第5話 銀の髪の乙女
花咲く野原だった。
青空の下、黄色や薄桃色やそして空を映した青、色とりどりの野の花が賑やかに。甘い蜜を探し回る、熊蜂の羽音が忙しい。
「そろそろ次の町へ行こうと思うんだけど」
アーデルハイトの長い髪が、日の光を浴び黄金色に輝く。
綺麗だ。
キースは、咲き誇る野の花より、透けるような髪の金色を瞳に映す。
「そうか……。アーデルハイト。色々本当にありがとう……。気を付けてな。よい旅を!」
キースの口をついて出たのは、別れの言葉。思いがけず長引いた別れ、でもいよいよこれが本当の別れだと思った。
澄み渡る空――。お別れのときは、こんな青空のほうがいい――。
「……キースはまだこの町にいるの?」
キースは働くつもりだった。しかし今、たくさんの謝礼金が懐にある。懐があたたかい、それは金額というより送られた真心だと思う。
「いや。申し訳ないことに謝礼をたくさんもらっちゃったし――。俺も出発しようと思う」
「そう……」
アーデルハイトは、うつむいた。
徒歩で旅をしていたキース。ドラゴンに乗って旅をしていたアーデルハイト。二人ともノースカンザーランドに向かうところ、目的地は一緒だった。
アーデルハイトにはとても助けられた。短い間だったけれど、素晴らしく楽しい時間だったな――。
ドラゴンのゲオルクに乗ってアーデルハイトが旅立つ姿を、キースは見えなくなるまで見送るつもりだった。
「…………」
「…………」
アーデルハイトは、顔を上げなかった。
ブーン。
熊蜂の羽音。もふもふの襟巻をしているような、まあるい蜂。
「…………」
「…………」
キースは、アーデルハイトからの別れの挨拶を待つ。
しかし、アーデルハイトからの言葉はない。
ゲオルクの背に、またがるような素振りもない。
キースは、笑顔を張り付けたまま立ち尽くす。
なんだろう。この「間」は……。
キースの心に生まれる疑問。熊蜂はとうにどこかへ飛んで行ってしまっていた。
そよ風が吹いて、アーデルハイトの髪が舞い上がったとき。アーデルハイトは、きっ、と顔を上げた。
「――いい加減、俺も乗せてけって、言いなさいよっ!」
アーデルハイトが、叫んだ。その頬は、赤く染まっていた。
「は!?」
な、なんだ!?
思いがけず怒鳴られたようで、キースはわけがわからない。
「もう! 水臭いわねっ! ぼんやりしてたら日が暮れちゃうじゃない! さあ、一緒に行くわよっ!」
アーデルハイトは、右手をぶん、とゲオルクのほうへ乱暴に振り、キースを促す。
一緒に、行く……!?
言葉の意味が、ワンテンポ遅れてキースの脳に届く。
「えええっ!? 一緒って……! いいの!? 俺なりに遠慮してたんだけど!?」
「あなたって、変なとこに気を遣うのねえっ! 強引でガサツなくせに!」
なんで俺、キレられてんだ!?
意味がわからない。理不尽な気もする。しかし、今までの自分の言動から、心当たりはあり過ぎる気もする。
「なに怒ってんの? ああ、そうか、あの、結婚の話……?」
恋人同士と間違われたキースとアーデルハイト。キースはその場のノリで、その間違いを助長する発言をしていた――。病弱な少女を励ますために、だったのだけれど。
「違うわよっ!」
「ごめん」
「だから違うって言ってるでしょ! なんで謝るの!」
「さ、さあ……?」
「『さあ』って、なによ!」
「いや、なんかごめん……」
よくわからねーけど……。ここは怒られてヘコむとこなのか? それとも喜ぶとこなのか?
「行くの!? 行かないの!? どっちなの!? 置いてくわよっ!」
アーデルハイトは髪をなびかせ、素早くドラゴンのゲオルクの背にまたがる。
「……あ、ありがとう!」
キースも、慌ててゲオルクの背に乗る。ゲオルクは翼を大きく羽ばたかせ、大空に舞い上がる。
よくわかんねー!
さっきまで歩いていた野の花畑が小さく見える。とっくに見えなくなってしまったけれど、熊蜂はせっせと蜜を集めているに違いない。
よくわかんねー……。よくわかんねーけど――。嬉しい!
眩しいくらいの青空。
キースは、とびきりの笑顔になっていた。
日が落ちる前に、目に付いた町に降り立った。
キースは声を弾ませた。
「この町は、結構活気があるねえ!」
「あそこの店で、夕ごはんにしましょうか」
旅人らしき人々で賑わう店に入った。ゲオルクは、店の裏で留守番である。ゲオルクの他にも、旅人の乗ってきたドラゴンや馬がつながれていた。
「ずっと、気になってたんだけど……」
アーデルハイトが、小声でキースに質問した。
「ん?」
アーデルハイトは、キースの腰に差した剣を見つめている。
「あなたのその剣、魔力が入ってる」
「えっ!?」
突然のアーデルハイトの指摘に、キースは、ぽかんとした。
俺の剣に、魔力が入ってるって!? なんだそりゃ? 魔力?
「知らなかったの?」
「ああ! そんなのまったくわかんなかった! へえー、なんかすげえな! どうりでよく切れると思った!」
よく切れる、キースにとってその程度の認識だった。
「この剣はな、ひいじいさんがどこかの国で見つけてきたものらしいんだ。詳しいことは誰も知らないけど――。俺ん家の納屋に隠されてたのを、俺が見つけたんだ。ほんとは、三男坊の俺が持つべき物じゃないんだろうけど、兄貴たちが、長旅に出るなら持ってけって持たせてくれたんだ」
「そうなの……?」
えへん、とキースは咳ばらいをした。そして、意を決したように語り出す。
「俺たち三兄弟は、村でも評判のイケメン兄弟で――、女の子たちに結構きゃあきゃあ言われてたよ。ついでに、おばちゃんもばーちゃんも、きゃあきゃあ言ってた。兄貴たちは特に綺麗なおねーちゃんたちにモテてたけど、俺はばーちゃんにモテまくってたなあ……」
まったく無駄な情報。
「なんか今、とってもいらない情報をもらってしまった気がする……」
「俺の過去の栄光だっ!」
キースは意味不明に胸を張った。
ドヤ顔のキースから、いったんアーデルハイトは視線を外す。しかし、改めてもう一度、キースを見つめる。どういうわけか、真剣な、眼差しで。
「とにかく、その剣はとても素晴らしい剣よ。魔力が入ってるっていうより、もうすでに……」
「……もうすでに……?」
アーデルハイトは、急いで微笑み、大切なことをごまかすように首を振った。
「……なんでもないわ。その立派な剣、大事にしてあげてね」
キースはうつむき、腕を組んだ。
「…………」
急に、黙り込む。
「キース、どうしたの?」
キースは、あっさり白状した。
「……よく切れるからって調子に乗って、なんでも切ってたんだけど……。大根とかジャガイモとか。あと、これで雑誌の袋とじも切ってたっけ……。だめだったかなあ?」
雑誌の袋とじ。いかがわしい写真が隠されているやつである。
「……だめだと思う」
アーデルハイトは、頭を抱えていた。
近くの宿屋に泊まることにした。
「俺は同じ部屋でいいと思うけど!」
「私は嫌だと思うけど!」
「……だよねえ」
「明日の朝、ごはんを済ませたら出発するわよ!」
「了解!」
それはそうだ、キースは敬礼し、大人しく宿屋の主人から案内された部屋に一人向かう。
キースは、固いベッドに横たわる。
染みのついた天井を見つめつつ、ぼんやりと思う。
アーデルハイトは親切心で俺を乗せてくれてるのかなあ――。
それとも、用心棒代わりとして? キースは一人考える。それでもいいと思う。
それとも、一人旅が寂しくなったのだろうか……?
なんでもいいや、とキースは寝返りを打った。とりあえず、一緒にいられるのが嬉しいと思った。
「助けてください――」
眠りにつくとすぐ、声が聞こえる。
また彼女の夢だ、とキースは思った。
「お願いします。助けてください――」
銀色の長い巻き毛の美少女。涙をたたえた瞳も美しい銀色――。いつもの夢。キースの夢に繰り返し現れる謎の乙女――。
「どうか、ノースカンザーランドへ――」
わかってるよ、とキースは呟く。
「あんたの望み通り、俺はノースカンザーランドへ向かってるよ」
夢はいつも、そこで途切れる。
キースは夢に現れる乙女のために、旅に出ていた。その夢がなにを意味するのかわからない。意味などないただの夢なのかもしれない。それでもキースはノースカンザーランドを目指し旅に出た。
「だって、かわい子ちゃんにお願いされたら行くしかねーじゃねーか!」
もし夢の彼女がばーちゃんだったら――。それでもやはり行くしかない、とキースは思う。
「だから俺、ばーちゃんにモテちゃうんだよねえ!」
ベッドの脇で、密かにキースの剣が青く光っていた。キースはそれには気付かない――。
「きゃあああ! キースゥゥゥゥゥ!」
次に見た夢は、大量のばーちゃんたちに追いかけられる夢だった。
「銀の髪っつーか、すっかり白髪じゃねーかよ!?」
女性はいくつになっても乙女である。キースは夢の中で、銀の髪の『一応乙女』軍団から必死に逃げていた。
「……朝がたの夢って正夢とかっていうんだっけ?」
目玉焼きの乗ったパンを頬張りながら、アーデルハイトに尋ねる。
「そんなことはないわよ」
「よかったあー!」
気持ちよく晴れた朝だった。空気も澄んで心地よい。
「それでは行きますか! ノースカンザーランドへ!」