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旅男!  作者: 吉岡果音
第十四章 海の墓標
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海の怪物

 それは、突然だった。


 ザザザアーッ!


 今まで穏やかだった海が、割れた。


「うわっ! ついに来たぞ!」


 キースたち一行や、警護として乗船していた海の民の末裔たちは、甲板で非常時に備えて待機していた。一同は、海の急変に即座に気付き、船の先端に駆け付けた。


 ドドドドド!


 大きな波が打ち寄せ、大型船が激しく揺れる。

 波間から見えたのは――、巨大な怪物だった。

 その怪物は、ごつごつとした貝の殻を持ち、長い何本もの触手のような足を持っていた。軟体動物のようにぐにゃりとした顔には、たくさんの目が蠢くように付いている。


「撃てえーっ!」


 号令と共に、船体に付いている大砲が放たれた。

 弓矢や剣を持つ者は船の前方に立ち、魔法を使える者は後方で構えた。


 ドーン! ドドーン!


 何発かの大砲や雨のように降り注いだ矢が怪物に直撃したが、いずれも貝の部分に阻まれ、ダメージはほとんどないようだった。


「これは、地上の怪物に魔力が加わったもの……! 魔界から来た魔物ではないようですね……!」


 ミハイルが叫んだ。


「魔物でも怪物でもその両方でも、なんでもいい! 倒せばいいんだよ!」


 男たちが威勢よく叫んだ。勇ましい皆の様子に、ミハイルも笑みを浮かべ、気合いを入れ直した。


 ザザザザザ!


 激しい波や水しぶきを上げながら、怪物が接近してくる。船は、大きく揺れたが、最高と呼ばれるエンジンと的確な操舵でなんとか耐えしのいでいた。


「うわっ!」


 触手が甲板に伸びてきた。剣を持つ者たちは、うねる触手に斬りかかる。触手の先端は、刃のように鋭くなっていた。


「みんな、刺されないよう気を付けろ!」


 海水のしぶきで視界も足場もよくない中、それぞれが必死に怪物の攻撃に抵抗していた。


「戦士たちに加護を! 守りの力を授けん!」


 アーデルハイトやミハイル、妖精のユリエ、それから海の民の末裔で魔法を操ることの出来る者たちは、剣士や弓の使い手の防御になる魔法を使う。


「炎よ、貫け! 招炎……!」


「風の精霊、海の精霊、聖なる雷を……!」


「シダビームッ!」


 それから、それぞれ攻撃の魔法を放った。「シダビーム」は、ユリエの技である。

 キースの右前方と左前方、両方から触手が迫る。


 ザンッ!


 右から来た触手をキースがなぎ払うと同時に、キースの隣で刀をふるう宗徳が、左手から襲い掛かる触手を切り裂いた。

 しかし、さらなる触手が上方から迫っていた。


 ザシュッ!


 キースと宗徳が攻撃する前に、触手は本体から切り離されていた。キースと宗徳の眼前で、触手が蠢きながら甲板に落下する。キースは、剣をふるった男のほうを見た。


「……シーグルトっち……!」


 そこに立っていたのは、シーグルトだった。


「なに……!?」


 宗徳は驚いてシーグルトを見た。この男は、魔族のギルダウスを呼び寄せた張本人、敵ではなかったのか、と――。


「シーグルトっちも、乗船してたのか!」


「監視する、と言っただろう」


 キースとシーグルトは会話を続けながらも、次々と船に襲い掛かる触手を切り払う。


「なぜだ! キース! なぜその男と……!」


「宗徳! 説明は、後、後! とりあえず、協力し合うんだ! 乗船しているシーグルトっちにとっても、怪物は敵だからな!」


 なるほど、船が沈められたらこの男にとってもまずいからな、と宗徳は理解した。しかしそれにしても、親しげに男の名を呼ぶキースが不可解だった。どうして相手の名前を知っているのか、それも宗徳にはわからない。


 ドドーン。ドドーン。


 大砲が放たれ、矢も魔法攻撃も怪物を直撃していた。しかし、怪物の勢いが弱まる気配がなかった。


「くそっ! まるでキリがないな!」


 キースが叫んだときだった。


「うわあっ!」


 海の民の弓の使い手の一人が、触手に巻き付かれてしまった。すごい力で海へと引っ張られていく。

 キースが助けようとそちらへ駆け出す。触手を切り、甲板ギリギリのところで弓の使い手を助け出した。


「大丈夫かっ!?」


「ああ! ありがとう……!」


 弓の使い手は、刃のような触手の先端部分に当たり、少し傷を負ったが無事だった。


 ザンッ!


 キースと弓の使い手を狙う新たな触手を、宗徳の刀が一刀両断にした。


「ありがと! 宗徳! それにしてもこの触手、いったい何本あるんだよ!?」 


 キースが叫ぶ。


「……再生しているな」


 シーグルトが剣をふるいながら、冷静に呟いた。


「再生!?」


「本体を仕留めない限り、新たな触手が生まれ続ける」


「そんな……! このままでは皆疲れて……!」


 ドドーン!


 大砲も、矢も、魔法も本体を攻撃し続けている。怪物の体からは、青い血がほとばしっていた。それでも、怪物は暴れ続けている。


「どうしたら、やつを倒せる……!」


「……おそらく、この怪物は魔法に対しても通常の攻撃に対しても、耐性が高いようだ」


「えっ……?」


 思わずキースはシーグルトの顔を見た。シーグルトの、金色をした鋭い瞳は、怪物の特性を見抜いていた。


「硬い殻、殻から露出している柔らかな体、どちらも防御に優れている」


「そんな……! なんとか、わかりやすい弱点や急所はないのか!? このままでは、怪物を倒す前に犠牲者が……!」


 なんとか持ちこたえているが、船もいつまで無事でいられるかわからない。


「弱い部分があるとすれば、あの、貝の殻の中だな」


「殻の中!?」


「これだけ攻撃に強く、再生能力があるのに殻を持っている。と、いうことは、殻の中は守るべき弱い部分、ということだ」


「……! なるほど! それじゃあ、殻の中に潜って斬りつければ……! 魔法攻撃の皆、大砲の砲手、いったん攻撃を止めてくれ! 俺があの怪物の殻に入ってやつを仕留める……!」


 キースは大声で叫んだ。大砲の砲手、声の届きにくい者のところには、伝達の魔法を使える者が作戦を伝えた。


「キース! 危険すぎる!」


 宗徳が叫んだ。


「そうよ! だめっ! キース! そんな危険な方法! 絶対にだめえっ!」


 アーデルハイトの悲鳴のような叫び声が響き渡る。


「キース! それなら私が飛んで行くよ!」


 羽を持つ妖精のユリエが叫んだ。ドラゴンのゲオルクやペガサスのルークたちは、船の規約で船の動物を収容する部屋に入れられている。


「だめだよ。ユリエ。ユリエの力じゃあ、あの怪物は倒せない」


「でも、どうやって怪物のところまで行くの!?」


「触手に捕まっちゃえば、いいんじゃね? きっと口元まで運んでくれるよ。それから触手を切って、怪物の体をよじ登って中に……」


 キースがこともなげに明るく言い放つ。


「そんな無茶な……!」


 ミハイルがそう言いかけたときだった。


 ガンッ!


 シーグルトが、キースを思いっきり殴りつけていた。不意打ちをくらい、キースは甲板に倒れた。


「怪我人が。引っ込んでいろ」


 そう言い残すと、シーグルトはひらりと船の柵を乗り越え、あっという間に怪物の触手の上を走り抜けた。


「シーグルト!」


「……飛翔!」


 シーグルトは剣を持っていない左手で印を結び、触手の上で魔法の呪文を唱えた。短い距離宙を飛べる魔法だった。シーグルトを払い落そうとする触手をすり抜け、シーグルトは海風のように勢いよく、怪物の貝と体の隙間に入って行った。


「シーグルトーッ!」


 柵を乗り越えようとするキースを、宗徳が止める。

 怪物の動きが、激しくなった。波が、水しぶきが船を直撃する。甲板にいるキースたちの目には、なにが起こっているのかよくわからない。

 怪物はやがて、もがくように体をよじらせ、そして――、


 ザザーン!


 怪物の目から光が消え、巨大な体が海に沈んでいく。

 怪物は、ついに息絶えたのだ。

 波しぶき。シーグルトの姿は、見えない。


「シーグルト!」


「よせ! キース!」

 

 宗徳や皆が怪物の最期に意識が向けられている隙に、キースは海に飛び込んでいた。


「シーグルト! シーグルト!」


 キースは、怪物の血で染まった海を泳ぎ続けた。

 必死でシーグルトの姿を探した。

 キースは、海に潜った。深く沈んでいく怪物の貝の部分を目指して泳いだ。

 

 ――シーグルト……!


 キースは、シーグルトを見つけた。

 シーグルトの体は、怪物の触手に貫かれ、無残な姿になっていた。

 

 ――ああ……! シーグルト……!


 キースはシーグルトを抱え、海面へ浮上した。


「シーグルト! シーグルト!」


 キースは叫んだ。キースの叫びに呼応するように、シーグルトの金の瞳が、ゆっくりと開かれた。


「! シーグルト!」


「……おや。もう、シーグルトっち、とは、呼んでくれないのかい……?」


 シーグルトの口元は、微笑んでいた。


「シーグルトっち……!」


「ふふ……。ちゃんと怪物の息の根を止めたぞ……」


「シーグルトっち! どうして……!」


「……愛弟子のために、体を張る師匠がいても、いいんじゃないのか……?」


「……! シーグルトっち……!」


「……なかなか、面白かったぞ……。お前らとの日々は……。キース。お別れだ。手を、手を離せ……」


「シーグルトっち! なに言ってんだよ!? 早く、早くみんなのところで手当てを……!」


「……無理だよ。私は、もう助からん。この『容れ物』は、もう使い物にならんよ……。こうしてしゃべっているのも、必要器官をただ魔力で動かしているだけだ……。その魔力も、もう潰えようとしている……。キース……。お前は、生きろ……。どんな手を使ってでも、逃げ出してもいい……。お前は、生き抜け……」


「シーグルトっち……!」


「……それから、キース……。頼みがある」


「なんだっ? シーグルトっち……!」


「私のドラゴン……。あの赤いドラゴンも船に乗っている……。あいつは、人に懐かない……。どうか、自然の中へ帰してやってくれ……」


「わかった……! わかったよ! シーグルトっち……」


 シーグルトは、ふっ、と、微笑んだ。


「……キース。お前らは、よく私などに礼を述べてくれたな……。逆に、礼を言うべきなのは私のほうだ……」


「シーグルトっち……! なにを言って……!」


「……私に、人間らしい時間を……、豊かな時間を……」


 シーグルトは、深く息を吸い込んだ。それはやはり、命を繋ぐ自然な動きをしたというより、魔力によって横隔膜を動かし、空気を肺に送る真似ごとをしたに過ぎなかった――。


「……ありがとう……」


 それきり、シーグルトは動かなくなった。

 キースは待った。

 シーグルトが、ふたたび声を掛けてくれることを。

 シーグルトの目が、まばたきをすることを。

 しかし、いくら待っても、もう叶わないことだった――。

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