第4話 どうか、よい旅を……!
小さなミツバチが寄り道している、角の花屋の前を通る。
キースとアーデルハイト、そしてドラゴンのゲオルクは、まだ一緒に街を散策していた。
旅に必要な保存食や消耗品が買えるような店を発見したのだ。
「ちょっと小さな店かと思ったけど、案外色々揃ったなあ」
「旅の間どこにお店があるかわからないから、見つけ次第買わないと後悔するものね。品質もよいみたいで、ほんと立ち寄ってよかったわ」
二人とも、必要な物を購入できたようだ。
さて。俺は働ける場所を見つけなきゃなあ。
買ったのはいいが、おかげでキースの懐はますます寂しくなってしまった。
「ん?」
ふと、キースは足を止めた。
夜から営業らしい飲食店の壁の張り紙に、目が留まったのだ。
「ん? なんだこの張り紙」
従業員募集の張り紙かと思って近づいてみたが、あきらかに違っていた。
張り紙は何枚か貼られていた。
最初に目に付いた張り紙の内容は、次のようなものだった。
『迷い魚探しています――見つけてくださったかたには薄謝をお渡しします』
は?
ヘンテコな文章に、思わずキースは目を丸くした。
「まっ、迷い魚ぁ!?」
アーデルハイトも、首を傾げながら張り紙を見つめる。
「魚が逃げ出しちゃったのね」
「そんなの見つかるのか!?」
薄謝、というのが少し気になったが、魚探しは自分には関係ないこと、とキースは思い立ち去ろうとした。
「キ、キース! 足元……!」
アーデルハイトが、キースの足元を指差していた。
「えっ!?」
なにごとかと足元を見ると――、魚がいた。
「なんで魚―っ!? ここ、道路だぞっ!?」
道路の上で魚は、キースをただ、じっと見上げていた。
「な、なんか陸地でも平気そうね……」
迷い魚、ほんとに見つけちゃった……!
「よくわかんねーけど、きっとこいつに違いない! 早く飼い主に届けよう! でも魚、手で触っていいのか?」
「ちょっと待って」
アーデルハイトが、なにやら唱え始めた。呪文のようだった。
「えっ? えっ? なに?」
アーデルハイトがなにを始めたのかわからず、キースは戸惑う。
ぽわん。
空中に、水色の球が現れた。
「なーにーっ!?」
キースはただただ驚き、突然出現した不思議な球を見つめた。アーデルハイトの手のひらの上、その水色の球はふわふわと浮かんでいる。球の中には水のような液体が入っているのか、球の中、輝きを放ちながら揺れている。
「実は私……」
アーデルハイトは、キースの反応をうかがうように、少し上目遣いでキースを見上げる。
球の中、たゆたう水面。
「――魔法使いなの」
「はああーっ!?」
驚いた。この世界の中には魔法使い、そんな存在がいることは、キースも知っていた。
しかし、まさか実際、魔法を使える人間が自分の目の前に現れるとは――。
魔法使い!? 噂には聞いてたけど、本物は初めて見た! アーデルハイトは魔法使いだったんだ――!
驚くと同時に、合点がいった。
「だからか! だからアーデルハイトは武装もせずに、ドラゴンに乗って女ひとりで長旅に出ているんだ!」
「え……。まあ……、そうね」
「修行?」
「うん……。まあそんなとこ」
「へえー。俺の住んでた村にも昔は魔法使いがいたらしいけど……。すげえな! かっこいい!」
「いやそんな……、かっこいい、ってのはちょっと……」
アーデルハイトは少々照れくさそうな、困ったような笑みを浮かべると、すぐに足元の魚のほうへ視線を移す。
「……不思議なお魚さん、陸上でもあなたは平気なのかもしれないけど……。ここに入ってね」
アーデルハイトは、そっと水色の魔法の球を魚に近付ける。不思議なことに、吸い込まれるように魚は球の中に入ってしまった。
「おお! 金魚鉢みたいだ!」
小さな球の中、魚は嬉しそうにひれを動かしている。
無事魚を魔法の球に入れると、二人は張り紙を改めて見つめ、張り紙を貼った主の家の住所を確かめようとした。簡単な地図が書いてあった。キースとアーデルハイトは、初めての場所だけど、たぶん行けばわかるとだろうとうなずき合う。
「もしわからなくても、魔法を使えば見つけられると思うし」
「すげえな、魔法! 便利だなあ!」
迷い魚は見つけた、ちなみに隣の張り紙はなんだろう、と一応目を通す。
『迷い象探しています――見つけてくださったかたには薄謝をお渡しします』
新たな珍文。出会い頭に、猫パンチをくらったような軽い衝撃を覚えた。これは覚えざるを得ない。衝撃度が奇妙なので、パンチはパンチでも例えると猫パンチだった。
「迷い象!? 象も逃げ出したのかよ!?」
「キース! う、後ろ……!」
「うわあっ!」
振り返ると、象がいた。人生でほとんどないシチュエーションだ。動物園でもない限り。
象も、なにかを訴えるような目でキースを見つめていた。
「なんで俺の近くにいるんだよっ!?」
象は、じっとおとなしくしていた。
「これ……。同じ家の張り紙ね。もう一枚あるわ」
『迷い大蛇探しています――見つけてくださったかたには薄謝をお渡しします』
「大蛇ぁっ!?」
キースは嫌な予感がした。そしてその予感は的中しているようだった。
「キース……」
アーデルハイトが指摘するまでもなかった。大蛇はすでに、キースに巻き付いていた。やはり、なにかを言いたげな目をしている。
マジか……。
「な……、なんだかよくわかんねーけど……。まとめて全部連れてくぞっ!」
かくして、魚、象、大蛇を引き連れ、問題の家へと向かうこととなった。
だいぶ歩いた。
それは、町の外れ、静かな緑に囲まれた立派な館だった。
「この家か……。それにしても、これだけの生き物が逃げ出してるってことは……。もしかして、みんな、ここが嫌なのか? そうだとしたら……、果たして家に帰していいものか……」
しかし、館の前に来た魚も象も大蛇も、いきいきと目を輝かせとても嬉しそうに見えた。
「帰りたいみたいよ」
「うーん。なんなんだろう。こいつら。冒険したかったのか?」
館の呼び鈴を鳴らす。
「こんにちはー。なんか知らんけど、一網打尽にしてしまいましたあー!」
その通りではあるが、キースの呼び掛けはあまりにその通り過ぎた。
「キース! 一網打尽って……」
すぐに館の奥から、きちんとした身なりの、初老の男性が現れた。
「これはこれは……! 皆を連れて来てくださったのですね……! ああよかった! お嬢様がさぞかしお喜びになることでしょう!」
初老の男性は、心から嬉しそうな笑顔になる。
お嬢様……?
たぶん、この館で働く執事なのだろうと思った。
「これ、みんなペットなのか?」
「ペット……、というより、みんなお嬢様の大切なお友だちなんですよ。本当にありがとうございました。さあどうぞ、どうぞ中にお入りください」
華やかな香りのお茶とパウンドケーキが、キースとアーデルハイトの前に並べられた。
やはりこの初老の男性は、この館で長年働いている執事ということだった。
執事は、にこやかにお茶とケーキを勧めてから、話し始めた。
「お嬢様は、ずっとお体の調子が優れず……。学校もずっとお休みになっているんです。外出もほとんどかなわず、同じくらいの年齢のお友だちもできないままで……、寂しい日々をお過ごしなのです」
「そうなんですか――」
学校も外出もままならず――、どれほど辛いのだろう、キースは胸を締め付けられるような思いでいた。
「お嬢様が、どうしてもあなたがたに直接お礼を申し上げたいそうです。今日は、だいぶお嬢様のお加減も落ち着いているご様子。申し訳ありませんが、お茶を召し上がる間だけでも、お嬢様のお話相手になってはいただけませんか?」
執事の横にいた魚と象と大蛇が、生き生きと嬉しそうに見えた。どこか誇らしげにも見える――。
「こんにちは! みんなを見つけてきてくれて、本当にありがとうございました!」
金の巻き毛に青い瞳の、かわいい女の子だった。肌の色は雪のように白く、華奢な手足のはかなげな少女だった。
みんな、とは動物たちである。
「いや……。見つけたというより、こいつらが俺の近くに来たんだ」
みんな、なにか訴えるような目をして――。
「そうなんですか! 本当によかった……。この子たち、どうしてなのかわからないんですけど、よくいなくなっちゃうんです……。私のこと、嫌いになっちゃったのかな……」
少女のつぶらな瞳から、大粒の涙がこぼれた。すぐに魚と象と大蛇が少女のもとにかけより、流れる涙をなめてあげようとした。魚は、魔法の球ごと近寄っていた。そして魚までもが頬の涙をなめてあげようと球の中でジャンプしている――。魚、お前もか! とキースは内心ツッコミを入れていた。
アーデルハイトが立ち上がり、励ますように、慰めるように、少女の可憐な手を取る。
「それは違うと思うわ! 彼らは、あなたのこと大好きなのよ! きっと、あなたに人間のお友だちを作ってあげようと思って、外に出たのよ。あなたを元気づけるために、あなたの友だちになれそうな人を探すために!」
キースも笑顔を浮かべ、アーデルハイトの仮説にうなずく。
「うん。奇妙な話だけど、俺もそう思う。俺がこいつらを連れて来たんじゃなくて、俺たちがこいつらに連れられてここに来たんだ。彼らは、俺たちが君の友だちになれそうだと思ってくれたんじゃないかな」
魚と象と大蛇。彼らは、満足そうな顔でキースとアーデルハイトを見つめていた。
「そう、そうなの……? みんな、私のために……?」
「まったくもって不思議ですが、私もそのように思います」
執事も、大きくうなずいた。
少女は、かわいらしい桃色の唇の前に、軽く折り曲げた両手の指を重ね合わせ、ゆっくりと言葉を探す。
「……それじゃ……。あなたがたは、私のお友だちになってくださる……?」
少女が見つけた言葉は、心からの願い、あたたかいお茶と甘いケーキのように、心が躍る言葉。
キースとアーデルハイトに、まっすぐ届けられた。
「ええ!」
「こんなんでよければ! お近づきのしるしに、旅の面白い話を教えてあげようか!」
キースは、今までの旅でおきた出来事を、身振り手振りをまじえ、面白おかしく話してあげた。
少女が笑顔になるように、なるべく夢のある楽しい話にした。少女は顔を輝かせ、珍しい異国の話、美しい自然の風景、不思議な精霊の話などを夢中になって聴いていた。
「私はお医者様ではないから完全に治したりはできないんだけど――」
アーデルハイトはそう前置きをしてから、少女の具合がよくなるように治癒の魔法をかけてあげた。少女の頬に、明るいバラ色が差してきた――。
「本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げてよいか――」
深々とお辞儀をし、執事は分厚い封筒をキースとアーデルハイトに渡そうとした。
「いっ! いえいえ! そんなにいただけませんっ! だって――。俺たちは彼女の友だちですから――!」
「いいえ。これはどうぞお受け取りくださいませ。ほんの気持ちでございます。そして、もしよろしければ旅の帰り道にでもどうかお立ち寄りください。お嬢様にまた、不思議な旅のお話をなさってください――」
キースとアーデルハイトは、顔を見合わせる。動物たちの熱のこもった視線も感じる。動物連合、圧が強い。
せっかくのご厚意――。断り続けるわけにもいかないので、受け取ることにした。
「もちろん、ぜひ伺わせてください……! こちらこそ、本当にありがとうございました!」
キースとアーデルハイトは、何度も礼を述べてから、館を後にする。
振り返り見上げれば、部屋の窓から、少女の笑顔。
「キースさん、アーデルハイトさん! 本当にありがとう! 私、お二人の結婚式に出られるよう、早く元気になるからーっ!」
キースとアーデルハイトは――、同時に転倒した。
「……なんで、結婚式……」
アーデルハイトがよろよろと立ち上がる――。あの子の目に、私たちはいったいどう映ってたのやら――と、アーデルハイトがため息をついた。
「わかったよーっ! 結婚できるよう、俺も頑張るからーっ!」
ちゃっかり、調子よく合わせていた。
「ちょっと!」
キースが大声で返事をすると同時に、アーデルハイトがキースの頭をグーで殴る。図らずしてベストなタイミング、夫婦漫才のような「あうんの呼吸」になっていた。
「どうか、よい旅を……!」
二人を見送る、執事の声。
「本当に、お似合いでございますよ……」
執事と少女に向け、必死に大きく両手を振るアーデルハイト。
それは、思いっきり否定の意味合いだった。だが、
たぶん、派手な別れの挨拶にしか見えてないんだろーな……。
キースは一人笑みを浮かべつつ、そのままにしておくことにした。