第18話 のんべえたちの、それぞれの朝
生成りのカーテンの向こう、見上げれば、三日月が浮かぶ。
安宿の部屋の中、キースとカイは酒を酌み交わす。
男二人、飲み直していた。
キースは、カイのグラスに酒を注ぐ。
「カイ。早く兄さんたちや妹さんに会えるといいな」
「はい」
カイは、笑みを浮かべた。
あきらかに悲しみの入った笑みだった。
囚われている、ラーシュのことを考えると――、心配と怒りでいてもたってもいられないだろうな。
どうにかカイを元気づけたいと思った。
ひんやりとした醸造酒はどこまでも透き通っていて、空に掲げれば月の姿を映せそうだった。
キースは自分のグラスを傾けてから、尋ねた。
「ノースカンザーランドって、どんな国なんだ?」
実はあまり知らなかった。目指して旅を始めたわけだが、北にある、寒そう、魔法使いが多い不思議な国らしい、ぼんやりとしたイメージしかなかった。
「冬は寒く厳しいですが、四季折々の花が彩る美しい国です」
「そうか」
互いのグラスを、酒で満たす。
酔いもあり、キースは踏み込んだことを訊いてみる。剣であるカイだが、心の中へ入っていく歩幅とリズムは人と同じ、とキースはなんとなく信じていた。
「早く故郷に帰りたいか?」
「……正直、ちょっと複雑です」
そう言って、カイは笑った。
「これからのことを考えると、どうしても――」
うん、とキースは唸る。
「ただの帰郷じゃないからな」
戦いが、待っている。クラウスとの運命の戦いが。
カイは、少しうつむいていた。
キースもグラスに目を落とす。月が、そこにあるかのように。
漆黒の闇の向こう、フクロウの声がする。
カイが、顔を上げた。
「……それに、俺は今まで過ごしたキースの故郷のほうが、実は気に入ってます」
気を取り直すようにしているのだろうか、声のトーンも明るい。
「え? そうなの?」
少し驚く。そんなふうに思ってくれているとは、意外だった。
「周りが山だらけで、なにもないド田舎なんだけど」
山々に囲まれた、澄んだ空気の静かな村。
カイは、微笑んでいた。
「……戦いが終わったら」
「うん」
「俺は、またキースの故郷で暮らしたいな」
カイは、カーテンの隙間の三日月を見上げる。
キースはいいことを思いついたように顔を輝かせた。
「じゃあ、きょうだいみんなでこっちに来ちゃう?」
「セシーリアは無理ですよ! ノースカンザーランドの大事な任務がありますから」
「んー。そっか。そうだよな」
清めの鈴のセシーリアは、ノースカンザーランドにとって大切な存在。国を出るわけにはいかない。
「ちなみに、もし俺がノースカンザーランドを気に入っちゃって、そこに永住することにしたら、カイはどうする?」
例えばの話だが、と訊いてみる。
「俺もノースカンザーランドに住みます」
「嫁みてーだな!」
なんとなく想像し、キースは大笑いする。
「俺は剣だもん。主人がいなくては、漫然と転がってるだけです」
カイは頬を赤くし、少しムッとしているようだった。
ふう、とキースはため息をつく。座ったまま少し姿勢を正し、真剣な表情になる。
「お前も、もっと自由に生きられるといいのにな」
「……創られた、モノですから」
「お前はモノじゃねーよ」
「……俺は、剣です」
「お前は、カイ。カイだよ」
キースは、まっすぐな瞳でカイを見つめた。
「俺に仕えてくれている間は、自由にしていていいぞ。いなくなっては困るけど」
「自由……」
ニッと、キースは白い歯を見せる。
「せっかく生まれてきたんだもん! 楽しまなくっちゃね!」
そう言いつつ、カイのグラスになみなみと酒を注ぐ。
「とりあえず、飲めーっ!」
「キース……」
「お前が飲めるクチでよかったよ」
ふふふ、と笑う。
カイはグラスに視線を落とす。
「せっかく生まれてきた……」
「そうだよお! この世界を、満喫しなさい!」
カイは注がれた酒を、ぐっと飲み干した。そして、お返しにカイは、キースのグラスになみなみと酒を注ぐ。
酔いが回ってきたのか――、カイの目が、すわっている。
「キースも、飲めーっ!」
「おっ! いいね! 命令口調! そんな感じでいこーぜ! 遠慮はなしだあ!」
キースはカイの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。お返しに、カイもキースの頭をぐしゃぐしゃにした。
「ははは! 髪がぐしゃぐしゃー!」
「あはははは! キースもぐしゃぐしゃですよー!」
体が熱く、ちょっと頭がふらふらする。なんでもないことが楽しく笑えてくる。
「お前なんか、こーしてやる!」
「やりましたね!? キース! お返しに、こーしますーっ!」
他愛のないことで盛り上がり、くだらないことに笑い合う――。
そして、ばったりと床についた。
どこにでもあるような、少し古びた質素な宿屋。月と星が、そっと光を送っている――。
キースは、夢を見ていた。
夢の中のキースは、子どもに戻っていた。
故郷の山を、見上げる。キースの育った村は、盆地の真ん中にあった。あの山の向こうはどうなっているんだろう、幼い頃から、キースは山の向こう側、広い世界に出ることを夢見ていた。
ひいおじいさんは、世界中を旅していたって言ってたっけ――。
剣術の才能のあったひいおじいさんのエースは、若い頃、武者修行のために旅に出たという。キースは憧れを持ってその話を聞いていた。
俺も、山の向こう、世界中を旅してみたい――。
そう思ったときだった。いつの間にか、目の前に背の高くたくましい体つきの青年が立っていた。
「やあ。元気かい?」
自分とよく似た、知らない誰か。だけどいいようのない懐かしさが、込み上げる。
「もしかして……、エースじーさん?」
夢ならではの唐突さ、キースは大人の姿に戻っていた。見上げていた目線が同じ高さになった。
「あなたが、エースじーさんなのか?」
「ふふ。みんなのこと、よろしくな! 頼んだぞ、キース!」
キースは嬉しさで、胸がいっぱいになる。
ああ、よかった! 俺もエースじーさんに会えたんだ!
「エースじーさん!」
エースは、笑っていた。穏やかな笑顔だった。
そこで、場面がいきなり変わった。
神殿。神殿らしき建物にキースは立っていた。
「ありがとうございます。旅に出てくださって――」
今度は目の前に、美しい銀の髪の少女が現れた。
「セシーリア!」
「キースさん。カイ兄さんのこと、そしてラーシュ兄さんのことよろしくお願いいたします」
「うん! カイのことは任せてくれ! そして、セシーリア、待っててくれ。ラーシュ兄さんは、必ず俺たちが助ける。そして、セシーリアのことも、コンラード兄さんのことも必ず守るから!」
「ありがとうございます……。本当に、ありがとうございます」
セシーリアは深々と頭を下げた。
「きっと、守るから――!」
朝を迎えた。
「おはよう。カイ」
「おはようございます。キース」
二人とも、頭が爆発したように、めちゃくちゃな寝ぐせだった。
「……エースじーさんの夢を見た。それから、セシーリアに会った」
「そうですか! さっき、俺もセシーリアと交信しました」
交信。なるほど。
カイはセシーリアと「交信」できるらしい。
「俺、初めて、セシーリアとちゃんと会話したよ。今までは一方通行な感じで会話はできなかったけど、今回、初めて会話らしい会話が出来た」
「距離が前より近くなったのと、俺が目覚めたためですね。より強く、あなたの夢に語りかけられるようになったのでしょう」
「へえ。なるほど。元気そうで、安心した」
「はい。セシーリアは元気ですよ」
にっこりと、カイは笑う。
「元気なのはなによりだ!」
「……エースさんは、どんな感じでした?」
「笑ってたよ。穏やかに。そして、皆のことよろしく頼むって言われた」
「そうでしたか……! 笑ってましたか……!」
カイが、嬉しそうに笑った。
キースもカイも、起き抜けで、まだぼーっとした顔をしていた。
「……ひでえ頭だな」
「キースもですよ」
「あれ? カイ。寝ぐせがついてるってことは、人の姿のまま寝たってこと?」
「そうですね」
「じゃあ、添い寝しちゃったの?」
「そうですね」
「……いやん」
キースは両手で自分の胸をおさえた。
「なにやってんですか」
カイは呆れる。
「……頭洗わねーと寝ぐせ、とれねーな」
「そうですね」
「…………」
「…………」
だっ、と、風呂場のほうに二人とも走り込む。
「わはは! 俺が先だあ!」
「俺が先です!」
きゃあきゃあと、風呂場の前でふざけ合う。全くの無駄な競争――。いい大人が、である。
アーデルハイトは、ベッドの上でぼーっとしていた。
「ユリエちゃん……。おはよう」
「おはよー! アーデルハイト! 気分はどう?」
「うん……。大丈夫」
気分とか体調より、とアーデルハイトは思う。昨晩のことを、ところどころしか覚えていない。アーデルハイトは、自身の振る舞いについて不安になった。
「ユリエちゃん。私……、昨日の夜、ただただ叫んでいたよーな……」
アーデルハイトの瞳に広がる、眩しいユリエの笑顔。
「うん! 叫んでたよ!」
「だ、大丈夫かな。私、変なこと、言ってなかった?」
「ばかって言ってたよ。クラウスとキースと、ついでにカイのことも」
「…………」
アーデルハイトは頭を抱えた。かすかに頭痛もする。
でも、と思った。酔った暴言が「ばか」くらいならまあいいか、キース、カイ、ごめん、と心の中で呟いた。
「あ、あとは……?」
ユリエは人差し指を頬のあたりに添え、斜め上を見上げていた。昨晩の記憶を脳内再生しているようだ。
「んー。それだけ、かな?」
「よ、よかったあ……!」
自分が酔って、変なことを口走ってないか、気がかりだった。
「あ! あと、行かないでって言ってた」
「『行かないで』?」
「キースに、お願い、行かないで、って言ってた」
「え……!」
「私と一緒にいて、って言ってた」
「…………!」
「よかったね! アーデルハイト。キースは、大丈夫だよ、一緒に行こうってはっきり言ってたよ!」
「…………!!」
アーデルハイトは、ベッドの上で固まっていた。
とんでもなく、頬が熱い。
「どーしたの? アーデルハイト。白目になって」
小鳥のさえずりが、遠くで聞こえる――。




