第25話 夢見る二つの欠片
またたく星々。きらきら、きらきら、まるで歌でも歌っているかのよう。
「よかったなあ。空いてる宿屋があって」
キースはほっとしたように柔らかな笑みを浮かべ、皆のほうを見回した。
「そうね。今回はどこもいっぱいで、ずいぶん歩いちゃったわね」
アーデルハイトが微笑を返す。何軒も尋ね歩き、ようやく宿屋を見つけていた。宿泊と翌日の朝食だけをお願いし、夕食を外で済ませ、これから宿屋に戻るところだった。
「おなかもいっぱいで、あとは寝るだけー」
妖精のユリエは、にこにこである。気が向けば飛び、疲れたらキースの肩の上に座る、そのためまったく疲れないのだ。
「町からずいぶん離れた宿屋ですが……。一泊だけの俺たちにとって、不都合はありませんね」
カイは、人の姿のまま皆と一緒に歩く。その宿は、町はずれ、山際の寂しい場所にぽつんと一軒だけ建っていた。
『夢美亭』
古びた門に掲げられた宿屋の看板には、そう記してあった。
ゆめみてい。「夢見てー」ってこと?
キースは首を傾げつつ、扉を開けた。
「お帰りなさいませ。お客様。それでは、お部屋へご案内いたしますね」
まず目に飛び込んできたのは、美しい、妖艶な女性の笑顔だった。声も艶のある美しい響き。肩までの黒髪に黒い瞳、鮮やかな深紅の口紅をさしたその唇は、神秘的な微笑みをたたえている。
「あ。お願いします」
キースはなんとなく顔を赤くし、珍しく緊張していた。
色気のある美人だなあ!
アーデルハイトが、色気がないというわけではない。ただ、今まであまり出会ったことのないタイプの美女だったので、思わず見とれてしまった。
先ほど、宿泊の手続きをしたときは、受付にいたのは男性だった。彼が男性従業員で、この美女が宿屋の女将なのだろう、そうキースは思った。
ほんと……。大人の女性って感じだな――。
魅入られたように、キースは前を歩く女将を眺める。
ふと気が付くと、アーデルハイトとユリエがいない。
「あれ……? アーデルハイトとユリエは?」
キースは横にいるカイに尋ねた。
「いませんね」
「いつの間に!?」
なぜか、全然気付かなかった。
「さあ……?」
カイも首を傾げていた。どういうわけか、カイも気付かなかったようだ。
俺が美人女将に見とれちゃってたからってのはあると思うけど、カイまで気付かないなんて……?
キースとカイの会話を耳にした様子の女将は、
「お連れ様は、係りの者がすでにご案内しております」
優雅な所作で振り返り、そう告げた。美しい笑顔。
「あ、そうでしたか?」
妙だな、とキースは思う。しかし、目の前の妖しい色香の美女からは、邪悪な雰囲気など感じられない。
まさかね。なにかを企む悪いやつってことはなさそうだしな。ただ俺もカイも、ぼうっとしてただけか。
「……キース。珍しく敬語ですね」
カイがささやく。
「え? 礼儀として当たり前じゃあないか!」
「その当たり前をほとんど実行してなかったじゃないですか」
「そうだっけ」
「そうですよ!」
「気分だよ、気分!」
「礼儀を気分で変えるんですか!?」
棘のある言いかただった。
「……思いっきり、見とれてましたよね」
キースを睨み付けながら、カイが言葉を吐く。
「……カイ。なに怒ってるんだ?」
「……怒ってません」
キースとカイは、女将の後ろをついて歩きながら、小声で会話をしていた。
なんだろう。カイ。どう見ても怒ってるよなあ……。
「あっ!」
キースが突然ひらめく。
「もしかして、お前、やきもち!? 美女が俺のことばかり見つめてたから?」
「なんでそうなるんですか!」
カイはあきらかに怒っている。ようやく、キースは気付く。
そうか……! クラウスやクラウスの手下が俺たちを狙い探りを入れている様子、そんな今なのに、アーデルハイトとユリエがいないことに気付かない、さらには美女に見とれてさえいる、そこに怒りを覚えているのか。
もっともな反応だと思った。キースの胸に、我ながら情けない、と苦い思いが広がる。
しかし、今のこの状態は危険ではない、という確信がキースにはあった。
「カイ。危険な感じ、怪しい感じはしないけど……」
小声で話し掛ける。
「実は俺も……。そんな感じはしません……」
キースもカイも、こちらを観察するような「空の目」はわからなかったが、戦いや殺意など身の危険に関するカンは鋭い。楽観的に過信しているのではなく、剣を扱い振るう者としての信頼できる感覚だった。
女将が、立ち止まった。
「こちらのお部屋でございます」
女将が突き当りの部屋を、手のひらを上向きにして流れるようにさし示した。
「あ、ありがとうございます」
部屋の扉を開ける。暗がりの中、何気に部屋の中を見ると――。
「なんだっ!?」
思わず、驚きの声が出てしまった。
なぜなら――、天井から、男がぶら下がっていたのである。
照明人間!?
未知の照明器具、キースの知らぬ間に開発されていた「照明人間」の出現かと思った。
世の中の、進歩よ……!
「六郎!」
女将が叫んだ。「照明人間」の名前らしかった。
「申し訳ございません……。下男の六郎が、大変失礼いたしました」
呆気に取られているキースとカイに向かって、女将が深々と頭を下げる。
「お客様、大変申し訳ございません。天井の点検をしていたもので……」
天井から降りた「六郎」と呼ばれた男が、頭をかきながら謝る。宿屋の従業員としての手際は今ひとつだったが、申し訳なさそうに大柄な体を縮めるようにして謝っているその姿は、実直そうな人柄を感じさせる。
天井の点検って、なんだろう。
少しの、違和感。まあ、「照明人間」よりまともな話だが――。
女将は、驚かせてしまったことをひとしきり謝罪したあと、よどみなく宿屋の説明をした。
「お風呂は、露天風呂がございます。あちらの廊下をまっすぐ進みまして――」
「露天風呂! へえ! 面白いねえ!」
キースは顔を輝かせた。
「冷てえ!?」
露天風呂に入るやいなや、キースは叫んだ。
「噂に聞く、冷たい温泉、冷鉱泉ってやつか!?」
なんだかぬめりもある。
よくわからんが、体によさそーな気もするな。
カイは風呂には入らず、キースの傍に控えていた。危険に備えて、念のためだがすぐ近くにいたほうがいいと思い、洗い場で待機していた。
「おーい。せっかくだから、カイも入ったらー?」
「必要ないので入りません」
「そうだよな……。お前は、剣……、うおっ!?」
なにかが、キースの足に触れた。
「魚!?」
大きな魚だった。
「温泉に魚……! あっ! そうか! こいつが『ドクターフィッシュ』ってやつか!?」
古い角質を食べてくれるというドクターフィッシュ。キースもなんとなく聞いたことがあった。
「へー。こんなに巨大なんだあ」
ぱくぱく。
魚は、キースの体に丸い口を吸いつけるようにしていた。
「ははは! ありがとー! でも、くすぐったいなあ!」
とても健康になった気分で、キースは風呂から上がる。
「……なんだか、キース。臭いですね」
「温泉だからなあ」
「温泉って、そんな感じなんですか」
入らなくてよかった、カイはそう小声で呟く。
月や星の明るい晩。
アーデルハイトとユリエに、おやすみなさいって言わなかったなあ、キースはぼんやりと思いながら眠りにつく。
朝の寒さに、目が覚めた。
「あれっ!?」
キースは周りを見回し、仰天した。
宿屋に宿泊したはずなのに、目の前には、草。草。草――。そして、青空。
「草―っ!?」
「外ですね」
あっさりとカイが言う。
「俺たち、泊まったよな!?」
辺りを見回すと、左手のほうに、建物があった。
「あれ……?」
アーデルハイトとユリエが、その建物の玄関から出てきた。
「キース! カイ! どこ行ってたの? 散歩!?」
「アーデルハイト! ユリエ!」
「ゆうべはキースもカイも急にいなくなるし、朝、食堂にも来ないから、どこ行ってたのかと探しに来たのよ」
アーデルハイトはそう説明する。昨晩アーデルハイトとユリエがいなくなったのではなく、キースとカイがいなくなったのだ、と――。
「えっ……?」
俺もカイも、急にいなくなったって……!?
「アーデルハイトたちが先に部屋に行ったんじゃ……」
「違うわよ。とにかく、どうしたの……? キース、泥だらけ……」
「ゆうべは温泉に入って……」
「あっ……!」
カイが叫んだ。
「あそこに池がありますね」
「池!?」
池には大きな魚が悠々と泳いでいた。
アーデルハイトは、怪訝な面持ちで指摘する。
「キース……。あなた、臭うわよ」
もしかして、とキースは思った。
「もしかして……。俺が入ったのって……」
朝の爽やかな風。小鳥のさえずり。草が揺れる。
「池、でしょうね」
カイがこともなげに呟く。
「ドクターフィッシュって……」
「池だとすると、普通の鯉でしょうね」
「俺に吸い付いてたのって……」
「食おうと思ったんでしょうね」
「…………」
ひとつの仮説にたどり着く。
「もしかして……」
「野宿してましたね。俺たちだけ」
カイのすこぶる淡々とした声のあと、アーデルハイトが叫んだ。
「キース! お風呂に入ってきなさーい!」
「そうですか! またそんなことが……!」
「夢美亭」の主人が絶句した。
「大変申し訳ございません……! どういうわけか、たまに、お客様のような不思議な体験をされるかたがいらっしゃるんですよ……」
「俺たちだけじゃなかったんだ……」
「はい。もともとは、この宿屋は、お客様がお目覚めになった辺り、池の近くに建っていたのです。老朽化が激しくて、こちらのほうに建物を移築したのですが……」
キースとカイが先ほど目覚めた草原、そこが昔の宿屋だったのだという。
混乱しつつ、宿屋の主人の言葉を受け入れるしかなかった。
えーと。だとすると……。
「もともと、この宿が建っていた場所に俺とカイだけ寝てたのか……。それじゃ、あの美女と六郎という男は……?」
「美女と、六郎……?」
初めて聞く、といった様子の宿屋の主人。宿屋の主人もわからないようだった。
存在しなかった部屋に泊まり、謎の露天風呂、二人の謎の人物――。
「……不思議な体験だったな」
キースは、天を見上げた
本当に、温泉に入らなくてよかった、とカイは小さく呟く。カイの心の声、隠すことを知らない。
朝露に濡れる草の下、小さな呟きがあった。
「奥様。久しぶりに、お客様がいらっしゃいましたね」
「六郎。お客様に喜んでいただけたかしら?」
「大丈夫ですとも! 奥様のご対応は、先代の女将さんそっくりでしたから!」
「それならよかった――」
二つの呟き。草むらには、二つの小さなせとものの欠片があった。
二つの欠片は、「夢美亭」旧館に飾られていた壺だった。
二つの壺は、「夢美亭」で女将や訪れるお客さんをずっと見つめていた。
お客さんの笑顔を、楽しみにしていた。
「露天風呂も、喜んでいただけたみたいね」
「そうですね……」
満足そうにささやき合う。
そして、二つの小さな欠片は眠りについた。
満足した様子の二つの欠片。ゆっくりと、深い眠りの奥へ――。
辺りには、もう風の音しか聞こえない。




