希望の光
フレデリクのいとこ、イデオンの手に下げられた水晶は、ピクリとも動かない。
「やはり、なにも意識に引っかからない――」
閉じていたブルーグリーンの瞳を開け、イデオンが呟く。旅に出てから幾度となく繰り返された探索の魔法だった。
「兄さん。クラウスの魔法は強力よ。探索の魔法に長けている兄さんでも、居場所を探るのは無理よ」
イデオンの妹のアンネが左右に首を振る。
ここは、キースたちのいる現在地より北の町。
「イデオン、アンネ……。本当にすみません。あなたがたまで巻き込んでしまって……」
フレデリクはイデオンとアンネに改めて頭を下げた。旅に出てから幾度となく繰り返された謝罪だった。
「フレデリク兄さんたら! 何度私たちに謝れば気が済むの?」
肩くらいの長さの赤毛をかき上げながら、アンネが明るい笑い声を上げた。
「でもフレデリク兄さんは、『これは仕方のないことです』ともよく言うけど!」
イデオンも愉快そうに笑う。
「どちらも私の本心です。私は皆さんに謝るべきですが、同時にこれは避けられない仕方のないことでもあり……」
フレデリクは、皆が危険な長旅に出ることになったことを心底申し訳なく思っていた。特に、いとこのイデオンとアンネには。二人は、それぞれ妻と夫、そして未成年の子どもたちを家に残してきている――。
「私たちも、ラーシュを早く助け出したいの。家でじっとしてなんかいられないわ」
「そうそう。それに、ハンス君も心配だし! まあ、お父さんとフレデリク兄さんに関してはどうでもいいけど?」
イデオンは、そう言っておどけて見せた。
「イデオン! どうでもいいとはなにごとだ!?」
イデオンとアンネの父、ベルトルドが叫んだ。
「あ。お父さん。そこにいたんだ」
「イデオン! そこにいたんだ、とはなんだ!」
ベルトルドが再び大声を出す。ベルトルドは冗談を好まない類の人間だった。
「……まあ、冗談はさておき、父さん――」
イデオンが真剣な表情になり、ベルトルドのほうに向き直った。
「探索の魔法を折に触れてかけてみて、わかったことがあります」
「なにかわかったのか!」
「ええ。はっきりとしたことはわからず、ぼんやりとした感覚として、ですが……。どうも、ある地点から、クラウスと我々との距離、位置関係が変わっている気がします」
「位置関係が変わっている、とは?」
「今まではクラウスは我々より北にいたのでしょうが、ある時点で、南に変わった、そんな感じがするんです」
「南に!? それはどういうことだ!? 追い越した、ということか?」
「いえ。そうではなく、おそらく……、我々とは別ルートをたどっているのでしょう」
「別ルート……」
「本当に、ガードが強くてはっきりとしたことはわからないのですが、なんとなく、僕は感覚的にそんな気がするんです」
「もしかして……。ノースカンザーランドへ向かう最短で最適なルートを変える必要があるとしたら、国境検問所を強化していたネクスター国を避けた、ということか?」
「おそらくそうだと思います。思い返せば、なんとなくあの辺りから微妙に手ごたえが違っていたような気がします」
「そうか……。でも、やつが予言通りノースカンザーランドを目指しているのは間違いないはず。居場所がわかるなら話は別だが、わからない現状としては、我々はこのままノースカンザーランドへ向かうしかないな」
「それから、お父さん。もうひとつわかったことがあります」
「なんだ?」
イデオンがにっこりと笑った。ブルーグリーンのその瞳には、希望の光が宿っていた。
「おそらく、予言の『受け継ぐ者』も、我々のあとを追うようにして北上しています」
「なにっ……!?」
「これも、感覚的なものではっきりとは言えないのですが、強い光が北上している感じがするのです。これは、たぶん、予言の救世主……!」
イデオンは、探索の魔法で意識を広げているとき、光の存在を感じた。あたたかな光。特殊な能力でしか感じることの出来ない、不思議な光。イデオンは確信していた。その光は、北の巫女の予言する「受け継ぐ者」の印に違いないと――。
「おお……! 現れたか……! 予言の救世主……!」
ベルトルドは、そう呟くとひざまずき、天に向かって祈りを捧げた。
「予言の、救世主……。『受け継ぐ者』……」
思わず、フレデリクも呟いていた。
世界を救うという、とてつもない重要な使命を持って生まれてきた人間とは、いったいどんな人なのだろう――。
フレデリクは、考えていた。
きっと、聖人のような素晴らしい人物なのだろうな――。
「はくしょんっ!」
キースがくしゃみをした。
「大丈夫ですか? 風邪ですか? やっぱり昨晩、冷え過ぎちゃいましたか?」
カイが心配そうに尋ねた。カイは、昨晩、布団から手足が出ているキースを、どうせまたすぐに布団を蹴飛ばしちゃうんだろうから、別にかけ直さなくていいだろう、と思ってそのまま放っておいたことを反省していた。
「すみません。キース。昨晩、俺はあなたを見殺しにして……」
「誰か噂してんのかなあ! 誰か! 俺が、かっこいいとかいう噂を!」
キースが大声で叫ぶ。風邪ではないようだった。
なんとかは、風邪をひかない、と人は言う――。
「…………」
反省した自分を反省するカイだった。
「でも、ほんと寒くなったよなあ! また夕方あたりから雪が降るかもな」
「そうですね」
やっぱり、布団から出ていたら、布団をかけ直してあげよう、とカイは思い直す。カイは、反省した自分を反省したことを、反省する――、ややこしい男だ。
「今度からは、見捨てません」
「カイ。さっきから見殺しとか見捨てないとか、なんだ?」
キースが尋ねた。キースにはなんのことかさっぱりわからない。
「布団は、かけるものです」
「うん。そうだよな。敷き布団もあるけど」
「見つけたら、かけます。でも、眠ってしまって気付かなかったときは、ご容赦ください」
「んん? なんのこっちゃ」
「俺は、布団をかけることを諦めません」
なんの決意表明なんだ。
アーデルハイトと妖精のユリエ、ミハイル、宗徳は、キースとカイの謎すぎる会話に疑問を持ちつつ、あえて追究しないことにした。
「あっ! あそこに食堂がありますよ! あそこに入りましょう」
お昼どきだった。ミハイルの指差した先には、小さな食堂があった。
入り口に、殴り書きのような張り紙があった。
『激辛ラーメン。制限時間内に完食したお客様は一杯無料!』
「へーえ。激辛ラーメンかあ。まっ、俺はあんまり好みじゃないな」
キースが呟く。
「キースなら、なんでも挑戦するのかと思いました」
ミハイルが意外、というような声を上げる。
「いやあ、別に興味のないことは挑戦しねーよ。それに、サービスにはちゃあんと正当な対価を払ってあげたいしね! 無料だからってなんでも飛びつくわけじゃない。まあもちろん、金に困っていたら大喜びで挑戦するけどね!」
「ちなみに、僕も激辛には興味ないです。ほどよい辛さはよいアクセントになりますけどね」
「さあて! なに食べよっかなー!」
ガラガラガラ。
「へい! らっしゃい!」
店主は大柄な体つきの、いかつい男だった。店はがらんとして、昼どきなのに客が誰もいなかった。
「あ、あんたたち……!」
キースたちの顔を見て、店主の顔色が変わった。
「ん? なに? 俺らがなんかした?」
「俺には……、俺にはわかる……」
店主が呟く。
「わかる? なにがわかんの?」
キースたちは、普通に入店しただけだった。
「見える……! 見えるんだよ……! 光! 光が!」
「光……?」
もしかして、キースが「受け継ぐ者」という特別な存在であることを、この店主はわかったのか!?
一同、顔を見合わせた。
「わかるんだ! あんたら、特にそこの、でっかいあんちゃん! あんたらは、俺の激辛ラーメンに耐えうる男たちだってこと……!」
は……?
「あ。そこのべっぴんさんと、妖精のお嬢ちゃんはやめときなよ? 辛いからね」
店主は、アーデルハイトとユリエに微笑みかけた。店主のいかつい顔は、笑うと眠っている猫のような目になる。
「あ、あのう……?」
「あっ! そこの一番おチビのあんちゃんもやめときなよ? 辛いからね」
「い、いや。あのう……」
「なんだい?」
店主はカイにも、猫のような笑顔を見せる。
「『光』って……」
「ああ! 俺は、うちの激辛ラーメンに耐えうる屈強な男が光って見えるんだ! 黙っていても、ちゃんとお見通しなのさ! さあ! あんちゃんたち、激辛ラーメン、挑戦してみろ!」
「…………」
奇妙な沈黙が流れた。
「さあて! なに食べよっかなー」
「キース!」
この妙な雰囲気の中でも、キースはマイペースだった。椅子に腰かけ、メニュー表に目を落とす。
「おい! あんちゃん! 俺の話を聞いてんのか!?」
「うん。聞いたよ。で、俺はねえ、ええと、なににしようかなあ」
「あんたは俺の挑戦に挑める人間だ! それなのに、挑戦を受けねえってのか!?」
「うん」
えええーっ!
「キース、ブレないですね」
ミハイルがアーデルハイトに小声で言う。
「うん。あんなふうに言われたら、のっちゃうのかと思った」
キースが、メニュー表から目を離し、店主を見た。
「客が食いたいもんを選ぶ、それがスジなんじゃねえの?」
「しかし! あんたら、特にあんたは、俺の激辛ラーメンを制限時間内に完食できる才能が眠っているんだぞ! 挑戦しない手はあるか!?」
あるよ。
一同、そう思った。
面倒くさい、変な店、入っちゃったなあ。
一同、しみじみそう思う。客がいない理由がよくわかる。
「そんなに激辛ラーメン頼んでほしいのか……?」
キースが呟く。
「ああ! あんちゃんの勇姿、俺は見てみたい!」
利益度外視で、そんなに見たいもんか!? それに、勇姿なのか!?
一同、呆れかえる。
「よし……! そこまで言うならわかったよ! 望み通り頼んでやるよ……! 激辛ラーメン、一丁!」
キースが叫んだ。
「おうよ!」
店主とキースの間に、火花が散ったような気がした。
店主とキース、食のバトルが繰り広げられるんだ……!
アーデルハイト、カイ、ユリエ、ミハイル、宗徳は息をのんだ。
「あっ……!」
店主が短く呟く。
「どうした? 店主」
「…………」
店主が押し黙る。
「どうしたんだ?」
もう一度、キースは尋ねた。
店主が、重い口を開いた。
「……すまん……。唐辛子が、切れてた……」
えっ……?
「激辛ラーメン、品切れだった……」
奇妙な沈黙が流れた。
「お客さん、ご注文の品、なににいたしましょう?」
猫のような顔で、店主が笑った。
「ほう……。光が、見えるな……」
地図を前に、瞑想する男。
男の周りにはろうそくが揺らめき、動物の骨が並べられ、床には不思議な模様の描かれた布が敷かれている。
「これが、やつに違いない……! ふふふ。案外、簡単に見つかったな! 溢れ出る光は隠しきれんぞ……!」
不気味に笑う男の頭には、一つ目が描かれた、黒いフード。
「さて。ギルダウス様には正確な情報をお伝えせねばなるまい。やつのもとに、行ってみるか……! 幸い、そんなに遠くはないようだしな……!」
一つ目のフードの男、シーグルトは旅立つ準備を始めた。




