未熟者オプション、フライングキス
「ユリエ。お前に、『シダ植物妖精』に伝わる、スペシャルな回復の魔法をかけてあげよう」
白く長いひげをはやした妖精が、ユリエの枕元に立ち、そうユリエに告げた。
「……長老様!」
そのとき、ユリエはまだ子どもだった。シダ植物の妖精の子、ユリエ。
ユリエがまだエースに出会う前の話である。
そしてここは、深い緑の森の中、木の枝や葉っぱで作られた、小さな妖精の一軒家。
その日、ユリエは風邪をひき、高熱を出して寝込んでいるところだった。
長老がユリエの枕元に立ったのは、長老が死霊になったからではない。長老は、白い衣服を身にまとい、それらしい雰囲気は醸し出していたが。
普通に生きている長老が、普通に寝込むユリエを治療するために来てくれたのだ。
「長老様。スペシャルな回復の魔法って……?」
「ユリエ。風邪など、たちどころに治るぞ!」
長老が、ユリエに手をかざした。そして、呪文を唱えた――!
「ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ!」
元気いっぱい、暴れん坊の猫並みに……?
パアアッ!
まばゆい光に包まれた。
「……どうじゃ? ユリエ」
「あっ……! なんか、体が楽かも……?」
「それはよかった!」
ユリエの顔色がすっかりよくなったのを見て、長老は安堵した。
「ありがとうございます! 長老様!」
「この魔法は、即効性があるんじゃ。スペシャルだろー?」
「はい! 超スペシャルでした! スペクタクルです!」
ユリエがはつらつとした声で答える。
「……ただ、この魔法には欠点があってのう」
「欠点……?」
「未熟な術者がかけると、時折、魔法をかけられた者が、本当に猫みたいになってしまうんじゃ」
「猫みたいに……?」
ユリエが首をかしげる。
「猫の耳と尻尾がついてしまう場合があるんじゃ」
「ええっ! かわいい!」
猫耳に、猫尻尾。王道のかわいらしさだ、とユリエは思った。
「かわいいけど、すでにわしらの背には虫の羽がついておる。そのうえ、猫耳と尻尾では、ちょっとばかり、くどすぎるだろう?」
「うん! それは、くどいねえ!」
あはははははは!
長老とユリエは、明るい笑い声を上げた。
その魔法の問題点は、失敗したときのビジュアル面のくどさだけだった。
「うーん」
今、ユリエは、寝込むアーデルハイトを前に悩んでいた。
寝込んでいるときには、あの猫の魔法が効くんだけどなあー。
でも、長老は、未熟な者がかけると、猫耳と猫尻尾のオプションが付く場合があると言っていた――、ユリエは、アーデルハイトに魔法をかけてあげるかどうか悩んだ。
お医者様からお薬ももらったし、風邪だから安静にしていたら自然に治るし――。
ユリエは、そっとアーデルハイトの額の汗を拭いてあげた。
「ん……。ユリエちゃん……?」
アーデルハイトが目を覚ます。
「アーデルハイト……。大丈夫……?」
「うん……。ありがとう。ユリエちゃん。だいぶ楽になったよ」
ベッドに横になったまま、アーデルハイトが答えた。
「アーデルハイト……」
「なあに? ユリエちゃん」
「実は、とってもいい回復の魔法があるんだけど……」
「え……。でも、大丈夫よ」
アーデルハイトは優しく微笑んだ。
「術を使ったら、ユリエちゃんが疲れちゃうでしょ?」
「そんなことないよ!」
「寝ていたら、自然に治るし」
「うーん」
ユリエは少し考え込んでいた。でも心の中でなにかを決めたように顔を上げた。
そうだね! 回復の魔法はいらないね! 私、失敗するかもだし!
ユリエは、アーデルハイトに向かって明るく両手を振りながら、
「そうだよね! お医者様に診てもらったし、すぐに治るよね! ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ、なんて呪文、唱えるまでもないよね!」
と、言ってしまっていた。
「あ」
短く呟くアーデルハイト。
「あ」
短く呟くユリエ。
思わず、言っちゃった……!
ぱああああっ!
アーデルハイトは輝く光に包まれた。
「アーデルハイトッ!」
アーデルハイトの頭には、しっかりと猫の耳、お尻には猫の尻尾がはえていた。
「あああ、アーデルハイト……!」
「ユリエちゃん……。こ、これは、いったい……」
「あ、アーデルハイト。具合……、どう……?」
「具合はいいみたいだけど……。なんか、頭とお尻が……」
そう言いながら、アーデルハイトは自分の頭とお尻に手をあてた。
「!」
「ごめんなさいーっ! アーデルハイト! 回復の魔法の副作用なのーっ!」
「ユ、ユリエちゃん……」
「……アーデルハイト、かわいいよ?」
おそるおそる、ユリエは猫耳と猫尻尾がはえて愛らしい姿のアーデルハイトをほめてみる。アーデルハイトの背には羽がないので、心配するくどさはなかった。
「か、かわいいって、これ……」
アーデルハイトは呆然と体に突然はえた尻尾を見つめた。
「ど、どうやったらこれ……、元に戻るの……?」
白い尻尾。ふわふわしていた。確かにかわいい、かわいいけど……、とアーデルハイトは思う。
アーデルハイトの魔法で、正常な状態に戻すことも出来るだろうが、解析に少し時間がかかるし労力もいる。出来れば、ユリエに魔法を解く方法を教わりたいとアーデルハイトは思った。
「あのね。元に戻る方法はね……」
ユリエが慎重に元に戻る方法を話し始めた。
「元に戻るには、その……、王子様のキス、が必要なの……」
「お、王子様のキス!?」
「うん……」
やはり、魔法の変身には、キスが定番である。
「わ、私、王族に知り合いなんていないわよ!?」
思わずアーデルハイトは叫んでいた。「リアル王子様」を想定していた。
「違うよ! アーデルハイト! たとえだよ!」
「たとえ……?」
「うん。アーデルハイトが心から憧れる人か、好きな人。それが、王子様だよ!」
「えええっ!?」
驚きのあまり思わず、尻尾の毛が逆立った。
「えーと。うちらのメンバーの男子は、キース、カイ、宗徳、ミハイル。でも、カイを入れていいなら、ゲオルクたちも候補かな?」
「なっ…! なにを言ってるの!? ユリエちゃん!」
「私、呼んでくる!」
「ユリエちゃん! 誰を、呼んでくるの!?」
「まかせて! 王子様を連れてくる!」
「ユッ……! ユリエちゃん……!」
ばたん。
ユリエは勢いよく部屋を飛び出した。
アーデルハイトには、とぼけてああ言ったけど、大丈夫! 私、ちゃんとわかってる……! アーデルハイトの王子様……!
ユリエの心には、ただ一人、アーデルハイトの王子様が見えていた。
「大丈夫かっ!? アーデルハイト!」
ユリエに連れられ、部屋に飛び込んできたのは、
「キース!」
キースだった。
「あ! かわいいな!」
アーデルハイトを見るなり率直な感想を述べるキース。
「か、かわいいって……。そーゆー問題では……」
そう言いながら、アーデルハイトは頬を染め、下を向いた。
こ、困ったな……。ユリエちゃん。キースを連れてくるなんて――。
そう思いながら、キース以外だったら本当に困るアーデルハイトだった。ドラゴンのゲオルクたちを除いてだが。
それに、この姿、なんだか恥ずかしい……。
「アーデルハイト……」
「キース……」
ユリエは、どきどきしながら二人の様子を見守った。
アーデルハイトは、もっとどきどきしていた。
キースは、もっともっとどきどきしていた。
「……ユリエに聞いたよ」
「えっ!? なにを、どこまで!?」
「あの……。その……。キスしてもらうと、治るって……」
「…………」
キースが、そっとアーデルハイトの肩をつかんだ。
マジで!?
マジか!?
ユリエもアーデルハイトもキースも同じことを思っていた。
すんのかい!? キスを!?
三人とも、心の中でツッコミを入れていた。キースは自分で自分にツッコんでいた。
「…………」
「…………」
アーデルハイトは、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。
どきん。どきん。どきん……。
二人の胸の鼓動が高鳴る。同じリズムを刻む――。
キースは、アーデルハイトの唇にゆっくりと顔を近づけ――。
「あっ! そーだ! キスは、口じゃなくてもいいんだよ?」
ユリエは、嘘がつけない子だった。
今それを言うんかい!
アーデルハイトとキースは同時にそう思った。
「あ、そ、そうなのか?」
「そ、そうだったの?」
いっせいに、ユリエのほうを見る。
「う、うん。そーだよ」
言わなければよかった、とユリエは今更ながら口に手をあてる。
「そ、そうか。ははは。じゃ、じゃあ、アーデルハイト、おでこに……」
キースの笑い声が、乾いていた。
「う、うん。ありがとう。キース」
アーデルハイトの言葉は、棒読みだった。
改めて、アーデルハイトは瞳を閉じた。
どきん。どきん。どきん。
キース……!
「……アーデルハイトが、治りますように」
キースは、アーデルハイトの前髪をすくい上げ――、おでこに優しく口づけをした。
ぱああっ!
アーデルハイトが光に包まれる。
ゆっくりと、魔法はほどけ、猫の耳と尻尾は消えていった。
「……よかった。治ったな」
あれはあれで、かわいかったけど、とキースは心の中で付け足した。
「ありがとう。キース」
はにかみながら、アーデルハイトはお礼を言った。
二人とも、頬が真っ赤だ。二人の視線はぎこちなく、まばたきを多くすることでごまかしていた。
「よかったあ! アーデルハイトの具合もよくなったし、『未熟者オプション』も消えたし!」
ユリエが喜んで「後方伸身宙返り四回」をした。
「じゃ、じゃあな。アーデルハイト。風邪が治ったからといって油断しちゃだめであるぞ。夕ごはんまで休むがよい。これにて余は、部屋に戻るとする」
キースが謎の言い回しをし、ぎこちなくドアに向かう。
「であるぞ」、「休むがよい」、「これにて余は」、「戻るとする」?
アーデルハイトが首をかしげる。
どたっ。
キースがこけた。
「大丈夫!? キース!?」
「ははは。大丈夫、大丈夫! では、さらばである!」
「さらばである」……?
部屋を出るキースの背中を見送ってから、アーデルハイトはユリエにこわごわ訊いてみることにした。
「……ユリエちゃん。いったい、キースになんて言ったの……?」
「んとね! アーデルハイトが私の魔法の『未熟者オプション』のせいで、猫の耳と尻尾がはえちゃったのって説明して、それを解くには王子様のキスをしてもらうしかないの、と言ったの」
「王子様のキス……!」
「そしたら、キースが、俺は王族の血はひいてないって言ってた。だから、それは比喩だよ、王子様になったつもりでキスをしてあげてって言ったの」
キースはアーデルハイトと似たようなことを言っていた。
「だから、あの変な口調……」
しかも、謎の王子様口調はキスが終わった後である。
「あ! それから、キースを廊下に連れ出してから言ったから、他のみんなはこのことを知らないよ。大丈夫だよ!」
ユリエは自分の口に人差し指をあて、ウインクした。
「よ、よかった……」
アーデルハイトは傍にあった枕を胸に抱き、枕に顔をうずめた。
どさっ。
枕を抱きしめながら、ベッドに倒れ込む。
キースと、キス……!
アーデルハイト、顔がにやけてるよ、とユリエは言葉が喉まで出かかったが、ぐっと我慢して、ただ微笑むだけにしておいた。
キースと、キス……! キスキース!
呪文のように意味不明な言葉を心の中で繰り返しながら、アーデルハイトはベッドに顔をうずめ、両足をばたばたさせた。
顔はにやけたままで。
キースは廊下を歩きながら、一人呟く。
「フライングで、もー、キスしちゃえばよかったなー」
アーデルハイトの長い睫毛、柔らかそうなみずみずしい唇――。
――惜しい! 惜しすぎる!
しかし、キースは急いで首を左右に振った。
「だめだめっ! 王子様は、卑怯な真似はしないのでありますっ!」
――乙女の唇は、乙女が心を寄せる者にのみ許されるのであります――!
キースは、王族さながら胸を張って堂々と歩く。
しかし、顔はにやけていた。




