第6話 血族
遠い昔。太古の森に彼らはいた。
岩の間から、光の差し込む洞窟の中。
「ユリエ、ルーク。ここでお別れだ。今まで本当に、本当にありがとう」
そこには、一人の逞しい青年と、妖精の女の子、そして、純白の翼を持つ馬――、ペガサスがいた。
「ユリエ、ルークをよろしくな」
青年は、妖精のかわいらしい女の子に呼び掛けた。妖精がユリエ、ペガサスがルークという名だった。
「……本当に行っちゃうの? 私たちを、ここに置いて……?」
これでお別れなの、と尋ねるユリエの声は、涙声になっていた。ユリエの背にある羽も、震えている。
青年は、小さなユリエに笑顔を見せてあげた。青年の瞳も、潤んでいたけれど。
「うん。そのほうがいいんだ。この不思議な力で満ちた森で暮らすほうが、きっとお前たちには合っているはずだ」
「うん……」
ユリエは、こくり、とうなずいた。小さな手のひらを、スカートの前で、ぎゅっと握りしめつつ。
「またいつか、ニンゲンがお前たちの力を必要とする日が来る――。そのときは、どうかよろしく頼む――。でも、本当はそんな日が来ないほうがいいんだけどな」
「……うん」
「じゃあ、元気でな! ユリエ、ルーク……!」
「うん! どうか、お元気で!」
「幸せにな……!」
妖精の女の子ユリエは、立ち去ろうとする青年の背に向かって叫んだ。
「大好きだよーっ! 私、ずっとあなたのこと忘れないから! それに、カイのことも! カイが目覚めたら、よろしく伝えてねーっ!」
「俺も大好きだよ! ユリエとルークのこと、一生忘れないよーっ!」
青年は、ユリエとペガサスのルークと別れ、洞窟を抜け、太古の森を後にする――。
「さて。帰るか! 俺の懐かしい故郷に……!」
見上げた青空は、にじんで見えた。
まぶしい朝日と頬をなでる風。青年は、振り返らず歩み続ける。腰に差した剣と共に。
それは新しく、懐かしい旅路――。
キースとアーデルハイト、そしてドラゴンのゲオルクは、森に降り立った。
「休憩、休憩―」
ずっと飛びっぱなしだったゲオルクを、休ませてあげるためだった。
「ゲオルク、ほんとありがとなー! 二人運ぶのは重いだろ? ごめんな。大丈夫か?」
「きゅー」
キースに頭を撫でてもらって、ゲオルクは満足そうに目を細めた。
「ありがとう、キース。ゲオルクのこと気遣ってくれて」
アーデルハイトが微笑みを向ける。
「ほんと感謝だよ! ゲオルクは俺たちのこと乗せて飛んでくれてるんだもんなあ!」
キースは、ゲオルクを思い切り抱きしめた。ゲオルクは、大きな尻尾を揺らし、ごきげんである。
「ふふ。ほんと、優しいのね」
アーデルハイトが、そっと呟いた。
「ん? 今なんか言った?」
「なんでもないわ! 仲良しね、って言ったのよ」
ふわり。
木々の間から、キースの前になにか白いものが舞い降りてきた。
「あっ! 白い鳥の羽根だ! なんの鳥の羽だろう? でっかいなあ!」
とても大きな白い羽根だった。キースは手に取り、声を弾ませる。
「なんだろう? なにかいいことあるかもー!」
周りは、枝が天まで届くような、立派な大木。どの木も、相当な樹齢に違いない。
アーデルハイトは、深い緑に縁どられ、小さくなった青空を見上げる。
「……この森はなんだか不思議な森ね」
「不思議って?」
「なんだか空気感が違うの」
「古い巨木が多いから?」
「うん。でもそれだけじゃない。実はさっきからちょっと不思議に思ってたの」
不思議……? 空気感……?
キースにはよくわからない。神秘的な森という感覚はわかるが、そういう森は他にもあると思うし、特別「不思議」という感想はなかった。
「あれ」
キースは目を疑った。
目の前の枝と枝の間に、小さな人影のようなものが見えたような気がしたのだ。
「ん? なんだろう? 今の」
小さなそれは、枝葉の向こうへ、さっと隠れたように見えた。
「なんだ?」
キースはなにかが見えた辺りに近づき、覗き込んでみる。
「あっ!」
キースは息をのむ。
それは、大きさからすると人形のようだった。しかし、まばたきをし、羽を羽ばたかせ、宙に浮かんでいる。とても小さいこと、羽がついていることを除けば、十代後半くらいの女性に見えた。
ピンクの大きな瞳に、ふわふわの長いピンクの髪、蝶のような白い羽。ちゃんとレディ然とした、かわいい服も着ている。
小さなレディは、ぺこりと一礼してから自己紹介をした。
「こんにちは! 初めまして! 私、ユリエっていいます」
「妖精だわ……!」
アーデルハイトが声を上げた。
「よ、陽性だって!? なんの判定……?」
キースがすっとんきょうな声を上げる。アーデルハイトは、相手の声だけで陽性陰性の判定ができるのかと思った。なんの判定かわからないが。
「妖精よっ」
すかさず正すアーデルハイト。反応が秒速。
キースとアーデルハイトのしょうもないやり取りを理解しているのかしていないのか、ユリエは、にっこりと笑う。
「私、ずっと待ってたの。ルークもずっと待ってるわ」
「待ってた……? 俺たちを?」
「んー。『俺たち』っていうより、あなたを、かな?」
ユリエはかわいらしく小首を傾げた。
俺を……?
心当たりがまったくない。夢に出てきた「銀の髪の乙女」とは見た目がずいぶん違うし、そもそも妖精に出会うのも初めてだ。
「俺の名はキース。彼女はアーデルハイト。で、向こうにいるのがドラゴンのゲオルク。で、ユリエ、ルークって誰?」
「ルークは、ペガサスよ」
「ペガサス! そんなものもいるんだ!」
妖精だけでも驚きなのに、この森にペガサスもいるとは――。
ユリエは、キースが手にしている羽根を指差した。
「うん。その羽根は、ルークの羽根よ」
「えっ! そうだったんだ」
「あなたが本当に、私の待っていたあなたか、確かめるためにその羽根を風に乗せたの。ちゃんとあなたの手まで飛んで行った。やっぱりあなたは、私の待ってたあなただった!」
私の待ってたあなた、とは……?
不思議なことを言う、と思った。
ユリエは、じっとキースを見つめていた。
「……あなたは、ほんとに似てる……。あの人に似てる。間違いないわ。嬉しい。会えて本当に嬉しい」
「え? 似てる? なにに、誰に似てるっていうんだ?」
キースは、ユリエの言っていることに戸惑う。
ユリエはどうして、会えて嬉しいって言ってるんだ?
ユリエの瞳は涙で潤み、口元は歓喜にほころんでいた。
「それじゃあ、キースにアーデルハイトにゲオルク! こっちに来て! 早くルークにも会って!」
「う、うん……?」
案内するように、ユリエは飛び立つ。
とりあえず、キースとアーデルハイトとゲオルクは、ユリエの後をついていくことにした。
いったい、どういうことなんだろう?
キースは心の中で、「私の待ってたあなた」、ユリエの不思議な言葉を反芻していた。
森の奥に進めば進むほど、心地よいひんやりとした空気を感じる。
深い緑を抜けた先、洞窟があった。
「すごい……! 途方もなく大きなエネルギーを感じる!」
アーデルハイトの、驚きの声。洞窟から、なにかの大きな力を感じたようだった。
そのとき、キースの腰の剣が青く光った。
「あっ! 俺の剣、光ってる!」
剣を見つめたあと、アーデルハイトと顔を見合わせる。
「エネルギーに反応してるのね! この洞窟の奥から巨大なエネルギーを感じる……! いったい、この洞窟にはなにがあるの?」
ユリエは、ただ微笑んでうなずいた。そして洞窟の奥へと先導するように飛ぶ。
「危険なものは感じない。むしろ、とても癒されるようなエネルギー……」
アーデルハイトが説明するまでもなく、キースも感じていた。
なんだか……、疲れが和らぎ、元気になるような感じがする――。
キースとアーデルハイトは、ユリエの導き通り、洞窟の中へと入っていった。
「あっ……!」
キースもアーデルハイトも目の前の光景に圧倒されていた。
岩の間から、日の光が降り注いでいた。日の光に照らされていたものは――。
「水晶……!」
大きな、無数の柱のような水晶が、光を放っていた。
「すごい……! あのエネルギーはここから出ていたのね……!」
そして――、なにかの気配。水晶の陰から現れたのは――。
「ペガサス……!」
純白の、美しいペガサスだった。
これがペガサス……なんて、なんて綺麗な姿なんだろう――。
「ルーク! ついに来たのよ!」
ユリエにルークと呼ばれたペガサスは、キースの目の前までゆっくりと近づき、そして、前足を曲げ、ひざまづくような姿勢をとる。
「ユリエ。いったい……?」
「キース。あなたに手紙があるの。もうずいぶん前に預かったものなんだけど――」
「手紙……?」
ユリエは、古い羊皮紙を持ち上げて宙に浮かぶ。
――『おそらく、決して会うことのできない親愛なるあなたへ――
初めまして。この手紙を読んでいるということは、北の巫女の予言が当たっていたということかな。本当は、そんな予言は外れてほしかったのだけど。新たな危機が迫っているということなんだね。
北の巫女の予言によると、あなたは俺の子孫ってことらしいね。子孫ってことは、俺は結婚したんだろうね。んー。俺の嫁さんになる人は、どんな人なのかな? ちょっとわくわくするね!
ごめん。脱線した。
ユリエとルークは元気でいるかな。あの子たちは、どえらい長命らしいから、きっと元気だろうね。あの子たちは、きっとあなたによく仕えてくれると思います。俺に仕えてくれたように。あの子たちのこと、どうかよろしく頼むね。
それから、カイのこともよろしく頼みます。もう、彼には会ってるかな? シャイな男だけど、とても味のあるいい相棒です。あなたのよきパートナーにもなっていることと思います。
では、どうか気をつけて。皆と力を合わせてください。予言のあなたなら、きっと新たな危機を回避することができると信じています。
あなたがいつも愛と喜びに包まれていますように。
世界が平和で満ちていますように――。
あなたの先祖――エースより
追伸――雑誌の袋とじは手で開けるように!』
キースは目を見張る。エースという名の人物を、知っていた。
「エースって……! 俺のひいじーさんの名前じゃねーか!」
「ひいおじい様が、キースに宛てた手紙だったの!?」
アーデルハイトも、驚き目を丸くしていた。
手紙を持つキースの手が、震える。感動していた。感極まり、叫ぶ。
「雑誌の袋とじって、そんなに歴史があったのか……!」
今度は、アーデルハイトが感極まる。
「この手紙を読んだ最初の感想が、そこ!? 確かに歴史の深さにびっくりだけど!」
キースは、手紙の中のひいじーさんに向かって、心の中で問うていた。
ひいじーさん! この手紙じゃ、よくわかんねー!
キースは叫ぶ。思いの丈を。
「カイって誰!? 袋とじの話はいいから、もっと説明を! 情報をくれーっ!」
「さすが、キースのひいおじい様ね……」
アーデルハイトは呆れると同時に、妙に納得していた。