雪イルカ
「また出てる……!」
カイは、布団から両手が出ているキースの寝姿を発見し、絶句した。
深夜。同室のミハイルと宗徳は、すでに深い眠りに入っていた。
こんなに寒いのに、なぜこうなるんだろうと思いながら、カイはキースの両手を布団に入れ、布団をかけ直してあげた。それでもキースは、熟睡したままである。
幸せそうな寝顔だよなあ。
すやすやと、眠り続けるキース。
カイは、ふっと笑みを浮かべ、安堵してキースのベッドから離れる。
カイは剣の姿に戻り、自分も眠ろうとしていた。
ばん。
今度はキースの両足が出てきた。
えええ!? 今度は足ですか!?
カイはキースのベッドに歩み寄り、重たい足を持ち上げ、右足、左足と布団の中に戻してあげ、それから布団もちゃんとかけ直してあげた。そこまでしているのに、キースは起きる気配がまったくない。
寒くないんだろうか。いくらキースだって、風邪ひいちゃうよ。
ふう、とカイはため息をつき、キースのベッドに背を向けた。
さて、俺も寝るか。
ばーん。
カイは驚いてキースのベッドを振り返る。
布団が、吹っ飛んでいた。
全部、出てる!
キースは布団を思いっきり蹴飛ばしていた。キースの布団はミハイルのベッドの端にぶつかってから床に落ちた。
もう! 仕方ないなあ!
カイは布団を取りに行き、キースにきちんとかけてあげる。
これでよし、と……。
カイは熟睡し続けるキースを確認すると、自分も寝ることにした。
ちくっ。
なにかが、カイの腕を刺した。小さな虫のようだった。
「……?」
カイは人間ではない、剣である。虫が刺すなど、奇妙なことだった。
キース。寒いですから風邪ひかないでくださいね。
カイは心の中で呟くと、剣に戻り眠りについた。
翌朝、高熱が出ていた。
「まさか、風邪!?」
高熱を出したのはキースではなく、カイだった。
「まさか! カイは剣ですよ! 風邪のわけが……!」
ミハイルが、人の姿になって寝込んでいるカイの額に手を当てる。
「熱い……!」
「カイ! 大丈夫かっ!」
キースが動揺し、カイの枕元で叫ぶ。ぼうっとするカイの頭に、キースの声が突き刺さるようだった。
「す、すみません……。なんだか、気分が……」
カイが、絞り出すような声で返事をする。
呼吸も荒く、苦しそうだ。
ミハイルが、カイの布団をちょっとめくり、カイの胸元に手を当てた。
「ミハイル殿、なにかわかるのか?」
宗徳が心配そうな顔で、医者のようにカイの体に手を当てているミハイルの様子を見つめる。
「……魔力の中枢部分の働きが、乱れています」
「え……?」
そこに、宿屋の女将とアーデルハイト、妖精のユリエが駆け付けた。
「大丈夫!? カイ!」
「アーデルハイトさん……。どうも、カイさんの魔力の面で、なにか異変が……」
「ええっ!? どうして!? どうして急に!?」
昨日まで、元気だった。アーデルハイトの知る限り、なにも変わったことはないようだった。
「あっ……!」
女将がなにかを思い出したように声を上げた。
「女将さん、なにかご存知ですか!?」
一同、女将のほうを見た。
「もしかして、お客様、昨日、虫に刺されませんでしたか!?」
「虫!?」
「あ……。そういえば……。はい……、昨晩遅く……」
カイが、なんとか身を起こして腕をめくり、刺されたあたりを見せた。
蚊に刺されたような跡があり、赤く腫れあがっていた。
「やっぱり……! この症状は、『サ』に刺されたアレルギー反応ですよ!」
『サ』に刺されたアレルギー反応!?
「『サ』ってなんだよ!?」
思わずキースが女将に詰め寄る。
「『サ』とは、この辺りに生息する『蚊』みたいな生き物です。魔力を持つものを刺し、魔力を吸って生きています。吸われる魔力自体は微量なのですが、刺されたときにアレルギー反応が起きる場合があるんです。『サ』は『蚊』と違って冬場に活動するんです」
「それじゃ、カイはその『サ』ってやつに刺されたから高熱が出たってことなのか!」
プーン。
バシッ!
小さな蚊のような虫が飛んでいたので、キースはすぐさまそれを手で潰した。
手には、わずかに青い汁が付いた。
「こいつのせいで、カイが……!」
「『サ』は、魔力を持つものが起きているときに反応し、襲ってきます。昼間は『サ取り線香』を焚いていたのですが……」
『サ取り線香』……!?
蚊取り線香のようなものらしい。
「え……、睡眠時は刺さないものなんですか?」
ミハイルが尋ねた。
「ええ。そうなんです」
「……って、カイ! お前、昨晩寝てたんじゃないのか!?」
キースがカイに大声を出す。心配過ぎてつい大声になっているのだが、カイの高熱の出ている頭には、ガンガン響いて辛いくらいだった。
「はい……、あの……、ちょっと眠れなくて……」
キースの布団をかけていて、とは言わないでおいた。
「それで! どうしたら治るんでしょうか!? 治せるのってお医者様ではないでしょうし……!」
アーデルハイトが女将に尋ねる。アーデルハイトもミハイルも、治癒の魔法はある程度使えるが、このような症状にはどの魔法が有効かわからないでいた。
「『雪イルカ』のフンが薬になります」
雪イルカ……!?
一同、初めて聞く単語に戸惑う。
の、フン……!?
そして、その文章の後半部分も衝撃的だった。
「えええ!? フ、フンですか……!?」
本当は大声で叫びたいカイだったが、呼吸が整わず小声になり、続く「そんな、嫌です」、という心からの叫びも、
「どこにいるんだ!? その雪イルカってやつ!」
キースの大声にかき消されてしまった。
「雪イルカは、雪の時期だけ活動している動物です。雪のない時期は、土の下で眠り続けています。群れをなして行動し、よく見られるのはここから西にある『イナイ平原』辺りですね」
雪イルカのいる、イナイ平原……。
カイを始め皆が、居るか、居ないか、などと考えているときすでに、キースは急いで外套を着こんで出かける準備を整えていた。
「じゃあ! 行ってくる! 雪イルカのうんこ、取ってくる!」
「キース! 待ってくれ! カイ殿が居なければお前は丸腰だ! 俺も行く!」
宗徳も外套を着る。
「僕も行きます!」
ミハイルも出かける支度を整えた。
「私も! きっと、私役に立つよ!」
妖精のユリエも付いていくことにした。
「アーデルハイト! カイの傍にいてやってくれ!」
「うん! 私で出来る治癒の魔法、やってみる……!」
アーデルハイトはうなづき、カイの額にそっと手を当てた。
「雪イルカは、雪を食べて生きています。ですから、フンも綺麗な物です。ただ、半日も持たず消えてしまうので、取り置きは出来ないんです……。申し訳ありません、どうぞお気を付けて……!」
宿屋内で刺されてしまったのに、なんの対応も出来ず、女将は心苦しく思っていた。
「じゃあ! うんこ取ってくるー! 待ってろよ! カイ!」
アーデルハイトの治癒の魔法を受け、心地よく眠るような意識の中、カイは思う。
うんこうんこ言わないでください……。せめて、フンとか……。
「でっかいうんこ、持ってくるからなーっ!」
ダメ押しのような大声を残して、キースたちはイナイ平原を目指す。
幸いにも、外は快晴だった。
日の光を受け、輝く雪原が続く。
「どうやって探せばいいんだろう……。雪イルカってやつ……」
勢いよく飛び出し、ペガサスのルークに飛び乗ったキースだったが、さすがに探せるかどうか不安になる。
「早く、早く見つけないと……!」
一刻も早く、カイを治してあげたかった。
「それにしても、なんで起きてたんだ! カイのやつ……!」
「キース」
ドラゴンのオレグに乗ったミハイルが話しかけてきた。
「昨晩、カイはキースの布団を直していたようですよ」
「えっ?」
「なんだか、僕のところに布団が飛んで来たみたいで、それでそのとき僕もちょっとだけ目を覚ましたんですが、カイさんが布団をキースにかけ直してあげていました。僕はすぐまた眠っちゃったんですが、カイさん、それで起きてたのでは……」
『俺は、布団をかけることを諦めません』
先日カイが言っていた謎の言葉をキースは思い出した。
「あっ……!」
「……カイさん、優しいですね」
「うん……」
「キース。雪イルカ、絶対見つけましょうね……!」
「うん……!」
――ごめん……! カイ……!
純白の大地が続き、正直どこからがイナイ平原かよくわからなかった。
もう一度地図を見直そうかと思ったそのとき、突然雪の中からいくつものイルカの背びれのようなものが現れた。
「あっ……!」
雪の平原から空中にジャンプするイルカたち――! きらきらと青い体を光らせ、弧を描きながら次々と雪と空を行き来する。躍動する十数頭の群れ。壮観な眺めだった。
「見つけた……! 雪イルカ!」
見つけたのはいいが、次の疑問が沸き起こる――、どうやってフンを取ればいいのだろう。
「私が行って、話してくる!」
妖精のユリエが、雪イルカの一番先頭めがけて飛んで行った。一番先頭が、群れのリーダーに違いないと思ったのだ。
「うんこ、ください!」
ユリエは、雪イルカに唐突な申し出をした。
雪イルカの動きが止まった。
『……誰か、刺されちゃったのかい?』
雪イルカも、慣れたもので説明する前にわかったようだった。雪イルカのフンを取りに来る魔力を持つ者や人間が数多く訪れていた証だった。
「うん! だから、うんこ、ください!」
ユリエは、ぺこんと頭を下げた。
『私たちのフンが役に立つならお安い御用だよ。でも、誰か出るやつ、いるかなあ』
先頭にいる雪イルカが、他のイルカたちの顔を見渡す。ちょうどよくもよおす者がいるかどうかは、さすがにわからない。
『私、ちょっと頑張ってみる!』
『俺もまだだから、挑戦してみる!』
雪イルカ二頭が名乗りを上げた。
「ユリエ、イルカたち、なんて言ってるんだ?」
ユリエに追いついたキースが尋ねた。
「あの二頭がこれから挑戦してくれるんだって!」
「本当か……!」
キースの青い瞳には、いそいそと物陰に向かう二頭のイルカたちが、頼もしい勇者に見えた――。
「頑張れ……! 頑張ってくれ……! 頼んだぞ……!」
イルカたちの背を見送りながら、思わずキースもいきんでいた。
「ただいま! カイ!」
勢いよく部屋に戻るキースの手には、しっかりとソフトクリームのようなものが握られていた。
「え……? それは……?」
乳白色の渦を巻くみずみずしい物体、その下には円錐状の焼き菓子。
「あんまり見た目がアレだから、女将がコーンを作ってくれたんだ!」
……ってことは、そのとぐろを巻いた白い物が、例の……!
女将の気遣いは、見た目の印象を緩和しているのかインパクトを倍増させているのか――、もともと食べ物をとらないカイとしては、なんとも言えないものがあった。しかし、見た目はいわゆる、ソフトクリームそっくりの仕上がりとなっていた。
「……白いんですね」
「うん! 主成分が雪だからな!」
「俺のために、みなさん、本当にありがとうございます……」
「うん! 雪イルカたちにもよーく礼を言っておいたよ!」
「…………」
「さあ! 食え! 遠慮なく、食え!」
「…………」
「さあ!」
輝くようなキースの笑顔。差し出される、ソフトクリームもどき。
「……女将さんのお気遣いのコーン部分は、キースが食べてくださいね」
「えっ……?」
基本、カイは食べ物を必要としない。だからといって、女将さんのあたたかい気持ちの結晶を、捨てるわけにはいかない。
「俺が食べたら、キースも食べてくださいね……!」
カイも、はちきれんばかりの笑顔をキースに返していた。二人の間には、圧倒的な存在感を放つ、ソフトクリームもどき。
「…………」
一蓮托生、そんな言葉がキースの脳裏に浮かんでいた。
ほどなく、カイの熱は下がった。




