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旅男!  作者: 吉岡果音
第十三章 あたたかな未来を信じて
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特別な日の、贈り物

 ある宿屋で、一人夕食をとる美しい青年――。青年の名は、クラウス。

 この瞬間、クラウスの心は、二つのことに占められていた。

 一つは、「今日という日」について。


 アーデルハイト……。


 アーデルハイトの誕生日だった。クラウスは、深いため息をつく。


 とうに忘れたはずなのに、もうなんの関り合いもないはずなのに……。奇妙なものだ。記憶は、この日付の意味することを忘れてはくれないらしい――。


 これはただ、覚えていることを機械的に思い出しているだけだ、とクラウスは考える。

 もう一つのこと。それは、現在利用しているこの宿についてだった。


 この宿……。古い魔法を感じる――。


 古い魔法、しかもそれは――、「呪い」だ、とクラウスは感じていた。

 子どもの頃なら関心を持っただろうが、今のクラウスにとってはどうでもいいことのはずだった。自分の力なら、簡単に解くことが可能だろうし、目新しい発見もないように思える。だが、なぜか宿屋に漂う黒い気配、その「呪い」とやらが妙に気になっていた。


「……急にこんなことを尋ねるのは、変だと思われるでしょうが……」


 クラウスは、食後のコーヒーを運んで来た宿屋の主人に、声を掛けてみた。


「お客様、なんでございましょう?」


「ご主人は、ご存知ですか? この宿には、魔法の気配を感じます。それも、よくない類の」


 主人の顔色が変わった。持っていた盆を取り落としそうになる。


「やはり、ご存知ですね」


「ど、どうしてそれを……!」


「私は、魔法使いです」


 そう言ってから、クラウスは少し考える。コーヒーのよい香り。丁寧に淹れられたものだとわかる。この、悪意に満ちた黒い気配とは全く正反対の、あたたかい、コーヒーの黒――。

 クラウスは、意を決した。


「よろしければ、僕に詳しく話してくださいませんか?」


「え……」


「大変美味しい食事でした。僕に、少しばかり恩返しをさせてください」


 主人は、クラウスに宿屋の住居部分の一室を案内した。

 部屋の中には、いたるところにたくさんの白い百合が飾られていた。そして、部屋の隅のベッドに女性が眠っているようだった。百合の花が美しく咲き誇り、むせかえるような芳香を放っているというのに、部屋の中の空気はどす黒く淀んでいた。


「……娘です」


 クラウスは、息をのんだ。


 アーデルハイト……!


 ベッドに横たわっていたのは、アーデルハイトに瓜二つの若い女性だった。


「これは……!」


「ずっと、眠り続けているのです。邪悪な魔法使いの呪いのせいで……」


「邪悪な魔法使い……?」


「はい……。三十年ほど前、この宿にふらりと現れた旅の魔法使いです。その男は、娘を一目で気に入り……、娘を連れ去ろうとしたのです。娘が抵抗すると、男は腹いせに呪いをかけたのです」


「永遠に眠り続ける呪いか……」


「有名な祈祷師にお願いしたのですが、呪いは解けませんでした。百合の花は、その強い香りが娘の生命の糧となるそうです。以来、ずっと百合の花を欠かさず……。しかし、娘は目覚めることなくずっとあのときのまま――」


 クラウスは、娘の額のあたりに手をかざした。そして、空に文字を描くようにゆっくりと指を動かす。


「……古き邪悪な魔法よ。今、我は解き放つ。漆黒の扉より地の底へ帰れ……!」


 ゴウッ!


 クラウスが叫んだ次の瞬間、娘の周りから黒い渦が現れる。強い風に巻かれるように、黒い渦はうねりながら回転し、空中に突如現れた扉に吸い込まれていった。


「ああっ……!」


 宿屋の主人は、目の前の光景に驚き腰を抜かしてしまった。


「……もう、大丈夫ですよ」


 クラウスは、娘の頬に手を当てた。青白かった娘の頬に、ほのかに赤みがさしてきた。

 娘は、ゆっくりとまぶたを開けた。


 青い、瞳……!


 娘の瞳は、大空のような青い瞳だった。


 エメラルドグリーンの瞳ではなかったか……。


 アーデルハイトではないことは、初めからわかっていた。それなのに、クラウスは少し落胆している自分に戸惑う。


「本当に、ありがとうございました……! あなた様のような、素晴らしい、よい魔法使いのかたが来てくださるなんて……!」


 宿屋の主人は涙を流しながら何度もクラウスに頭を下げた。


「いえ……。僕は、よい魔法使いではありませんよ。最悪の……、魔法使いです」


「え……?」


「ただ……。誰かになにか、贈り物をしてみたくなったのです。なぜなら、今日は、特別な日ですから――」


 クラウスは、微笑んだ。

 氷のような微笑み。しかし、どこか、遠い日々を懐かしむような、二度と訪れることのない陽だまりの場所を求めるような、そんな笑顔だった。




 静かに舞い降りる雪――、抱き合うキースとアーデルハイト。


 ――ん!? こ、これはもしかして……!


 キースは思った。


 ――いける……! いけるのではないか!? これは……!


 キースの胸は、緊張と期待で高鳴っていた。


 ――これは、これは……! ついに来た……! アーデルハイトとの初チューの、チャアアアアアンス! 千載一遇のチャンスなのではないのか!?


「誕生日という一大イベントに乗じて勢いで……」という、まさにキースの想像通りの展開になっていた。


 ――ここは、自然に! ナチュラルに! 年上の男の余裕を感じさせつつ、情熱的に……!


 どきんどきん……。


 ――俺は、出来る……! アーデルハイトとの記念すべき初キスを、スマートにスペシャルにファビュラスに、成し遂げるのだーっ!


 キースの心の中で、ファンファーレが鳴り響いたような気がした。


 ――イケイケどんどん! 前進あるのみ!


 キースが、アーデルハイトの唇に顔を近づけようとした、まさにそのとき――。


 チュ。


 ――ん!?


「キース。好き……」


 アーデルハイトのほうから、唇を重ねてきた。


「え……」


 一瞬、呆然とするキース。頬を染め、恥じらいながら微笑むアーデルハイト。


 ――また先手を打たれたーっ!


 格闘技じゃあるまいに、またしても衝撃を受けるキース。

 キースとの初めてのキスに、満足そうなアーデルハイト。キースの胸に頬を寄せ、うっとりとした表情で身をゆだねる。


 ――しまった……! 俺としたことが、唇を奪われてしまうなんて……!


 奪われるもなにもないと思うが、なぜか悔しがるキース。

 キースは首を振り、思い直した。


 ――一番が駄目なら、二番があるじゃないか! アーデルハイトは今油断している! よし、この隙に乗じて、今度は俺のほうから……!


 男らしくリードするんだと心に決め、再びアーデルハイトの唇を狙う。「狙う」、という表現も妙だが。


「ん? キース?」


 チュ。


 背伸びをして、またアーデルハイトのほうからキースに口づけをした。


 ――またまた先手を打たれたーっ! また俺の負けか……!


 勝ち負けではないはずである。


「……ふふ。二回もキスしちゃったね!」


 満面の笑顔のアーデルハイト。


「う、うん……」


 微妙な笑顔を浮かべるキース。


「じゃっ! そろそろ宿屋に戻ろっか! 寒くなってきたしね!」


 ――あ……、三度目の、正直……。


 アーデルハイトは、キースの腕を取り元気よく歩き始めてしまった。


「ほんとに、記念すべき素敵な誕生日になったね!」


「お、おう……」


 ――もう一回、俺のほうから挑むってのも、変かな……。


「挑む」というのもちょっと変である。


「あっ! アーデルハイト! あれなんだっ!」


 遠くを指差し、突然叫ぶキース。


「えっ? なに? どうしたの?」


 アーデルハイトがキースの指差すほうを見る。


 ――よし! アーデルハイト、油断したな! 今の隙にキスッ! 俺からのキス! アーデルハイトの肩をつかんで振り向かせ、そして情熱的に唇を……!


「なあんだ。あれは、巨大カメムシだよ」


 ぶーん。


 一メートルはあろうかという巨大なカメムシが、雪の降る中飛んでいた。


 ――思ったより振り向くの早い! アーデルハイト!


 タイミングを逸した。三度目のキス、キースからの初キスは、不発に終わった。

 嬉しいはずの初めてのキス。そして二度目のキス。

 キースはすっかり主導権を奪われ、ちょっぴり胸中フクザツである。

 それにしても、体長一メートルのカメムシ。恐るべし。 




 宿に戻ったアーデルハイト。先に部屋に入っていた妖精のユリエが、笑顔で迎えてくれた。


「おかえり! アーデルハイト! これ、みんなからのプレゼントだよー!」


「わあ……! ありがとう……! みんなでプレゼントを買ってくれてたんだ……!」


 アーデルハイトは、皆からの心尽くしのプレゼントを受け取った。


「あっ……!」


 アーデルハイトが綺麗にラッピングをされた包みを開けると、中には優しい色合いの、天然石のブレスレットが入っていた。


「これはお守りにもなるんだって! ミハイルが見立ててくれたんだよ! このブレス、私もとってもいい力を感じるよ!」


「ユリエちゃん……! 本当にありがとう……!」


「あっ! アーデルハイト! キースのプレゼント、とっても素敵だね!」


 アーデルハイトの薬指に光る「封印の指輪」を見て、ユリエは、はちきれんばかりの笑顔になった。


「アーデルハイト! ほんとに、よかったね!」


 なんだかとっても嬉しくなったユリエは、アーデルハイトに抱きついた。


「うん……!」


 アーデルハイトもユリエも、きらきらとした笑顔。


「素敵な誕生日を、ありがとう……!」


 今までで一番素晴らしい誕生日だとアーデルハイトは思った。

 窓の外はしんしんと降り続ける雪。窓に顔を寄せると、光る雪の結晶が見えた。しかし、美しい小さな雪の一粒は、はかなくすぐに消えてしまった。

 ふと、アーデルハイトは思い出す。


 クラウス――。


 お互いの誕生日を、必ず一緒に祝った。


 今、どこにいるのだろう――。あなたの心の氷が、解ける日が来るといいのに……。

 心をあたためる、そんな魔法があればいい――。


「アーデルハイト! ロマンチックな雪の夜だねーっ! 毎日同じような雪の日も、なんだか今日は特別綺麗に見えちゃうねーっ!」


 妖精のユリエがアーデルハイトの肩にちょこんと座り、甘えるように小さな頬を寄せた。


 違う……! 心をあたためるのは、魔法なんかじゃない、誰かのあたたかい心だ――!


 アーデルハイトは、ユリエと一緒に窓の外の雪を眺めた。クラウスの心に、ほんの少しでもあたたかな光が届くように祈りながら――。

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