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旅男!  作者: 吉岡果音
第四章 光溢れる道を歩む者、闇をさまよう者
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夢見る二つの欠片

 キースたちは、夕食を済ませ宿屋に向かう。


「よかったなあ。部屋が空いてる宿屋があって」


 キースが呟く。


「そうね。今回はどこもいっぱいで、なかなかなかったわね」


 何軒も尋ね歩き、ようやく見つけた宿屋だった。


『夢美亭』


 月明かりにぼんやりと浮かび上がる宿屋の看板には、そう記してあった。


 ――ゆめみてい。「夢見てー」ってこと?


「お帰りなさいませ。お客様。それでは、お部屋へご案内いたしますね」


 美しい、妖艶な女性だった。声も艶のある美しい響き。肩までの黒髪に黒い瞳、鮮やかな深紅の口紅をさしたその唇は、神秘的な微笑みをたたえている。


「あ。お願いします」


 キースはなんとなく顔を赤くし、珍しく緊張していた。


 ――色気のある美人だなあ!


 アーデルハイトが、色気がないというわけではない。ただ、今まであまり出会ったことのないタイプの美女だったので、思わず見とれてしまった。

 先ほど、宿泊の予約をしたときは、受付にいたのは男性だった。彼が男性従業員で、この美女が宿屋の女将なのだろう、そうキースは思った。


 ――ほんと……。大人の女性って感じだな――。


 魅入られたように、キースは美女に見とれていた。

 ふと気が付くと、アーデルハイトと妖精のユリエがいない。


「あれ……? アーデルハイトとユリエは?」


 キースは横にいるカイに尋ねた。


「いませんね」


 カイは思う。キースが美女に見とれていたから、アーデルハイトはいたたまれなくなって先に自分たちの部屋に行ってしまったんだ、そう考えた。いつの間にいなくなったか、なぜかカイも気付かなかったが。


「お連れ様は、係りの者がすでにご案内しております」


 女将は、キースの瞳を見つめて微笑む。美しい笑顔。


「あ、そうでしたか?」


 まったく気付かない、少し妙だな、とキースは思う。しかし、目の前の妖しい色香の美女からは邪悪な雰囲気は感じられない。


 ――まさかね。なにかを企む悪いやつってことはなさそうだしな。ただ俺がぼうっとしてただけか。


「……キース。珍しく敬語ですね」


 カイがささやく。


「え? 礼儀として当たり前じゃあないか!」


「その当たり前をほとんど実行してなかったじゃないですか」


「そうだっけ」


「そうですよ!」


「気分だよ、気分!」


「礼儀を気分で変えるんですか!?」


 棘のある言い方だった。


「……思いっきり、見とれてましたよね」


 キースを睨み付けながら、カイが呟く。


「……カイ。なに怒ってるんだ?」


「……怒ってません」


 キースとカイは、女将の後ろをついて歩きながら、小声で会話をしていた。


 ――なんだろう。カイ。どう見ても怒ってるよなー……。


「あっ!」


 キースが突然ひらめく。


「もしかして、お前、やきもち!? 美女が俺のことばかり見つめてたから?」


「なんでそうなるんですか!」


 カイは、アーデルハイトの気持ちを考えて、キースに対して苛立ちを覚えていた。キースがあんなにわかりやすく美女に見とれていたから、アーデルハイトはそっとその場を立ち去ったのだろう。しかし、それを言ってしまうのはためらわれた。二人の恋の進展の糸口は、自分たちで見つけて欲しい、そう思っていた。第三者が口を出すのではなく、自然な流れで絆を深めて欲しい、そう思っていた。


「……鈍感男」


 カイがさらに小さな声で呟く。


「えっ!? なんか言った!?」


「教えませーん」


「なんか……。カイ。お前感じ悪いぞ」


「いいですよ。キースにどう思われようと」


 女将が、立ち止まった。


「こちらのお部屋でございます」


 女将が、突き当りの部屋を優雅な手つきでさし示した。


「あ、ありがとうございます」


 部屋の扉を開ける。暗がりの中、何気に部屋の中を見ると――。


「なんだっ!?」


 天井から男がぶら下がっていた。


「六郎!」


 女将が叫んだ。「天井ぶら下がり男」の名前らしかった。


「申し訳ございません……。下男の六郎が、大変失礼いたしました」


 女将が深々とお辞儀をする。


「お客様、大変申し訳ございません。天井の点検をしていたもので……」


 六郎と呼ばれた男が頭をかきながら謝る。礼儀作法については今ひとつだったが、申し訳なさそうに大柄な体を縮めるようにして謝っているその姿は、実直そうな人柄を感じさせる。


 ――天井の点検って、なんだろう。


 少し、違和感を覚えた。

 女将は、ひとしきり謝罪したあと、流れるように宿屋の説明をした。


「お風呂は、露天風呂がございます。あちらの廊下をまっすぐ進みまして――」


「露天風呂! へえ! 面白いねえ!」




「冷てえ!?」


 風呂に入ると、思わずキースは叫んだ。


「噂に聞く、冷たい温泉、冷鉱泉ってやつか!?」


 なんだかぬめりもある。


 ――よくわからんが、体によさそーな気もするな。


 カイは風呂には入らず、キースの傍に控えていた。危険に備えて、念のためすぐ近くにいたほうがいいと思い、洗い場で待機していた。


「おーい。せっかくだから、カイも入ったらー?」


「必要ないので入りません」


「そうだよな……。お前は……、うおっ!?」


 なにかが、キースの足に触れた。


「魚!?」


 大きな魚だった。


「温泉に魚……! あっ! そうか! こいつが『ドクターフィッシュ』ってやつか!?」


 古い角質を食べてくれるというドクターフィッシュ。キースもなんとなく聞いたことがあった。


「へー。こんなに巨大なんだあ」


 ぱくぱく。


 魚は、キースの体に丸い口を吸いつけるようにしていた。


「ははは! ありがとー! でも、くすぐったいなあ!」


 とても健康になった気分で、キースは風呂から上がる。


「……なんだか、キース。臭いですね」


「温泉だからなあ」


「温泉って、そんな感じなんですか」


 入らなくてよかった、カイは密かにそう思った。

 月や星の明るい晩。

 アーデルハイトとユリエに、おやすみなさいって言わなかったなあ、キースはぼんやりと思いながら眠りにつく。




 朝の寒さに目が覚めた。


「あれっ!?」


 キースは周りを見回し仰天した。


 宿屋に宿泊したはずなのに、目の前には、草。草。草――。そして、青空。


「草―っ!?」


「外ですね」


 あっさりとカイが呟く。


「俺たち、泊まったよな!?」


 辺りを見回すと、左手のほうに、宿屋の建物があった。


「あれ……?」


 アーデルハイトとユリエが玄関から出てきた。


「キース! カイ! どこ行ってたの? 散歩!?」


「アーデルハイト! ユリエ!」


「ゆうべはキースもカイも急にいなくなるし、朝、食堂にも来ないから、どこ行ってたのかと探しに来たのよ」


「えっ……?」


 ――俺もカイも、急にいなくなったって……!?


「アーデルハイトたちが先に部屋に行ったんじゃ……」


「違うわよ。とにかく、どうしたの……? キース、泥だらけ……」


「ゆうべは温泉に入って……」


「あっ……!」


 カイが叫んだ。


「あそこに池がありますね」


「池!?」


 池には大きな魚が悠々と泳いでいた。


「キース……。あなた、臭うわよ」


 ようやく、キースは気が付いた。


「もしかして……。俺が入ったのって……」


「池でしょうね」


 カイがこともなげに呟く。


「ドクターフィッシュって……」


「普通の鯉でしょうね」


「俺に吸い付いてたのって……」


「食おうと思ったんでしょうね」


「…………」


 ひとつの仮説にたどり着く。


「もしかして……」


「野宿してましたね」


 アーデルハイトが叫んだ。


「キース! お風呂に入ってきなさーい!」




「そうですか! またそんなことが……!」


 「夢美亭」の主人が絶句した。


「大変申し訳ございません……! どういうわけか、たまに、お客様のような不思議な体験をされるかたがいらっしゃるんですよ……」


「俺たちだけじゃなかったんだ……」


「はい。もともとは、この宿屋は、お客様がお目覚めになった辺りに建っていたのです。老朽化が激しくて、こちらのほうに建物を移築したのですが……」


「もともと、建っていた場所に俺とカイだけ寝てたのか……。あの、美女と六郎という男は……?」


「美女と、六郎……?」


 宿屋の主人もわからないようだった。


「……不思議な宿屋だったな」


 キースが呟く。

 本当に、温泉に入らなくてよかった、カイはしみじみそう思った。




 朝露に濡れる草の下、小さな呟きがあった。


「奥様。久しぶりに、お客様がいらっしゃいましたね」


「六郎。お客様に喜んでいただけたかしら?」


「大丈夫ですとも! 奥様のご対応は、先代の女将さんそっくりでしたから!」


「それならよかった――」


 二つの呟き。草むらには、二つの小さなせとものの欠片があった。

 二つの欠片は、「夢美亭」旧館に飾られていた壺だった。

 二つの壺は、「夢美亭」で女将や訪れるお客さんをずっと見つめていた。

 お客さんの笑顔を、楽しみにしていた。


「露天風呂も、喜んでいただけたみたいね」


「そうですね……」


 満足そうにささやき合う。

 そして、二つの小さな欠片は眠りについた。




 辺りには、もう風の音しか聞こえない。


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