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旅男!  作者: 吉岡果音
第十章 忍び寄る追跡者
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大切な存在のために

 日が傾き始めるころだった。

 とある森のはずれ、目立たぬ小さな店があった。

 軒下にぶら下げられた木の看板が風で揺れる。看板にはなぜか文字はなく、代わりに大きな一つの目だけが描かれていた。


 ギイ。


 店の扉を開け、大柄な一人の若い男性が入って来た。

 店の中の空気が一変する。冷たい外気が入って来たからではない。男がただ者ではないということを、かすかに震える空気が証明していた。


「おや。ずいぶん珍しいお客様がいらっしゃいましたね」


 店の主人が呟く。


「久しぶりだな。シーグルト」


 訪れたのは、モスグリーンの軍服に身を包んだ精悍な男――、ビネイアの忠臣、魔族のギルダウスだった。


「ギルダウス様――、今回も地上界に隠れた魔族の者をお探しですか?」


 シーグルトと呼ばれた店主は、ギルダウスに微笑みを向けた。もっとも、目深に被っている黒いフードのせいで、ギルダウスからは不気味な笑みを浮かべている口元しか見えない。シーグルトのその黒いフードには、表の看板と同じ大きな一つの目が描かれている。まるで、一つ目の怪物が笑っているようだった。


「いや。探してもらいたいのは、人間だ」


 ギルダウスはそう言うと、麻の袋をシーグルトの目の前に放り投げた。


 ドサッ。


 麻の袋は音を立ててテーブルの上に落ちた。袋の口から、たくさんの宝石の原石が溢れ出てきた。


「おお……! ありがとうございます! 珍しい原石が、こんなにたくさん……!」


「人間どもの世界ではこんな物も価値があるそうだな。しかしながら、今回かき集めるのに少々苦心した。現在、事情があって不便なところに身を隠しているものでな――」


 魔族、そのうえギルダウスほどの者ならば、人間から金品を奪い取ることなど造作もないことのはずだった。しかし、ギルダウスはそうはしなかった。自分の足で、手で、魔界の辺境の森の中から探し集めてきたようである。


「さようでございますか。それは大変でございますな……。で、お探しの人間とは……?」


「ふっ……。シーグルト、魔族との付き合いを心得ているな」

 

 ギルダウスは、シーグルトの言葉を聞いて笑みを漏らす。シーグルトは、ギルダウスの事情について聞こうともしない。あくまで商売人、客の立ち入った事情には触れようとしない、詮索する気もない、そんな姿勢に好感を持つ。


「探している人間とは――、北の巫女の予言の者、ペガサスと妖精を従えた者だ」


 ギルダウスの漆黒の瞳に、強い光が宿る。

 シーグルトは、ギルダウスの次の言葉を待った。

 しかし、いくら待ってもギルダウスは、ただシーグルトを見つめ、意志の強そうな唇を固く結んだままでいる。


「えっ……。情報は、それだけですか?」


 男か女かも、ギルダウスは告げない。


「……うむ。残念だが、それだけだ。その者は、ノースカンザーランドへ向かっている。退魔士が一緒にいるらしい。おそらく、その他にも何人か仲間がいると思う」


「ふむ……」


 シーグルトは、うつむいてしばらく考えていた。


「探せそうか……?」


「お時間は、少々かかるかもしれません」


「引き受けてくれるか……?」


「もちろんでございますとも……! 必ずや見つけ出してご覧にいれましょう!」


「頼んだぞ……!」


「ギルダウス様、ご用命ありがとうございます」


 シーグルトは、漆黒のフードの下で不気味な笑みを浮かべた。

 ギルダウスは、店をあとにする。そして心の中で一人呟く。


 ビネイア様は、地上界の人間であるシーグルトの存在すらご存知ない。これは、ビネイア様の命令ではなく私の勝手な行動だ。ビネイア様は、私に動くなとおっしゃったが、ビネイア様のお心を曇らす存在をいつまでも野放しにしておくわけにはいかない……!


 ザッ……!


 ギルダウスが一歩踏み出すだけで、辺りの落ち葉が舞い上がった。


 予言の「受け継ぐ者」とやら、必ず、私の手で潰す……!


 ビリビリビリ……!


 大気が、震えた。





 日が暮れるのが早い。

 一同は、最初に見つけた小さな町で一晩過ごすことにした。


「ホルガ―じーさんにもらった地図を見て、もっと先の町まで行けるかと思ったんだけどなあ」


 キースが町の食堂で、焼いた肉の塊を頬張りながら話す。


「仕方ないよ。これからはもっと慎重に空模様と相談しながら進まないとね」


「そうですね」


 アーデルハイトの言葉に、カイとミハイル、宗徳、妖精のユリエもうなづいた。

 小さな町である、今回の夕食は皆で揃って一緒にとることにした。


「宿屋も決まってよかったですね」


 カイが真紅のワインを傾けながら呟く。「よかったですね」、と言ったが、カイはどこか浮かない顔をしていた。


「あれ? カイ。そのワイン、美味しくないのか?」


 キースが尋ねる。


「えっ……!? いえいえ! そんなことないです! 美味しいですよ!」


 カイは急いで笑顔を作って見せた。


「安物だったからか? 高いやつ、頼もうか?」


 キースがメニュー表を手にする。カイが今飲んでいるワインは、一番手ごろな価格のものだった。


「いえいえ! とんでもない! ほんと、美味しいです!」

 

 カイは、慌てて一口ワインを飲んだ。


「うん! 美味しい!」


 キースは、カイをまじまじと見つめた。


「キ、キース。なんです……? 俺の顔に、なんか付いてます?」


 カイは知っている。ふだんは鈍感でも、こういうときのキースは妙に鋭い。


「……もしかして、カイ。ラーシュのことを考えてた?」


「えっ……!」


 図星だった。カイは――クラウスに連れ去られ、深く意識を閉ざしたまま連絡の取れない――、「知恵の杯」のラーシュのことを考えていた。


「そうだよな。心配だよな……」


 カイの返事を待つまでもなかった。カイの思っていることを言い当てたこと、キースにも他の皆にも伝わっていた。


「……あれからも、なんの反応もないままです。まあ、反応もなにもないというのは、ラーシュ兄さんが危険な状態ではない、というよい証明でもあるのですが……。なにか、決定的な異変があったら、俺たちきょうだいにもすぐに伝わってくると思うので……」


 決定的な異変、とは「ラーシュの死」ということを示す。カイは、あえて直接的な言葉を避けた。


「そうか……。それなら……、きっと、きっと、ラーシュは無事だよ! なんたってカイの兄貴なんだし! きっと大丈夫だよ! 一刻も早く助け出してあげたいが……。とりあえず、カイ、元気出せ! お前があんまり暗い顔してたら、ラーシュも心配するぞ!? お前たちきょうだいは、離れていても意思の疎通を取り合えるって言ってたけど、深く意識を閉ざしてるラーシュにだって、もしかしたらお前の不安とか悲しみとか伝わっちゃうんじゃないか!? そしたら、ラーシュも黙っているのが辛くなると思うぞ!? ラーシュを信じて、俺たちは今出来ることをやってこーぜ! 今出来ること、とりあえずだな、今は、テーブルの上の酒や飯を飲んだり食ったりすることだな! そんなわけで、カイ! とりあえず飲んどけ! あっ……! おねーさん、このワイン、お願いしまーす!」


 キースは店の女の子に声をかけ、格別上質なワインを注文した。キースが必死にカイを励まそうとしているのが、痛いほどカイにはわかる。


「はい……。そうですね……」


 カイは、静かに微笑んだ。心配そうにカイを見つめるキースをはじめ、アーデルハイトや妖精のユリエ、ミハイルや宗徳も安心させるように、そして、自分自身の心を落ち着かせるためにも、そうした。

 深夜。静かに雪が舞い始めた。宿屋の窓から、カイは純白の花びらのような雪を見つめていた。

 カイは、北の巫女の予言の前、ラーシュとの会話を思い出していた。


「カイ。私たちきょうだいは、人間によって創られました」


 カイは、そのときなぜ改めてラーシュがそんなことを言ったのか不思議だった。


「強い力は、欲望を増加させます」


 ラーシュは悲しそうに呟いた。

 

「人間のために創られた私たちが、逆に人間を不幸にする日がいつか来るかもしれません」


 ラーシュは、予言の前に知っていた。いつか、自分たちの力が何者かに狙われることを、そして、存在することで世界の均衡を崩してしまいかねないということを。


「ラーシュ兄さん……」


「そのときは、私は静かに眠ろうと思います」


「静かに眠る……?」


「そうです。力を悪用されることのないように。ただの杯に戻るのです」


「ラーシュ兄さん……」


 ふと、カイは思う。俺たちきょうだいは、いったいなんなのだろうか、と。人のために生まれ、そして人のために意識を閉ざし――。意識があるのに、自分の意思があるのに、すべてが人間のため、人間のためだけに生き、人間のためだけに死ぬ。それだけの存在。自分で出来ること、したいことなどなにもない――。


「カイは、人が好きですか?」


 唐突にラーシュが尋ねた。ラーシュの顔には優しい笑みが浮かんでいる。


「は、はい……。好きです」


 そういうふうに創られたからだろうか、これは本当に俺の気持ちなのか、そのときのカイにはよくわからなかった。


「よかった……! 私も大好きなのです! だから、人間は皆、ずっと笑顔でいて欲しい。人間の、笑顔が私の喜びです……!」


 ラーシュはそう言って、輝くような笑顔になった。心からの思いだったのだ。

 カイは、窓にそっと手を触れる。窓は、部屋の中を映し出していた。そこに映っていたのは、ベッドの中でぐっすり眠る、キースとミハイルと宗徳。

 キースは、布団から両足と両腕が出ていた。しかも、枕のほうに足があり、まるっきり逆さまの寝相になっている。


「うーん。僕、もうご馳走様ですー」


 突然ミハイルが寝言を言う。


「それじゃあ、その皿は俺がもらおうか……?」


 宗徳も寝言を言う。


「よし! じゃあ、こっちの皿は俺のもんだー! 誰か、しょうゆ取ってー!」


 キースも寝言を言った。

 謎の寝言コンボ攻撃である。

 カイは、ふっ、と笑う。


 ラーシュ兄さん……。今なら、俺もはっきりと言えます。俺も、俺も人間が大好きです……! 彼らの笑顔を、俺は守り続けたい……!


 暗闇に舞う雪の向こう、カイにはラーシュの笑顔が見えたような気がした。


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