第27話 国境付近の禁止事項
ネクスター国内に入ってからしばらくの区間は、魔法による飛行や、ドラゴンなどの飛行生物に乗り上空を飛行することが禁止されていた。
空を警備する警護団の不用意な混乱や負担を避けるためである。
国境検問所の先は、森が続いていた。キースたち一行は歩いて森の中を進む。
さんさんと日の光が差す、少し開けた場所に出た。
辺り一面、可憐な白い野の花が咲いていた。
「この花――」
アーデルハイトが思わず呟く。
それは、幼いころクラウスとよく遊んでいた小さな丘に咲き乱れていた花と、同じ花だった。
あの日――。
アーデルハイトは思い出す。
この旅に出るきっかけとなった、あの日の偶然を。
夕焼けが、とてもきれい。
夕焼けに、誘われた。
アーデルハイトの足は、自然とあの丘へ向かっていた。
よくここで、夕日を眺めていたっけ。クラウスと、二人――。
クラウスと別れて半年ほどが経っていた。
泣きたくなるだけだから、もう意味のないこととなってしまったから、行きたくないはずなのに――、なぜか引き寄せられるように丘を登っていた。
視界が開けたそのとき、アーデルハイトの足が止まる。
夕空を前に、誰かが立っていた。
それは長い金の髪を夕日色に染めた――、
「クラウス――!」
クラウスだった。半年ぶりの再会だった。
長く美しい髪をなびかせ、クラウスが振り返る。
その手には、「青い杯」が抱えられていた。
その杯は?
クラウスの手の中の「青い杯」。目が離せなかった。
魔力……! あの杯から、魔力を感じる……! ただの杯じゃない…!
杯から、とても強い魔力を感じた。とても貴重な、魔法の道具なのだろうと思った。
「アーデルハイト――!」
クラウスは、ただアーデルハイトの名を呼んだ。
お互い、なぜここに、と思ったに違いない。しかし、互いの名を呼んだまま、二人は時を止めた。
白い野の花が風にそよぐ。
「まさか、ここで会うとは……」
先に口を開いたのはクラウスだった。
昔のように優しい笑顔が続くはず、アーデルハイトはどこかでそう信じていた。
夕日を見て、思い出の丘に登ってしまっていた。離れてしまったのに、同じことを考えるなんて変だよね、って笑い合えるのかも――。
恋人同士に戻れる、そんなことは考えなかった。ただ、友だちとして、幼馴染として、なにか新しい絆を育てられるんじゃないか、そんな淡い期待を持った。
クラウスの整った彫刻のような顔は、歪んだ笑みを浮かべた。
「クラウス……?」
初めて見る笑み。まるで別人のようだった。嫌な胸騒ぎがした。
クラウスは、アーデルハイトが今まで聞いたこともない、低く恐ろしい声で語りだす。
「アーデルハイト。僕が、世界一の魔法使いになるのだ。ノースカンザーランドにある魔法の杖を、僕が手に入れてやる――!」
なにを……、言ってるの……?
鼓動が、早くなる。呆然としながら、アーデルハイトは思う。この目の前にいる男性は、本当に自分が知っているクラウスなのだろうか――。
「……ノースカンザーランドにある、魔法の杖……?」
声が震えてしまっていた。クラウスのそばに駆け寄りたかったが、足が動かなかった。「ノースカンザーランドの魔法の杖」がいったいどんな代物なのか、そのときのアーデルハイトにはわからない。初耳だった。
クラウスが叫ぶ。
「ふふふ。さらばだ。アーデルハイト――」
「クラウス! いったいあなた、なにを――?」
突然、クラウスは崖のほうへ駆け出した。すると突然、示し合わせたように崖の下から漆黒のドラゴンが現れた。クラウスは素早くドラゴンの背に飛び乗る。
ひときわ強い風が吹いた。
「さらばだ! わが故郷――!」
「クラウス!」
クラウスの名を叫ぶアーデルハイトの声は、風にかき消される――。
あっという間にクラウスを乗せた漆黒のドラゴンは、夕空の向こうへ消えた。
そののちアーデルハイトは風のうわさで、ちょうどクラウスと出会ったあの日、恩師フレデリクの屋敷からなにか大切な家宝のような品が何者かによって盗まれたらしいと知る。そして、警察が捜査に乗り出したが、すぐにフレデリクとその親戚たちが、ドラゴンに乗ってノースカンザーランドへ向かったのだという情報も。
きっと、クラウスが持ち去ったのだ……! あの青い杯は、フレデリク先生の家にあったものだったんだ……!
信じたくない、目を逸らしたい現実。しかし、だからこそアーデルハイトは向き合おうとした。
アーデルハイトは疑問に思う。なぜクラウスはあの丘に立ち寄ったのだろう。そして、なぜ自分にあのようなことを話したのだろう。黙って飛び去ってしまえばよかったのではないか、と。
もしかして――。クラウスも、止めて欲しかったのだろうか……? 自分の欲望のまま突き進むことを、私に、もしくは誰かに止めて欲しかった――?
アーデルハイトにはわからない。
冷たいアイスブルーの瞳。そこには、幼いころアーデルハイトが見つめていた、あの優しい光はもう宿っていなかった。
そして、アーデルハイトも旅立った。ノースカンザーランドへ行き、「青い杯」を取り戻し、クラウスの野望を止めるために。
つい、悲しい表情を浮かべてしまっていたようだ。
「アーデルハイト、大丈夫か?」
キースが、心配そうにこちらを見つめていた。
「えっ、大丈夫。なんでも――」
アーデルハイトが、急いでごまかそうとした、そのときだった。
「なんだあ、ねーちゃん。俺っちを見て、なんで浮かない顔をしてんだよ!」
謎の声がした。少年の声のようだった。驚き、声のしたほうを見ると――。
「妖精さん……!」
白い花の上、背中に羽のある小さな少年が浮かんでいた。
「こんちは。俺っちは、この白い花の妖精さ」
えへん、少年は胸を張った。
白い花の妖精さん……!
「まあ、こんにちは……! 白い花の妖精さんだったのね」
うん、と張り切ってうなずいたあと、白い花の妖精は顔を曇らせた。
「解せないねえ」
少年は、腰に手を当て不服そうにしていた。
「なにが解せないのー?」
妖精のユリエが、白い花の妖精の前に出る。
「おっ、あんたは――」
白い花の妖精が、ユリエを指さした。
「シダ植物の妖精かあ」
シダ植物の妖精……!
ユリエは、シダ植物の妖精だった。
「ワラビだよー」
ユリエは、あっけらかんと告白した。
えっ、ワラビ……! ユリエちゃんは、ワラビの……!
ワラビの妖精だった。今明かされる、衝撃の事実。ざわ、ざわとキース、カイ、アーデルハイトのさんにんの、動揺が広がる。
「白い花の妖精君。いったいなにが不満で解せないのー?」
ユリエがもう一度尋ねた。
「だってさ、たいがいの人間はさ、俺っちを見たら笑顔になるんだよ。それなのに、このねーちゃんは泣きそうな顔して……」
白い花の妖精の言葉に、アーデルハイトは慌てた。
「ち、違うわよ。泣きそうになんてなってないわ。ただ――」
「ただ?」
白い花の妖精が、首を傾げた。
「ちょっと、昔のことを思い出して――」
「切なくなっちゃった?」
白い花の妖精が、困ったような表情を浮かべた。
今きっと、キースもユリエもカイも、心配そうな顔をしているだろうと思った。でも、振り返って確認できなかった。うっかり、涙がこぼれてしまったらどうしようと思ったから。
「そっかあ、そんなときは、歌でも歌うといいよ! 元気が出るから――」
そう言いながら、白い花の妖精は一輪、白い花を摘んだ。そして、アーデルハイトの髪に髪飾りのようにその花をつけてあげた。これ、プレゼント、と言葉を添えながら。
「ねっ。元気出して」
「ありがとう――」
白い花の妖精は、ばいばい、と元気いっぱいの笑顔で手を振る。
アーデルハイトもキースもユリエもカイも、ばいばい、と白い花の妖精に笑顔で手を振った。
小さな出会いと別れに、胸があたたかくなった。
緑の中を歩いていく。
「似合うよ。アーデルハイト。その花飾り」
え……。
さりげない、キースの言葉。ただそれだけ、キースは呟いた。
ユリエもカイも、ただ微笑んでいた。
鳥の声だけが続いていた。
輝くような純白の花。アーデルハイトは、静かな喜びに包まれていた。
もう、大丈夫。きっと。さようなら。私の過去の思い出たち――。
アーデルハイトは、古い本のページを閉じるように、過去の扉をそっと閉じた。
たまに振り返ることはあったとしても、立ち止まることはもうないだろう。
鳥たちが、歌っている。
「歌で元気か……。なるほど。よし、俺が歌ってみようか!」
キースが突然、言い放った。
「えっ!」
カイが絶句した。そして慌ててキースを止めるようなしぐさをした。
「やめたほうがいいです! いえ、やめてください!」
「えっ? どうして?」
アーデルハイトもユリエも、なぜカイが慌てているのかわからない。
「俺は、キースの歌唱力を知ってます……!」
「なんだあ!? カイ! それってどういう意味だ?」
キースがカイに詰め寄る。
アーデルハイトの胸に、ほんの少し不吉な予感があった。
わっ!
キースが突然熱唱した。
ばさばさばさっ!
森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
「なにごとですかっ!? どうしましたっ!?」
上空にいた、ドラゴンに乗ったネクスター国の警護団の一人が降りてきた。
「今、たくさん鳥が飛んできましたが、あなたがたはいったいなにを――」
「……歌いました」
「……ふつつかな主人が、誠に申し訳ありませんでした」
キースとカイは揃って頭を下げた。
ネクスター国国境付近は、魔法による飛行や、ドラゴンなどの飛行生物に乗り上空を飛行することが禁止である。
ネクスター国国境付近の熱唱も、禁止になった。




