初めてのお使い
ミミアは、人間の住む地上界にいた。
魔族であるミミアは、人とは違う縦長の瞳孔を隠すため、フードを目深に被る。
「ここが、地上界――」
ミミアにとって、地上の世界は初めて訪れる場所だった。
きょろきょろと辺りを見回す。
「冷たい……。これが話に聞く『雪』というもの、なのね……」
ミミアは、足元に積もった雪をひとすくい、すくい上げた。白く冷たい塊は、ミミアの手のひらの上できらきらと輝く。
「綺麗……」
ミミアは思う。この世界の雰囲気は、嫌いではない、自分はむしろ好きかもしれない、と。
魔族の多くは、地上界を嫌う。魔族にとって強すぎる日の光を、清浄な空気を、多くの者が嫌う。
だがミミアは、すべてを照らして包み込むような光も、澄んだ空も、冷たく清らかな雪も好ましく感じていた。
「ビネイア様が手にしたいというこの世界、私も素敵だと思う――!」
ミミアは、地上での穏やかな生活を想像し、一人微笑みを浮かべ、背筋を伸ばした。その様子は、普通の人間の女の子と少しも変わらなかった。
「さて、地上界の初めてのお使い、どきどきするなあ……。やっぱり、スコルドにもついてきてもらったほうがよかったかなあ……?」
ミミアは、ビネイアに地図を入手するよう命じられて地上界に来ていた。人間の世界でも充分通用する宝石の原石をひとつ、手にして。
ビネイアは、旅人を襲って地図を奪えばいいとミミアに指示した。しかしミミアは、高く二つに結い上げた、とび色の巻き毛を激しく左右に揺らし、その方法を丁重に辞退した。代わりに、店で普通の人間を装って購入する、という手段を取ることにした。
「うーん。ビネイア様の所望される地図って、どこに売ってるんだろう」
人間の言葉はわかるが、文字まではわからなかった。立ち並ぶ店の看板を見ても、ショウウィンドウをおそるおそる覗いてみても、どれが地図を販売している店なのかさっぱりわからない。
「ええと……。ビネイア様は、大陸からノースカンザーランドに向かう港が載ってる地図っておっしゃってたっけ……」
人間とは、下劣で卑小な生き物とミミアは教えられていた。その人間とやらに思い切って訊いてみようか、そうミミアが思い始めたときだった。
どん。
曲がり角を曲がろうとしたミミアが、角から現れた人間とぶつかってしまった。
「あっ。ごめん!」
「ごめんなさい!」
ミミアは、ぺこんと勢いよく頭を下げた。ほとんどの魔族の者が見下している「人間」という種族だが、ミミアは深く頭を下げ謝っていた。とっさの行動だったが、反射的にそうしたのではない。相手が「人間」であると認識していてもいなくても、ミミアは相手を思い、自分の不注意を認め謝罪することを怠らない。
深く被ったミミアのフードがはらりと外れた。
「あっ……!」
ミミアは、ぶつかった相手を見て叫んだ。
「あっ……!」
ぶつかった相手の隣にいた、小柄な青年も叫んだ。
「あなたたちは……! あのときの……!」
ミミアは目を大きく見開き、叫んだ。
ミミアがぶつかった相手は、キースだった。
「あなたは、確かミミアと呼ばれていた……!」
キースの隣にいた、カイがミミアを見て叫ぶ。
ミミアは、素早く後ろに飛び下がった。人間の跳躍をはるかに越えた距離を飛んだ。あっという間に、道路を挟んだ向こう側に消えた。
「えっ!? ミミア!? あの、ギルダウスの!?」
キースも叫ぶ。
ミミアは、フードを被り直し、走った。
いけない、いけない! まさか、ギルダウス様の敵に会ってしまうなんて――!
ミミアは魔力を使い、そこから大幅に移動した。いくつもの町を、一瞬で移動した。
動揺のためミミアの胸は、まだどきどきしていた。ミミアは胸に右手を当て、深呼吸をした。
よし。あんなに離れたんだから、もう大丈夫――!
自分に言い聞かせ、ようやく心が落ち着いてきた。
フードの影から辺りを見回す。多くの人が道を歩いていた。ミミアは、道行く人々の中で、なんとなく優しそうに見える人間に、思い切って声を掛けた。
「あのう……。すみません……。地図を売っている店を教えて欲しいのですが……」
「地図ですか?」
茶色の髪に茶色の瞳、銀色の眼鏡をかけた紳士が振り返る。
「はい。ノースカンザーランドへ行ける港が載っている地図が欲しいんです」
「おや! それはなんだか奇遇ですねえ。私たちもノースカンザーランドへ旅をしているのですよ」
眼鏡の紳士は、フレデリクだった。
「地図だったら、たぶんあの店に売ってると思いますよ」
「そうですか! どうもありがとうございます!」
ミミアは深く頭を下げた。フードを被ってしまっている分、失礼にならないようにと丁寧に深くお辞儀をした。ミミアなりの気遣いだった。
「お嬢さん、ノースカンザーランドへ、どうぞよいご旅行をしてきてくださいね」
「はい! 皆さんもどうぞお気をつけて、よい旅をなさってください……!」
ミミアは、フレデリクの教えてくれた店で無事地図を購入した。
自分が会話を交わし旅の幸運を祈った相手が、まさか自分の主人の敵となる人物だったとは知らずに――。
「……フレデリク。今のは魔族の娘のようだったが……?」
フレデリクの叔父のベルトルドが不審そうな顔をした。
「ええ。そのようですね。魔族も地図が必要なときがあるんですね」
「ノースカンザーランドへ、と言っていたように聞こえた気がするが……?」
「ああ。はい。奇遇だな、と思いました」
「……馬鹿者……!」
ベルトルドが怒鳴りつけた。
「フレデリク! なにをのん気に……! もしかしたらあの者は、クラウスに通じる者かもしれんのだぞ……!」
「え? でも、もしクラウスに通じる者なら、逆に今更地図なんて必要ないんじゃないでしょうか?」
フレデリクは、さらりと答えた。
「む……!」
「叔父さん。考え過ぎですよ。それにあの子は、悪い魔族には見えませんでしたよ」
フレデリクたちは、すぐにミミアの入った店に入ってみたが、なにも変わったところはなかった。人が襲われたということもなく、なにかが奪われたという形跡もない。魔力が使われた痕跡もなかった。ただ、宝石の原石を使って普通に地図を購入し、普通にどこかへ去って行ったようである。
魔族なら、自分の目標物があれば、自由に地上界へ出没出来る。なぜ「港」を目標地点と考えていたのか少し気にかかるが、まさか、人間そっくりで魔力も弱く感じられるあの娘が、しかも正当な取引で地図を購入したあの娘が、自分たちの敵側の者であるとは、フレデリクには思えなかった。
思えなかった、というより単に思いたくなかったのかもしれない。
クラウスのときがそうであったように。
フレデリクは、信じたいものしか見たくなかった。
いい子は、いい子のままで。
いい人は、いい人のままで。
悪人も悪い魔族も、本当は悩み迷いながらもいいところがあるに違いない、そう考えていた。
フレデリクは、信じたいものを、信じていたかった。
「カイ! あれが、あの『ミミア』だったのか!?」
キースはカイに向かって叫んでいた。キースの意識がなくなる寸前に、聞こえてきた、「ミミア」という名前――。
「はい。俺は、はっきり彼女の顔を見ました。間違いありません」
「彼女がギルダウスの、主人なのか……!?」
瞳以外は、普通のかわいらしい女性に見えた。ぶつかった瞬間も、頭を下げて謝ってくれた。キースは、信じられない、といった面持ちで呟く。
「キース。おそらく、彼女はギルダウスの主人ではありませんよ」
「えっ? なんで? なんでわかんの?」
「ギルダウスは、ミミアを『ミミア』と呼び捨てで呼んでいました。それに、ミミアはギルダウスを『ギルダウス様』と呼んでいました」
「なるほど……! ん? でも待てよ。カイは俺のこと呼び捨てだよね? 一応、俺がカイの主人ってことになってんだよね?」
「はい。それは特殊な事例に過ぎません。普通主従関係の中で、主人のことを面と向かって呼び捨てにする配下の者はいません。しかも、主人が自分の配下の者を『様』を付けて呼ぶことはないでしょう。ギルダウスが上、ミミアが下、と考えるのが自然です」
「ああ! なるほど! そうだねえ!」
キースは今まで勘違いしていたことにようやく気付く。
「俺とキースは本当にレアケースです」
中身がどうあれ、カイにとってキースは主人である。
「ふうん。珍しいんだ。じゃあ、俺がカイに『様』を付けて呼んで、もっとレア度を高めてみる?」
「なんでですか」
「レアって、なんかすごいじゃん! めったにない、貴重なことってすごいじゃん! それに挑戦してだな……、レアを極め、珍しくも貴重な後世に語り継ぐべき世界遺産へと高めて……! 目指せ! 世界遺産! 俺とカイで世界遺産登録への一歩を踏み出すのだーっ!」
「……呼びかたうんぬんで、よくそこまで話を広げられますね」
互いの呼びかたがどうこうなど、『人類が共有すべき「顕著な普遍的価値」を持つ物件』ではない。
「それにしても、ギルダウスの配下と思われるミミア、彼女はどうして地上に出てきたのでしょう」
ミハイルが呟く。今までのキースとカイの、「人類が共有しないほうがいい」無駄なやり取りは受け流して。
「そうですね。しかも、彼女はキースに遭遇したことをとても驚いていました。と、いうことはキースの元へ来ることが目的ではなかった――」
カイも首をかしげる。
「しかも、すぐに逃げましたね。まあ、魔力はとても弱く感じられましたから、真っ向から戦うつもりはなかったんだろうとは思いますけど」
ミハイルも、ミミアの魔力の程度を察知していた。
偵察ならば、シーグルトからの情報で充分なはず。なんのために、地上に来たのだろう、とキースも不思議に思う。
「なにか……。ギルダウスとは関係のない命令系統で来たような気がするな」
クラウス、手の幻影の持ち主、ギルダウス、ミミア――。繋がってはいるのだろうが、その繋がりはまったくわからない。
「ギルダウスは、クラウスの手下ではないと言っていた。それじゃあ、ギルダウスの主人は『手の幻影の持ち主』……? それとも、もっと他に……? それから、ギルダウスとは関係なく行動したと思われるミミア。彼女は、なにが目的で地上に来たんだ……?」
晴れ渡っていた冬空。遠くに暗い雲の影が見えた。
「まあいいか……! いずれ、嫌でも全容がわかるだろう」
憶測で考えてもわからない。むしろ、ただの推測だけでは本質を見誤ることもあるかもしれない――ミミアをギルダウスの主人と思い込んでしまったように――、キースは気持ちを引き締めつつ、前を向いた。
「さあ、進もう……! なあ! カイ様……!」
「『様』は、もういいですって」
明るい笑顔のキース。ため息をつきつつ笑顔のカイ。
キースたちの目指す地は、世界遺産――、ではない。




