魔女のまじない
「おや!?」
一つ目の描かれたフードを被っている男、シーグルトは一人驚きの声を上げた。
「光が消えた……! まじないを使ったな!?」
追跡していた「受け継ぐ者」の発する光が消えた。今まで追っていた目印がこつぜんと消失したのである。
「退魔士か、魔法使いか……、いや……、どうも性質が違うようだ」
退魔士や魔法使いが使う、短期的で狭い範囲の気配を消す術とは違う印象を受ける。シーグルトの知らない系統のまじないのようだった。
「……まあ、よい。この雪だ、なんにせよあまり遠くへは行けないはずだ。ふふふ……。姿を隠しても無駄だよ……! このシーグルト、一度目を付けた相手は絶対に逃さない……!」
シーグルトから光を隠したのは、「大型動物総合ケアセンター」の魔女の先生だった。
旅人の安全を守るまじない、そのまじないがキースの放つ特別な光を覆い隠してくれていた――。
アーデルハイトは、後悔していた。
私ったら、あんな子供っぽいヤキモチ焼いたりして――!
キースが他の女性を褒めただけで、ついヤキモチを焼いてしまった。
しかも、尻に膝蹴りである。
私のバカ――!
ペガサスのルークに乗ったキースの背を見つめながら、アーデルハイトは先ほどの出来事を何度も何度も繰り返し思い出していた。
こんなことしてたら、キースに嫌われちゃうよ……!
頬に付く雪が冷たい。心まで、凍えてしまいそうだ。
早くキースに謝って仲直りしたかった。
心の狭い女って呆れられちゃう……!
いったん不安な気持ちに襲われると、雪だるま式にどんどん大きくなっていく。
「きゅう?」
アーデルハイトの気持ちを察したのか、ドラゴンのゲオルクが立ち止まり、長い首をひねらせてアーデルハイトを見つめる。
「ああ、ゲオルク! なんでもない、なんでもないよ。大丈夫だよ」
「きゅう」
ゲオルクは心配そうにアーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳をしばらく見つめ、それから雪の中皆に遅れてはならないと、前を向いて再び歩き出した。
「あっ! 町が見えてきましたよ!」
ミハイルが声を弾ませた。目の前に、集落が見えてきた。
仲良く寄り添うように軒を並べる何軒もの宿。宿場町だった。
「よかったあ! 宿場町だ! これだけ宿屋が並んでたら、どっか泊まれるだろー!」
キースも明るい声を上げる。
「アーデルハイト! あのおっきい宿屋、どうだろう? 厩舎も立派でよさそうだぞ! あそこからあたってみるか?」
キースが振り返り、アーデルハイトに話しかけた。屈託のない笑顔――、当のキースはアーデルハイトの強烈な一撃などすっかり忘れていた。と、いうよりあまり気に留めていなかった。
「あ……、う、うん! そうだね、よさそうな宿だね!」
アーデルハイトは、キースの様子にちょっと戸惑いながらうなづく。
「よし! 女子の賛同を得た! んじゃ、張り切って泊まれるかどうか訊いてみよーっ!」
キースは、無駄に元気よく宿屋に突入していった。
「空いてたーっ! おっけー!」
そして無駄に素早く宿泊の部屋を取る。
「高速宿部屋確保―っ!」
キースは便利で妙な必殺技を会得した。
「まあ、旅の皆様、ようこそお越しくださいました。こんな雪の中、大変でしたねえ」
宿屋の女将らしき人物が笑顔で出迎えてくれた。
一同は、玄関先で体に付いた雪を払う。体は芯から冷えていた。雪をすっかり体から払い終えると、やっと一息ついた心地だった。
「当館は、温泉となっております。まずは、お風呂でゆっくりと体を温めてくださいね。お食事はお部屋と大広間、どちらにご用意いたしましょうか?」
部屋を案内しながら女将が尋ねる。大広間の食事は、ビュッフェスタイルとのことだった。
「俺はみんな一緒のほうがいいなあー! 大広間のほうがいいと思うけど、皆はどうだ?」
キースが皆に尋ねた。皆も、大広間のほうがいいとうなづく。
「好きなもん好きなだけ食えるのもいいしね!」
キースが白い歯を見せて笑う。
キース、さっきのこと、全然、気にしてないのかなあ……? でも……。
アーデルハイトは、キースの明るい笑顔を見つめながら思う。
でも、謝りたい。
たとえキースがまったく気にしていないとしても、アーデルハイトは、自分の気持ちをキースに伝えて謝りたいと思った。
『俺は、自分の思いや気持ちはなるべくきちんと伝えようと思う。だから、アーデルハイトも俺に伝えてくれ。努力とか、しなくていいよ。お互い、自然に寄り添っていけたら、と思う』
キースが以前言った言葉を、アーデルハイトは思い出していた。
私も、ちゃんと自分の思いを伝えたい……! あのときの気持ち、そして今の気持ちをきちんと伝えたい……!
アーデルハイトは、軽く息を吸い込みキースに一歩近寄った。キースは宗徳と温泉の話をしている。宗徳の故郷は温泉がたくさんあるらしい。打たせ湯を並んで待つ巨大なネズミ科の動物もいる、などという話をして盛り上がっていた。
「アーデルハイト。私たちの部屋はここだってー!」
アーデルハイトに、妖精のユリエが笑顔で声をかけた。
「あ、う、うん」
「お風呂、楽しみだねーっ! ほんと、寒かったからあ!」
「そうね……」
「温泉、大好きーっ! 羽がふやけるほど入りたいーっ!」
「羽がふやけて……、大丈夫?」
「大丈夫―っ! 乾けば楽勝―っ!」
アーデルハイトがユリエに返事をしている間に、キースは、カイ、ミハイル、宗徳と一緒に部屋に入ってしまった。アーデルハイトの瞳はキースの横顔を追っていた――。
「あれ……? アーデルハイト、もしかしてキースになにか話しかけようとしてた?」
しまった、というようにユリエは口元に手を当てた。
「ううん……! いいの! なんでもない!」
アーデルハイトは慌てて首を左右に振る。ユリエに気を遣わせたくなかった。
後で、話そう。それから――。
アーデルハイトは思う。
きちんと謝ろう!
アーデルハイトは一人うなづく。
気持ちを伝えて謝る、そう考えると、それだけで明るい気持ちが戻ってきた。
うん……! そうしよう! そして、それから……。
アーデルハイトは思う。
かわいく甘えちゃうんだ……!
アーデルハイトは、胸元で右手を握りしめ、グーを作った。
しっかり甘えちゃうんだもんね……!
アーデルハイトは、密かにそう決意した。自然と笑顔も戻ってきた。
そんなアーデルハイトの様子を見て、ユリエは思った――、アーデルハイトは、今、なにかに燃えている……!
アーデルハイト、なんかわかんないけど、今、猛烈になにかに燃えている……!
ユリエは、アーデルハイトを二度見し、ちょっぴり距離を置いた。
「キース。温泉で泳いじゃだめですよ」
カイが念を押す。一応カイは男湯の脱衣場までついてきていた。
「えっ!? だめなの!?」
「潜ってもだめですよ」
「ええっ!? だめなの!?」
「逆立ちなんて、もってのほかですよ!」
「えええっ!? それもだめなの!?」
全部やる気だったのか――!
キースとカイの会話を聞き、ミハイルと宗徳は驚愕した。
「わかりましたね。では行ってらっしゃい」
カイは脱衣場でキースを送り出す。傍から見れば、まったくわけのわからないやり取り、関係性である。
「歌を歌うのも、だめー?」
振り返り、キースが尋ねる。
「だめです!」
「ロックンロールでも?」
「だめです! 絶対に!」
問題はジャンルじゃない、とカイは思う。
「バラードでも?」
「だめですったら! 絶対、絶対ですよ! 重要禁止事項です!」
問題は曲調じゃない、とカイは思う。
一番の問題は、歌唱力です……!
「はーい……」
キースは真面目に入浴することにした。
「いやあーっ! 気持ちいいねーっ!」
熱い温泉に肩までつかり、キースは声を上げる。
「……キース。余計なお世話だが、少し苦言を言うぞ」
宗徳がキースに話しかける。
「えっ!? まさか、宗徳まで! もしかして、水上を歩くのもだめって言うんじゃないよな!?」
今まさに、キースは水上を歩けるだろうか試してみようと思っていた。歩けるわけはないのだが。
「違う。アーデルハイト殿のことだ」
「えっ!? アーデルハイト? アーデルハイトもお風呂でなんかする気なのか!? だったら、俺じゃなくてアーデルハイトに直接苦言を……」
「違う! 俺がアーデルハイト殿の入浴法など知るわけがなかろう!」
宗徳が顔を真っ赤にして叫ぶ。ちょっと想像しそうになったらしい。
「ああ! そりゃそうだなあ! ははは!」
「ははは、じゃない!」
「で、なんだ? アーデルハイトがどうかした?」
「……キース。おぬしは鈍感だろうが、アーデルハイト殿は繊細な女性だ。言動にはもう少し気を配ったほうが……」
本当に、余計なお世話だと宗徳は自分でも思う。またそういった、男女の立ち入った話に自分が介入するなど、らしくない、と思う。でも、一緒に旅をし、行動を共にする以上、一度くらいは言っておいたほうがいいと思った。
「へ……?」
「あまりアーデルハイト殿を心配させるな」
「へ……?」
キースはまだピンとこない。
「ヤキモチを焼かすな、と言っている」
「あっ……!」
ようやく気付いた。
「そうですよ。キースさん。不安にさせちゃだめですよ」
ミハイルが、宗徳の言葉に付け足した。
「……そうか……」
不安にさせる、その言葉がキースの胸に突き刺さった。
「まあ、ヤキモチをお互い焼いたりケンカしたり、そういったやり取りを含めて恋愛、人生の勉強なんでしょうけどね!」
ミハイルは、くすっと笑った。
「まあ、フォローが大切ですけどね!」
「うーん……、そうか……、そんなことで不安に……」
やっぱり自分は鈍感だ、改めてキースは反省する。ささいなことだが、自分はまったく気にも留めていなかったという事実がショックだった。
――アーデルハイトは、今どんな気持ちでいるんだろう……。
うつむくキースに、ミハイルは微笑みかける。
「愛されてますねっ!」
「え……?」
ミハイルの言葉にキースはたちまち真っ赤になった。
「うむ! まあ、愛されてる証拠だな!」
ミハイルと宗徳は、笑いながらキースを軽く小突く。
キースの顔が赤いのは、熱い温泉と湯気のせいだけではない。
大広間には、すでにご馳走が並んでいた。
「あっ……」
キースとアーデルハイトが大広間の入り口で鉢合わせした。
「ごめんっ!」
「さっきはなんかごめんっ!」
顔を合わせるやいなや、二人とも同時に謝っていた。
「あれ……?」
「あれ……?」
二人とも、なんとなく拍子抜けする。そして思わず笑ってしまった。
「キース……。さっきは蹴ったりしてごめんね……。つい……」
「いや! 俺こそごめん! 俺、あんま考えねーから……」
「ごめん……」
「いや、俺こそ、ごめん……」
二人はなんとなく頬を染めていた。
カイ、ユリエ、ミハイル、宗徳は少し離れて二人の様子を見ていた。
よかった……! 二人とも、素直だなあ……!
「さあ、お腹すいちゃったから、たくさん食べよーっ!」
最初に元気な声を上げたのはユリエである。
「そうだな! 食べよう! 食べよう!」
皆それぞれ好きな料理を皿に取る。あれが美味しそうだの、これが好きだの、なんだかんだ言い合いながら、めいめいの皿に盛り付けていく。
カイは、何種類もの酒のグラスをトレーに乗せ、ご満悦だ。
「いっただっきまーす!」
『この者たちの旅路が安全で、光り輝くものとなるよう――!』
皆笑顔でテーブルを囲みながら、魔女のまじないの言葉を思い出していた。




