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旅男!  作者: 吉岡果音
第六章 未来へと続く過去
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未熟者オプション、フライングキス

「ユリエ。お前に、『シダ植物妖精』に伝わる、スペシャルな回復の魔法をかけてあげよう」


 白く長いひげをはやした妖精が、ユリエの枕元に立ち、そうユリエに告げた。


「……長老様!」


 そのとき、ユリエはまだ子どもだった。シダ植物の妖精の子、ユリエ。

 ユリエがまだエースに出会う前の話である。

 そしてここは、深い緑の森の中、木の枝や葉っぱで作られた、小さな妖精の一軒家。

 その日、ユリエは風邪をひき、高熱を出して寝込んでいるところだった。

 長老がユリエの枕元に立ったのは、長老が死霊になったからではない。長老は、白い衣服を身にまとい、それらしい雰囲気は醸し出していたが。

 普通に生きている長老が、普通に寝込むユリエを治療するために来てくれたのだ。


「長老様。スペシャルな回復の魔法って……?」


「ユリエ。風邪など、たちどころに治るぞ!」


 長老が、ユリエに手をかざした。そして、呪文を唱えた――!


「ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ!」


 元気いっぱい、暴れん坊の猫並みに……?


 パアアッ!


 まばゆい光に包まれた。


「……どうじゃ? ユリエ」


「あっ……! なんか、体が楽かも……?」


「それはよかった!」


 ユリエの顔色がすっかりよくなったのを見て、長老は安堵した。


「ありがとうございます! 長老様!」


「この魔法は、即効性があるんじゃ。スペシャルだろー?」


「はい! 超スペシャルでした! スペクタクルです!」

 

 ユリエがはつらつとした声で答える。


「……ただ、この魔法には欠点があってのう」


「欠点……?」


「未熟な術者がかけると、時折、魔法をかけられた者が、本当に猫みたいになってしまうんじゃ」


「猫みたいに……?」


 ユリエが首をかしげる。


「猫の耳と尻尾がついてしまう場合があるんじゃ」


「ええっ! かわいい!」


 猫耳に、猫尻尾。王道のかわいらしさだ、とユリエは思った。


「かわいいけど、すでにわしらの背には虫の羽がついておる。そのうえ、猫耳と尻尾では、ちょっとばかり、くどすぎるだろう?」


「うん! それは、くどいねえ!」


 あはははははは!


 長老とユリエは、明るい笑い声を上げた。

 その魔法の問題点は、失敗したときのビジュアル面のくどさだけだった。




「うーん」


 今、ユリエは、寝込むアーデルハイトを前に悩んでいた。


 寝込んでいるときには、あの猫の魔法が効くんだけどなあー。


 でも、長老は、未熟な者がかけると、猫耳と猫尻尾のオプションが付く場合があると言っていた――、ユリエは、アーデルハイトに魔法をかけてあげるかどうか悩んだ。


 お医者様からお薬ももらったし、風邪だから安静にしていたら自然に治るし――。


 ユリエは、そっとアーデルハイトの額の汗を拭いてあげた。


「ん……。ユリエちゃん……?」


 アーデルハイトが目を覚ます。


「アーデルハイト……。大丈夫……?」


「うん……。ありがとう。ユリエちゃん。だいぶ楽になったよ」


 ベッドに横になったまま、アーデルハイトが答えた。


「アーデルハイト……」


「なあに? ユリエちゃん」


「実は、とってもいい回復の魔法があるんだけど……」


「え……。でも、大丈夫よ」


 アーデルハイトは優しく微笑んだ。


「術を使ったら、ユリエちゃんが疲れちゃうでしょ?」


「そんなことないよ!」


「寝ていたら、自然に治るし」


「うーん」

 

 ユリエは少し考え込んでいた。でも心の中でなにかを決めたように顔を上げた。


 そうだね! 回復の魔法はいらないね! 私、失敗するかもだし!


 ユリエは、アーデルハイトに向かって明るく両手を振りながら、


「そうだよね! お医者様に診てもらったし、すぐに治るよね! ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ、なんて呪文、唱えるまでもないよね!」


 と、言ってしまっていた。


「あ」


 短く呟くアーデルハイト。


「あ」


 短く呟くユリエ。


 思わず、言っちゃった……!


 ぱああああっ!


 アーデルハイトは輝く光に包まれた。


「アーデルハイトッ!」


 アーデルハイトの頭には、しっかりと猫の耳、お尻には猫の尻尾がはえていた。


「あああ、アーデルハイト……!」


「ユリエちゃん……。こ、これは、いったい……」


「あ、アーデルハイト。具合……、どう……?」


「具合はいいみたいだけど……。なんか、頭とお尻が……」


 そう言いながら、アーデルハイトは自分の頭とお尻に手をあてた。


「!」


「ごめんなさいーっ! アーデルハイト! 回復の魔法の副作用なのーっ!」

 

「ユ、ユリエちゃん……」


「……アーデルハイト、かわいいよ?」


 おそるおそる、ユリエは猫耳と猫尻尾がはえて愛らしい姿のアーデルハイトをほめてみる。アーデルハイトの背には羽がないので、心配するくどさはなかった。


「か、かわいいって、これ……」


 アーデルハイトは呆然と体に突然はえた尻尾を見つめた。


「ど、どうやったらこれ……、元に戻るの……?」


 白い尻尾。ふわふわしていた。確かにかわいい、かわいいけど……、とアーデルハイトは思う。

 アーデルハイトの魔法で、正常な状態に戻すことも出来るだろうが、解析に少し時間がかかるし労力もいる。出来れば、ユリエに魔法を解く方法を教わりたいとアーデルハイトは思った。


「あのね。元に戻る方法はね……」


 ユリエが慎重に元に戻る方法を話し始めた。


「元に戻るには、その……、王子様のキス、が必要なの……」


「お、王子様のキス!?」


「うん……」

 

 やはり、魔法の変身には、キスが定番である。


「わ、私、王族に知り合いなんていないわよ!?」


 思わずアーデルハイトは叫んでいた。「リアル王子様」を想定していた。


「違うよ! アーデルハイト! たとえだよ!」


「たとえ……?」


「うん。アーデルハイトが心から憧れる人か、好きな人。それが、王子様だよ!」


「えええっ!?」


 驚きのあまり思わず、尻尾の毛が逆立った。


「えーと。うちらのメンバーの男子は、キース、カイ、宗徳、ミハイル。でも、カイを入れていいなら、ゲオルクたちも候補かな?」


「なっ…! なにを言ってるの!? ユリエちゃん!」


「私、呼んでくる!」


「ユリエちゃん! 誰を、呼んでくるの!?」


「まかせて! 王子様を連れてくる!」


「ユッ……! ユリエちゃん……!」


 ばたん。


 ユリエは勢いよく部屋を飛び出した。

 

 アーデルハイトには、とぼけてああ言ったけど、大丈夫! 私、ちゃんとわかってる……! アーデルハイトの王子様……!


 ユリエの心には、ただ一人、アーデルハイトの王子様が見えていた。




「大丈夫かっ!? アーデルハイト!」


 ユリエに連れられ、部屋に飛び込んできたのは、


「キース!」


 キースだった。


「あ! かわいいな!」


 アーデルハイトを見るなり率直な感想を述べるキース。


「か、かわいいって……。そーゆー問題では……」


 そう言いながら、アーデルハイトは頬を染め、下を向いた。


 こ、困ったな……。ユリエちゃん。キースを連れてくるなんて――。


 そう思いながら、キース以外だったら本当に困るアーデルハイトだった。ドラゴンのゲオルクたちを除いてだが。


 それに、この姿、なんだか恥ずかしい……。


「アーデルハイト……」


「キース……」


 ユリエは、どきどきしながら二人の様子を見守った。

 アーデルハイトは、もっとどきどきしていた。

 キースは、もっともっとどきどきしていた。


「……ユリエに聞いたよ」


「えっ!? なにを、どこまで!?」


「あの……。その……。キスしてもらうと、治るって……」


「…………」


 キースが、そっとアーデルハイトの肩をつかんだ。


 マジで!?


 マジか!?


 ユリエもアーデルハイトもキースも同じことを思っていた。


 すんのかい!? キスを!?


 三人とも、心の中でツッコミを入れていた。キースは自分で自分にツッコんでいた。


「…………」


「…………」


 アーデルハイトは、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。


 どきん。どきん。どきん……。


 二人の胸の鼓動が高鳴る。同じリズムを刻む――。

 キースは、アーデルハイトの唇にゆっくりと顔を近づけ――。


「あっ! そーだ! キスは、口じゃなくてもいいんだよ?」


 ユリエは、嘘がつけない子だった。


 今それを言うんかい!


 アーデルハイトとキースは同時にそう思った。


「あ、そ、そうなのか?」


「そ、そうだったの?」


 いっせいに、ユリエのほうを見る。


「う、うん。そーだよ」

 

 言わなければよかった、とユリエは今更ながら口に手をあてる。


「そ、そうか。ははは。じゃ、じゃあ、アーデルハイト、おでこに……」


 キースの笑い声が、乾いていた。


「う、うん。ありがとう。キース」


 アーデルハイトの言葉は、棒読みだった。

 改めて、アーデルハイトは瞳を閉じた。


 どきん。どきん。どきん。


 キース……!


「……アーデルハイトが、治りますように」


 キースは、アーデルハイトの前髪をすくい上げ――、おでこに優しく口づけをした。


 ぱああっ!


 アーデルハイトが光に包まれる。

 ゆっくりと、魔法はほどけ、猫の耳と尻尾は消えていった。


「……よかった。治ったな」


 あれはあれで、かわいかったけど、とキースは心の中で付け足した。


「ありがとう。キース」


 はにかみながら、アーデルハイトはお礼を言った。

 二人とも、頬が真っ赤だ。二人の視線はぎこちなく、まばたきを多くすることでごまかしていた。


「よかったあ! アーデルハイトの具合もよくなったし、『未熟者オプション』も消えたし!」


 ユリエが喜んで「後方伸身宙返り四回」をした。


「じゃ、じゃあな。アーデルハイト。風邪が治ったからといって油断しちゃだめであるぞ。夕ごはんまで休むがよい。これにて余は、部屋に戻るとする」


 キースが謎の言い回しをし、ぎこちなくドアに向かう。


 「であるぞ」、「休むがよい」、「これにて余は」、「戻るとする」?


 アーデルハイトが首をかしげる。

 

 どたっ。


 キースがこけた。


「大丈夫!? キース!?」


「ははは。大丈夫、大丈夫! では、さらばである!」


 「さらばである」……?


 部屋を出るキースの背中を見送ってから、アーデルハイトはユリエにこわごわ訊いてみることにした。


「……ユリエちゃん。いったい、キースになんて言ったの……?」


「んとね! アーデルハイトが私の魔法の『未熟者オプション』のせいで、猫の耳と尻尾がはえちゃったのって説明して、それを解くには王子様のキスをしてもらうしかないの、と言ったの」


「王子様のキス……!」


「そしたら、キースが、俺は王族の血はひいてないって言ってた。だから、それは比喩だよ、王子様になったつもりでキスをしてあげてって言ったの」


 キースはアーデルハイトと似たようなことを言っていた。


「だから、あの変な口調……」


 しかも、謎の王子様口調はキスが終わった後である。


「あ! それから、キースを廊下に連れ出してから言ったから、他のみんなはこのことを知らないよ。大丈夫だよ!」


 ユリエは自分の口に人差し指をあて、ウインクした。


「よ、よかった……」


 アーデルハイトは傍にあった枕を胸に抱き、枕に顔をうずめた。


 どさっ。


 枕を抱きしめながら、ベッドに倒れ込む。


 キースと、キス……!


 アーデルハイト、顔がにやけてるよ、とユリエは言葉が喉まで出かかったが、ぐっと我慢して、ただ微笑むだけにしておいた。

 

 キースと、キス……! キスキース!


 呪文のように意味不明な言葉を心の中で繰り返しながら、アーデルハイトはベッドに顔をうずめ、両足をばたばたさせた。

 顔はにやけたままで。




 キースは廊下を歩きながら、一人呟く。


「フライングで、もー、キスしちゃえばよかったなー」


 アーデルハイトの長い睫毛、柔らかそうなみずみずしい唇――。


 ――惜しい! 惜しすぎる!


 しかし、キースは急いで首を左右に振った。


「だめだめっ! 王子様は、卑怯な真似はしないのでありますっ!」


 ――乙女の唇は、乙女が心を寄せる者にのみ許されるのであります――!


 キースは、王族さながら胸を張って堂々と歩く。

 しかし、顔はにやけていた。


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