聖獣たちの健康診断
朝になっても雪は降り続いていた。
「積もったなあ!」
三十センチくらいの積雪。かといって空の移動には風も強く雪も多い。吹雪というほどではないが、一同は陸路をとることにした。
それぞれ、ペガサス、ドラゴン、翼鹿に乗り雪道を進む。
「歩きづらいよなあ。ルーク、大丈夫か?」
キースはペガサスのルークに話しかける。
「平気だよ、任せて、ってルークが言ってるよ」
妖精のユリエが、キースの胸元からぴょこんと顔だけを出し、ルークの代わりに返事をした。ユリエはキースの懐にもぐって、ぬくぬくである。
「この調子じゃあ、あまり進めませんね」
ドラゴンのオレグに乗ったミハイルが、キースに話しかける。
「うん。この天候じゃあ仕方ないな」
町はとうに過ぎた。広がる雪原。道がどうなっているかもよくわからない。
「きゅー!」
ドラゴンのゲオルクだけは嬉しそうだった。雪の降る様や、踏みしめる雪の感触が楽しいらしい。つぶらな瞳を輝かせ、リズミカルに跳ねるようにして歩く。
「こら! ゲオルク! あまりはしゃがないの!」
ゲオルクの背に揺られるアーデルハイトは、思わずゲオルクをたしなめる。
「きゅー!」
ずぼっ。
「きゃあっ!」
アーデルハイトが驚いて叫ぶ。ゲオルクの右足が雪にはまったのだ。地面が段差になっていたようだった。
「ゲオルク! 大丈夫!? 足、痛くしなかった?」
「きゅー!」
ゲオルクは大丈夫のようだった。バランスを崩し、少しびっくりしただけだった。
「雪のひどい日は陸路も危険だな……。地図だけでは詳細な地形がよくわからないし―――。あまり天候がひどいときは、動き回らないほうがいいかもしれない。ルークたちの負担も大きいだろうしな――」
キースは思う。これまで、ルークたちは自分たちを乗せ長い距離飛び続けてきてくれた。彼らの疲労は相当なものだろう、あまり無理はさせたくない、と――。
「そうね。こんなとき無理して急いでも、かえって病気やケガ、事故なんかを招きかねないものね」
一同、キースとアーデルハイトの言葉にうなづいた。
キースは、ルークのたてがみに付いた雪をそっと払う。
――ルークやゲオルク、オレグや吉助をねぎらってあげたいな――。
「あっ! あれはなんでしょう?」
ミハイルの指差す先に、大きな建物があった。
「こんな町はずれに……。いったい、なんの建物だろう?」
建物の傍に、のぼりが立っている。
『大型動物総合ケアセンター』
「大型動物総合ケア……? なんだろう」
キースが首をかしげて玄関を見ていると、中から白衣を着た女の子が出てきた。
「いらっしゃい! 旅人さん! わあ! ドラゴンに、ペガサス! それに翼鹿ね……! すごい! 珍しいわ! ねえ、みなさん! 長旅なんでしょう? どうぞ寄ってって!」
女の子はポニーテールに結ったチョコレート色の髪を揺らしながら、たたみかけるように話しかける。人懐っこいはつらつとした笑顔だった。
「寄ってって、って……。ここはなにをするところなんだ?」
「長旅に同行する動物たちを診察したり、それぞれの動物に合った栄養食を販売したり、療養させたりするところよ!」
「へえー! すごいな! 動物たちを診てくれるんだあ!」
旅人の行き交う街道沿いにあるのはそういうわけか、とキースは納得した。積雪のため、なにもないただの雪原に見えるが、ここは旅人にとって次の町へと続く主要な街道である。
「じゃあ、診てもらおうかな! いいだろ? みんな!」
「そうですね!」
ルーク、ゲオルク、オレグ、吉助を診てもらうことにした。
「任せてください! 先生は、獣医師であり魔女なんです」
女の子は嬉しそうに建物の中へ一同を案内する。
「ま、魔女!?」
「ええ。だから、普通の動物じゃない聖獣も診察できるんです」
女の子が診察室の扉を開けると、吊り上がった切れ長の目をした、長身の白衣の美女が立っていた。雪の降る窓の前、不思議なラベンダー色の長い髪を後ろにまとめ、微笑みながら佇む姿は、人ではないなにか神秘的な空気をまとっていた。
「先生! よろしくお願いします!」
女の子が美女に、ぺこんと一礼する。この美女が獣医師であり魔女である「先生」だった。
「いらっしゃい。まあ! ずいぶん変わった子たちを連れているのね……!」
「このペガサスがルークという名前です。そして、こっちのドラゴンがゲオルク、そしてこのドラゴンがオレグ、それからこの翼鹿が吉助といいます。先生、みんな診ていただけるのですか?」
ミハイルが、てきぱきと先生にルークたちを説明する。
「ええ。大丈夫ですよ。それでは、診察が終わるまで、皆さんは待合室でお待ちください」
「付き添いは要りませんか?」
「はい。彼らの言葉はわかりますから」
「きゅー!」
ドラゴンのゲオルクは、早速先生に懐いてしまった。頬をすり寄せ甘えている。
「ゲオルクったら……! すみません、先生」
アーデルハイトは謝りながらも、内心ホッとしていた。ゲオルクがこれだけ懐くということは、信頼出来るよい先生に違いないと思った。
「そういえば、宗徳はどうして吉助と出会ったんだ?」
清潔で居心地のいい待合室で、キースが宗徳に尋ねた。
誰もが吉助を見ると驚く。翼鹿は、聖獣の中でもとりわけ珍しい種だった。
「吉助は、神様からいただいたんだ――」
「えっ!? 神様!?」
宗徳は、懐かしそうな目をし、吉助との出会いを語り始めた。
宗徳は、生き別れた姉の幸せをこの目で確認するため、それだけのためにノースカンザーランドを目指す旅に出た。
山。宗徳は深い山の中にいた。
険しい山ではなかったが、かなり登った感覚がある。宗徳は、額を流れる汗を拭い、ふと立ち止まった。
「あっ……!」
目の端に、なにか動くものが映った。
宗徳の右手の草むらの中、純白のなにかが揺れていた。
なんだろう……? 白い……、角……?
宗徳は、そっと近づいてみた。
「…………!」
宗徳は息をのんだ。
そこにいたのは、真っ白な鹿だった。
「ピィー!」
よく見ると、純白の鹿の足は、しっかりと罠に挟まれ血が流れていた。
「なんてことだ!」
宗徳は急いで駆け寄り、鹿の足に食い込む罠を外そうとした。
白い鹿は神様のお使いと聞く――! このままでは、罠を仕掛けた人間に、神様の怒りが……!
ガチャン!
罠は外れた。
「ピイ!」
純白の鹿は、傷ついた足を引きずるようにしながら、その場を逃げ出す。だが、すぐに立ち止まり、黒い大きな瞳で宗徳をじっと見つめた。
よかった……! 神様のもとへお帰り――!
美しい白い毛並みの鹿は、宗徳に深くお辞儀をするように頭を下げた。そして、深い緑の山の奥へと帰って行った。
でも……。猟師は猟をして糧を得ている――。
宗徳は、懐から巾着を取り出した。数日前、立ち寄った村で日雇いの仕事をして得た報酬だった。
宗徳は、罠のすぐ傍に巾着を置いた。
これで、許されよ。
宗徳は、立ち上がった。
金は、また働けばいい――。
次の町で、また仕事をして稼ごう、と宗徳は思う。
木々の間から、美しい鳥のさえずりが聞こえる。吹き抜ける風も心地よい。宗徳は、山道を清々しい気持ちで登っていく。
急に、目の前が明るくなった。
「ありがとう。そなたが私の使いを助けてくれたのか」
宗徳の眼前に、白い光に包まれた美しい青年が立っていた。
青年の傍らには、二頭の鹿。一頭は、先ほど助けた白い鹿、そしてもう一頭は翼の生えた鹿、翼鹿だった。
「あ、あなた様は……!」
宗徳は細い切れ長の目をめいっぱい大きくして驚く。光に包まれた青年の神々しさに、思わずその場にひざまずき、ひれ伏していた。
「私の使いの命を助けてくれたお礼に、そなたにこの翼鹿を授けよう――」
「えっ……!?」
「名は、吉助という。そなたは旅をしているのであろう? 必ず吉助はそなたの役に立つ」
「そ、そんな……! あまりにもったいないお言葉……!」
吉助は、とことこと宗徳の傍に近寄り、宗徳の顔を舐めた。
「ははは。早速吉助もそなたを気に入ったようじゃ! 吉助は、そなたのよき友となろうぞ!」
「……ありがとうございます……!」
宗徳は、ひれ伏したまま地面につくほど深く頭を下げた。
「……そなたは罠を仕掛けた者にも気遣いをしてくれたようじゃな。たまたま私の使いの者が罠に掛かってしまったが、あの猟師は、この山を崇拝しながら猟をする信心深い良民じゃ。私にとっても我が子のような存在じゃ。あの者に代わって私からも礼を言うぞ」
「いえ、そんな、大した額ではありませんし……!」
「そなたの腰の刀、少し私に見せてみよ」
「えっ……? この刀ですか?」
宗徳の刀、それは、宗徳の剣術の師匠から譲り受けた刀だった。
「この刀は、俺にとってはなにものにも代えがたい大切な品ですが、特に名刀というわけでもなく、刀剣としてはごく普通の刀で――」
「少し、私に貸してみよ」
宗徳は、青年に促されるまま、腰に差した刀を差し出した。
美しい青年は、受け取った宗徳の刀に右手をかざす。
刀は、たちまち不思議な金の光に包まれた。
「これで、この刀は魔の者も斬れる」
青年は、にっこりと微笑んだ。
「えっ……!?」
青年は、宗徳に刀を返す。刀は、ずっしりと重みが増したような気がした。
「ふふ。心優しき若者よ。よい旅をな……!」
そう言って青年が微笑むと、辺りは強い光に包まれた。
おそるおそる宗徳が顔を上げると、青年と白い鹿はもうどこにもいなかった。
「なんと不思議な……!」
しかし、宗徳の傍らには、翼鹿の吉助がいた。
夢などではなかった……!
宗徳は、吉助に乗って旅を続けることになる。
「へえー! 不思議な話だねえ! 吉助、神様のもとにいたんだあ! それに、刀! それでその刀は魔物が斬れるのか!」
キースが驚きの声を上げる。アーデルハイト、カイ、ミハイル、妖精のユリエも宗徳の話に興味深く耳を傾けていた。
「俺は、あのかたが、神様だったと信じている」
「そうかもしれないな――」
キースも静かにうなづいた。
「みなさーん! 診察が無事終わりましたー!」
ポニーテールを揺らしながら、白衣の女の子が待合室に来た。
「どうでした?」
「みんな……、すっごく健康でしたあ!」
白衣の女の子が、満面の笑顔で元気よく告げた。
「よかったあ!」
「聖獣ちゃんたちが元気いっぱいなのは、みなさんの愛情のおかげですよ! あ、おすすめの栄養食をお教えしますね!」
白衣の女の子は、両手でかわいらしくハートのマークを作りながら、ウインクした。
「ありがとー! 栄養食、もー買っちゃう、買っちゃうよ!」
キースが食い気味で返事をする。
ぼすっ!
アーデルハイトが、すかさずキースの尻に膝蹴りをくらわした。
「アーデルハイト! お、俺は女の子に食い付いたんじゃなくて、純粋にルークたちのためを思ってだなあ……!」
「ただ、膝が偶然当たっただけだから! ごめんっ!」
アーデルハイトの言葉は、全然謝るふうでもなかった。言い終えると、ぷいっとそっぽを向いた。
すっごいわかりやすいヤキモチ……。まるで絵に描いたようなヤキモチ、絵に描いた、餅……。
カイ、ミハイル、宗徳、ユリエは目が点になり、思わず網で焼いた美味しそうな餅を主題にした風景画を思い浮かべていた――、なんで風景画、焼いた餅を主題にした風景画ってなんなんだ、そしてそもそも大きく意味が違うけれど。
「どうやれば偶然膝が尻に当たるんだあ!? どんな確率!? どんな奇跡!? 宝くじより奇跡だぞ!? 統計的にはわかんねーけど!」
世の中に、「膝が尻に当たる率」、そんな統計はない。
キースが叫んでいると、先生がキースのすぐ後ろに来ていた。
「ルーク君もゲオルク君もオレグ君も吉助君も、皆健康です。旅の疲れは普通にあると思いますが、今まで通り休憩を取りながら進めば、心配ありません」
「よかったあ! 長旅だったから心配してたんだ!」
キースが嬉しそうに叫んだ。それからすぐに、アーデルハイトのほうを見る。俺が嬉しそうに叫んだのは、皆が健康なのが嬉しかったからで、先生が美人だからではない、そう言いたげに。アーデルハイトは、全力で下心の無さを訴えるキースのわかりやすい視線を、鮮やかにスルーした。
「……あの子たちは大丈夫だけど、心配なのはあなたね」
先生は、キースをまっすぐ見つめた。
「えっ!? 尻を膝蹴りされたのが重症!?」
キースのすっとんきょうな声を、先生も静かにスルーした。
「……あなた、なにかよくないものに目を付けられてるわね」
真剣な表情で、先生は告げた。
「私は、魔女だから、そういうことも感じるのよ。あなた、気を付けたほうがいい――」
「なあんだ! そんなことかあ!」
キースは、明るい笑い声を上げた。
「えっ……!? 『そんなこと』!?」
先生は予想外のキースの反応に面食らう。
「ご忠告ありがとう! でも、俺は進む。今まで通り進むしかない。俺の出来ることをするしかない。ルークたちの病気やケガについては、俺には治せないかもしれないけど、敵と戦うことは、俺は出来る。だから、ほんと今日先生に診てもらえてよかったよ! 安心したよ!」
「そう……。あなたも自分が狙われていることを知っていたのね……。あなたは、どうも特別な運命を持っているようね。微力だけど、皆さんの旅の安全を守るおまじないをさせてちょうだい」
先生は、月の光の中で調合したという特殊な香水を一同の周りに振り、呪文を唱えた。
「清き魂を持つこの者たちに祝福を――! 我は願う、この者たちの旅路が安全で、光り輝くものとなるよう――!」
先生が呪文を唱え終えると、一同はあたたかな日の光に包まれたような、不思議な感覚を覚えた。
「ほんとよかったなあ! ルーク! 美人の先生に診てもらえて! 美人先生とかわい子ちゃんの栄養食、たくさん食べろよー!」
雪空の下、キースが元気よく叫んだ。雪も風もだいぶ穏やかになっていた。
あっ……! キース、「美人」とか「かわい子ちゃん」とかいう表現は使わないほうが……!
カイ、ミハイル、宗徳、ユリエは心の中で叫ぶ。
「ゲオルク! お前、美人先生に思いっきり頬をスリスリして、俺はうらやましかったぞー!」
なんの危機感もなく不用意な言葉を連発するキース。
ぼすっ!
キースの尻に、アーデルハイトの膝蹴り。
あーあ。
世の中の、「尻に膝が当たる確率」がほんのちょっとだけ上昇した。




