キースも人の子
冬の夜明けは遅い。
まだ、暗いうちにキースは目覚めた。
――カイは、本当に大丈夫だろうか。
カイは、もうすっかり治った、と言っていたが、キースは心配だった。心配過ぎて眠りは浅く、いつもより早く目覚めたのだ。
キースは皆が起きないよう、そっとベッドを離れる。そしてカイのベッドに静かに近寄った。
――あ。剣の姿で寝てる。
カイは、剣の姿になって眠っていた。
――うーん。これじゃ顔色もなにもわからんな。
当然ながら、いつもと同じ剣の色。キースは試しに剣のつかの部分に触ってみる。
――ますますわからん。
もしかして、具合が悪くなって剣の姿で寝てるんじゃないか、カイを見ているうち、本当に心配になってきた。
――でも、ふだんも剣の姿で寝てるときもあるしなあ。
キースは、カイのベッドのすぐ脇にあぐらをかいて座り、腕組みをした。
「具合が悪くないといいんだが……、カイ……、辛くないだろうか……」
そして、そのままいつの間にか眠ってしまった。
「わっ! 史上最悪の寝相の悪さですよ!?」
目が覚めたカイが仰天する。カイは、キースが寝返りを打ちまくって転がりまくり、偶然カイのベッドの下にたどり着き、挙句腕組みをしてあぐらをかいた状態で寝ていると思ったのだ。
「違うわ!」
カイは、元気だった。
「本当にお世話になりました。おかげさまで、もうすっかり元気になりました」
出発前、カイが宿屋の女将に深々と一礼した。
「お元気になられて本当によかったですねえ! これ、ハーブで作った『サ』除けのスプレーです。どうか道中お気をつけてくださいね」
「ありがとうございます……!」
「皆さんも、どうかお体に気を付けて、よい旅を続けてくださいね!」
「はい! 本当にお世話になりました!」
一同、女将の心遣いに深く感謝しつつ、宿屋を後にした。
晴れ渡った冬の朝。冷たい透明な空気。一面に積もった雪が、眩しいくらいに白い。
女将に貰った「サ除けスプレー」は、なぜか甘いバニラの匂いがした。
「カイ! なんだかソフトクリームを思い出すなあ!」
キースが笑う。
「……思い出さないでください」
カイが長い生涯で唯一食したもの、それは驚異の「ソフトクリームもどき」、雪イルカのフンである。
それぞれ、ペガサス、ドラゴン、翼鹿に乗って空を移動する。
「あれっ!?」
眼下に見える峠道に、動く物が見えた。馬車だった。目に留まったのは、馬車の馬が暴れているようで、不自然な動きに見えたからだった。よく見ると、右の後輪が脱輪し馬車は今にも崖に落ちそうになっていた。
「大変だ!」
一同は急いで馬車のもとへ降りた。
「今助けるからな!」
キースとカイ、ミハイルと宗徳で力を合わせて馬車を引き上げようとする。
「お馬さん! 私たちが助けてあげるから、落ち着いて!」
妖精のユリエとアーデルハイトが興奮状態の馬たちを必死になだめた。魔法を使い、なんとか馬たちは落ち着く。それから、ペガサスのルークやドラゴンのゲオルク、オレグ、翼鹿の吉助も馬車の引き上げに協力する。
「よいしょ!」
ガコン!
大きな音を立て、無事馬車は引き上げられた。
「本当にありがとうございました! 本当に危ないところでした……、もう、どうなることかと……!」
馬車の御者が額の汗を拭いながら、皆に頭を下げ、礼を述べた。
馬車に乗っていたのは、馬車の御者と、客であろう若い夫婦とその幼い娘だった。
「助けてくださって本当にありがとうございます……! 娘が急に熱を出したので、町の病院へ連れて行くところだったのです……」
若い母親が、娘を抱きかかえながら心からの礼を言う。相当怖い思いをしたのだろう、幼い娘はしっかりと母親にしがみついたまま泣いていた。
「御者さんに、無理を言って急がせてしまったのと積雪のため、脱輪してしまったのでしょう……、ああ……! 旅の皆さん、本当にありがとうございます!」
若い父親も深く頭を下げた。年齢は、キースと同じくらいに見えた。
「急に熱を……! それは大変だ! もしよかったら、俺たちが病院まで連れて行こうか?」
「えっ……?」
「馬車で山を越えるより、はるかに早いと思う! ええと、アーデルハイトが娘さんを抱っこしてゲオルクに乗せて、俺がご主人を乗せて、ミハイルが奥さんを乗せて、宗徳がご家族の荷物を乗っけて、皆で病院に行くってのはどうだろう?」
「えっ……、そ、そんな、いいんですか?」
「困ったとき、遠慮はなしだあ!」
「ありがとうございます……!」
若夫婦は、御者に馬車の代金を支払った。雪道を急がせて脱輪させてしまったお詫びの意味も込めて、多めに代金を支払ったので、御者も不服はなく、むしろありがたいくらいだった。
「それでは皆さん、お気をつけて! 旅のかたがた、どうかよろしくお願いしますよ!」
それに、御者もかわいそうな幼子を、一刻も早く病院に連れて行ってあげたかったのである。若夫婦と幼子をキースたちに託し、馬車は元来た道を戻って行った。
「容体が少しでもよくなるよう、まずは治癒の魔法をかけますね」
アーデルハイトは幼い女の子に治癒の魔法をかけてあげた。気持ちも落ち着き、呼吸もだいぶ楽になったようだ。
「それじゃあ、しっかり捕まって!」
一同、町へと急いだ。
病院は、すぐに見つかった。心配な病気ではなく、風邪とのことだった。幼い女の子は注射をしてもらい、薬ももらった。
「本当に、ありがとうございました……!」
夫婦と幼い女の子は、揃ってキースたちに深々と頭を下げた。
「旦那さんがた、俺たちに礼を言うのは、早いぜ!」
キースが笑う。
「え……?」
「ちゃんと家まで送るよ! なあ、みんな! いいだろ?」
皆も笑顔でうなづいた。
「娘さんが早く体を休められるよう、私たちに協力させて!」
アーデルハイトが女の子の髪を優しく撫でた。
「俺たちも心配で旅立てないからなあ! 家まで送らせてくれ!」
「本当になにからなにまでありがとうございます……!」
一同は、一家の住む山裾の集落に向かった。
一軒の家の前に降り立つ。
「ゲオルクしゃん、ありがとー!」
女の子は、自分を乗せて空を飛んでくれたドラゴンのゲオルクに、お礼のキスをした。
「きゅうっ!」
ゲオルクは思わぬご褒美に目を細めた。嬉しくて長い尻尾まで振っている。
「わたし、おおきくなったら、アーデルハイトおねえしゃんみたいに、ドラゴンにのるーっ! そして、おとうさんおかあさんとまちへいくのーっ!」
女の子は瞳を輝かせた。アーデルハイトの治癒の魔法と病院の注射が効いているようで、体もだいぶ楽になっているようだった。
「そっかあー! それならいつでもすぐに町へ行けるわね! でもまずは、ちゃんと休んで風邪を治して、元気にならなきゃねー!」
アーデルハイトはしゃがんで女の子と目線を合わせて微笑み、頭を撫でてあげた。
「本当にありがとうございました。皆さん、お礼に家でお昼でも……」
若い母親も、ひと安心したようで笑顔も明るい。
「いえいえ! 娘さんの看病もあるから、ご厄介になるわけには! そいじゃ! 俺たちは行きます! お大事にねーっ!」
若い夫婦が気を遣わないよう、そして女の子が早く体を休められるよう、挨拶も早々に一同は旅立つことにした。
若い夫婦と幼い女の子は、キースたちが見えなくなるまで手を振っていた。
「さっきの町で、昼ごはんにするか!」
一同、病院のある町へ戻る。午後になっていた。遅い昼食である。お昼、というより、すっかりおやつの時間だった。一番初めに見つけた食堂に入り、食事の注文をした。
「あ……! 雪……!」
ふと窓を見ると、雪が降り始めていた。
「……今日は、この町で宿をとったほうがいいかもしれないなあ」
キースが呟く。冬の夕暮れは、早い。
「そうですね。次の町まで少し距離があるようですし」
ミハイルが、地図を見ながらうなづく。冬の野宿はなるべく避けたかった。
「美味しいねーっ!」
隣の席の女の子たちが明るい声を上げる。
カイとキースは、なにげなく隣の席を見る。
「!」
「!」
隣の席の女の子たちが食べていたのは、ソフトクリームだった。白く輝くバニラソフトクリームと、チョコレート色のソフトクリーム。
「ソ、ソフトクリーム……」
「ついに、本家登場ですね……」
「サ除けスプレー」のバニラの香りを漂わせながら、カイはまがい物ではない本家の美しいとぐろの巻き具合に、釘付けになっていた。
「……カイ。俺たちも頼んでみる?」
「誰が頼みますかっ!」
ちょっとふざけてみたキースだが、自分の料理が運ばれてくると、なかなか箸は進まなかった。
「……さすがに、キースも人の子だな……」
宗徳が、しみじみとうなづいた。




