第9話 悲恋
遠い昔、大魔法使いヴァルデマーの屋敷。その館は、ノースカンザーランドの国境近くに建っていた。
「『滅悪の剣のカイ』を持てる器の者は、やはりノースカンザーランド一の剣士、イーヴァルでしょうか?」
若い魔法使いが尋ねた。傍に『知恵の杯のラーシュ』を従えている。彼の名は、アントン。大魔法使いヴァルデマーの弟子だった。
「いや……。彼ではない」
大魔法使いヴァルデマーが、ゆっくりと答えた。
「と、申しますと……」
ヴァルデマーの斜め後ろに立っていた北の巫女が、優雅な足取りで前に歩み出る。
「それは……。異国の者です。アントン、あなたと同じように、異国の地より訪れた者です」
北の巫女が、ヴァルデマーの代わりに答えていた。
「私と同じように……」
アントンは、大魔法使いヴァルデマーに弟子入りするために遠い異国からやってきた、優秀な魔法使いだった。今では一番弟子になっている。
「そうだな……。北の巫女よ。私にも見える。『滅悪の剣』を扱える器の異国の青年の姿が」
「ヴァルデマー様、彼は、純白のペガサスに乗り、妖精を従えた不思議な青年です」
「……本当に、変わった青年だな――」
ヴァルデマーは笑い声を上げた。
カイは、三人の会話を傍で聞いていた。
俺の主人となる人は、いったいどんな人なのだろう……?
自分の主人となる人間のことを考えると、胸が躍った。
楽しみだな――。
そうはいってもカイは、無条件で服従する気などなかった。いくら北の巫女や大魔法使いヴァルデマーが認めた人物でも、自分の感覚で納得できなければ、その人間に仕えるつもりはない、と考えていた――。
緑に囲まれた、ノースカンザーランドの国境検問所。
「今日からしばらくの間、ノースカンザーランドは旅人の入国を禁止しているんだ」
検問所の役人の一人が、旅の青年に応対していた。いかにも気さくで話好きそうな中年の男性だった。
「ええっ!? そうなんですかっ? どうしてですっ!?」
検問所を訪れた、旅の青年は驚く。
「これから一週間後、『悪魔の三日間』になるんだ。旅人の安全を守るためだ。仕方ない」
「『悪魔の三日間』? それはいったい……?」
役人の奇妙な答えに、青年は思わず身を乗り出す。
「毎年その三日の間、国の最北部にあるスノウラー山から、恐ろしい怪物どもがやってくるんだ。どうしようもない」
役人は、深刻な表情で首を振る。嘘や冗談ではないらしい。
「怪物!?」
「ああ。国中怪物に荒らされてしまうんだ――。俺も、無事でいられるかどうか。今年も無事過ごせるかどうか……」
深いため息をつく。そして役人は空を見上げる。涙をこらえているようだった。
「なんだそりゃ!? なんとかならないんですかっ!?」
「なんとかって……。入国のことか?」
「その怪物たちを退治できないんですかってことです!」
「よそ者にはわかんねえよ……。俺たちだって毎年戦っているんだ。でも、やつらは強いし数が多すぎる。まあ旅人のあんちゃん、俺と俺の家族の無事を祈っててくれ。じゃあ、そんなわけで今は入国が無理だから、別の道を行ってくれ」
「そんな話聞いて……、黙ってられるか!」
青年は語気を荒げた。
「なに? まさか、あんちゃんが怪物退治に加わってくれるとでもいうのかい?」
「ああ! 入国させてくれ! そして俺も怪物退治に参加させてくれ!」
「あんちゃんは腕に覚えがあるのかもしらんが、無理だよ。怪物退治に一人加わったところでどうにも――。それに、あんたにとってはよその国の話だ。わざわざ危険なことに首をつっこむことはない」
「向こうは数が多いっていうんだろう? じゃあ人間側だって一人でも戦えるやつが多い方がいいじゃねえか!」
青年の瞳は燃えていた。本気だった。
「無理だよ……。もう入国は禁じられたんだ。あんちゃんの熱い気持ちだけありがたく受け取っておくよ。ほんとにありがとな。じゃあ、あんちゃん、いい旅をな……」
「待ってください!」
誰かが、役人と青年のやり取りに割って入る。
「特別に入国の許可が下りました」
艶やかな黒髪、切れ長な瞳の、美しい青年だった。小柄で華奢な姿なので、少年にも見える。
「カイ様……!」
役人が、慌てて一礼する。
「俺の名はカイです。旅の人、あなたのお名前は……?」
青年は、純白のペガサスを従えていた。青年の肩には女の子の妖精がちょこんと座っている。
「俺の名? 俺の名はエースです」
「エースさん……」
カイは眩しそうに逞しい青年――、エースを見上げていた。
「あなたにお会いできて……、嬉しいです」
「俺に会えて嬉しいって?」
「はい」
「なぜ……?」
通り過ぎるそよ風が、緑の香りを運ぶ。
「あなたをずっと待っていました」
「んんんっ!? なんでっ!? ずいぶん妙なこと言うなあ!? 俺、有名人だったっけ!?」
カイは、にっこりと微笑んだ。
「はい。ついさっき、有名になりました」
「なんだそりゃ!?」
エースは思わず笑ってしまっていた。
「合格です」
カイが微笑む。
「えっ?」
「どうぞ、あなたの思うままに」
「えっ? えっ? なにが? 何の話っ?」
戸惑うエース。カイは深く一礼していた。
「――どうぞよろしくお願いいたします」
「んん? 怪物退治のことか? こちらこそよろしく!」
二人は握手をした。手を触れた瞬間、エースはなにかを感じ取った。
「あれ……? なんか……」
「なんでしょう?」
「なじみがあるような気が……。なにかに似てる……」
握手をしたとき、なぜかずっしりと重みがあるような、なにか頼れるような感覚があった――。エースは不思議だった。そんな感覚は初めてだった。
カイは表向き、国王に気に入られた高位の官吏ということになっていた。カイが人の姿を形作られる剣――『滅悪の剣のカイ』――であるということは、国王と王妃、そしてカイを生み出したヴァルデマーと名匠オースムン、そして北の巫女とヴァルデマーの弟子アントンの他知る人間はいない。
ふふふ、とカイは笑った。
「エースさんは、優秀な剣士ですね」
「この不思議な感じ……。なんだろう……」
エースはカイと握手をした自分の右手を眺めた。そしていきなり、なにかひらめいた。
「まっまさかっ!?」
「え? なんです? エースさん」
エースは、わなわなと震えていた。
「エースさん?」
「まさかっ……! まさかあんた……!」
カイはどきりとした。もしかして、魔法使いでもない人間に、自分のことを見破られたのか、そうカイは思った。
「まさか……、あんたは……! 俺の……、俺の、運命の人とか!? なんか、俺、ビビッと来ちゃったのか!?」
カイと役人、そして妖精のユリエは、その場に倒れそうになった――。なにを言い出すんだ、この人は――。
「ああっ! どうしよう! この人、男じゃないかっ! いくら綺麗な顔してたって、男じゃないかああ! なんだ俺の運命……、ああっ! そうか! だからさっき俺のこと、待ってたって言ったのかああ! 前世からの約束とかいうやつかああ!」
エースは、両手で顔を覆った。
「い、いえ、そういうことではなく……」
「あっ! どうしよう!」
「え? なに? なにがどうしよう、なんです?」
「俺は怪物退治に行くけど……」
「え、ええ……?」
うろたえるカイ。
「また俺のこと、待っててくれるっ!?」
な、なんでそうなるんだ! と、カイは心の中で叫んでいた。
「い、いや、だからそういうことではなく……」
「運命は、いたずらだなあ!」
エースは、天を仰ぐ。
「い、いや、だから、そういうことではなく……」
「はっ……! ま、まさか、俺、怪物退治で一回死んで、そいで女に生まれ変わって、そしてこの人と晴れて結ばれる……ってパターンの運命なのかっ!?」
「な、なんでそんなややこしい……」
「あ! ああーっ!」
「今度はなんです!?」
カイは、いい加減疲れてきた。
「もし、生まれ変わりハッピーエンド説だとすると、今度は年の差の障害が! 超、年の差婚になるじゃないかああっ!」
エースは頭を抱えた。
「どこまでも、悲恋だなあ! 悲しいなあ! 俺たち!」
暴走し続けるエース。頭の中が真っ白になるようだった。なんとか、言葉を絞り出す。
「……一回、殴ってもいいですか?」
カイは少し後悔していた。
本当に、この人に仕えることにしていいんだろうか――。
役人と、ユリエは絶句していた。かける言葉が見つからないようだった。
空には、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。穏やかな、のどかな日だった。この一週間後、恐ろしい戦いが待ち受けているとはとても思えなかった――。
あの日のことを、初めてエースと言葉を交わしたあの日のことを、カイは今でも鮮明に覚えている。いろんな意味で――。