封じられた海
「なあ、シーグルトっち! この前、いい楯をもらったんだ! この楯、小さくて軽くていい感じだろー! 練習に使わせてもらってもいいか?」
白い息もたちまち凍ってしまうのではないかと思うような寒さだった。日の出前の空には、まだ星々が輝いている。
「もちろんだ。持っているものはすべて好きに使え」
シーグルトは、よく通る声でそう答えた。
キースは、目の前に立つシーグルトの姿を改めて不思議だ、と思って眺める。
当たり前のことだが、シーグルトの息は自分と同じように白い。だが、なにかが違う。自分と同じように雪の上に立っている。だが、なにかが違う。微妙な違和感を感じていた。
――シーグルトの声、話しかた、姿勢――、まったく寒さというものを感じさせない……!
まるで、生身の人間ではないみたいだ、とキースは思った。
白い息も、立っている姿も、人間であるように見せるただの演出に過ぎない、本当はまやかしなのではないか、そんな気がした。
いまにも自分の身を薄闇の中に溶け込ませ、自由に失くしてしまうことがシーグルトには出来るのではないか、とキースは感じる。
「ありがとう! シーグルトっち!」
笑顔で叫ぶキース。シーグルトは眉一つ動かさず、剣を持っていない左手の人差し指を自分の口元に寄せた。
「……炎舞」
ゴウッ!
シーグルトが一言呪文を呟くと、シーグルトの左手の辺りから突如炎が現れた。宙に浮かんだ炎は、渦を描きながらキースに向かってまっすぐ襲いかかってきた。
「うわっ!」
とっさに左手に構えていた小型の楯で身を守るキース。炎は、楯に当たると消えていった。
「な、なにすんだよ!? シーグルトっち!」
思わず抗議の声を上げるキース。シーグルトは、そもそも自分の友だちでもなければ味方でもない。でも、信頼関係は確かに築いてきたはず――、ではなぜ急に剣の手合わせではなく、本気で魔法の攻撃をしてきたのか、キースにはわからなかった。
目の前に佇むシーグルトの表情、雰囲気からは、殺意も敵意もまったく感じられない。
――それとも、ただ「感じさせない」だけなのか……?
本当は、自分に不意打ちをかけ、殺すつもりなのでは――? 一瞬、そんな考えがキースの頭をよぎる。ギルダウスの命令が、監視から始末に変わったのだろうか……。
――いや! そんなはずはない……! ギルダウスもシーグルトも、絶対に心変わりはないはず……!
奇妙な信頼関係。しかし、キースは信じていた。
キースは、シーグルトの金色に光る不思議な瞳を見つめた。
「……持っているものはすべて使え、と言った。それは、私もそうするつもりだからな」
「え……?」
シーグルトの思いがけない言葉に、きょとんとするキース。
「……ふむ。その楯、魔力に対してかなり有効だな。確かにいい楯だ」
シーグルトは、そこで初めて笑みを浮かべた。
「え……?」
「ギルダウス様との戦いにも充分使えるな」
シーグルトは、納得したようにうなずきながら呟く。
「えええーっ!?」
「なにをそんなに驚いている。自分でも『いい楯だろー』と言ってたじゃないか」
キースの驚きに、なにを今更、と呆れるシーグルト。
「違う違う! 俺が驚いたのは、楯の性能に対する太鼓判じゃなくて、シーグルトっちが、その、楯を試すために炎を使ったってことに対してで――!」
自分で叫んで、キースはシーグルトが楯を試すために魔法の攻撃を仕掛けてきたのだ、とようやく気付いた。
――ということは、シーグルトっちは……!
「俺のために……、技を出してくれたのか……!」
キースの顔に笑顔が戻ってきた。
「……なにを喜んでいる」
怪訝な顔をするシーグルト。
「でも、でもだなあ! いきなりすぎて、びっくりしたじゃねーか! 『持っているものはすべて使え、私もそうするから』って、先に言ってー!」
「そこまで言わないといけないのか」
シーグルトは少し首を斜めに傾け、めんどくさそうにため息をついた。
「あぶねーだろ!? 俺、死んだらどうすんだよ!?」
「私の攻撃で命を落とすようなら、絶対にギルダウス様には勝てんぞ」
シーグルトは、鋭い眼差しでキースを見た。
ガンッ!
いきなり、キースの楯にシーグルトは剣を振り下ろした。
「な、なにすんだよ!? シーグルトっち!」
「ふむ。通常の打撃に対しても、有効だ」
「だからーっ! なんも説明なく試すのやめてーっ! ただでさえ、シーグルトっちの言動はわかりにくいんだからーっ!」
「それでは、楯を使った剣の手合わせとやら、始めるか」
カンッ!
シーグルトは、すべてを言い終わらないうちに風のような速さでキースの楯に剣を打ち込む。
「始めるの、早すぎーっ!」
「ちゃんと、先に説明したぞ」
「剣も速すぎだし説明も速すぎーっ!」
キンッ! キンッ! カッ……!
剣の打ち合いの音が、静寂な空気を切り裂く。
――よかった……! やっぱり、シーグルトっちは俺の思ってた通りのシーグルトっちだった……!
吹き抜ける冷たい風のように鋭く、確かに目の前に存在するのに、手を伸ばしてもまるで掴めないような気がしてくるシーグルトという不思議な男。しかし、その中身は人間、紛れもない生身の人間なんだ、そう思うとキースはふたたび笑顔になっていた。
「なにを笑っている」
「なんかさあ、嬉しくなって……!」
「……いい楯がそんなに嬉しいのか」
ヒュン……!
楯の隙間をすり抜け、シーグルトの剣がキースの喉元に突き付けられた。
「勝負あり、だな」
「今日も俺の負けかー」
空が明るくなってきた。神秘的な星の光と交代に、確かな朝日が現れた。
「今日もありがとー! シーグルトっち!」
「なんだか特に今日は嬉しそうだな。そんなに楯に満足してるのか。楯だけでは勝負は決まらんぞ」
「楯が嬉しいんじゃねーよ! シーグルトっちのことがわかって嬉しーんだよ!」
キースの白い息が明るく弾んでいた。
「私のなにがわかったというんだ?」
「すんげー強いし優しいなって!」
「私が……!? 優しいだと……!?」
「うん!」
「……お前は、もっと人を見る目を養ったほうがいいな」
シーグルトは、首を左右に振りながらため息をつく。
「俺、視力はいいよ」
「視力と見る目は全然違うだろう!」
シーグルトは呆れながらもつい笑ってしまった。シーグルトの笑った息も白く弾んで見えた。
一緒だ、とキースは思う。
――シーグルトっちも、一緒だ……! 魔族でも精霊でも幻でもない、俺と一緒なんだ……!
明るい日差しが、辺りを照らし始めた。
「ここがノースカンザーランドへ向かう最大の港か――」
深夜。月明かりを背に佇む、長い黒髪の女性。その手には真新しい地図が握られていた。
ここは、ノースカンザーランドへ出港する大型船の停泊する港。そして、美しい黒髪の女性は――、魔界の中の小国の元王女、ビネイア。
「クラウス様は放っておけとおっしゃっているが……。北の巫女の予言の者、見逃すわけにはいかない……!」
クシャッ!
ビネイアは、地図を握りつぶした。
「ひ弱な人間ども! 現在の天候や道の状態を考えても、人間どもはこの港を使うに違いない。そして、幻影を送ったあの地点から考えると、まだやつらはここまでたどり着いてはおるまい。ということは、ここを叩けば……!」
ビネイアは、毒々しい真紅の唇の両端を吊り上げて笑った。
ザザーン。ザザーン。
寄せては返す波。
「おや……?」
ビネイアは、この海がただの海ではないことに気付いた。ビネイアは、漆黒の揺れる水面、その深くに意識を集中させた。海中深くから、なにかの痕跡を感じ取ったのだ。
「これは……、古い魔力の痕跡――」
ビネイアは、ニタリ、と笑った。
「もしかしたら、使えるものがあるかもしれない……!」
ビネイアは、意識を触手のように海中深く伸ばした。ビネイアの意識は深く深く潜っていき、海底に沈められた「なにか」に触れた。
その「なにか」は、ビネイアが探ってもなんの反応もなかった。
「これは完璧に封じられているな……。人間どもの古代の魔力、侮れんな」
その近くに、もう一つ気になるものがあった。ビネイアの意識はそのもう一つの「なにか」に触れる。
「これは……! 卵だ……! しかも、完全に封じられてはいない……!」
これなら、使える! とビネイアは思った。ビネイアは、その「卵」に自らの魔力を注ぎ始めた。卵は、貪欲にビネイアの注いだ魔力を飲み込んでいく。
「ふふ……。きっと、やつらがここに到着するころ、卵はかえるだろう……!」
どくん……。どくん……。
卵は、脈動を始めた。
「やつらの墓場は、この港だ……!」
ビネイアの言葉に応えるように、卵が震えた。




