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旅男!  作者: 吉岡果音
第二章 水晶の洞窟
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第7話 アップルパイ

 時は遡る。

 ここは、北の地、「北の神殿」と呼ばれるところ。


「うわあ! 北の巫女様、これ、ほんと美味しい!」


 妖精の女の子、ユリエは瞳をきらきらと輝かせた。


「ユリエちゃん。いっぱい食べてね。村の皆さんからリンゴをたくさんいただいちゃったから、焼いてもらったのよ」


 にっこりと優しい笑みを浮かべる、純白の装束姿の女性。

 豊かな金色の巻き毛、星空のような青い瞳をした、十代後半とおぼしき、「北の巫女」と呼ばれる存在だった。

 

「アップルパイ、美味しいーっ!」


 ユリエは、一口頬張るごとに笑顔を浮かべる。

 青い空に、白い雲が浮かんでいた。

 エースは、耳に届いてきたユリエと北の巫女の会話に微笑みつつ、神殿の外廊下に佇み、空を見上げていた。

 北の巫女が、エースの隣に並ぶ。


「北の巫女様……。こんな平和な時間が永遠に続けばいいのに――」


 流れる雲が、太陽を覆い隠す。

 北の巫女の穏やかな微笑みに、憂いがよぎる。


「強い光の誕生の裏には、暗い影が生まれるもの――。そして、人の欲望は果てしない――。いつか、均衡を乱すその日は来る――。新たなる災厄は、人によってもたらされる――」


 キースは、北の巫女をまっすぐ見つめた。


「でも、そのとき、きっと俺の子孫の誰かが立ち上がってくれるんですよね?」


 雲はゆっくりと流れ、ふたたび太陽が顔を出す。

 あたたかな日差しが、地上に降り注ぐ。


「ええ。光ある未来を信じましょう――」


 二人の背にかけられる、元気いっぱいの声。


「巫女様―! エースー! アップルパイ、全部食べちゃうよー!」




 巨大な水晶が光を放つ洞窟。そこは、不思議なエネルギーで満ちていた。

 キースは、曾祖父エースからの手紙を手にしていた。

 妖精のユリエは、小さな拳をぎゅっと握りしめた。


「カイは、まだ目覚めてなかったんだ――。でも、今はあれからずいぶん経つし、ここにいたら絶対元気になる! だから、絶対大丈夫だわ!」


 まるで自分に言い聞かせるように話す。ユリエは、カイという人物の目覚めを、心待ちにしているようだった。


「カイって、いったい誰、何者なんだ?」


 キースがユリエに尋ねた。

 曾祖父エースの手紙に記されていたカイという名。生きているとしたら、相当な年齢のはずである。もしかしたら、人ではなく妖精のユリエやペガサスのルークのように不思議な存在なのかもしれない、とキースは想像する。


 ひいじーさんは、俺とカイが出会い、そしてカイは俺のよい相棒になると確信していた。それも手紙に書いてあった「北の巫女」とやらの予言なのだろうか?


「カイは、ずっと、そして今もキースと一緒にいるわよ――。眠っているけど」


 ユリエが、にっこりと微笑んだ。


「え!?」


 キースの腰の剣が、青く光っていた。


「まさか、カイって――」


 アーデルハイトが呟く。


「アーデルハイトはわかったのね。そうよ。カイは――、そのキースの剣のことよ」


 思いがけないユリエの言葉に、キースは仰天した。


「えーっ!? カイって、この、ひいじーさんの剣のことなのかーっ!?」


 ずっと腰に差していた剣。相棒には違いないが、あまりに思いがけなさ過ぎて、キースは、混乱する。


 でも、でも、ひいじーさんの手紙にはカイのこと「男」って――。


 キースの動揺もおかまいなしに、ユリエが言葉を続ける。


「……あの戦いで、カイはすっかり消耗しちゃったの。だから、ずうっと眠り続けているの。でも、長い時が経ち、そしてここの水晶の力を吸収している今、きっとまた前のように人の姿になることができるわ」


 え、人の、姿……?


「人の姿!? この剣――、カイは、人みたいになれるっていうのか!?」


「うん。人の姿を形作れるの。姿だけじゃない、ちゃんと意思を持ってるわ」


 アーデルハイトは、キースと違って驚きもせず、むしろ納得しているようだった。


「そうだったの――。どうりで、魔力が入ってるっていうより、剣自体が魔力を持ってる、生きているって、そう感じたわけね……」


「えっ!? アーデルハイトはそんなふうに感じてたんだ――」


 キースは以前呟いたアーデルハイトの言葉の意味を、ようやく理解した。

 そのときだった。


 ぱあっ!


 キースの剣が、まばゆいばかりの大きな光を放つ。


 え……!?


 次の瞬間、キースの腰にあったはずの剣が消えていた。


 剣が、消えた……!


 驚くキースの目の前に、小柄な青年が現れていた。


 え!? 人……!?


「カイ……!」


 ユリエが叫んだ。ユリエの全身が、喜びで震えていた。


 え、てゆーことは、て、ゆーことは!?


 青年は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……本当にお久しぶりですね。ユリエ。すっかり大きくなりましたね。見違えました」


 カイと呼ばれた青年が、穏やかに微笑む。


「この青年が、カイ! ひいじーさんの、剣……!」


 くすり、とカイは笑った。


「ひいおじいさんの剣、ではありませんよ。俺は、もう、あなたの物です。あなたが俺を見つけてくれたそのときから、ずっと『あなたの剣』です」


 あなたの、物!?


「あなたの物―っ!? な、なんか野郎に言われると変な感じだなあ!? まあ美形の兄ちゃんだけど!」


 カイは、背丈は低いが眉目秀麗、黒い髪、黒い瞳のとても美しい青年だった。大ぶりの剣の姿のときとはまったく異なる華奢な印象である。


「…………」


 カイは黙ってしまった。


「違う、違うよ! 俺はそっちの趣味はないって! だって、俺、全力で女好きだもん!」


 キースはつい勢いで、猛烈に「女好き宣言」をしてしまった。女性陣はドン引きである。


「…………」


 カイは頬を赤くし、うつむいてしまった。


「ああっ! 違うんだ! なんだこの冷ややかな空気は! 洞窟だからか! いや違う! これが現実か! 誤解しないでくれ! 俺は女たらしとかそういうんじゃなくて、女性に対して真面目で誠実なんだ! ただ俺は、ほんのりエロいだけなんだ!」


「『ほんのりエロい』ってなんなのよ」


 呆れるアーデルハイト。

 カイが、ちらりとキースを見上げる。頬は真っ赤なままだ。


「……眠っていたとはいえ、意識はちゃんと起きていました。あなたのこと、これまでのことはすべて知っています」


「あ、そうなの?」


「……エースさんのときにもお願いしたのですが」


「ん?」


「……俺を使って雑誌の袋とじを開けるのだけは、ちょっと……」


 カイは、またうつむいてしまった。


「ご、ごめん! もうしないから! もう絶対カイを変なことに使ったりしないから! 俺は今後、袋とじという袋とじはすべて手で開けます!」


 見ない、とは一言も言わない。袋とじがあったら今後も開け続ける気満々だ。


 だから手紙に「追伸」って――。


「ひいじーさん……」


 会ったこともないひいじいさんと自分が、時代を超えまったく同じことをしていた、キースはなんとなく感慨深くなって遠い目をしていた。


「わけのわからないところで密かに感動しないように」


 アーデルハイトが、感動に浸るキースに、チョップをお見舞いした。




「北の巫女とやらの予言って、いったいなんなんだ?」


 気を取り直したキースが、ユリエに尋ねる。色々尋ねなければならないことがあったが、おおざっぱなキースは、いきなり無造作に核心を尋ねる。


「んーとね。北の巫女は、未来、すっごい強い悪い人が出てくるから、後世の人頑張れって言っていたの」


 ユリエが、とてもざっくりとした話をした。おおざっぱなキースに、ざっくりなユリエ。いい勝負だった。


「うん! 頑張る……って、えっ!?」


 ユリエの雑すぎる説明に、思わずキースは聞き返した。


「予言って、そんな感じ!?」


 キースは心の中で叫ぶ。


 なんか、想像してたのと違うーっ!


 カイが、片手を上げた。


「ユリエ……。俺が説明します」


「カイ! 教えてくれ!」


「…………」


「カイ……?」


 説明する、と言っていたカイが、なぜか黙ってしまった。


「どうしたの? カイ」


 アーデルハイトが、カイの異変に気付いた。


「……眠い……、です」


「ええーっ!? 眠い、ってーっ!?」


 キースとアーデルハイトが、同時にツッコむ。説明するって、言ったのに。


「はい……。すみません。ずいぶん久しぶりなもので……。ちょっと……、もう少し、だけ……、休ませてください……」


 そういうと、カイは倒れ込んだ。思わずキースがカイの体を支える。次の瞬間、カイは剣の姿に戻っていた。キースの手には、なじみの剣の感触――。


「あらららら……。剣に戻っちゃった。大丈夫……、なのかな? カイ」


「うん! カイはもう大丈夫だよ! ちょっと休めばまた元気になるよ!」


 ユリエが元気に答えた。無責任すぎるほどに、元気な声。

 キースは、剣に戻ったカイを見つめる。


 カイ……。ただの剣じゃなかったんだ。ずっと、俺と一緒にいてくれたんだ――。なんか、話ができて嬉しいな! なるほど、「よい相棒」か……。


 キースの顔に、笑みが広がる。


 俺の、相棒!


 キースは、そっと剣を撫でた。


「カイ。今までありがとう。これからもよろしくな!」


 キースに返事をするように、カイがほんの少し光を放った。


「ユリエちゃん、予言について、私たちにもっと教えて」


 アーデルハイトが、ユリエに優しく問いかけた。カイのことも気になるが、予言について早く知りたい、そんな様子だった。


「予言の悪い人って、どんな人なの?」


 笑顔でユリエに尋ねるアーデルハイト。しかし、どこかその笑顔は硬く、なぜか緊張しているように見えた。


「魔法使いなの。すごく強い魔法使いが、ノースカンザーランドの魔法の杖を狙ってやってくるんだって」


「えっ……!」


 アーデルハイトの顔色が変わった。


「アーデルハイト? どうした?」


 キースが、アーデルハイトの顔を覗き込む。


「す……、すごく強い魔法使いって……。ノースカンザーランドの魔法の杖って……」


 アーデルハイトの体が、どういうわけか、かすかに震えていた。

 キースは、アーデルハイトの急な心の変化を案じつつ、尋ねずにはいられなかった。


「どうしたんだ? なにか心当たりでも……?」


「ユリエちゃん……。詳しく教えて……」


 少しかすれた、アーデルハイトの声。なにかにおびえたような、瞳。

 ユリエはうなずく。


「うん! わかった! 詳しく話すね! あのね、北の巫女はね、アーデルハイトみたいに美人なんだ!」


「ん?」


 キースの思考が、一瞬止まる。


「北の巫女は果物が大好きなんだよ! 特にリンゴが大好きなんだ。北の神殿でもらったアップルパイ、美味しかったなあー! 懐かしいなあー」


 んん?


 固まるキースとアーデルハイトをよそに、ユリエは楽しそうに話す。


「アップルパイをみんなで食べたんだ。あんまり美味しくて、エースはおかわりしてたよ!」


 んんん?


 キースは、深く息を吸い、そして吐き出す。それから、ゆっくりと、ユリエに尋ねる。


「ユリエ……。アップルパイの話はいいから、予言についてもっと詳しく教えてくれ」


「え? アップルパイの話はいいの?」


 ユリエが意外、というような声を上げる。


「うん。アップルパイの話はいいよ」


「アップルパイ、すごい美味しいんだよ」


「ユリエはアップルパイが大好きなんだね」


「うん! 私はアップルパイが大好きよ!」


「そうか。アップルパイの話はおいおい聴くよ。だから予言について詳しく……」


「アップルパイ……。キースは食べたことあるの?」


「ないよ。アップルパイは」


「そう……」


 ユリエが少し悲しそうな顔をした。


「アップルパイ……」


「予言について……」


「…………」


「…………」


 んんんん。


 キースは、なにかをあきらめたように、そっとため息をついた。


「……アップルパイの話、教えて」


「キース!」


 アーデルハイトが思わず声を上げた。でも、アーデルハイトもユリエの楽しそうな顔を見ていたら、なんだかつられて笑顔になってしまっているようだった。


「アップルパイについて、詳しく教えるね!」


 ユリエの顔が明るく輝いた。

 アップルパイの話は、それから一時間ほど続いた。




「なんか俺たち……。アップルパイについて異様に詳しくなってしまったな……」


「ええ……。アップルパイについてだけは、よーくわかったわ……」


 キースとアーデルハイトは、アップルパイレベルが百レベル上がった気がした――。なんだろう、「アップルパイレベル」って――。




 カイは眠りの中で、今は亡き、かつての自分の主人に語りかけていた。


「エースさん。彼は、あなたが思い描いていた以上の素晴らしい勇者ですよ。彼にお仕えできること、誇りに思います。あなたの望んでいた未来を、きっと彼は創り出してくれるはずです――」


 それから、カイは遠いあの日のことを思い出していた――。戦いの後、帰国の途に就く前、すっかり消耗して自分は眠っていたけれど、覚えている――。神殿中に満ちるアップルパイの焼けるよい香り、あたたかい日差し、皆の笑い声――。

 あの穏やかに流れる豊かなひとときを――。

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