ギルダウス対キース
よく通る、低い声だった。普通に言葉を発しただけだった。それなのに、どういうことだろう、キースはビリビリと、皮膚に突き刺さるような感覚を覚えていた。
目の前に立っている軍服姿の男は、魔族――。
――なんだ、こいつ! ただ、立っているだけなのに、この圧迫感は……!
魔力を持っていないキースでも、感じた。
「……俺の名は、キースだ。あんた、名前は?」
「キース!」
自らの名を明かすキースに、アーデルハイトは思わず叫んだ。
「ふ……。私の名は、ギルダウスだ。小僧、自ら名乗るとはいい度胸だな」
軍服姿の魔族――、ギルダウスはキースを見据えながら笑った。
「……ギルダウス。あんたがクラウスの手下か……?」
ピクリと、ギルダウスの眉がかすかに動いた。
「……このギルダウスがお仕えするかたは、ただお一人!」
ギルダウスが叫んだ。凍えるような空気が震える。
「……あんたもクラウスの手下じゃないってのか。まあいいや。そんなことより、ギルダウスさんよ、ここで立ち話もなんだ。ちょっと移動しないか?」
「キース!」
アーデルハイトがキースの腕を掴んだ。早く逃げよう、アーデルハイトは思いを込めキースの腕を引っ張る。
「アーデルハイト。少し離れて。大丈夫だから」
キースはアーデルハイトに小声で話しかけ、なるべく優しく微笑んだ。
「キース……」
アーデルハイトは、掴んでいたキースの右手を離した。キースの邪魔になってはいけない、そう判断した。逃げるにせよ戦うにせよ防御するにせよ、自分のせいでキースの動作が遅れるようではいけない、そう判断した。
「……移動……?」
ギルダウスは漆黒の瞳を動かし、辺りを見やり、そして、フッと笑った。
「そうか。ここは人の住む町中だから、周りへの影響を考えているのか」
「あんただって、存分に暴れ回れたほうがいーだろ」
キースは顎をしゃくり、余裕たっぷりに笑い返した、つもりだった。しかし、心の内はヒリヒリとした焦りに襲われていた。握りしめた手のひらに汗がにじむ。
――頼む! 乗ってくれ! あんたは確かに並みの魔族じゃねえ! あんたみてえなのが攻撃を仕掛けてきたら、たぶん、ただでは済まない……!
「……私に命令する気か」
「命令じゃねーよ! お誘いだよ! お・さ・そ・い!」
――頼む……! それから、ミハイル、宗徳! 動かないでくれ!
キースは、右手を少しだけ上げ、密かにミハイルと宗徳を動かないよう制していた。しかし、キースは気付いていない。ミハイルも宗徳も、アーデルハイトも妖精のユリエも、動かないのではない、そのとき動けないでいたのだった。
恐怖で。防衛本能で。
カイは、黙ってキースの指示を待つ。言葉でなくても、動作で示さなくてもわかっている。キースの指示は、自然に通じると互いに信じている。
カイは、いつでも即座に「滅悪の剣」になる。
「……いいだろう。人間とは、か弱くはかない生き物だ。私は軍人だが、無駄な殺生は好まん。お前の望み通り移動するとしよう」
「そう来なくっちゃ!」
「お前だけ、連れて行く……!」
――え!?
一瞬だった。キースの足元に、漆黒の空間が出現した。
――穴!?
「行くぞ! 魔界へ!」
皆、叫ぶ間もなかった。キースはぽっかり空いた穴に落ちていく――。かろうじて、キースの右手はなにかを掴んでいた。
――カイ!
キースは「滅悪の剣」を握りしめ、地下にある世界、魔界へと落ちていった。
深く、深く、闇の中へと吸い込まれていく。
ダンッ!
キースは落ちていく中で体を回転させ、なんとか足から地面に着地した。
「ここが、魔界……」
赤紫色の空。うっそうと生い茂る木々や草は、黒い色をしていて奇妙にねじ曲がりながら伸びている。肌にまとわりつくような、じっとりとした空気。
「へーえ。ここは雪がねーのか」
「……キースとやら。まったく動じてないようだな」
ギルダウスは、珍しい生き物を見るような目でキースを眺めている。
「少しは動じているよ。ああ、それからギルダウスさんよ、ごめんな。あんた、『お前だけ連れて行く』って言ってたけど、俺、カイも連れてきちゃったよ。こいつは俺の相棒だからな、大目に見てくれよ」
キースは「滅悪の剣」の剣先をギルダウスに向けながら、ウインクした。
「……別に構わん。こちらにも武器がある。むしろその相棒とやらを使ってくれたほうが、こちらとしても気が楽だ」
ギルダウスは、銃剣を構えた。キースにとって、初めて見るものだった。
――なんだあの武器!? 剣と、筒状の……? ああ! そうだ! 大きさや形は違うようだけど、ホルガ―じーさんの持ってた銃ってやつと似てる……!
キースは、ミハイルの言葉を思い出した。
『狙いを定め引き金を引くだけで、一瞬にして人を殺せる恐ろしい武器です。携帯できるほど小型で、一人で持ち歩ける大砲といった感じです』
――つまり、こいつは大砲と剣が一緒になったやつか……!
ギルダウスは、銃口をキースに向けていた。
「これは、人間の創った武器と似ているから、お前も大体の見当は付くだろう。だが、この武器の弾は、私の魔力だ。移動を提案したのは正解だったな」
「ご親切にご説明どうも。いきなり撃ったらすぐ決着がついただろうに、なんでわざわざ教えてくれんの? あんた、俺を殺したいんじゃないの?」
ギルダウスは、キースの青い瞳をまっすぐ見ていた。
「……お前に会うまでは、お前と会話を交わすまでは、邪魔者であるお前を無条件にひねり潰すつもりだった。だが……、お前は普通の人間とは違う。どうやら堂々たる戦士のようだ。死を恐れず、窮地の中でも仲間や他人を思いやる大きな心がある。それなりの、礼儀は尽くそうと思ったのだ」
「ふうん。それは、ありがとう。嬉しいね」
キースは、ニッと笑った。
ギルダウスも、静かに微笑み返した。
「……じゃあ、始めるぞ」
「うん。よろしく」
ドンッ!
ギルダウスの銃口から、衝撃が放たれた。
キースは身をかわしていたので、その衝撃は後ろの木に命中した。
木は、粉砕されていた。粉砕――。文字通り、粉々になっていた。
――アレに当たっていたら、俺も……!
キースは「滅悪の剣」を握りしめながら、ギルダウスの左側へ走り込む。
ギルダウスは、低い体勢で走るキースに銃口を向け続ける。
二発目は、まだ出ない。
――もしかして、あの攻撃は、時間が少しかかるのか!? すぐには出せないのかもしれない! アレを、使われる前に……!
キースは大地を蹴り高く飛び上がり、ギルダウスに斬りかかった。
ガンッ!
振り下ろされた「滅悪の剣」を、ギルダウスは銃身で受け止めた。
ガンガンガンガンッ!
剣と銃身がぶつかり合う音。
――アレを使われる隙を与えてはいけない!
激しく剣と銃をぶつけ合う中で、キースはカイのことを案じていた――、刃がかけたりしないだろうか、もしそうだとしたら、カイは? カイは大丈夫だろうか、と――。
ガンッ!
キースの心に隙が生まれたことで、ギルダウスのほうが優勢となり、キースはバランスを崩した。
――しまった……!
急いで飛び下がり、ギルダウスと間合いを取る。
「……驚いたな。人間だというのに、このギルダウスと渡り合うとは」
ギルダウスの言葉を聞き、今度はキースが驚いた。
――相手を倒す、こんなわかりやすいチャンスはないのに!? なぜ攻撃の手を止める? まるで俺が体勢を立て直すのを待ってるみたいだ……!
「なんだよ。情けはいらねーよ。……いや、いるかな? 俺も長生きしてーし」
ギルダウスの動きを注意深く探りながら、キースは笑った。
「……お前、今なにを考えていた……?」
「へ?」
「攻撃の勢いが、変わっていた。なにか、余計なことを考えたか」
「余計なこと? いや大事なことを考えたよ」
「自分の命か。それとも、私に戦って勝ちたいという戦士としての欲か」
「……相棒のことだよ。こんなにガンガンやって、かわいそうかなって」
「…………!」
ギルダウスは、驚いた顔をした。
「……本当に、お前は変わっているな」
「……あんたこそ」
ギルダウスは、銃口をキースに向けた。
「私は、情けはかけんぞ。あのおかたの邪魔になる者は潰すつもりだからな」
「うん。どうぞ」
ドンッ!
再び銃から衝撃が放たれた。キースはそのほんの少し前に走り出し、代わりにキースの駆け出した辺りは、銃の衝撃により大きな穴が開いた。
ガンッ!
――カイ! ごめん! 集中させてな!
キースは再びギルダウスの間合いに飛び込み、剣と銃による打ち合いとなった。
ガンガンガンッ!
キースは「滅悪の剣」をギルダウスの銃剣にぶつけながら、集中していた。あの、命を深く感じる瞑想の感覚を思い出していた。
――魔族。でも、この男も魂を、心を持つ存在――。
脈打つ心臓を、想像した。体中を激しく駆け巡っているであろう血流を想像していた。
――種族は違うけれど、きっと一緒なんだ――。
次の瞬間、キースは唐突に、宇宙を想像した。
――広大な、宇宙の下では、ちっぽけな二つの生命体。なぜ、こうしているのだろう。二つとも、宇宙のもとでは短くはかない命。なぜ、戦う必要が……? なぜ、殺し合う必要が……?
どうせ、いつかは自然に死んでしまう。どうしても、必ずいつかは死ぬ。それなのに、なぜ殺し合うのだろう、とキースは思う。
ガンガンガンッ!
激しい攻防の中、キースはそんなことを考えていた。キースの剣の軌道は、まったくブレなかった。
――守りたい。大切な人たちを――! 大切な相棒を――!
もしかしたら、ギルダウスもそうなのかもしれない。その、ギルダウスの仕えるあのおかた、とやらを守りたいだけなのかもしれない、そうキースは思った。
「はあっ!」
ザシュウッ!
鮮血が噴き出した。
ギルダウス、キース、双方の胸元から。
「くうっ……!」
地面に膝をついたのは、ほぼ同時だった。ギルダウス、キースの胸元からは、大量の血が流れ続ける。
「ギルダウス様―っ!」
若い女性の声がした。
「……ミミア……!」
ギルダウスが呟く。
――「ミミア」……? それがギルダウスの主人……?
薄れゆく意識の中、キースはそう思った。
「……キースよ。勝負は、お預けだな……。また会おう……、そのときこそ、きっと……」
――また会う? 俺、ここで死ぬんじゃねーの……?
魔界の大地に、キースの血が染み込んでいく。
――カイ……。ごめん……。こんなとこで一人にしちまって……。アーデルハイト、ごめん……。どうか幸せになってな……。ミハイル、宗徳、ユリエ、ええと、それから、それから、とにかく、みんな、ごめ――。
「キース!」
魔界の赤紫の空が裂け、キースの名を呼ぶ声が響き渡った。
ドラゴンのオレグに乗った、ミハイルだった。
「キース!」
しかし、キースは大地に抱きしめられるように横たわり、青い瞳はもう、閉じられていた――。




