伏兵、甘えん坊軍団
宿屋の厩舎。
ペガサスのルーク、ドラゴンのゲオルク、ドラゴンのオレグ、翼鹿の吉助はそわそわと落ち着かなかった。
それは、窓から明るい日の光が差し込んでくるからではない。
ルークたちには、すっかりわかっていたのだ。今日が特別な日であることを。
毎日聞こえるアーデルハイトやミハイル、宗徳の足音。今日は、それらの足音に混じり、懐かしい二人の足音がある。雪道を歩く音であっても、歩きかたのちょっとした癖やリズムで、彼らには足音の主がわかる。その音が、彼らの心を高揚させていた。
ギイ!
ルークたちの期待に満ちた視線は、扉に集中している。
「ルーク! ゲオルク! オレグ! 吉助! 久しぶり!」
「みんな! 元気でしたか?」
皆が会いたくて待ち焦がれていた――、キースとカイだった。
キースは、今朝無事に退院した。意識が回復してからは、退院まで早かった。
ルーク、ゲオルク、オレグ、吉助は一斉にキースとカイのもとへ駆け寄る。
「あっ! ちょっと待った! まだ退院したばっかりだから、抱きつくのは勘弁な!」
キースとハグ出来ないと知ると、ルークたちはそのぶん一気にカイに突進し、カイはもみくちゃにされてしまった。
「んー。すっかりカイの姿が見えなくなってしまった」
小柄で細身のカイは、群がる聖獣たちの影にすっぽり覆い隠されてしまった。
「み、みんな、も、もうやめて……。みんなが元気なのは、わかりました……」
甘える聖獣たちから解放されたカイは、髪はボサボサ、服はなんだかヨレヨレ、ゲオルクたちのヨダレだらけで見る影もない。カイは、うかつに「元気でしたか」と尋ねたことをちょっぴり後悔する。
「オレグ。あのときは、俺とカイを助けてくれて、本当にありがとう。俺とカイが今こうしていられるのは、オレグのおかげだ」
キースは、オレグの瞳を見つめながら頭を撫で、心からのお礼の気持ちを伝えた。
「オレグ。本当にありがとうございました」
カイもオレグにお礼を述べ、深く頭を下げた。
キエアアアアアーッ。
オレグが一声鳴いた。
「『助けに行くのは当たり前だ。私は、ご主人のミハイル様はもちろん、キースもカイ様も、みんな、みんなのことが大好きなのだ。大好きなみんなのためなら、己の危険は顧みない。燃え盛る炎の中へでも、私は駆け付ける』ってオレグが言ってるよ」
オレグの言葉を、妖精のユリエが通訳してあげた。オレグの、皆を深く思いやる気持ち――。そして、やはり、宗徳やミハイルのように、オレグも自然とキースのことだけ呼び捨て扱いだった。
つんつん、とルークが鼻先でユリエをつつく。
「ん? どうしたの? ルーク」
ルークは、なにやらユリエに訴える。
「うんうん。そっかあ! 『私も、ご主人様であるキースやカイ様、そしてみんなを絶対助けに行く』、ルークはそう言いたいのね」
「ルーク……!」
やはりルークも、オレグと同じ気持ちだった。オレグと同じ、深い忠誠心と愛情――、そして、キースだけ呼び捨てだった。一応、ご主人様、とは表現しているが。
ゲオルクも吉助もうなずいていた。皆、気持ちはひとつだった。みんなを助けるためなら、どこへだって行く、なんだってする、そして、キース以外は敬称を付けるが、キースは呼び捨てにしてるよ――、そういう同じ気持ちだった。
「みんな……! 本当にありがとう!」
キースは、呼び捨ての件は特に気にしていない。
午後になっても雪は降らず、穏やかな天気だった。宿屋の厨房から、甘い香りが漂う。
宿屋の主人であるヘルマンの伯母は、キースの退院祝いとしてケーキを焼いてくれていた。
「さあさあ! 皆さんケーキが焼けましたよ! どうぞ召し上がって!」
「うわあ! すげーうまそーっ! ありがとうございます! ええと……!」
キースは今日が初対面であるヘルマンの伯母に、なんと呼び掛けていいか迷った。
――おばあちゃんって感じだけど、レディにそんなこと言ったら失礼だよねえ。「伯母さん」っていうのも、俺の伯母さんじゃないし、「おばちゃん」みたいに受け取られたらそれもまた失礼だし……。
「私の名はソニヤよ。ソニヤって呼んでもらって構わないわ」
ソニヤは、にっこりと微笑んだ。白いエプロンや甘いケーキの香りがよく似合う、優しい笑顔のおばあさんだった。
「ソニヤさん! 本当にありがとうございます!」
「ふふ。キースは、皆さんの評判通り、明るく元気でいい子ねえ!」
ソニヤは皆の前で、てきぱきとケーキを切り分け、お茶の準備をした。
「こんにちはー! ソニヤ伯母さん!」
宿屋の玄関のほうから、男性の声がした。
「あら! ヘルマンね! ちょうどよかった! 今キースの退院祝いのケーキを、みんなでいただくところだったのよ、さあ入って入って!」
ヘルマンは、若い夫婦と幼い女の子を連れていた。
「あらまあ……! ヘルマン、お客様もいらしたの?」
「キースさんが今日退院するって聞いてたから、もともと俺は今日伯母さんのところに来るつもりだったんだけど……。こちらのお客さんたちが、連れて行ってほしいっておっしゃってくれたもんで……」
「あっ……! あのときの馬車の親子!」
キースが若い夫婦と幼い女の子の姿を認め、思わず叫ぶ。馬車の御者であるヘルマンの後ろにいたのは、キースたちが助けた親子だった。
「キースさん。あのときは本当にありがとうございました。そして……、大変でしたね……。旅人の若い男性が、魔族と戦って入院されたこと、私たちの村でも噂になっておりまして……。でも、その話が私たちの耳に入ったのは昨晩だったもので……。なんだか胸騒ぎがして、今日、こちらの御者さんにお尋ねしたら、やはりキースさんが大変なお怪我をされたと教えていただきました。そういうわけで――、入院中お見舞いにも行けず大変申し訳ありませんでした」
若い夫婦が揃って頭を下げた。
「へっ? 噂? 噂になってんの? 俺」
キースは、驚く。自分が魔族のギルダウスと戦ったこと、山を越えた村にまでそんな話が伝わっているとは思わなかった。
「キースおにいしゃん……。もう痛くない……? おけが、だいじょうぶ……?」
幼い女の子が、心配そうにキースを見つめた。
「うん! もう大丈夫だよ! ありがとう、心配してくれて!」
女の子に心配かけないよう、キースは腕を曲げ、力こぶを作って笑顔を見せた。
「キースおにいしゃん!」
女の子はなんだか嬉しくなって、キースに思いっきり飛びついた。
――おうっ……!
さすがに傷口に響く。
「これっ……! やめなさい!」
若い夫婦が慌てて止める。
「すみません……。キースさん! 痛くなかったですか?」
「へーき、へーき! はは! 元気いっぱいで、いいですねえ!」
――まさか、ゲオルクたちの他に伏兵が現れるとは思わなかった――。
甘えん坊は、いたるところに存在する。
そのあとは、皆で美味しくケーキを食べた。笑い声が響き渡る、楽しいお茶会になった。
「キースたちは、あと一週間で旅立っちゃうの? もうすぐ年末になるし、これからますます雪はひどくなると思うし、ゆっくりしていったらいいのに! うちのことなら遠慮しなくていいのよう! なんなら、来年まで泊っていけばいいわ! 春までだってうちは構わないわよ!」
ソニヤが、お茶のお代わりを注ぎながら提案する。
「いえ。一週間後の抜糸が終わったら、出発しようと思います」
一週間後、経過観察と抜糸のために病院にもう一度来るよう言われていた。キースとしては、今日にでも出発したい気持ちだったが。
「そうなの? 残念だわ。でも、それまでどうかゆっくりしていって頂戴ね」
「ありがとうございます! ソニヤさん!」
「キースおにいしゃん、また遊びに来てもいい?」
口の周りをケーキだらけにしながら、女の子が尋ねる。
「うん! 俺たちはもちろん大歓迎だけど、お父さんお母さんの都合をちゃんと聞いてからにしなよ!」
キースは、女の子の頭をそっと撫でてあげた。
穏やかで、優しい時間。
ミハイルも宗徳も、キースの退院記念の今日ばかりは、キースや皆との楽しい時間を満喫することに決めていた。
――本当に、いい人たちに出会えてよかった……!
夜になると、雪が降り始めた。
「冷えてきたと思ったら、やっぱり雪が降ってきた!」
暗い窓を見つめながら、キースが呟く。
「キース」
「ん……?」
夕食後のお茶を皆で飲んでいたが、気が付くと、キースとアーデルハイトの二人きりになっていた。皆、気を利かせてそれぞれどこかへ行ったらしい。もちろん、キースは相変わらずそういった気遣いには気が付かない。カイも、そう広くない宿屋の中なので、キースと離れても大丈夫と判断し、そっと席を外していた。
「本当に……。退院おめでとう。本当に……、よかった……!」
「アーデルハイト。本当にありがとう。ごめんな。心配かけちゃって」
「……退院したからといって、無理しちゃだめよ」
「……うん」
本当は、ミハイルや宗徳のように心身を鍛え直したいと考えていた。
「……キース」
「うん……?」
「勝手にどこかへ行っちゃ、嫌」
「……うん」
キースは、湯気のたちのぼるカップに目を落とす。
「キース。私の目を見て約束して」
アーデルハイトは、真剣な瞳でキースを見つめた。
「うん」
「私を置いて行かないで」
「うん」
窓から見える、静かに降る雪。しんとした空気が、より一層室内のあたたかさを肌に感じさせる。
「……置いて行ったりなんか、しないよ。俺は、アーデルハイトを守るんだ」
「……ちゃんと傍にいてくれる?」
アーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳が潤んでいた。
「うん」
「本当に……? ずっと? ずっと一緒にいてくれる……? もう、あんな思いは……、嫌……!」
アーデルハイトの頬を、涙が伝う。
「……ごめん。もう、君を一人にはしない」
キースの青い瞳は、アーデルハイトをただまっすぐ見つめていた。他にはなにも見えなかった。降り続ける雪も、あたたかなお茶も。
「……キース!」
「……あのとき……。俺も、もう君に会えないかと思って、心が張り裂けそうになっていた……。俺は、君と二度と離れたくない――」
「キース……!」
――ぐえ!
アーデルハイトは、思いっきりキースに抱きついていた。傷のことも忘れ――。
――ここにもいたか! 伏兵……!
「あっ! ごめん……! キース! 私ったら、つい……!」
「ははは! 大丈夫、大丈夫! 俺は、嬉しいよ……!」
キースが涙目になっていたのは、嬉しいからだけではなかった。
甘えん坊は、忘れたころにやってくる。




