ババニラ
「最近、なんだかギルダウス様、嬉しそうだよなあ」
魔界の辺境の森の館。若い兵士のスコルドが、ミミアに話し掛けた。
「そうですね……」
ミミアもそう感じていた。ミミアは不思議に思う。
ギルダウス様……。あんなに大変な怪我をされたのに――。どうしてだろう? ギルダウス様、あれからとても嬉しそうに――。
ミミアは、ギルダウスにキースのことを尋ねたことがある。ギルダウスは、ミミアに多くは語らなかった。ただ、キースが特別な人間であること、自分が倒すべき相手であることだけを打ち明けた。
あの、キースという人間――。あの男について話すときのギルダウス様の目……。なんだかとても生き生きとしていた――。
ミミアには到底理解出来なかった。なぜ人間、しかも、自分に大怪我を負わせた憎むべき相手のことを話すとき、あんなに瞳を輝かせているのか――。
何も知らないスコルドは、屈託のない笑顔をミミアに向ける。
「ギルダウス様のお怪我が無事治って本当によかったよ! それにしても、最近のギルダウス様の明るい表情、まるでなにかを心待ちにされているようだよな」
「そうですね……」
ギルダウス様は、あの男との再戦を強く待ち望んでいらっしゃる――。
いったいなぜなのか。たかが人間一人、なぜそのようにギルダウスは心を動かされているのか、ミミアにはまったくわからなかった。
朝食前、キースたち一同は、おばあさんの家の前の雪かきをした。またすっかり雪が積もってしまったからである。
キースとカイが夜明け前にシーグルトと会ったこと、剣の鍛錬をしてきたことは、誰も知らない。
――中庸の精神、か――。
スコップで除雪作業を進めながら、キースは一人考える。
『……思いがなさすぎても強くはなれない、思いが強すぎても弱くなる、だからといって、単純にただその中間をいこうとすると、中途半端な剣になる』
シーグルトの言葉が頭の中に響いていた。
――難しいなあ。「中庸」ってなんだよ? ただの真ん中じゃ駄目なのかよ!? そんな境地に至ることが出来るのか!?
『難しい。だが、お前なら出来る。そう思えなくても、お前だけはそう信じろ』
――そう思えなくても、信じろ、か――。
シーグルトはキースに向かって、「自分を、正しく信じ続けろ」とも言っていた。自分の成長を信じろ、と強くキースに語り掛けていた。
『……昨日と今日、今日と明日は同じようでまったく違う。信じる心を捨てるな』
――俺は、わずかでも成長出来ているんだろうか……?
ふと横を見る。一生懸命雪かきをする、カイ、ミハイル、宗徳、アーデルハイト。妖精のユリエまで、せっせと雪かきの手伝いをしている。
――たぶん、俺だって成長出来てるよな! だって、こんなにいい仲間に囲まれてるんだから……!
いつも明るく前向きで心優しい仲間たち。彼らと過ごす時間は、楽しさと喜びに満ち溢れているだけではなく、間違いなく自分によい影響を与えてくれている、そう断言できる、とキースは思う。
そして、嬉しいことに彼らは自分を深く信頼してくれている。皆、ただの一度たりとも自分が北の巫女の予言の「受け継ぐ者」であることを疑ったことはなかった、とキースは振り返る。
ザッ!
キースは、力強くスコップを雪に突き立てた。
――うん……! 信じよう! 俺も、俺を信じよう……!
おばあさんの家で朝食を食べ終えても、激しく雪は降り続いていた。
「今日は吹雪になりそうだねえ。出発は、様子をみたほうがいいんじゃないかい?」
朝食をご馳走になったら、一同は出発するつもりだった。しかし、雪の降りかたはひどくなる一方で、止む気配がない。
「そうだなあ……。でも、ご迷惑じゃ……」
「なにを言ってるんだい! 遠慮せず何泊でも止まっていきなよ! 豪華な料理は出せないけれど、みんなが普通にお腹いっぱい食べられるくらいの食事の用意は出来るからね!」
「ありがとうございます……!」
一同は、おばあさんの厚意に甘えることにした。
やはり、午後になっても荒れた天候だった。前が見えないくらいの猛吹雪で、出発の延期は賢明な判断だった。
「なあ、ミハイル」
吹雪で真っ白になった窓を見つめながら、キースが呟く。
「なんですか? キース」
「……『中庸』って、どういうことだと思う?」
「なっ、なんですか!? 突然!?」
キースの口から、「中庸」などという難しい単語が出てくるとは思わず、ミハイルは面食らった。
「中庸の精神って、どういうことだとミハイルは思う?」
「そうですねえ……。難しいですね……。極端に走ることなく、その場に適切な状態であること、柔軟であり常にバランスがとれている状態、という意味なんじゃないでしょうか」
「うーん……」
「自我や欲望、観念を越えた上での正しい在り方、でしょうか」
「う、ううーん……?」
キースは腕組みをした。隣にいたカイと宗徳も腕組みをする。そして、なぜかミハイルも腕組みをする。
「……正直言って、僕もよくわかりません」
ミハイルは、そう白状して笑った。
「難しーなあ」
「難しいですね」
「あっ! そういえば、以前ミハイルが教えてくれた『自分が自然の中でひとつの命として純粋にただ在るという感覚』、あれ、意識的に取り入れてるんだ!」
「すごいですね! キース!」
「うん! ちゃんと出来てるかわからないけど、おかげで感覚が広がったようで、グレードアップしちゃった感じだよ!」
ミハイルは、満面の笑顔でうなずいた。
「キースなら、中庸の感覚も身につけられるようになるかもしれませんね」
「そうかな?」
「キースは、純粋で素直なところがいいところです。きっと、これからもどんどん成長出来ますよ」
「成長、かあ……。自分の成長を正しく信じ続けろ、って言われたしなあ」
「えっ? 誰に言われたんですか?」
「えっ……? いやいや、なんでもない。夢のお告げ、かなあ?」
シーグルトのことは、キースとカイだけの秘密である。キースは笑ってごまかした。
「キースさん! キースさんにお客様がみえてますよ!」
おばあさんが、キースたちのいる部屋に来た。
「えっ!? 俺に、客!?」
「こんなに吹雪なのに、ですか!?」
思わず一同驚いた。
――俺に会いに来る……。シーグルトっちか? それともまさか……! ギルダウスか!?
「こんにちは。初めまして」
キースの前に現れたのは――、純白の長い髪、淡いブルーの瞳をした見たこともない青年だった。
「え……? どうして俺に会いに……? あんたはいったい何者……?」
「私は、『吹雪男』と申します!」
「吹雪男!」
純白の髪の美しい容貌の青年は、「吹雪男」と高らかな声で名乗った。
「キースさん。この度は、アンケートのお願いで伺いました」
「ア、アンケート!?」
猛吹雪の中、唐突に現れた「吹雪男」と名乗る男。そしてその男はアンケートのお願いのため来たのだという。わけがわからないのにも程があった。
「そもそも、吹雪男、あんたはなぜ俺を知って――」
「キースさん。あなたは、『初雪男』を助けましたね」
「えっ!? 助けたってゆーか、ただ、かき氷をおごっただけだけど……」
「彼に代わって礼を言います。本当にありがとうございました」
ぺこん、と吹雪男は頭を下げた。
「初雪男の知り合いなのかあ……? で、アンケートって……?」
「キースさん。今、吹雪、困ってます……?」
吹雪男は、キースの青い瞳をじっと見つめながら尋ねた。
「いやあ、おばあさんの家にお世話になってるから、別に今困ってはいないけれど……」
「そうですか! 困ってませんか!」
吹雪男は、明るく顔を輝かせた。
「アンケートのご協力、ありがとうございました!」
また、ぺこんと頭を下げる吹雪男。
「えっ!? もしかして、アンケートの質問って、それだけ!?」
「はい! それだけです! 第一問で終了です!」
「それだけ!? それだけのためになんで俺に会いに!?」
「だって……。『初雪男にかき氷をおごった者は、その後雪に難儀することはない』という言い伝えがありますからねえ。初雪男の名誉のために、それは守ってあげないと」
「そ、そのために!?」
「はい! そのために、です!」
吹雪男は輝く笑顔でうなずく。
「それじゃ、もし、吹雪で困ってるって、俺が答えたらどうするんだ!?」
「あなたのいるところ、進行方向だけ小降りにします」
「そんなこと出来るんだ!?」
「もし困ってらっしゃらないのでしたら、今日の深夜までは吹雪続行予定なんですけど、よござんすか?」
急に吹雪男は「よござんすか」の言い回しをぶち込んできた。
「よござんす」
思わずキースも「よござんす」で返す。
「よかったあ! 本当に、ご協力ありがとうございました!」
「あれ……? ところで、吹雪男は、なんかおごって、とか食べたい、とかは言わないの?」
初雪男は、かき氷をねだっていた。
「私は、吹雪男ですからねえ……」
初雪男にはない大人の余裕をみせた。が、すぐに、
「……強いて申し上げれば、バニラアイスが食べたいでござんす」
「そうでござんすか!」
やはり、吹雪男も初雪男と同類だった。
そこでちょうど、おばあさんがお茶を持ってやってきた。
「まあ! バニラアイスならありますよ! 今、皆さんの分持ってきますね! バニラアイスでお茶にしましょう!」
「えっ!? おばあさん、バニラアイスを常備してるんだ!?」
思わずキースが驚きの声を上げる。おばあさんが、冬にバニラアイスを食べるのは意外な感じがした。
「ふふふ。私、バニラアイスが大好きでねえ! この辺じゃ、『バニラばばあ』って呼ばれるほどなんですよ!」
「バニラばばあ!」
「『ババニラ』ってあだ名もあるんですよ」
「ババニラ!!」
強烈すぎるあだ名だった。おばあさんの意外な一面を垣間見てしまった気がした。
「そんなあだ名が付くなんて、どんだけバニラアイス愛好家なんだろうな……」
吹雪男を囲み、皆でバニラアイスを美味しく食べた。
「ありがとうございました! 本当に、美味しかったです……! お礼に、おばあさんの家は、これから雪で難儀しないようにしますね……!」
吹雪男は笑顔でそう言い残し、手を振りながら消えていった。
初雪男のときと同じように、吹雪男の座っていたところだけが濡れていた。
「バニラばばあ……」
吹雪男より、そちらのインパクトのほうがキースの胸に強く残った。
次の日、吹雪男が言った通り、もう雪は止んでいた。夜明け前、いつものようにキースとカイは表へ出る。
思った通り、シーグルトの姿があった。
「おはよう! シーグルトっち!」
静かにキースは「滅悪の剣」を構えた。
「…………」
シーグルトも黙って剣を構える。
「! 今日は剣を交えてくれるんだ!」
「……昨日のお前と今日のお前は違う。だいぶ柔らかくなった」
「柔らかく……?」
「ああ。少し余裕が出て来たようだな」
「ふうん……?」
自分ではよくわからなかった。しかし、キースは切迫した思いから少し離れ、本来の自分らしさを取り戻しつつあった。
キンッ!
シーグルトは、素早くキースの間合いに入り剣を振り下ろす。キースはそれをなんとか受ける。
キンッ! キンッ! カッ!
日が昇る前の静かな空間に、剣をぶつけ合う鋭い金属音が響き渡る。
キンッ! キンッ! キンッ!
流れるようなシーグルトの剣。どこから来るのか、キースには直前まで剣筋が読み取れない。
――くそーっ! 受けるのがやっとだ……!
シーグルトの金の瞳と空気を切り裂くような剣の光。それだけが薄闇に浮かび上がる。
キンッ! キンッ! ガッ!
雪に足を取られ、バランスを崩したキースから、シーグルトは「滅悪の剣」を振り払った。
「はあっ……。はあっ……。はあっ……」
キースの呼吸は乱れていた。
「今日は、ここまでだ」
シーグルトは、そう呟くとキースに背を向けた。
「まっ、まだまだ……!」
「……欲張るな」
「でも……!」
「……焦ることはない。私は、いつでも相手になる。お前は、もっと泰然としていろ」
「泰然と……?」
「そうだ。それがお前の持ち味だろう」
「そう……、なのか……?」
「心が剣に現れる。いつでも、お前らしさを忘れるな。お前の剣というものを大切にしろ」
シーグルトはそれだけ告げると、赤いドラゴンと共に去って行った。
「カイ……。俺の持ち味ってなんだろうな……」
カイが人の姿に戻る。
「……昨日は、キースが強い思いを持ちすぎていたがために、自分らしさを見失っていた、そういうことなんでしょうね」
「自分らしさ……。俺の持ち味……」
キースはうつむいて考える。
「……まさか、バニラアイス味じゃないだろうな」
「……ババニラ」
二人の心に、鮮烈に「ババニラ」という単語が蘇る。
そうじゃないだろう。




