手の上に自分の手を重ねる。
まっすぐに向けられる彼の視線が痛い。
まっすぐに自分だけを見ている、その視線が熱いのが分かるから余計にどうしていいのかわからなくなる。
恋愛の中に身を置いていたのが遠い過去すぎて、対処の仕方すら忘れてしまった。
「情けない大人でごめん。もう、逃げないように頑張るから、そんな風に言わないで」
はっきりとYESだと答えてあげればいいのに、此の期に及んではっきりとした気持ちを素直に口にすることを躊躇ってしまう。
「その、名前…日下に、変える、から。」
それだけ言うのが精一杯だった。
クリスマスに言われた『日下になってくれますか』の答えだと分かってくれるだろうか。
本当はもっと気持ちの整理がつくのを待ってほしいとも思っている。
それでもあんな顔をさせるくらいなら、自分が折れた方が良いと思ってしまう。
それに、多分、私はいつまでたっても気持ちの整理なんてつけられないことを蓮司は見越してアクセルを踏んでいるような気もする。
「うん。一緒に幸せになろう?」
重ねた手の上にもう一つ蓮司の手が重ねられる。
包み込むように持ち上げられた指先に口付けられ熱が上がった気がした。
恥ずかしくて反射的に逃げようとする体を何とか押し留めていると、蓮司がにっこりと笑いながら爆弾を落とす。
「今月中に入籍しようね。」
「え?」
思わず聞き返した私にさらに笑みを深める。
「だ、だって蓮司まだ大学…」
「成人はしてるから問題はないでしょ?早速明日指輪買いに行こう。それと、子供作ること考えたら、やっぱり早々に昼勤務に移してもらったほうがいいよね?」
有無を言わせない言葉に呆然としていると「気が短くてごめんね」と苦笑する。
そんな蓮司に溜め息を吐いた。
「もう、しょうがないな」
そんな言葉を口にしながら、口元に笑みが浮かんだ。
なんだかんだと言いながらも、結局私は蓮司の言うようにしてしまうのだろう。
我が儘を言うようになったり、聞き分けが良いだけじゃない蓮司を新しく発見するようになって、今迄とは違う愛おしさを感じているのも理解しているのだ。
くすぐったくて逃げ出したくなるけれど、それでも嬉しく思っているのだから。
明けましておめでとうございます。
年末年始も仕事で書く暇なかったのですが、1/3の夜にふと思い立って書いたが間に合わず…。
1/4になっちゃいました。
侑奈と蓮司のお正月です。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
今年もよろしくお願いします。
大量にあった誤字、脱字、変換間違いを修正しました。
焦っても見直しもせずに投稿しちゃダメですね(笑)