氷の夢
「キースさん」
「セシーリア!」
キースの目の前には、豊かな銀の髪をした乙女――、セシーリアが立っていた。
――セシーリアに会ってるってことは……、これは、夢か――。
キースは辺りを見回してみた。美しい瑠璃色の空にはたくさんのナスが、ぷかぷかと浮かんでおり、大きな三角の屋根の上を軽やかに歩く六本足の象。遠景には、白い山盛りのご飯が山の代わりにそびえたつ。
――あー。やっぱりこりゃ夢だな。
「キースさん。新年おめでとうございます。ノースカンザーランドの年末年始の行事が立て込んでおりまして……、なかなかキースさんの夢に伺う機会が得られず、ご挨拶が遅れて大変申し訳ありませんでした」
セシーリアは、キースに深く一礼した。
「新年おめでとー! セシーリア! そんな、俺に謝る必要なんてないよ! てゆーか、わざわざ挨拶に来てくれてありがとう!」
「キースさん。お怪我は大丈夫ですか……?」
セシーリアは、とても心配そうにキースを見つめる。銀色の瞳には、うっすらと涙さえ浮かべていた。
セシーリアの様子を見て、慌ててなんでもない、心配することないよ、というようにキースは大げさに両手を振った。
「ああ! 大丈夫だよ! セシーリア! 俺は、平気平気!」
「痛みはないですか……?」
「うん! ちゃんと病院で治療してもらったし、ゆっくり休ませてもらったから、もう大丈夫!」
ようやくセシーリアは少し安心したようだ。セシーリアの顔に可憐な微笑みが戻ってきた。
「……ギルダウスとのこと、カイに聞いたのか? 心配してくれてたんだ! ありがとな、セシーリア!」
「はい……。キースさんと魔族のギルダウスとの戦い、先ほど、カイ兄さんから聞きました。本当に……、恐ろしい敵です。どうか……、どうかお気をつけて……」
「うん! セシーリア、どうか心配しないでくれ! セシーリアが兄さんたちと無事に再会出来るよう、俺はもっと強くなるから……!」
「キースさん……! 本当に、ありがとうございます……!」
「俺も早くセシーリアに会いたいよ!」
夢ではなく、実際に会いたいと思っていた。夢だけでは、やはり寂しい気がする。
「キースさん。カイ兄さんのこと、これからもどうかよろしくお願いしますね」
セシーリアはキースの手を取った。清らかな銀の瞳からも、キースの手を握った白く華奢な指からも、セシーリアの必死の思いが伝わってくる。兄の無事を祈る、セシーリアの切実な願いだった。
「うん……! もちろんだよ! セシーリア……!」
「キースさん……! それでは……! どうかお体をお大事になさってください……!」
「セシーリア! 君もどうかお元気で……!」
そこで、キースは目覚めた。
早朝。まだ空には白い月が浮かんでいる。いつものようにキースとカイは外へ出る。積雪は、固く凍っていた。
「カイ。セシーリアが夢に挨拶に来てくれたよ! 俺の体のこと、心配してくれてた」
白い息を弾ませながら、キースはカイに微笑みかける。カイもうなずき微笑みを返した。それから、カイは真剣な顔になった。
「先ほど、セシーリアにギルダウスとの戦いのことを話しましたので――」
パキン。
カイは、氷の欠片を踏みしめた。軒下から落ちた氷柱の欠片。
「うん……」
キースは一瞬だけ険しい表情を浮かべた。それから、気を取り直してカイのほうを向き、明るく笑いかけた。
「セシーリア、カイのことも心配してた。どうかよろしく頼むって改めて言われたよ。セシーリアは、本当にいい子だな――。カイは、いい妹を持ったな」
カイは黙ってうなずいた。少し照れくさそうな表情を浮かべたが、横顔が嬉しそうだ。
滑りそうな氷の道を、二人ともバランスを取りながら着実に歩く。
「それにしても――」
「なんですか? キース」
「カイたちは便利ですごいなあ! きょうだい間で通信出来て、そのうえ、人間である俺の夢に入って話まで出来るなんて……!」
そこで、ふとキースは気付く。
「あれ? もしかしてカイも俺の夢に出られんの?」
実は夢にも出られるが、常に傍にいるため必要がないから出ないのかな、とキースは思う。
「たまにはお前も夢に出たら? 俺の夢はなかなかアメージングだぞ! 空にはナスが浮かんでんだぞ!」
「いえ……。実は、人間の夢に干渉出来たり心に話し掛けることが出来たりするのは、ラーシュ兄さんとセシーリアだけです」
カイは、夢の中へ入る能力が自分になくてよかった、と心の中で呟く。ツッコミどころ満載のアメージングな夢への友情出演は、丁重にお断りしたかった。
「へえ! そうなんだ! きょうだいみんなが出来るってわけじゃないんだ!」
「俺とコンラード兄さんは出来ません。俺とコンラード兄さんは、きょうだい間の通信のみです」
「そっかー。コンラード兄ちゃんとも夢で会ってみたかったのになあ。残念!」
固く意識を閉ざしているラーシュとは話すことが出来なくても、コンラードとは話が出来るかと思ったのだ。
「いえ……。それは出来なくてよかったかも……」
カイは小さな声で、つい本音を漏らしてしまっていた。
「えっ? なんで、なんで?」
「い、いえ。なんでもないです……」
暴走を止めることの出来る存在がいない中、キースとコンラードが二人だけで会ってしまったら――、想像しただけでカイはめまいを覚えるようだった。
「たぶん、後が怖いです……」
どちらか片方に接するだけでもわけのわからない目に遭うというのに、それが二倍でやってくる、想像するだけで恐ろしい、とカイは思う。たぶん、二人の暴走の矛先は、その後すべて自分に向けられるのではないか、そうカイは予測していた。大変高確率の予測である。
「後が怖い? コンラード兄ちゃんは、怖い感じなのか?」
「怖いというより……」
「怖いというより?」
「いえ……。ある意味やっぱり怖いです」
通常の「怖い」とはずいぶん違った意味で「怖い」のだった。
「あれ……?」
そのとき少し離れた後ろから、人の気配がするのをキースは感じた。それも、よく知っている雰囲気という感覚。
隠れるようにしているようだが、すぐにキースにはわかった。
「おはよう! ミハイル! 宗徳!」
ミハイルと宗徳だった。キースは大きく手を振って挨拶をした。
「おはようございます。キース、カイさん。やっぱり……、バレましたか」
ミハイルと宗徳は顔を見合わせ、少しバツが悪そうに笑った。
「どうしたんだ? ミハイルも宗徳も隠れるようにして。声を掛けてくれればいいのに」
「いえ……。このところ、毎日早朝キースとカイさんが出掛けているから、どうしたのかと思って、つい心配で……。それで、今日こそ確かめようと宗徳さんと一緒に後を付けてみたんです」
ミハイルが正直に打ち明けた。
「ああ! ごめん! やっぱり起こしてしまっていたか!」
「いや。そんなことはいいのだ。それより、おぬしたちが無理な鍛錬でもしてるのではないか、それが気掛かりだった。まあ、カイ殿がそんな無茶はさせないだろうとは思っていたが……」
宗徳は、キースとカイを心配そうに見つめる。
「ごめん! 心配かけて! でも、大丈夫だよ! 運動のためにちょっと散歩や体操なんかをしてるんだ! そんなに無理はしてないよ!」
「本当か……?」
「うん! そのほうが体の調子がいいみたいだしね!」
ミハイルと宗徳はふたたび顔を見合わせる。
「大丈夫ですよ。ミハイルさん。宗徳さん。俺がちゃんと付いてますし」
嘘をついてちょっと良心が痛んだが、カイは微笑みながら太鼓判を押した。
「そうですか。それならよかった。……でも、ちょっと、アーデルハイトさんとの早朝デートだったらどうしよう、その可能性も考えてたんですけどね」
ミハイルは、ふふふ、と笑った。
「おいおい! 早朝からデートかよ! んー、それも、いいかもなあ!」
キースもカイも顔を見合わせて笑った。
「だとしたら、後を付けるのは悪いな、どうしようとミハイル殿と小会議を開いていた」
「でも、やっぱり心配で後を付けちゃってました!」
小会議の結果、尾行が採択された、とミハイルはいたずらっぽく笑った。
キースとカイ、ミハイルと宗徳は早朝の冬道を散策した。キースは、皆と談笑しながらさりげなくシーグルトの姿を探した。
――シーグルトっち、今日はいないみたいだな――。
シーグルトは、たまたま今日は来ていないのか、そうキースが思ったときだった。
ぱさ。
赤い実を付けた小枝が、キースの足元に落ちてきた。
――赤い……。もしかして、シーグルトっちか!?
キースにはわかった。シーグルトはすぐ近くにいる。だが、ミハイルや宗徳がいるから姿を現すつもりはない、そういったメッセージなんだ、そう思った。
――シーグルトっち……!
律儀に約束を守り続けるシーグルト。キースは気配を消してどこかにいるであろうシーグルトに向け、微笑んで少しだけ片手を上げて挨拶をした。
しばらく歩くと、沼が見えてきた。
沼の上で、一人の少女が躍っていた。
「えっ……!」
一同、驚いて少女のほうを見た。少女が宙を舞っているように見えたのだ。よく見ると水面が凍っていて、その上を滑っているようだった。
少女は、沼一面をリンクに見立てて、華麗に踊っていた。
「いやあ! すごいねえ! 見事だねえ!」
キースは、少女に歓声と拍手を送った。カイ、ミハイル、宗徳も惜しみない拍手を送った。
「こんなに朝早くから、一人で滑っているのかい……?」
少女はキースたちのほうに近寄ってきて、はにかみながら答えた。
「今度、スケートの大会があるの……! だから、練習しているの……!」
「そうかあ! スケート大会の練習かあ! それにしても君はとっても上手だねえ!」
「将来、プロになりたいの……」
「君ならなれるんじゃないのか? すごい綺麗だったよ! うん! 感動した! すっごい美しい演技だったよ!」
「ありがとう……!」
少女はとても嬉しそうに笑った。
空が白み始めた。
「キース。そろそろ宿屋に戻りましょうか」
「そうだな! 朝ごはんだな!」
キースたちは、少女に手を振って別れた。少女はいつまでも手を振ってくれていた。
「……あの子……」
ミハイルが呟く。
「……生きた人じゃないです」
えっ!?
一同、驚いてミハイルのほうを見る。
ミハイルは、静かに告げた。
「たぶん……、ずいぶん前に亡くなった子です」
宿屋に戻り、宿屋の主人に少女の話をしてみた。
「それは……! 私の娘です……!」
一同は宿屋の主人と共に、たくさんの花束や果物やお菓子を持って、さきほどの沼へ向かった。
「あっ……!」
沼は、凍ってなどいなかった。
岸辺に、一輪の赤い花が供えてあった。
――シーグルトっちも、供えてくれたんだ――。
皆、手を合わせ、少女の冥福を祈った。
風が吹いた。
「今、娘が笑ったような気が――」
朝日を浴びて輝く水面。風に少し揺れていた。
少女の美しい舞いを、嬉しそうな笑顔を、キースは忘れない。




