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旅男!  作者: 吉岡果音
第六章 未来へと続く過去
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台所で迎えるひとは――。

 アーデルハイトは、家の台所にいた。


 ことことこと。


 姉が、大きな鍋にスープを煮込んでいる。


「姉さん……」


 あれ? どうして結婚した姉さんが……? それに、私、たしか――。旅に出ていたんじゃなかったっけ――。


「姉さん。ご馳走だね」


 フライパンや鍋、ボウルの中には、料理上手の姉がこしらえた手の込んだ出来立ての料理が、皿に盛りつけられるのを待っている。


「今日は、私たちの結婚記念日だから、ちょっと頑張っちゃった」


 ふうん。そうか。義兄さんの好物ばかりだもんね。


 そう思いながら、アーデルハイトはぼんやりとどうして自分が姉と台所にいるか考える。


 ああ。そうか。これは夢なんだ。


 やっと気が付いた。

 家の見慣れた台所の中は、あたたかく明るい日の光に満ちていた。アーデルハイトは、お昼間近の設定かな、なんてことを思う。


「姉さんの料理は、ほんとおいしいもんね。お店ができるよ」


「アデール。あなたも大切な人のためにご馳走を作るようになるわよ」


 姉は、アーデルハイトのことを「アデール」と呼んでいた。


「私は、たいしたもの作れないしなあ」


 アーデルハイトが肩をすくめる。料理の腕前は、まあまあといったところだった。


「彼は、どんな料理が好きなのかしらね」


 彼……? 彼って、誰のこと……?


 台所の中は、おいしそうな香りでいっぱい。


「ただいまあ」


 誰か帰って来た。


 あれ……? 義兄さんの声じゃ、ない。


「ほら。『彼』が帰って来たわよ」


 姉は、にっこりと微笑んだ。


 彼。彼って……?


 もちろん、クラウスの声ではない。


「うわー! ご馳走だなあ! ありがとー! お腹すいちったー!」


 いつの間にか、姉はいなくなっていた。

 いつの間にか、アーデルハイトが、野菜のたっぷり入ったスープをかき回していた。


 あれ……? 彼って……。


「ごっはんー、ごっはんー!」


 キース!?




 目が覚めた。


「おはよー! アーデルハイト!」


 妖精のユリエの元気な声。


「変な夢……。見ちゃった……」


 アーデルハイトは、ぼんやりと呟いた。


「アーデルハイト! 顔が赤いよー?」


「えっ!? そお!?」


 アーデルハイトは、思わず勢いよくユリエのほうを見た。


 くらっ。


 あれ? なんか、めまいが……。


「熱、あるんじゃない!?」


 ユリエが小さい手をアーデルハイトのおでこにつける。


「ああっ! 熱いよ! アーデルハイト、熱があるよ!」


「えっ!?」


 あれ……。なんか、ほんと、だるいし、気分も、悪い……。


 アーデルハイトは、ベッドに倒れ込んだ。


「大変! アーデルハイト!」




「……風邪ですね。馴れない長旅で、疲れが出たのでしょう」


 宿屋に駆け付けた町医者が、穏やかな声でそう診断した。


「お薬を飲んで、ゆっくり休んでください」


「はい……」


 熱があったが、そんなにひどい風邪ではないらしかった。しかし、無理は禁物である。

 町医者の隣にいた宿屋の主人の奥様が、にっこりと微笑んだ。


「よかったですねえ! 風邪で済んで! まあ、とはいえ、油断してはだめですよ!」


「すみません……。風邪なんかひいちゃって……」


「うちのことは大丈夫ですよ! 入院するほどではないそうですから、この宿でどうぞ休んでいってください」


 親切な宿屋だった。この宿での滞在を、自ら勧めてくれた。


「あなたも動くのはお辛いでしょうし、他のお客様にうつる心配もないように、お食事は部屋にお運びしますね」


「お心遣い本当にありがとうございます。お手数をおかけして、本当に申し訳ありません」


「あら! なあに! 旅人さんにはよくあることなのよ! あなたは気にしなくっていいから、元気になることだけ考えなさい!」


「本当にありがとうございます……」


「お医者様、宿屋さん、本当にありがとうございましたーっ!」


 一緒にいたユリエが、勢いよくぺこんと頭を下げた。




「どうだったんですか!?」


 廊下で待っていたキースが、部屋から出てきた町医者を見るなりそう尋ねた。


「風邪ですよ。旅の疲れでしょう。ゆっくり休むことです」


「ああ! よかったあー! ありがとうございます!」


 キースは心からほっとし、町医者に深々と一礼した。


「遠慮なさらず、この宿で休んでいってくださいね。あなたがたも、お疲れでしょうから、どうぞゆっくりしていってください。なにかありましたら、どうぞお声がけくださいね」


 宿屋の奥様が、ほっとした表情の一同を見回し、優しく微笑んだ。


「ありがとうございます!」


 キース、カイ、ミハイル、宗徳も深く頭を下げた。ユリエも改めて一礼する。


「親切な宿屋さんで、本当によかったですね」


 ミハイルが奥様のうしろ姿を見ながら呟いた。


「ああ。それにしても……。よかったあー」


 キースが、長く息を吐きながら廊下に座り込んだ。


「どんな診断か、心配でしたもんね」


 カイが優しい眼差しでキースを見る。


「全然……。気が付かなかった……」


 キースが、首を左右に振りながら呟く。


「……枕投げなんて、してる場合じゃなかった……」


 声も、いつもより低い。心から悔いている声。


 えっ……。


 一瞬、一同動きが止まった。


「あいつ、具合悪かったなんて、全然……」


 キースが、反省してる……!


 カイ、ミハイル、宗徳、そしてユリエまで顔を見合わせた。

 キースの意外な一面を見た気がした。

 誰もアーデルハイトの不調には気が付いていなかった。当の本人さえ、気付いていなかった。気付かないのは無理のないことである。それなのに、キースは、無邪気に遊んでいた昨夜の自分を責めている――。


 それだけ深くアーデルハイトさんのことを……。


 カイ、ミハイル、宗徳、そしてユリエは、静かにうなづき合った。優しい空気が流れていた。


「……優しいですね」


 カイがキースに微笑みかける。


「え……」


 キースが顔を上げ、カイを見つめる。


「気付かなくて、当然だと思いますよ」


「でも……。一緒にいたのに全然……」


 キースは、まだしょんぼりしていた。

 落ち込んでいるキースに、なんとなく付け足したくなって、カイが思わず口を開く。


「……キースでも、反省することあるんですね」


 あ、皆が密かに思ってることを言っちゃうんだ、とミハイル、宗徳、ユリエは思った。


「俺が……。反省しない男に見えるのかーっ!」


 思わずキースが叫ぶ。


「見えます」


 きっぱりとカイが言い切った。


「……反省しない男に見えていたことを、反省する」


 キースはまた落ち込んだようだ。


「あはははは!」


 カイが思わず吹き出した。


「なんで、そこで爆笑する!?」


「しおらしいとこあるんですね! でも、今は反省する必要ないですよ。キースは、キースらしいのが一番です! あなたが落ち込んでいたら、アーデルハイトさんが逆に心配しちゃいますよ!」


 カイは、反省するキースを笑い飛ばした。


 カイ。すげえ。


 なんとなく、ミハイル、宗徳、ユリエは感心していた。自由すぎる男であるキースに太刀打ちできるのは、唯一この男だけかもしれない――。


 あと、アーデルハイトか。


 ミハイル、宗徳、ユリエは同じことを思った。


「……アーデルハイトさん、早く元気になるといいですね」


 カイが、ゆっくりと呟く。心からの願い。


「うん……」


 キースの声に、いつもの元気がない。


「大丈夫ですよ! お医者様からお薬ももらったんですから!」


 まだ心配顔のキースに、カイが安心するよう声をかける。


「キース。アーデルハイトとお話したら?」


 妖精のユリエが、キースににっこりと微笑んだ。


「う、うん……」


 ユリエの言葉に少々キースは迷っているようだった。


「まだアーデルハイト、起きてると思うから、キース、行ってみなよ!」


「今……。俺が行って……、いいのかな」


「いいに決まってるじゃん!」


 ユリエは、キースとアーデルハイトが二人きりになるよう、自分も廊下で待っていることにした。

 キースは遠慮がちに部屋の扉を開け、アーデルハイトの休むベッドに近づく。


「……アーデルハイト……」


「……キース!」


 アーデルハイトはちょっと戸惑う。私、今、髪はぼさぼさだし、顔色も悪いと思うし、どうしよう……!


「……大丈夫か」


 キースは、心配そうにアーデルハイトのエメラルドグリーンの美しい瞳を見つめた。


「……うん」


「ごめんな。全然気付かなくて」


「ううん! 私だって気付かなかったもん……!」


 どうしよう。顔も洗ってないし、お化粧もしてないし、私、ぜったいかわいくみえない……!


 アーデルハイトは布団で顔を隠したい気分だった。


「……ゆっくり、休めよ」


「ごめんね……。私のせいで足止めを……」


「そんなこと考えることねえよ!」


 即座にキースが言う。


「……ごめん」


「……じゃあ。ゆっくり眠りなよ」


「……うん」


 体がだるい。悪寒がし、心も漠然とした不安に覆われている感じだった。


「……おやすみ。アーデルハイト」


「うん……」


 立ち去ろうとするキースに、思わずアーデルハイトが声をかけた。


「……キース」


「ん……?」


 キースが、アーデルハイトのほうを振り返る。


「……少し……。手、握ってもらってもいい……?」


 アーデルハイトは自分で言って、自分の言葉に驚いていた。


 あれ。私、なに言ってるんだろう。


 ぎゅ……。


 キースは、アーデルハイトの手をそっと握った。


「……ありがとう……」


「……安心して、おやすみ」


 キースの微笑み――。アーデルハイトの漠然とした不安がゆっくりと溶けていく――。


「……うん」


 キースに風邪、うつしちゃったりしないかなあ。

 でも……。まだ、隣にいて……、そばにいて……、ほしい……。


 アーデルハイトは、ゆっくりと眠りについた。




「ほら。アデール! 『彼』が、来たわよ!」


 夢の中で、姉さんが笑っていた。



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