第21話 雨上がりの歌
森の木の葉や草の葉は、雨上がりの水玉を乗せ、きらきらと輝いている。
「あれ?」
洞窟を出ると、キースはなにかに気が付いた。
「歌が、聞こえる」
キースは、隣に立つ「滅悪の剣」のカイ――今は人の姿をとっている――と顔を見合わせた。
それは、風に乗って届けられた、かすかな歌声。
「え……! ほんとだわ!」
アーデルハイトも風に耳を澄ませた。
「この森、誰か人がいるんだ」
深い森、住む人がいるようにはちょっと思えなかったし、空から見た地形では、旅人もこの辺りはあまり通らないだろうと思っていた。
「……人じゃないかもよ?」
いたずらっぽく妖精のユリエが笑う。
「森には、いろんな命があるから!」
「ユリエみたいな妖精さんかな?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかも」
とぎれとぎれに聞こえる歌は、不思議な抑揚が付いていた。女性の美しい声のようだった。
「綺麗な歌ね」
アーデルハイトは、少々うっとりとした様子でほほ笑む。
「ちょっと、行ってみようか」
声を頼りに、行ってみようと思った。
「でも、危ないかもしれないよう!」
ユリエが、小さな手でキースの袖を引っ張る。
「危ない?」
「うん。旅人を歌声で魅了して食べちゃう怖い精霊さんとか、魔物さんとかいるから」
「じゃあ、ますます行ってみなくちゃ」
キースの青い瞳に、真剣な光が宿る。
「えっ。どうして!? 危ないかもしれないのに?」
アーデルハイトが驚きの声を上げた。
「だって、通りがかった旅人が殺されるかもしれないんだろう? それなら退治しなくては」
「でも……」
「放ってはおけない」
キースは、心配そうなアーデルハイトに笑顔を見せた。
「アーデルハイト。ユリエやゲオルク、ルークと一緒にここで待っててくれ。どんな相手かわからない。俺が行って様子を見てくる」
キースは声の聞こえるほうに歩きだした。カイもすぐ後ろを付いていく。
「キース」
カイがキースの真横に並び、声を掛けた。
「ん?」
「俺の力を信頼してください。どんな怪物も、一刀両断です」
キースは、ふっ、と笑った。
「大丈夫だ。知ってる――!」
明るい歌だった。心が弾むような明るい曲調。力強い歌声。
「……悪いやつには思えんな」
キースは思わず呟く。
「それにしても、森のど真ん中で熱唱してるのは、どんなやつなんだろう?」
美しい声から、若く美しい女性を想像していた。でも、森の中、一人で……? やはり人間ではないのかもしれない、とキースは思った。
木々の間から、声の主を覗いてみた。
「!」
キースは思わず息をのんだ。
想像と、違っていた。
長く美しい真っ赤な髪の――、たくましいオッサンだった。
「誰!?」
気配を感じ、声の主がキースとカイのほうを見る。
「あ……。あの……。ええと、ごめん。つい……。綺麗な歌だったから、気になって……」
さすがにキースも戸惑う。どう考えても先ほどの美しい声が、目の前の男性のものとは思えない。
「あらあ! ありがとおお!!」
とたんにオッサンの目がきらきらと輝いた。「綺麗な歌」という感想がとても嬉しかったようだ。
「私、お歌が大好きなの!」
オッサンの唇には、真っ赤なルージュ、頬にはピンクのチークが彩られている。そして、服はひらひらのフリルがたくさん、おまけにふんわりと風に揺れるスカートまではいていた。スカートからのぞく足が、ごつい。
えーと……。
「……じゃ、じゃあ。これにて俺は失礼。旅の続きがありますんで」
キースはさりげなくその場を退散することにした。さりげないつもりが、右手と右足が同時に出ている。ふと気づくと、カイはいつの間にか剣の姿に戻っていて、ちゃっかりキースの腰の辺りに納まっていた。気配もすっかり消している。
カイ! 逃げたな!
「おにいさん、待ってえ!」
オッサンは、俊敏な動きでキースに追いついた。スカート姿だし、森の中、濡れた長い草や転がっている石などがあるが、それらがあるとは思えない素早さだった。
「うわ! な、なんでしょーか!」
「もっと、私のお歌、聞いてってえ!」
顔が、近い!
「あ、あの! もう、大丈夫! 充分聴かせていただきましたあ!」
「私、ずっとこの森でひとりなの! 聴いてくださるかたを待ってたの!」
「そ、そうですか! また誰かを待っててください! それじゃあ!」
「もっと聴いてってえ!」
「俺、急ぎますんで! それじゃあ!」
「えー……」
オッサンの瞳には、涙がたたえられていた。とてつもなく力がありそうだが、力なくその場に座り込む。そして、しくしく泣き始めた。
「あ、あの……?」
「わがまま言って、ごめんなさい……。私のお歌を聴いてくださって、ほめてくださってありがとう。私、とっても嬉しかった……」
オッサンは、ぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ、おにいさん。さようなら。よい旅を……」
えーと……。
なんだか気の毒になってきた。
旅人を襲う恐ろしいやつではなく、ただ単に、純粋に歌が大好きなやつだったんだ――。
「……じゃ、じゃあ、あんたの歌、聴かせてくれ」
「えっ!?」
オッサンの顔が明るく輝いた。
「俺、今日誕生日なんだ。なんか、元気が出る歌を歌ってくれるか?」
「うん!」
オッサンは、大きく頷いた。
気が付けば、カイが人の姿に戻っていた。
「……聴衆は、多いほうがいいですよね?」
カイは少々戸惑いながら、オッサンに微笑んだ。
「わあ! あなたも聴いてくださるの!?」
オッサンは本当に嬉しそうだ。
オッサンは、元気を取り戻し、歌い出した。誕生日を祝う歌。自作の歌のようだ。明るく、楽しく、素晴らしいメロディ。
「……すごいなあ」
「とてもいい曲ですね」
近くで聴くと、迫力がある。体が震えるような感動を覚えた。
いつの間にか、アーデルハイト、ユリエ、ゲオルクとルークも傍に来ていた。
「素晴らしい歌声ね」
「このひと、上手ねえ!」
オッサンの熱唱が終わる。皆で盛大に拍手をした。
「まあ! こんなにたくさん、私のお歌を聴いてくださるなんて!」
オッサンはまた泣いた。今度は嬉し涙だった。
「ありがとう。おかげで心に残る素敵な誕生日になったよ」
キースが握手を求めた。オッサンは、握手は無視し、キースに熱い抱擁をした。
えーと……。
「雨上がりで、お外に出てみたの。それでひとりで大好きなお歌を歌っていたの。それが、こんなに大勢のかたがたに聴いていただけるなんて……!」
「素敵な歌を、本当にありがとう」
「皆さん、どうかよい旅を!」
キースは手を振って、オッサンと別れた。オッサンはいつまでも深々とお辞儀をしていた。
「……色々気になる点はありましたが、とてもよい時間を過ごせましたね」
カイが微笑む。
「ああ。それにしても、森の中でひとりで……。もったいないな。もっと大勢の人に歌を聴かせられたらいいのに――」
キースが、オッサンのいたほうを振り返った。
「!」
キースの目は、大きく見開かれた。
信じられないものを、見たのだ。
それはオッサンのドレス姿をはるかに上回る、衝撃のビジョン――。
そこには、お辞儀をしている、とても巨大な生物がいたのだ。
それはそれは大きな、人間大の一匹のミミズ――。
『雨上がりで、お外に出てみたの』
「アーデルハイト! ユリエ! 絶対に振り向かないほうがいいぞ!」
「え?」
前を見ており、なんのことかわからず、きょとんとするアーデルハイトとユリエ。
「行くぞ! ノースカンザーランドへ……!」
キースの掛け声。そのとき、カイは、押し黙っていた。気配を消していると感じさせるほどの、重い沈黙。カイも、見てしまったのだ。
「……ミミズって、雌雄同体だって学校で習ったっけ……」
キースが呟く。カイも、つられてぽつりと呟く。
「キース、握手ではなく抱擁してましたね。彼、というか、彼女というか……、手はないですもんね」
えーと……。
「……森を守り大地を耕す、精霊さんということにしておこう」
キースは眩しそうに青空を見上げた。カイも、見上げた。
「ミミズ……。抱き合っちゃったんですね」
「……言うな!」
忘れたくないような忘れたいような、誕生日になった。




