第3話 愛してます食堂
降り立ったのは、白壁に明るい色の扉の家々が並ぶ、小さな街だった。
「アーデルハイト、ゲオルク、本当にありがとう」
キースは、アーデルハイトとドラゴンのゲオルクに、深々と頭を下げた。
「改めてお礼を言わなくてもいいわよ」
アーデルハイトは、金色に輝く長い髪をかすかに振って、礼なんて一度言えばいいのよ、と笑った。
「本当になにからなにまでお世話になりました。では、アーデルハイト、道中気をつけて。ゲオルク、ご主人様をしっかり守るんだぞ」
キースは、お別れの挨拶を述べていた。
「え? ノースカンザーランドまで行くんじゃなかったの?」
キースがここで別れると表明したのが意外だったのか、アーデルハイトはちょっと当惑した表情を浮かべていた。
「うん。行くよ。でも俺は、この街で少し働いてから行こうかな、と思って」
「働く?」
「ああ。あまり所持金がないんだ」
正直に告白し、キースは肩をすくめる。
「もともと金はあんまり持ってなかったし。途中通った小さな村ではドラゴン退治の大仕事をしたけど、とても貧しい村みたいだったから褒美の金は断ったんだ――。そしたらものすごく感謝されてご馳走や酒をたくさんもらったけどね。その次に滞在した村では日雇いで一応稼いだけど、次の街でもちょっと稼いでおこうと思ってたんだ」
それに、とキースは思う。アーデルハイトには事情があるようだし、これ以上甘えるわけにもいかないと考えていた。
「そう……」
「あれ? もしかして残念に思った?」
「そ、そんなことはないわよ!」
「きゅーん……」
ドラゴンのゲオルクが寂しげに鳴く。
「はは。ありがとな。ゲオルク」
キースは、まだ子どものドラゴンであるゲオルクを撫でてあげた。
「ゲオルクは――、あなたのこと、すっかり気に入っちゃったみたいね」
アーデルハイトの澄んだエメラルドグリーンの瞳も、少し寂しそうに見えた。どういった出会いでも、別れは寂しさを誘うものである。
少しでも寂しく思ってもらえたら嬉しいね。ほんの少しの縁でも、別れのときはいい形にしたいな――。
キースは白い歯を見せ、手を高く上げ、元気よく振った。
「じゃあ、ほんとにありがとう! 元気で! ノースカンザーランドでまた会えたらいいな!」
「ええ。じゃあ、キース、あなたもお元気で!」
青空に、ぷかぷか浮かぶ白い雲。爽やかな風が吹く。
「…………」
いい風だなあ。
「…………」
爽やか。
小さな街、大通りはまっすぐのほぼ一本道だった。二人と一匹は並んで歩いていた。
「…………」
いい風、か。
とりあえず、無言だった。先ほど、別れの挨拶を交わしたばかりである。
「…………」
初めての街でどこに行ったらいいかもわからない。とりあえず道なりに歩いていく。めぼしいような分かれ道も特にない。
キースもアーデルハイトも、謎の微笑みを浮かべつつ黙って歩いていた。
張り付いた笑顔。
えーと……。
地味に気まずい。
沈黙を破ったのはアーデルハイトだった。
「……別にまだ挨拶しなくてよかったんじゃないの?」
謎微笑み状態をキープしつつ、キースも口を開く。
「……やっぱそう思う?」
アーデルハイトは、一軒の食堂らしき店を指差す。
「……あの店で朝ごはん食べる?」
ぐう、おなかが鳴る。
「……やっぱそう思う?」
「まだごはん食べてないし」
朝ごはんが、まだだった。閃いたように、キースはぽん、と手を叩いた。いかにも、といった体で。
「それは奇遇だねえ! 一緒に食べようか!」
「……なにが奇遇なんだか」
冷ややかな、アーデルハイトの眼差し。先ほどの寂しそうな色は、いずこ。
キースは、別れの挨拶のタイミングが早過ぎたことを認めざるを得ない。
んー。早まったか!?
早まった。完全に。
小さな店だった。店名は、「愛してます食堂」だった。
「……変な店名」
看板を、眺める。図らずも虚ろな目になってしまった。
「近くで見ると、薄汚れているなあ。中も暗いし……」
でも朝から営業しているようだった。ちょっと入るのをためらったが、他に店もなさそうだったし、せっかくだから入ってみることにした。ゲオルクは店の外で待つ。
「いらっしゃい……! ませ……」
店の女主人は、一瞬だけ顔を輝かせ明るい声で挨拶をしたが、キースとアーデルハイトを見るとすぐに顔を曇らせ、声も暗いトーンになった。
なんだ? その反応。まるで待ってた人と違う客が入ってきたみたいな――。
女主人の対応に疑問を抱きつつ、キースもアーデルハイトも椅子に腰掛ける。
メニューを見て、キースは思わず大声をあげてしまった。
「な、なんだこの料理名!?」
ずらりと、奇妙な料理名が並んでいた。
――『愛しいアダム ○○円』
『ずっとあなたを待っていました ○○円』
『右目が緑色、左目が青色の不思議な瞳のアダム ○○円』
『旅の人、どうかアダムに会ったら伝えて ○○円』
『まだ愛しています、と ○○円』――
「こ、これって……」
注文するにはこの料理名を言わなきゃいけないのか、とキースが青ざめていると、アーデルハイトが女主人に聞こえぬよう、キースに耳打ちしてきた。
「この店主、お客さんに自分の想いを託してるんじゃないの!? もしアダムに会ったら愛しているって伝えてほしいって……」
は……? 旅の客に託したい、と……? そのための、変な料理名……。
「なーにーっ!? 回りくどいし、めんどくせー!!」
「しっ! こっち見てるわよ!」
テーブルに、水を持って女主人がやってきた。
「……ご注文は、お決まりでしょうか?」
お決まりもなにも、なんの料理かわかったもんじゃない、キースは運を天に任せ、適当に注文することにした。
「えーと……。じゃ、じゃあ俺は『愛しいアダム』」
アーデルハイトも、渋々注文することにしたようだ。
「わ、私は『まだ愛しています、と』で」
キースは心の中で叫ぶ。
めんどくせーっ!
キースとアーデルハイトは、なんとはなしに、窓の外に顔を向けていた。
こんなに期待できない食いもんは、初めてかもしれない――。
二人はふたたび、謎微笑のまま時を止めた。
料理が出てきた。一口食べ、また時が止まる。
キースは脱力した。
「なんだこのふぬけた味はーっ!? ふ、ふざけるなああ……」
アーデルハイトの一皿も、同じようなもののようだった。
「なんか……。味が……、ない……」
残すのはもったいないので、とりあえず頑張って食べた。コツコツと、地道に食べた――。完食するには努力が必要だった。努力と根性、忍耐の、三点セットだった。
二人は三点セットを、なんとかクリアした。見事食べきったのだ。
キースは、スプーンを置くと黙って立ち上がり、女主人の前に立った。
「……アダムって、恋人だったのか?」
女主人は驚いた顔をした。客からの乱暴で唐突な声掛け、それは驚くのも無理はない。
キースの思わぬ言動に驚いたのか、アーデルハイトも立ち上がる。
「キース! よしなさいよ! そんな立ち入ったこと……」
女主人の頬が、サッと赤くなる。そして少しうつむき、小さな声で返事をした。
「……いえ。私の片思いでした。彼は十年前旅に出たまま、この街に戻ってこないんです。彼は私のこの想いを知らぬまま、遠いどこかへ行ってしまったんです――」
「別れのとき、ちゃんと挨拶したのか? それともあんた、出発は知らなかったのか?」
「出発は、知っていました。でも、恥ずかしくて近くで見送りもできず、ただこの店の窓からそっと見ていました……」
キースの手が、わなわなと震える。
「あのなあーっ!」
「えっ!?」
キースの大声に、女主人はびくっと肩を震わせた。
ちょっと、とアーデルハイトがキースを制止しようとしたが、構わずキースは叫んでいた。
「そんなことしてっから、ちゃんと向き合わなかったから、いつまでも想いが残っちまってんじゃねーかよ!?」
「で、でも……」
「せめて、挨拶くらいしてやれよ! それから、恋の思い出を大切にするのはいいけど、ちゃんと『今』というものも大切にしろよ!」
「い、今って……」
キースは店の四隅を指差した。そしてふたたび叫ぶ。
「店の外も中もちゃんと掃除してねーじゃねーか! 料理だって、はっきり言って、とてももてなしの気持ちがこもってるとは思えねー味だったぞ! 思い出だけ抱きしめて、今を大切にしてねーっていう証拠じゃねーか!」
「そ、そんな……」
「あんた、思い出に縛られることを口実にして、自分の人生生きてねーんじゃねーのかっ!?」
そのときなぜか、アーデルハイトの表情が固まっていた。
「自分の人生――。口実――」
アーデルハイトがキースの言葉を繰り返し、呟く。ゆっくりと、噛みしめるように――。
「お店の汚れは心の汚れ! ちょっと掃除道具貸してみろーっ!」
キースはいきなり店内を掃除し始めた。飯がまずかった腹いせとばかりに、すごい勢いで店の外も中もぴかぴかにした。外を掃除しているとき、思わずゲオルクがキースにじゃれつく。遊んでいると思ったようだ。
「厨房、貸してみろ!」
「は、はいっ!」
キースのわけのわからない迫力に負け、思わず女主人は厨房を明け渡す。
「俺、食堂で働いたことあんだよね。結構いい腕って褒められたぜ」
「は、早い……」
キースは思わず見とれてしまうような手際よさで、料理を作り始めた。
女主人もアーデルハイトも呆気にとられ、ただの料理教室の受講者と化していた。
「料理はタイミングが大事! ちゃんと材料たちの今っていう瞬間を見ててあげねーとな! はい、完成! 食ってみな!」
あっという間にキースは、『愛しいアダム』を再現した。
「お、おいしい……!」
一口食べ、女主人はそのおいしさに驚く。
「それから、メニューにこの土地の名物料理とか入ってんのか?」
「えっと……、ないです……」
「それは絶対もったいない! 旅人はそーゆーの楽しみにしてんだから、ぜひメニューに入れなよ! 世の中には『グルメ旅』ってのもあるらしいんだから!」
「は、はい……。そうですね……」
「もっと明るい顔! またお客さんが来たくなるような笑顔をしなよ! 旅人が、またあのお店に行きたい、いつかまたこの街を訪れたいって思うような店を目指しなよ! 思い出を愛するのはいいけど、目の前にいる人にもちょっとは愛を注ぎなよ! 今日来たお客さんとはもしかしたら一生会えねーかもしんねーんだぞ!? 愛は減るもんじゃないんだし、過去だけじゃなく『今』もしっかり愛しなよ!」
「は……、はい……!」
「じゃな。ご馳走さん。お釣りはいらねーよ。もし万一、アダムっていう右目が緑色、左目が青色の男に会ったら伝えといてやるよ。あんたのこと深く想ってる女性がいるってこと――」
キースは二人分の食事代を少し上回る金を置き、「愛してます食堂」を出た。数歩歩きだし、我に返る。
「あっ! つい勢いでおごってしまっていた! それも多めに出してた! そんなに金がねーのに! ん? でもこれで少し、アーデルハイトの恩返しになったかな!?」
アーデルハイトの表情を窺う。アーデルハイトは、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「ふふ。そうね。ご馳走さま……。キース、あなたほんとに、この街で働いたわね」
アーデルハイトの一言に、キースはハッとする。
「ああっ! ほんとだ! 気付けば働いてた! でも、タダ働きじゃねーか!」
「しょうがないじゃない。自分からやってたんだから」
「あーあ。なにやってんだ、俺……」
頭を抱えるキース。自業自得かもしれない。
「……自分の人生を、生きる――、か……」
アーデルハイトが小さな声で呟く。
アーデルハイト……?
そのときアーデルハイトの瞳は、遠くを見つめていた。
物憂げなエメラルドグリーンの瞳。きっとまだ見ぬ遠い異国の地、ノースカンザーランドの空を映しているんだ、キースにはそんなふうに見えた。
女主人は、三人分の空になった皿を見つめていた。
「……メニュー、少し増やしてみようかな……」
ぽつり、と呟いた。人知れず開く、小さな花のように。
考えたメニューは二つ。一つは地元の名物の料理。そしてもう一つは全く新しい料理。新しい料理のことを考えると、なんだかわくわくしてきた。新メニュー名をメニューに書き足す。
ゆっくりとペン先にインクをつけ、一文字一文字丁寧に書く。
――『キース、ありがとう』
『あなたのこと、好きになっちゃったかも』
相変わらずのネーミングセンスだった。