心を揺らす瞳
アーデルハイトはドラゴンのゲオルクに乗り、青空を駆けながら物思いにふけっていた。
キースに初めて会ったとき、変わった男だなあと思った。
話しやすくて、面白い、と思った。
腰に下げている剣が、不思議な力に満ちていて、なんだろう、と興味を持った。
圧倒的な強さ、剣をふるうときの無駄のない動きの美しさに目を見張った。
いったいどういう人物なのか気になって、同じ目的地だし、困ってるみたいだし、ちょっと一緒に旅をしてみよう、と軽い気持ちで一緒に行動することにした。
まあ……。外見は男前だなあ、と思った。中身はアホだと思った。
なんか憎めないし、なにをしでかすかわからない、いったいなにを考えているんだろう、もしくはなにも考えてはいないのか――、新鮮で、不思議で、妙に目が離せない感じだった。
しだいに、優しいひとだ、とわかった。
あたたかい、豊かな感情を持つひとだ、と思った。
自由でおおらかで大きな――、大空のようなひとだと思った。
好きになった。大好きに――。
キースは、私のこと、どう思っているんだろう?
どう感じているんだろう?
あの深く澄んだ青色をした瞳に、私はどんなふうに映っているの――?
こんなに近くにいるのに、なんだか切ない。素直に気持ちを表現できない自分がもどかしい。
なぜなんだろう。私が私じゃないみたい。
もっと近づきたい。でもちょっと怖い。
なにが怖いんだろう?
キースの反応が? それとも私がもっと変わってしまうことが? それとも、楽しく明るく居心地の良い関係性が変わってしまうことが――?
アーデルハイトは、なんだかもやもやして、大空に叫びたい衝動にかられる。
でも、いったい、なんて叫ぶの? 私はなにを叫びたいの?
私はいったい、どうしちゃったんだろう。
まるで迷子になったみたいだ。
とりあえず、誰にも聞こえない小さな声で呟いてみる。
「……キースの、ばか」
少し、スッキリした。
そのときだった。
アーデルハイトは、異様な雰囲気を感じ取った。
空に、大きな漆黒の目があった。
「これは……!?」
「目」はなにかを探していた。
ビシッ!
アーデルハイトは、とっさに自分たちの周りに防御の結界を張る。
あれに、悟られてはならない……!
本能だった。まるで上空の猛禽類の目から姿を隠す、捕食される動物のように、素早く身を隠す術を行使した。
「目」、はなにかを探し続けている。
大丈夫、まだ見つかってはいない――。
アーデルハイトは一人胸をなでおろす。
アーデルハイトしか、異変に気付く者はいない。
しばらく「目」は、辺りを探していたが、現れたときと同様、唐突に空から消えた。
残されたのは、穏やかな青い空。
アーデルハイトは、改めて気を引き締めた。
きっと、あれは私たちを探していたのだ――!
闇の中、ビネイアはその漆黒の瞳を閉じた。
「クラウス様は、動くなとおっしゃったけれど、やはり気になりますわね――」
なにか、術を使える者がいるらしい。
私の「目」から隠れたようだ。
ビネイアは、にたり、と笑った。
面白い。
やはり、これは面白くなりそうだ――。
夕方、眼下に見える町に降り立つ。
「キース」
アーデルハイトが話しかけた。
「あの……。私たち、なにかに狙われているのかもしれない」
「え!?」
「それは、人じゃないかもしれない」
「人じゃ、ない……?」
「さっき、空に巨大な目が現れたの……。見つからないように、とっさに結界を張ったけど、これからもまた現れるかもしれない」
「もしかして、クラウスに関するものか……?」
「たぶん……。そうかもしれない」
アーデルハイトは、うつむいた。
「これからは、私たち、気を引き締めないといけない……」
ぽん。
キースは、アーデルハイトの頭に軽く手を乗せた。
「だーいじょうぶだって! そんな深刻な顔すんなよ!」
「え……?」
「そんな四六時中気を張ってたらかえって危険だぞお! 気を張って無理に集中してたら、視野が狭くなるし勘も鈍るし、見えるもんも見えなくなっちまう!」
「キース……?」
「とはいえ、教えてくれて、ほんとありがとな! 知ってると知らないとでは、えらい違いだからな! でも、こーゆーときほど自然体が大事なんだ!」
キースは笑っていた。アーデルハイトは不思議に思う。どうして、そんな平気な顔でいられるの――?
「そうかあ。人じゃねーのか……。クラウスにも仲間とか手下がいるってことだな。まあいいさ。なんにせよ、もともと強敵なんだろうから、なにが出てこよーが別に今更驚くこっちゃねえ!」
キースは、改めて皆の顔を見る。
「こっちだって、人じゃないのがわんさかいてくれるからな! まあ、おあいこだな!」
ドラゴンと、ペガサスと、妖精と、それから人に変身できる剣。
「しかも、こっちの面々は、とっても素晴らしいユニークなやつらときてる! クラウスの連中、このメンツを見たらきっと驚くぞお!」
キースは楽しげに笑う。恐怖など、微塵も感じていないようだ。
「……人間も、ユニークですけどね。というか、人間が、一番ユニークです。クラウスの驚きポイントは、そこに尽きると思います」
ぽつりとカイが呟く。
「……カイ、もしかしてそれ、俺のこと言ってる?」
「他に誰がいるんですか」
さらりとカイが返す。
「……アーデルハイト」
「キース。謙遜しないでください」
「……そういうの、謙遜っていうのかあ!?」
キースはカイに絞め技をかける。そして、技をかけながら、ふと思う。
――クラウスは、アーデルハイトも俺と一緒に旅をしていることを知ったら、どう思うのだろう――。
そして、どんな行動に出るのだろう。予測がつかない。クラウスの行動で、アーデルハイトはより深く傷ついてしまうのではないか――。やはり、二人は会わないほうがいいのかもしれない。会わせないほうがいいのかもしれない、そんなことをキースは考えていた。
「キース! 隙だらけです!」
今度はカイが反撃に出た。会心の飛び蹴りが入った。
「カイ! やったな!?」
中学生レベルの格闘技ごっこで、キースの思考は中断された。
しょーもない技の掛け合いで騒ぐキースとカイの脇に佇むアーデルハイトの顔には、まだ不安の影が色濃く残っていた。その不安は、妖精のユリエにもわかるほどだった。
「アーデルハイト! 安心して! 私だって、本気出せば強いんだからあ!」
ユリエがえへん、と胸を張る。
「ユリエはどう強いの?」
思わずキースが尋ねる。
「……じゃんけんは、負けたことがない!」
「すごいねえ!」
キースがちょっと大げさに感心する。
「でも、勝ったこともない!」
「おあいこかあ!」
それは、強いといえるのだろうか。一同の胸にそんな思いがよぎる。
「百戦、百あいこなんだから!」
「……それは、逆にすごいかもしれない」
「だから、いつも飽きて勝敗がつかないうちにやめちゃうの……」
「そうかあ。ユリエは勝負事は必要ないのかもしれないね」
キースが優しい微笑みで語りかける。
「必要ないの?」
「うん。きっと、ユリエはそのままでいいんだよ。勝ち負けも、競争も必要ないんだよ」
「ふうん?」
競い合う必要もなく、ただ自分の心のままに動き、そして自然に相手の心に合わせてしまう穏やかな世界。きっと、それが人とは違うユリエの世界なんだろうな、とキースは思った。
ふと、キースはアーデルハイトのほうを見た。大丈夫だろうか、得体の知れないものに接したせいで、恐れや不安で押しつぶされそうなのではないか――。
「……そうだね。自然体のほうがいいかもしれない」
アーデルハイトは、意外にも明るい笑顔だった。いつもと同じ、変わらずにマイペースなキースやカイやユリエの言動を見て、開き直りともいえる境地に達していた。ただ不安に思っていてもしょうがない、と思えていた。
「うん! 決めたんだもん! 今更ビビってもしょーがない!」
「アーデルハイト……」
「……また帰れ、なんて言わないでよ」
「ん?」
まるで、先ほどのキースの考えを読み取ったようにアーデルハイトは言った。強い口調だった。
「これは私の旅! 絶対、ぜったい誰にも干渉されないんだから!」
これから、なにが起ころうがなにが現れようが、動じないでいよう、とアーデルハイトは思った。キースのように――!
私の気持ちは、私だけのもの! 揺らがない! どんな恐ろしい敵だろうと、私は変わらない! 私は私らしくいく――!
「それでこそアーデルハイトだな」
キースが微笑んだ。青く澄んだ瞳が、優しい笑みを浮かべている。
どきん。
動じない、揺らがない、私らしくいく――。でも、キースに対してだけは、別なんだな……。
心が揺れる。
その笑顔に、その瞳に、悔しいけど思いっきり動じまくりだよ、とアーデルハイトはため息をついた。




