初めての友
ガウウッ!
白い毛並みの大型の魔物だった。体つきは熊に似ているが、赤い目がいくつも並んでおり、顔は蜘蛛そっくりだった。
ドドドドッ!
雪山の中。凍えるような空気。積雪は、膝の下くらいまであった。
雪がまとわりつき走りにくい中、宗徳が刀を構えながら魔物に突進していく。
「はあっ!」
ザッ!
宗徳は飛び上がった。降り積もった新雪が舞う。宗徳の刀が弧を描き、魔物の首元を斬りつける。
ガッ!
硬い! これでは致命傷にはならぬ!
ガウウウウッ!
魔物の鋭い爪が宗徳に襲い掛かる。巨体の割に敏捷な動き、しかし宗徳は流れるように身をかわし、魔物の腕は宙を切り裂くのみ。
もう一度……!
宗徳は、今度は魔物の喉笛に狙いを定め、渾身の力を込め突き刺した。
ガアアアア……!
入った!
宗徳は、もがき苦しむ魔物から刀を抜き取り素早く間合いから離れ、断末魔の最後の攻撃をよける。
シュウウウウウ……。
勢いよく鮮血が噴き出していたが、ほどなく魔物は光りながらその輪郭を失くし、そして消えていった。魔物の死骸は、地上界には残らないのだった。
宗徳は、呼吸を整えるよう心掛けた。
もっと、戦いの中でも平常心を保つようにせねば――。強大な魔の気に立ち向かえるようにならねば……! 精神力……! 精神力を高めねば……!
魔族のギルダウスを前にして動けなかった自分。完全に恐怖に支配されてしまっていた。
宗徳は唇を噛みしめ、拳を固く握りしめた。
あのとき……。あのとき俺は……! 敵を目の前にしてただ立ち尽くしていた……!
肌を切り裂くような冷たい風。宗徳の身を貫き、心を突き破り通り抜けていくような気がした。
宗徳の脳裏に、おびただしい量の血を流したキースの姿が思い出されていた。抱えるミハイルとカイの体も、キースの血で赤黒い色に染まっていた。力なくだらりと下がったキースのたくましい腕、閉じられた青い瞳、しかし、その顔は穏やかに笑っていた。
あのときの夕日の赤。真白の雪に、悲しみの赤、絶望の黒が広がっていく――。
キース……! すまない……! おぬし一人を、あんな目に遭わせてしまって……!
『もしよかったら、なんだが――。俺たちと一緒にノースカンザーランドまで行かないか?』
『なかーま! 仲間っ!』
宗徳に語りかけるキースの明るい声、まっすぐな青い瞳、快活な笑顔が浮かぶ。
キース……! おぬしは、お前は、俺にとって初めての友と呼べる男――! キース、お前も、俺の目の前から去っていってしまうというのか……?
噛みしめた唇に、血がにじむ。握りしめた拳が震える。痩せた頬に、一筋の涙が光る。
「宗徳さーん!」
宗徳が振り返ると、ミハイルが走ってくる姿が見えた。はちきれんばかりの笑顔で――。
「宗徳さん!」
ミハイルは叫んでいた。
「宗徳さん……! キースが……! キースの意識が戻りました!」
キースの意識が……!
「……まことかっ……!」
「はいっ!」
「……ミハイル殿……!」
宗徳は、思わずその場に座り込んでしまった。
キース……!
涙が溢れた。先ほどの涙とは違う、あたたかい涙、そんな気がした。
ミハイルは、雪の中に座り込む宗徳に手を差しのべた。宗徳は、ミハイルの手を取り立ち上がる。ミハイルの笑顔がとても眩しく感じられた。まるで天使による祝福を受けたかのように宗徳の心は喜びで満たされ、尻や足に着いた雪を払うことさえ忘れていた。
「ミハイル殿……! ミハイル殿……! 本当にキースが……!」
「はいっ! 本当です! さっき、病院に行ったらそんな嬉しい報告を受けましたっ! 僕が病室に入ったときは、キースはまた眠ってたんですけど……。でも、でも大丈夫です! もう大丈夫です! 宗徳さん! キースは、大丈夫なんですよ!」
「ミハイル殿……! 本当に、本当に……、もう大丈夫なんだな……?」
「はいっ! 本当に、本当にもう大丈夫です!」
「よかった……! 本当に、よかった……!」
宗徳とミハイルは、抱き合って喜んだ。二人とも涙を流し、顔をくしゃくしゃにして喜び合った。
「宗徳さん! 早く病院に戻りましょう! キースが起きてるかもしれませんよ!」
「うむ……!」
ミハイルはドラゴンのオレグに乗って宗徳を迎えに来ていた。宗徳は、ミハイルにつかまり、オレグの背に乗る。
キース……! 本当にすまなかった……! そして、戻ってきてくれてありがとう……!
生まれて初めての友。キースのおかげで、ミハイルやカイ、アーデルハイトやユリエとも親しくなれた。孤独だった自分の人生に、たくさんのあたたかな光をもたらしてくれた、暗く単色だった自分の世界に、様々な明るい色を与えてくれた――、そう宗徳は思う。
頬を撫でる冷たい風。でも、宗徳は寒いとは思わない。
大丈夫だ……! 次は、俺もきっと戦える! 俺は、あたたかな光のために戦う……!
宗徳は、そう冬の青空に誓った。
「ミハイル! 宗徳!」
キースは起きていた。病室の扉が開き、ミハイルと宗徳の顔を認めるやいなや、キースは満面の笑みを浮かべた。
「キース! 本当にすまなかった……!」
宗徳は頭を下げた。
「なに言ってんだよ、宗徳! 謝るのはこっちだよ! ごめん……。心配かけて」
宗徳は左右に首を振る。
「キース……。お前までいなくなると思ったら、俺は――」
ミハイルが、再び涙ぐむ宗徳の背を叩いた。
「なに言ってるんですか! 宗徳さん! 縁起でもないっ! キースはいなくなったりなんかしません! キースは不死身なんですから! 規格が人間離れしてるんです!」
「おいおい! ミハイル! 規格が人間離れしてるってなんだよ!」
病室にいたアーデルハイト、カイ、ユリエも思わず笑ってしまった。
「宗徳、ミハイル……。お前ら、この辺りで魔物がよく出没するような雪山へ行って腕を磨いているそうだな……。焦る気持ちはわかるが、あまり無茶はするなよ。近隣の町や村の人々は助かるだろうが、お前たちまで倒れられては――」
「大丈夫です! 僕らだって無茶はしません! 自分の力量を見極めるのも強さの一つだと思ってますから!」
ミハイルがまっすぐな眼差しで答える。堂々としたその姿勢は、キースたちに出会う以前から、あまたの戦いを重ねてきた証だった。
宗徳も、ミハイルの言葉に静かにうなずいた。でも、宗徳は心の中で呟く――、おぬしたちのためなら、己の命を投げ出しても構わない、と。
「キース! 私だって、密かに筋トレしてるんだよ!」
妖精のユリエが、誇らしげに声を上げた。
「ユリエも筋トレ?」
「うん! 毎日ね、腹筋三回、背筋三回、腕立て伏せ二回、ヒンズースクワット百回やってるの!」
なぜヒンズースクワットだけ百回!?
一同疑問に思ったが、ユリエの思いを汲んでなんとなくそこはそっとしておいてあげた。
「ユリエもあんまり無茶するなよ! ユリエは明るく元気という武器があるんだから、そのままでいいんだよ。トレーニングをやるんだったら、自分の健康のためだけにやりなよ?」
キースはユリエに優しく微笑みかけた。
「私は強くならなくていいの……?」
「ユリエはそのままで充分強いよ! みんなの心を強くしてくれるんだからな!」
「ふうん……?」
「そうね……! ユリエちゃんはユリエちゃんのままでいいのよ。ユリエちゃんにはいっぱい助けてもらっちゃったわ!」
アーデルハイトが、優しくユリエのピンク色の髪を撫でた。
町の鐘が鳴り響いた。正午の知らせだった。
「お昼ですね……! ちょうど皆さん揃ったことですし、食事に行ったらいかがでしょう? 俺がいますから、行ってきて大丈夫ですよ」
食事を必要としないカイが提案した。
この五日間、宗徳とミハイルがそれぞれ出かけていたので、揃って食事をするのは久しぶりだった。
「そうだな! 皆、行ってくるといいよ! 皆の顔を見たら、なんだか安心して眠くなってきちゃった……」
キースは少し疲れていた。皆ともっと話したい気もするが、話すにも体力がいる。
「しかし、敵の襲撃があったらやっぱり心配だ……。俺も残るから、ミハイル殿、アーデルハイト殿、ユリエ殿で行ってきてくれ。特に、アーデルハイト殿とユリエ殿はずっと病院にいてくれた、たまには外の空気を吸ってきたほうがいい」
「じゃあ、僕はアーデルハイトさんとユリエさんの警護ということで行ってきます。先に食事を取ることになって申し訳ありませんが、宗徳さん、お願いします」
「うむ。どうか、皆でゆっくりしてきてくれ」
「行ってらっしゃい」
カイと宗徳が、食事に出る皆を見送る中、キースは、もう眠りについていた。
宗徳は、カイに向き直った。
「……カイ殿……。おぬしも大丈夫か……? おぬしもこの五日間、寝たり起きたりだったな……」
「……まあ、なんとか回復してきました」
カイは、キースに対しては平気なふりをしていたが、やはりギルダウスとの戦いですっかり疲弊していた。実のところ五日間、眠っている時間のほうが多かった。アーデルハイトやミハイルに、幾度となく治癒の魔法をかけてもらっていた。
「カイ殿……。本当に……、すまなかった……」
「宗徳さん、俺に謝る必要なんてないですよ。俺は、戦いのために生まれてきたのですから」
頭を下げる宗徳に、カイは澄んだ瞳で微笑みを返した。
「……こうして話していると、カイ殿は、戦いとは無縁の、温和で理知的な青年に見えるのにな――」
カイが剣であることを忘れてしまいそうだ、と宗徳は思う。
「……俺を必要としない、平和な世だったらいいんですけどね……」
「戦いがなくとも、カイ殿は必要だ」
「……暴走するキースの制止役として?」
いたずらっぽくカイが笑う。
「ああ! そうだ! ふざけたことをしでかすキースの制止役として、カイ殿にはいてもらわないと!」
宗徳とカイは笑い合った。
「……カイ殿は、俺にとっても、かけがえのない友だ――」
「宗徳さん……!」
「カイ殿は、剣ではない、『チーム昼飯』の大切な一員だ!」
宗徳は思う――。俺の、あたたかな光……! 俺の人生に彩りを加えてくれる、大切な存在たち……!
眠るキースの傍らで、宗徳とカイは少し照れくさそうに微笑みを交わした。




