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旅男!  作者: 吉岡果音
第十一章 氷の断章
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大理石の涙

「ミハイル……。ミハイルとオレグが魔界まで来て、カイと俺を助けてくれたんだってな……。本当にありがとう――」


 日が傾き始める頃、淡い雪が天使の羽のように舞い降り始めていた。

 再び目覚めたキースは、ベッドの傍にいるミハイルの姿を認め、心からの感謝の気持ちを伝えた。

 キースは、二度目だ、と思った。「ありがとう」の言葉がこれほど重みをもったのは――。

 一度目は、アーデルハイトに助けてもらったとき。そして今回、ミハイルにカイと自分の命を助けてもらった――。


『ああ! お前の物語は、まだ終わっちゃいないよ!』


 曽祖父のエースの言葉が、キースの脳裏によみがえる。この世界に、これからも自分の物語を紡いでいくことの出来る喜び、そしてカイを――、かけがえのない相棒を救い出してもらったこと、言葉では言い尽くせない深い感謝の気持ちと感動に、胸がいっぱいになった。


「キース……。本当は、もっと早く行けたらよかったんですけど……」


 ミハイルは、悔しそうに自分の拳を握りしめ、うなだれた。


「すみません。キース。カイさん……」


 ミハイルのハシバミ色の瞳には、涙がたたえられていた。


「なに言ってるんだ! ミハイルまで! 謝りたいのは俺のほうだって! 助けてくれて、本当にありがとう! 俺、あのときミハイルが天使様に見えたんだ」


 魂の救済に現れた、神々しい黄金の天使――、そうキースは感じていた。


「……僕、天使じゃないですよ。退魔士です」


「ははは!」


 思わずキースは吹き出してしまった。うっかり大声で笑ってしまい、傷口にダイレクトに響いた。キースは痛みを必死に堪えながら、笑う。


「いててて! 想像通りの反応だな! ミハイル! 絶対そう言うと思ったよ!」


「え……」


 ミハイルは、きょとんとした。


「……僕、キースの想像通りのこと言っちゃったんですか?」


 思わずミハイルが尋ねる。


「うん! あんまり想像通りだから笑っちゃったよ!」


「ええー! なんか、心外だなあー。僕の言いそうなこと、キースに読まれちゃうなんて!」


 ミハイルは口をとがらせた。


「ええー! 俺の想像通りのことを言ったことを残念がるなんて、俺のほうがなんだか心外!」


 キースもミハイルも、笑ってしまっていた。ミハイルの先ほどの涙は、もうどこかへ行ってしまった。


「ミハイルさん、あのときは本当にありがとうございました」


 ミハイルの隣にいたカイも、ミハイルに改めて感謝の言葉を伝え、深々と頭を下げた。実は、この五日間、カイがミハイルに向け幾度となく繰り返し伝えていた言葉だった。


「カイさん! もう! 僕に何度も何度も頭を下げて! 僕なんかに、なんだかもったいないですよう!」


 ミハイルはカイに向かって両手を大きく振り、ちょっと照れ笑いをする。

 そんな二人の様子を、キースは微笑ましく眺めていた。


 ――『チ助連』。


 『チ助連』とは、『チビ助連合』、キースが勝手に呼んでいるカイとミハイルのコンビ名である。ちなみに、正式名称は『おチビさんのすけ連なり合い組み合い共和国』である。


「ミハイル。オレグにも、よく礼を言ってくれな」


 動けるなら、すぐにでもオレグの傍に行って、自分の言葉でお礼を言いたい、とキースは思う。しかし、当分体は動けそうにない。


「はい! もちろんです! キースが回復に向かっていることをオレグが知ったら、オレグもとっても喜びますよ!」


「あ……! ところで、オレグたちもみんなも、どこに泊まってるんだ? 宿屋とか、どうしてるんだ?」


「ああ! そうでした! まだ話してませんでしたね! 実は、あのときの馬車の御者さんの――」


「馬車の御者さん?」


「ええ! あの崖から落ちそうなってた馬車の……」


 キースたちが助けた馬車だった。


「ああ! あの馬車の!」


「そうです! 意識を失っていたキースを病院に運ぶとき、偶然あの馬車が通りかかったんです! 新しいお客さんを乗せて町へ来た帰りだったそうなんですけど……。で、あの御者さんの伯母さんが、この病院の近くで宿屋をやっているとのことで、紹介してもらったんですよ! それで、今その伯母さんの宿で長期滞在をお願いしてるんです。御者さんや御者さんの伯母さんには、入院の手続きや入院に必要なものなんかも色々面倒見てもらっちゃって……、本当にありがたかったです」


「へえ! そうだったのか……! あの、おっちゃんが……!」


「御者さん――、ヘルマンさんってお名前なんですけど、キースのことをとても心配してくださって――。町に立ち寄る度にお見舞いに来てくださってるんですよ。ヘルマンさんの伯母さんも、僕たちのことを『甥っ子や甥っ子の大切なお客さんの命の恩人だ』っておっしゃって、僕らに、とってもよくしてくださるんです」


「そうだったのかあ……!」


「ヘルマンさんも、キースの意識が回復したのを知ったら、喜びますよ!」


 偶然助けた馬車、その馬車の御者が今度は自分や皆を助けてくれた、そう思うとキースの胸に、あたたかい感謝の気持ち、感激の気持ちが溢れた。

 一度だけの縁――、そんなふうに思える出会いも、優しい気持ちや感謝の気持ちによって不思議な巡り合わせが起こって再び縁が繋がることがある、そしてそれは人から人へと大きく広がっていくんだ、そうキースは感じていた。


「あっ! そうだ! カイ! ユリエ!」


 キースが思い出して叫んだ。


「俺、エースじーさんに会ったよ!」


「えっ!? エースさんですか!?」


「うん! お前たちやルークに、大好きだよって伝えてくれって頼まれた!」


「エースさん……!」


 カイとユリエは顔を見合わせ、嬉しさと懐かしさで顔をほころばせた。


「キース! 私、嬉しい! ありがとう! 教えてくれて! ルークにも伝えておくね!」


 ユリエが明るい声を上げながら、嬉しそうに羽を震わせ、キースのベッドの周りを元気よく飛び回った。


「キース……、エースさんに会ったってことは――」


 アーデルハイトの声が震えていた。


「本当に……、よかった……! キースが帰ってきてくれて……!」


 アーデルハイトの瞳から、大粒の涙がこぼれた。アーデルハイトは、キースの手を両手でぎゅっと握りしめた。意識を失っている間に、すでに他界しているキースの曽祖父のエースに会った、それはつまり、キースの魂が死の世界に近づいていたことを意味していた。


「私……! あのときキースの腕を離さなければよかったと何度思ったことか……!」


「……アーデルハイト……。ありがとう。でも、手を離してくれてよかったんだよ。アーデルハイトをあの戦いに巻き込まなくて、本当によかったと俺は思ってるんだよ。ギルダウスとの戦いは、避けられない。『受け継ぐ者』としての運命を背負った以上、俺は、逃げるわけにはいかないんだ」


「でも……! でも……!」


 アーデルハイトは激しく首を振った。


「アーデルハイト……。大丈夫だよ。俺はこうして、ちゃんと生きている……! ちゃんと、帰って来たじゃないか! まあ、俺一人の力じゃなく、カイやミハイル、オレグ、そしてエースじーさんのおかげで、だけどね! ふふ。救世主なんて言われてるけど、俺一人の力なんて、ちっぽけなもんだね!」


「キース……。どうか、どうか無理はしないで……!」


 キースのまっすぐで力強い青の瞳を見ていると、アーデルハイトの心は騒ぐ。傷が治り、体が動くようになったら、また戦いの世界へ身を投じてしまうのではないか、そんな予感がしていた。


「アーデルハイト。そんな顔するなよ! 無理したくってもこんな状態じゃ、無理も出来ねーよ!」


 アーデルハイトを抱きしめることも出来ない、キースはそう思い、苦笑した。


 ――ああー! 不便だなあ! ギルダウスのやつ! ちくしょー!


「キース。大丈夫か? 疲れないか? 誰かしら必ず傍に付いているが、疲れたらいつでも眠ってくれ」


 宗徳が優しい微笑みをキースに向ける。


「うん……。そーだなあ……。ちょっと、疲れたかも……」


 キースはゆっくりと瞳を閉じた。

 誰かしら必ず傍に付いている、その一言がとても嬉しかった。

 皆ともう会えないのかと思っていた。しかし、皆傍にいてくれる、また笑い合うことが出来る、触れ合うことだって出来る、生きていることが心底嬉しいと思っていた。


 ――ありがとう。エースじーさん……。俺、無事みんなのところへ帰れたよ……!




「ミミア。近頃、ギルダウスの姿を見ないが……?」


 魔界の辺境の森の館。ビネイアが、侍女のミミアに尋ねた。


「は、はい! ビネイア様! ギルダウス様は、この辺り一帯の調査にお忙しく……。最近では、遠方にも足を伸ばされているとのことです」


 ミミアは嘘をついた。ギルダウスは、キースとの戦いで重傷を負い、屋敷の一室で傷ついた体と減少した魔力を癒している。ギルダウスに命じられ、そのことはビネイアには秘密にしているのだ。


「ふむ……。熱心なのはいいことだが、あまり無理をしないといいが……」


「そうですね……」


 ビネイアは、ミミアの言葉を信じた。

 ミミアは、悲しそうな顔をしたが、ビネイアは気付かない。

 ミミアの言葉を疑わなかったのは、ビネイアがミミアを信頼している証ではあるが、同時にギルダウスに対してさほど深い思いは抱いていない、という証でもあった。それが、ミミアには悲しかった。

 ミミアは、最近のギルダウスのちょっとした変化に気付いていた。だから、あのとき、キースとの戦いの前、胸騒ぎがしてギルダウスの後を付けたのだ。ギルダウスに気付かれないよう、後を追って行くのは相当な注意深さが必要だった。距離を置き、気配を悟られないよう見失わないよう苦心した。ミミアの持てる魔力と魔法のすべてを使って、ギルダウスを慎重に尾行した。

 ミミアは、自分の胸騒ぎがただの杞憂であって欲しいと願っていたが、やはり最悪の事態が起きてしまった――。


「ミミア。これからクラウス様に会いに行く。支度を手伝ってくれ」


「はい……」


 ミミアの悲しい瞳は、ビネイアに一礼したため大理石の床を見つめており、ビネイアにはわからない。

 落とした涙は、冷たい大理石の上で光るのみだった。

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