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旅男!  作者: 吉岡果音
第十二章 戦士たちの夜明け
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強く、強く

「ソニヤさん! 長い間本当にお世話になりました!」


 キースの術後の経過も順調で、抜糸もすぐに終わった。宿屋で早めの昼食を済ませた一同は、いよいよ旅立つことにした。


「寂しくなるわねえ。本当に、もっと滞在して構わないのに……。どうか皆さん、体には気を付けてね。ぜひ、帰り道はうちに寄っていってね」


 宿屋の主であるソニヤは、キースたち一人一人の手を取り、名残を惜しんだ。年老いたソニヤの手は、長年の労働で骨ばっていたが、キースたちにはとても優しくあたたかく感じられた。


「ソニヤさん……。本当に、ありがとうございました……。ソニヤさんも、どうぞお元気で……! またソニヤさんの美味しい手料理、食べに来ます!」


「待ってるからね! みんなでまた来てね……!」


 冬空には、雲間から日差しがのぞいていた。翼を有する聖獣たちに乗った一同は、久しぶりに空を駆ける。


 ――ソニヤさん! 全員で必ず来ます! 誰一人、欠けることなく……! 俺は、皆を守り抜きます! そして、俺自身も、必ず無事に戻ってみせます!


 キースは、心の中で誓った。強く、強く。


 ――俺たちは、負けない……!




 まだ早い時間だったが、雪がひどくなってきたので、一同は小さな村へ降りることにした。この辺り一帯は、特に雪の多い地域のようで、すでにかなりの雪が積もっていた。


「今日は、この村で一晩泊まることにしよう」


 村の人々は、除雪作業にいそしんでいた。ふと、おばあさんが、一人で雪かきをしている姿が目に留まった。古い農家のようで大きな屋敷だったが、この家にはおばあさんしかいないらしい。たった一人で息を切らしながら重労働の雪かきをしている。近所の人々も自分の家の除雪で手いっぱいのようで、おばあさんを手伝いたくても手伝える状況ではないようだった。


「こんにちは! この大きな屋敷の周りを、一人で雪かきかあ! 大変だねえ! おばあさん、手伝おうか?」


 キースが、おばあさんに声をかけた。


「まあ、旅人さんたち……! 手伝って、くれるのかい……?」


「ああ! 宿を探すにもまだ早い時間だからね! 俺たち、時間と労力は余ってるんだ!」


 キースの屈託のない笑顔、皆の明るい笑顔を見て、おばあさんも顔を輝かせた。


「そうかい! それはありがたい、とっても助かるねえ! そうだ、それなら皆さん、今晩家に泊まっていったらどうだい? ご覧の通り、家は古いあばら家だけど、大人数が泊まれるくらい部屋だけはたくさんあるからねえ!」


「えっ!? いいの!? じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな!」


 キースたちは除雪作業に汗を流した。おばあさんには休んでもらって、皆で綺麗に雪を片付けていく。屋根の上、家の周り、家の前の道路、手分けして片付けた。雪は降り続けており、除雪した上にまた積もっていくが、それでもやるとやらないとでは大違いである。雪の時期には絶対に欠かせない大切な仕事だ。

 あっという間に夕方になった。


「皆さん本当にありがとねえ! とっても綺麗に片づけてくれたねえ! 助かったよ! 私一人だったら、一日がかりでも無理だねえ! さあさ、疲れたでしょう、まずはお茶とお菓子でもどうぞ! あっ、お風呂も沸かしといたよ! よかったら、順番に入りな! お嬢ちゃんたちからどうぞ!」


 お嬢ちゃんたちとは、アーデルハイトと妖精のユリエである。


「ありがとうございます! こちらこそ、本当に助かります!」


 アーデルハイトとユリエが揃って頭を下げた。まずは、皆でお茶とお菓子をいただくことにした。


「いやあ、嬉しいねえ! じいさんが亡くなってから、この広い家にずっと一人で暮らしてたからさあ、こんなに大勢の、しかも若いお客様が来てくださるなんて! 明るくて賑やかになって、とってもいいねえ! 私だけじゃなく、家も喜んでるようだよ!」


 家の中の空気まで新しく様変わりしたみたいだ、とおばあさんは笑った。


「おばあさんは、ここでずっと一人暮らしなんですか……? 毎年、雪の時期は大変だったでしょう?」


 アーデルハイトが尋ねた。


「子どもは三人いたんだけど、長男は早くに死んでしまって……。次男は遠くの町で仕事を見つけてそこで家庭を持って。それから、末の娘は外国に嫁いでいるからねえ」


「そうだったんですか」


「でも、次男一家は来年の春にはこの家に越してきてくれるっていうから、寂しいのももう少しの辛抱なんだけどね」


「一緒に住むことになっているんですか! それはよかったですね……!」


 おばあさんの嬉しそうな顔を見て、一同も笑顔になった。


「……ところで、あんたたちはどこに行く予定なんだい?」


 お茶のお代わりを注ぎながら、おばあさんが尋ねた。


「ノースカンザーランドです」


「ノースカンザーランド! まあ! そうだったのかい! 実は、私の娘はノースカンザーランドに住んでるんだよ!」


「そうだったんですか!」


「実は、娘はノースカンザーランドの『北の巫女』だったんだよ」


「えっ!」


 一同驚いた。まさか、このおばあさんから「北の巫女」の話が出るとは思わなかった。しかも、おばあさんの娘が「北の巫女」だったとは――!


「といっても、もちろん、もうずいぶん昔の話だけどねえ!」


 そう言っておばあさんは笑った。


「き、北の巫女って……!」


「みんな知らないと思うけれど、『北の巫女』は、霊力の高い未婚の若い女性が選ばれるものなんだ。ノースカンザーランドは、神秘的な力の宿る国だから、ほとんどの『北の巫女』は、ノースカンザーランドで生まれた女の子なんだけどね。不思議な力を持つ人が多いからねえ。でも、うちの娘みたいに、外国の女の子が選ばれることもたまにあるんだよ」


「そ、そうなんですか……!」


 一同顔を見合わせた。魔法使いのアーデルハイトも退魔士のミハイルも、そしてカイも初めて聞く話だった。


「ノースカンザーランドから使者が来たとき、初めは断るつもりだったよ。でも……、とても名誉なことだし、人様のお役に立つことだし……。それになんといっても、娘がどうしても行きたい、自分がなれるのならぜひ『北の巫女』にならせてもらいたいっていうから……。娘は、自分の不思議な力を知っていたんだろうねえ。自分の力を高めて、多くの人々のために活かしていきたいって強く願ってたよ」


「そ、それで……、娘さんは、今は……?」


「今は普通のおばさんさあ! 夫も子どももいるし、もうすぐ孫も産まれるよ! 『北の巫女』は、恋をする前の娘がなるものなんだそうだよ。本気で誰かを好きになってしまったら、引退することになってるんだ。そして、新たな霊力の高い女の子が『北の巫女』に選ばれる。そうやって、常に純粋で若い力を引き継いでいくそうだよ」


「そうだったんですか……!」


「もっと遠い、遥かに遠い国からも選ばれて『北の巫女』になった女の子もいたそうだよ」


 遠い神秘の国、ノースカンザーランド。おばあさんから「北の巫女」の話を聞き、ついにその近くまで来たのだという実感がキースの心に湧いてきていた。


「カイ。今の北の巫女様は、どんな人なんだろうな……?」


 眠りにつく前、おばあさんが用意してくれた布団に横になり、キースが呟く。


「セシーリアは、いつも嬉しそうに北の巫女様の話をしています。きっと、今の北の巫女様も、俺やユリエが知っている北の巫女様同様、とても素晴らしいかただと思いますよ」


「そうか……。セシーリアは、おばあさんの娘さんにも仕えていたんだな」


「はい。おばあさんに、その話をしたら喜ぶと思いますけど……。ややこしい話になるでしょうから、それは伝えないほうがいいでしょうね」


 カイは剣で、カイの妹は「清めの鈴」として、誕生からずっと代々の北の巫女に仕えている――。とても説明が大変そうだ。


「そうだなあ。おばあさん、きっと混乱しちゃうな」


「それに、やっぱり俺たちきょうだいのことは、秘密にすべきでしょうから」


「そうか。やっぱり話さないほうがいいか。それじゃあ代わりに、俺がイケメン三兄弟の三男ってことをおばあさんに話してあげようか」


「なんでですか」


「イケメン三兄弟の伝説を、広く世界に広めてだな――」


「いらない情報を世の中に広めないでください」


 キース兄弟の話は、一ミリも重要ではない。




 夜明け前に、皆を起こさないように気を付けながら、キースとカイは雪の降る外へ出る。


「……また今日も、シーグルトさんがどこかに来ていると思っているんですか?」


 再び積もってしまった雪を踏みしめながら、カイが尋ねる。


「……来てないと思うけど……。でも、素振りは日課にしたいしな!」


 キースもカイも、期待はしていなかった。ただ、キースは早朝の鍛錬を毎日続けるつもりだった。


「あっ……!」


 思わず、息をのんだ。薄暗がり、雪の降る合間にかすかに浮かび上がるように見える、背の高い人物――。


「シーグルトっち……!」


「シーグルトさん……!」


 キースもカイも、同時に叫んでいた。


「また今日も剣の手合わせをしてくれるのか……!」


「…………」


 シーグルトは、黙ってこちらを見ている。しかしその口元には、穏やかな微笑みをたたえているように見えた。

 カイは「滅悪の剣」になり、キースは構えた。


「…………」


 シーグルトは、微動だにしない。


「あれ……?」


 剣を構えようともしなかった。


「今日は手合わせしてくれないのか……?」


「……硬い」


 シーグルトが呟いた。


「硬い?」


「……思いが、強すぎるようだな」


 キースの心を見透かすようにシーグルトは呟く。


「え……?」


 意外な言葉にキースは戸惑う。


「シーグルトっち! どういうこと……?」


「重くなっている」


「重く……?」


 シーグルトの鋭い金の眼差しは、揺らがずまっすぐキースを見据える。


「……キース。お前、勝ちたい、守りたい、絶対に負けられない、そんな思いに囚われすぎているんじゃないか……?」


「あっ……!」


 その通りだった。絶対に勝つ、負けない、必ず皆を守り抜く、強い思いがキースの心を占めていた。


「……今のままでは、私にすら勝てんぞ」


「え……」


「張り詰めた糸のようだ」


「張り詰めた糸……?」


 カッ!


 シーグルトは一瞬のうちに剣を抜き、「滅悪の剣」を払いのけてみせた。


「う……!」


 キースは、動揺した。いとも簡単に剣を振り払われるとは――。


「……確かに、思いがあることは強さに繋がる。でも、それが重すぎては弱さになる」


 キースは驚き、シーグルトを見つめ返す。


「え……? 強い思いが弱さに……!?」


「……思いがなさすぎても強くはなれない、思いが強すぎても弱くなる、だからといって、単純にただその中間をいこうとすると、中途半端な剣になる」


「え……。それは、どういう……」


「……勘違いするな」


「ん!? 勘違い!?」


「間違っても、私を尊敬などするなよ。ただ、第三者だから見えているだけだ。私を妄信すれば、道を誤るぞ」


「へ……?」


 シーグルトは、ゆっくり首を左右に振った。


「……私には、大切なものがない。守るべきものもない。ただ自分の命を守るのみの人生だ。だから、私は身軽だ。そして強い。しかし、それはお前の目指すべき道ではない」


「シーグルトっち……?」


「お前は、真の強さを目指すべきだ」


「真の強さ……?」


 シーグルトの金の瞳は、鋭い光をたたえている。


 ――俺が目指す道、真の強さとは……?


 澄んだ冷たい空気。雪は静かに降り続けていた。しかし、不思議と寒くはなかった。頭は冴え、体の芯には熱を感じていた。キースは、たぎる血潮――、ふつふつと沸き立つマグマのようななにかを感じていた。


「ただ……。思いが強すぎれば硬くなり、弱くなり、脆くなる。それは心に留めておけ」


「む、難しいな……?」


「難しい。だが、お前なら出来る。そう思えなくても、お前だけはそう信じろ」


「俺なら出来る!? え!? なんで!?」


「ふ……。悩め」


「悩め!?」


 無茶を言う、とキースは思った。

 シーグルトは表情を和らげた。


「さっきも言った通り、ただの中間なら、ただの中途半端だ。しかし、悩み抜いた者だけがたどり着ける中庸の精神、それがお前の目指すべき到達点だ」


「へええ……!?」


 シーグルトは、キースにそれだけ伝えると背を向けた。


「シーグルト……」


 雪が降っている。静かに、雪が。

 シーグルトの姿は次第に薄くなり、まるで夢の中の出来事のように――、白い雪の向こうへ消えていった。


「忘れるな――」


 どこからともなく響くシーグルトの声。キースは呆然と立ち尽くしていた。


「キース……」


 カイの声に、ようやく我に返る。キースはシーグルトの立ち去った方向へ向かって叫んだ。


「……もっと、ちゃんと教えてくれよーっ! シーグルトっち……!」


 ――「中庸」の……、精神……?


 キースは、そっと手のひらを握りしめてみた。なにかを掴めるような気がしたのだが、その手は空から舞い降りる雪を掴んだだけで、それもすぐに消えていく。ただもどかしい思いが募るだけだった。


 ――「悩め」って……! あとは自分で考えろ、自分で掴んでいけ、ということか――。

 

 雪は、シーグルトの足跡さえ静かに消し去っていた。

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