第19話 爆発頭。
どんな顔をすればいいんだろう。
朝のシャワーを浴びつつ、アーデルハイトは思いを巡らす。
どうしよう、キースに会ったら。
昨晩の自分の言動について考えると――、顔から火が出るようだった。
今まで通り、普通に話せるんだろうか。私。
反応を確認するためにも、キースに一刻も早く会いたい、と思った。同時に、会いたくない、とも思った。矛盾する思い。心が乱れた。
濡れた髪の先から、雫がたれている。鏡に手のひらを当て、自分を見つめる。
大丈夫かな……。むくんだひどい顔になっていないかな……。
鏡に映る自分の姿は――。瞳は潤み、頬は薔薇色に染まり、物憂げな、艶やかな唇。そして、まるで少女のような、ためらいがちの佇まい。
これは、とアーデルハイトは思った――。アーデルハイトは、とても大切な、あることにようやく気が付いた。
これは……、まぎれもない、恋をしている顔だ――! 私は、キースに、恋をしている……!
今更ながら、自分の心の動きに驚いてしまった。
どうしよう……!
ますます落ち着かなくなった。胸がどきどきしていた。鏡の前で、思わずアーデルハイトはかがみこんでしまった。
鏡の前でかがみこむ、だじゃれみたいだなあ。
どうでもいいことにまで思いを巡らせる。
ばかみたい――。
雫の冷たさに、深いため息をつく。
宿屋の食堂の前で、合流した。
普通に。普通に振舞うんだ、私。
アーデルハイトは、うん、と一人うなずく。
アーデルハイトの横を飛んでいる妖精のユリエは、今のはなんのうなずきか、と首をかしげているようだった。
「お、おはよ……!」
キースとカイを見つけ、明るい声で挨拶しようとしたアーデルハイトだったが――、一瞬言葉を飲み込む。
「どうしたの!? 二人とも!?」
キースもカイも、異様にビシッと決めた髪型になっていた。髪の両サイドがしっかり後ろに撫でつけられていた。
「わあ、かっこいいねえ! イメージチェンジってやつぅ?」
ユリエが、楽しそうにはしゃぐ中、キースが、決まり悪そうに口を開く。
「な、なんか知らねーけど、どっちが素早く髪をセットできるか競争になってて……」
カイはちょっと頬を赤らめ、もじもじしつつ、
「なんかわかんないですけど、どっちがかっこいい髪型にできるかも競争になってて……」
となんとも奇妙な説明をしていた。
「ば、ばかじゃないの!? あんたたち!」
アーデルハイトは思わず大笑いする。おかげで、先ほどまでの「どんな顔をすればいいのか」という戸惑いは吹き飛んでいた。
「うん……。なんか、ノッちゃったんだよねえ」
キースは頭をかく。
「なんか……、なんでしょうか。その……、妙に負けられない気がして……」
カイは伏し目がちになり、それから、同意を得るようにキースを見上げた。
「なにそれー! 変なのー! で、どっちが勝ったのー?」
ユリエが明るく笑いつつ、尋ねる。
「無論、俺の勝ちだーっ!」
速攻で答えるキース。
「俺です! 絶対、俺のほうが早かったはずです!」
むっとするカイ。正解はなさそうだが――、どーでもいい低次元の争いで張り合う二人。
「くだらない!」
アーデルハイトは、笑いながら一蹴した。
「じゃあ、みんな、朝ご飯食べるわよ!」
なんのことはなく普通の調子で話している自分に、ほっとしていた――、なんだ、全然普通に話せるじゃん!
ついでに、ばかばかしくなってきた。
さっきまで、真剣に考えてたのはなんだったんだろう。そうだ、こんな感じだったんだ。キースはアホなんだし、今更緊張することなんてないんだ!
アーデルハイトは一人うんうん、そうだった、と納得していた。
でも――、心の中で呟く。
結構、その髪型もかっこいいよ。
正直、ちょっとだけどきどきした。
だけど、絶対本人には言わない。言ってあげたりなんかしないんだ。絶対、言うもんかーっ!
「すぐ調子に乗っちゃうからね」
つい、うっかり洩れる心の声。意図せず声に出してしまっていた。
「え? 誰が調子に乗るんだ?」
いつの間にか、すぐ隣にキースがいた。アーデルハイトの顔を覗き込みつつ、尋ねる。
「なっ……! なんでもないっ!」
顔が、近い!
思わず、素早く後ずさってしまった。そして、ハッとする。
つい距離を取っちゃった! ちょっと驚いただけで、不快に思ったとかじゃないからっ!
キースが誤解するかもしれないと思ったが、キースはまったく気にしていない様子で、
「あ! そうだ! アーデルハイト、一応言っとくぞ」
と、切り出した。
「え……?」
キースはちょっとだけ視線を外し、なにか考えているようだったが、意を決したのか一気に話し出した。
「実は俺、アーデルハイトに心配するなとか心配しろとか言われて、いったいお前にどう接すればいいか悩んでたんだ」
「え……!」
悩んでたの……?
意外な言葉。ためらいがちに、青の瞳を見上げる。
私のために……?
「だけど、考えてみたら、俺の気持ちは俺だけのものだった」
「なにそれ!? あ、当たり前じゃない!」
いつもの調子で叫びつつ――、内心どきどきしていた。
キースは、私になにを伝えようとしているの……?
「だから、俺は、決めた! 俺の心配したいときに、勝手に心配することにした!」
きっぱりと、キースは言い切る。
「俺が心配なときに、ちゃんと心配する!」
「な、なにを突然……」
「覚悟しとけよ!」
「覚悟って、なによ!?」
「そんなわけで、よろしく」
「そんなわけって、どんなわけよ!?」
キースは、アーデルハイトの頭をぽんぽんと叩く。そして食堂に向かった。
呆然とするアーデルハイト。
大きな背中を見送る。
うう。
アーデルハイトは小さくうめく。
なんだか、悔しい。なんか……、悔しいっ。
勝手に熱くなる頬。キースの触れた頭に、手をやる。
覚悟、って――。
また頬が熱くなった。
私、なにどきどきしてるの……!? ばかみたい……!
「……ま、負けないわよ!」
思わず、口に出していた。
「アーデルハイトも、キースたちと勝負するの?」
無邪気なユリエの問いに、我に返る。
これじゃまるで子どもみたい。
クラウスとの恋愛で、自分はもう恋愛について知っている、と思っていた。しかし、今アーデルハイトの心は揺らいでいる。これも、恋なのか。今までとはまったく違う。大人になったのに、まるで子どもに戻ってしまったみたいだ。
恋する相手が違うと、こんなにも恋の世界も変わってしまうんだ――。
新しい自分に出会ったような気がしていた。
そして苛立ち、自分自身の心の動きの忙しさに呆れながらも――、わくわくしていた。
これから、どんな景色が広がっていくのだろう――。
自然と笑みがこぼれる。
アーデルハイトは、まっすぐ前を見ていた。今までの自分とは違う。今までの世界とは違う。新しい、みずみずしくきらめく世界を見つめていた。
「負けないんだから……!」
もう一度、呟いた。
「ルーク、ゲオルク、お待たせー!」
笑顔のキースが厩舎の扉を開ける。
宿泊客が乗ってきた動物たちを預かる厩舎。そこで、ペガサスのルークとドラゴンのゲオルクは、みんなを待っていた。
「!」
「!」
顔を上げるルークとゲオルク。キースとカイの顔を見て、動きが固まる。
「なんだあ!? お前ら、俺とカイの髪型が違うって気付いちゃった?」
キースとカイを凝視するルークとゲオルクの様子に、笑うキース。
「すごいですね。わかるんですね」
カイが感心した様子で呟く。
だっ、とルークとゲオルクが、キースとカイの傍に駆け寄った。
「いでででで!」
「痛いーっ! なにするんですかああ!?」
ルークとゲオルクは、キースとカイの頭にかじりついていた。そして、二人の髪を容赦なく、もしゃもしゃにした。
「こらあ! ルーク、ゲオルク、なにいたずらしてるのーっ!」
ユリエがキースとカイの代わりに叱ってあげた。しかし、ルークもゲオルクも一向に手を緩めない。髪をかじったり舐めたりやりたい放題だ。
「……その髪型、彼らは気に入らないみたいね」
アーデルハイトは笑いをこらえるのに必死だった。
またしても、爆発頭。しかし、ルークとゲオルクは、これでよし、と満足そうだ。
「……ルーク、ゲオルク、満足していただけましたでしょーか」
よれよれの、キース。
「……満足、したようですよ」
顔を見合わせたキースとカイ、ため息をつく。
「じゃあ、出発するわよ!」
アーデルハイトは、ひらり、とゲオルクの背にまたがる。
青い空。皆の笑い声が、響いていた。




