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旅男!  作者: 吉岡果音
第十四章 海の墓標
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悲しみの海

『冬の北の海は、相当冷たいんじゃないでしょうか』


 キースは、海の冷たさなど感じていなかった。突き上げるような激しい感情が、肉体の感覚を遮断していた。


『私は、自分が生き延びるためにはどんな手も使う。お前と違ってな』


 キースは、シーグルトの言葉を思い出していた。


「シーグルトっち……! 自分が生き延びるためにはどんな手も使うって言ってたじゃないか……! なのに……! なのに……! なんで……!」


 キースの頬を、とめどなく涙が伝う。


『……焦ることはない。私は、いつでも相手になる。お前は、もっと泰然としていろ』


 頭の中に穏やかに響く、シーグルトの声。

 

 ――シーグルトっち……! 「いつでも相手になる」って、言ってくれたのに……! ずっと、ずっとシーグルトっちは俺を導いてくれるって思ってたのに……!


 毎日、早朝の鍛錬に付き合ってくれたシ―グルト。

 必ず、キースより先に来ていた。どんなに凍えるような朝も、冷たく降りしきる雪の日も。必ず、どの町にいても、キースの目の前にシーグルトは立っていた。


 ――もう……、明日からは、もう――。


 キースは震える手で、シーグルトのまぶたをそっと閉じた。


 ――シーグルトっち……!


「……キース」

 

 隣に、カイがいた。カイも、泣いていた。


「カイ……。ああ……。そうだよな……。剣の姿になってたから、一緒に飛び込むことになったんだな……。ごめん……」


 カイは、キースの言葉に首を振った。俺に謝る必要はないです、とカイの瞳は訴えていた。


「キース……。こんなときに現実的なことを言うのは気が引けるんですが……。でも、気付いてますか……? 俺たち、だいぶ流されてます」


「え……」


 気が付けば、船の姿が見えない。いつの間にか、だいぶ離れてしまっていた。


「ほんとだ……。船……。どっちだろう……」


「……日暮れも、もうすぐです」


 陽も傾いていた。


「……俺たち、すごく……、やばいんじゃね……?」


「はい……。すごく……、やばいです……」


「…………」


「…………」


 非常に危険な状態だというのに、キースもカイも、どこかぼんやりとしていた。シーグルトの死の前には、なんとなくすべてが現実味を欠けて感じられるようだった。


「……どうでもいいけど、カイ……。お前、裸だな」


「はい……。ほんとにどうでもいいですね……。剣の姿のまま、あっという間に海、でしたから」


「まあむしろ、海では裸のほうが合ってんのかな?」


「風呂じゃないんですから……。まあ俺、風呂も必要ないですけど」


 どんどん流されていた。潮流の速い海域だった。

 カイは、首を激しく左右に振った。


「……じゃなくてっ……! キース! 早く! 早くなんとかしないと! このままでは、俺たち……! それでは、なんのためにシーグルトさんが……!」


 キースはハッとした。


 ――そうだ! シーグルトっちは、俺たちのために命を投げ出して――!


「急ごう! 船に戻るんだ!」


「キース! シーグルトさんは俺が預かります! キースは先に泳いで船に戻ってください!」


 シーグルトの亡骸を抱きながら、波のある海を長距離泳ぐのは無理があった。カイは、一人で――シーグルトを抱きしめながら――救援を待つつもりだった。


「でも……、そもそも、泳いで船に追いつくなんて無理なんじゃないのか!? それに、見当はずれの方向に泳いでも……」


「それでも、このままでは状況は悪化する一方です!」


「それに! 俺は、広い海にお前とシーグルトっちを置いていくなんて……!」


「シーグルトさんだったら、絶対怒りますよ! 諦めず現在の状況で、最善の道を探れって!」


「やみくもに動いても、いい結果になるとは限らないぞ! もしかすると、今は動かないほうがいいのかもしれない!」


「それはそうですけど……! でも、もっとよく考えて探るんです! 生きるための道を! シーグルトさんのためにも、俺たちは絶対に生きなければならないんです……! 絶対に……! どんな状況においても、必ず最善の方法があるはずです……!」


 カイが叫んだときだった。


「ねえ。そのひと、死んじゃったの……?」


 女の子の声がした。


「死んじゃったの……? そのひと、死んじゃったの……? なんてかわいそう……」


 もう一人、女の子の声がした。


 ――え……!?


 キースとカイは、声のするほうを振り返った。


「君たちは……! もしかして……! 人魚!?」


 美しい、双子の女の子。海面から、立派な尻尾が二つ覗いていた。


「あなたたちは、どこから来たの?」


 全体にゆるやかなウエーブのかかった、長い金髪の人魚が問いかけた。


「どうして、そのひと死んじゃったの……?」


 すみれのような色の、長い巻き毛の人魚が問いかけた。


「俺たち、船に乗ってたんだ。とても大型の船。そしてこの人は、船を襲う怪物と勇敢に戦って命を落としてしまったんだ――」


 キースが答えた。怪物と戦って、と言いかけて、また一筋の涙がこぼれた。


「そうだったの……。ああ、なんてかわいそう……」


「泣いているのね……。あなたたちも、かわいそう……」


 双子の人魚も、瞳を潤ませた。


「そのひとは、あなたたちにとって大切なひとだったのね」


「そのひとにとっても、きっとあなたたちは大切なひとたちなんでしょうね」


 金の髪の人魚と、すみれ色をした髪の人魚は、真珠色の涙をこぼした。


「……一緒に悲しんでくれて、ありがとうございます……。あのう……。ところであなたがたは、大きな船を見ませんでしたか? 俺たち、船を見失ってしまって……」


 カイが、双子の人魚に質問した。


「大きな船なら、毎日見るけど……。でも、いつもなら、とっくに遠くへ行ってるはずよ?」


「うん。大きな船は見るけど、いつもなら、今頃もういないよ? そして私たち、今日は船を見てないから、どこにいるかわからない」


 双子の人魚は、揃って首を左右に振った。


「そうですか……。出港が遅れた上に、怪物と戦ってさらに時間が経ったから、今頃船がどの辺りにいるかわからないんですね……」


「それに、私たち、船の道まではわからない」


「『ああ、今日も船が来たね』、ってくらいにしか思わないから、船の道まではわからない」


「そうか……、わからないんだね……。でも、教えてくれてありがとう」


 すっかり体は冷え切っていた。キースは、シーグルトを抱え、ずっと立ち泳ぎをしていた。手足は痺れ、体力はどんどん消耗していた。しかし、キースはしっかりとシーグルトを胸に抱きしめていた。


「もうすぐ陽が沈んじゃうよ」


 金の髪の人魚が言った。


「そのひとの、お墓作らなくちゃ。『ひと』って、海よりも土にお墓を作ることが多いんでしょ?」


 すみれ色の髪の人魚が言った。


「俺たち、どうすれば――」


「私の手を掴んで。島に連れてってあげる」


 金の髪の人魚が、キースの手を取った。


「私の手を掴んで。島の魔女様のところに連れてってあげる」


 すみれ色の髪の人魚が、カイの手を取った。


「え……? 島……? 島の魔女様……?」


「あれえ。重いな」


 人魚たちはそれぞれキースとカイの手を取ったが、思うように進まない。


「それじゃ、みんなにも手伝ってもらおう」


「うん。そうだね。みんなに手伝ってもらおう」


 人魚たちは、うなずき合う。


「え……? みんなって誰?」


 ピイーッ!


 人魚たちが口笛を吹き合図をすると、たちまち大きな亀やサメやエイやイルカが集まって来た。


「みんな! 島に行くの、手伝って!」


 人魚たちが声を掛けると、海の生き物たちはキースたちの後押しをしてくれた。体を押せないものたちは、波を遮るようにキースたちの周りを囲みながら泳いだ。


「あ、ありがとう! みんな……!」


 シーグルトを抱えたキースやカイを引っ張りながら、勢いよく人魚たちは泳ぐ。


「人魚さん。俺の名はキース。そっちがカイ。本当にありがとう! 助かるよ! 君たちの名前は……?」


「ふうん。キースとカイね! よろしく! 私は、ヤーナ。あの子はロッタよ」


 金の髪の人魚がヤーナ、すみれ色の髪の人魚がロッタという名前だった。


「そして、島の魔女様が、オルダ様よ」


 ロッタが微笑んで答えた。


「島の魔女様――。オルダ様って、どんな人なんだ……?」


「オルダ様は、とっても優しいの! 私たちに、ときどき『足』を付けてくれるの!」


「そうなの! オルダ様の魔法の薬を飲んで、ときどき私たち、『足』を使って木に登って遊ぶの! とっても楽しくて、私たち、木登り大好き!」


 ヤーナもロッタも嬉しそうに笑う。


「ああ! そうそう! オルダ様は、『魔女』って名乗っているけれど、『ひと』じゃないの」


「え……? 『ひと』じゃない……?」


「『魔族』っていうんだって!」


「『魔界』から来たんだって!」


 ――『魔族』……!?


 太陽が、海に沈もうとしていた。

 前方に黒い島の姿が、見えてきた。

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