第17話 二人と一妖精、一剣の夜
銀のスプーンの中、ひとすくいのスープ。妖精のユリエには、きっとそれが一皿ぶん。
「これ、美味しーねえ!」
ユリエは、にっこりと笑う。キースの頼んだスープをひとさじ、もらって飲んでいたのだ。もっとも、食べるのが大好きなユリエは、しっかりスプーンのおかわりをするだろうけれど。
「そういえば、ユリエとルークは、どうしてエースじーさんに出会ったんだ?」
キースがユリエに尋ねる。ユリエは今度は揚げ物に挑戦していた。ふうふうと息を吹きかけ一生懸命冷ましてから、ユリエにとっては巨大な肉の塊にかじりつく。
「んーとね。食べられそうになってたところを、助けてもらったの!」
ユリエは、口をもごもごさせながら答えた。
「食べられそうになった?」
思わず、キースは訊き返していた。食べられそう、とはおだやかでない。
「そう! でっかい怪物にね、私、食べられそうになってたの」
「へええ! それは危なかったねえ」
無事でなにより、おかげで今こうしてユリエと会話できるんだよねえ、とキースはしみじみ呟く。
「あっ! でも私とルークは別々のところで助けられたのよ。エースと出会ったのは私のほうが先」
「そうなんだあ」
「私、助けてもらって、それでエースのこと大好きになって、エースと一緒に旅に出ることにしたの。しばらく二人旅を続けてたら、今度は別な森で怪物に食べられそうになってたルークを見つけたの」
「ルークも食べられそうになってたんだ」
キースは目を丸くした。これまた、さらっと衝撃発言である。
「うん。エースは、ルークのことも助けてあげてた。それで、ルークもエースのこと大好きになって、私たちについてきたの。それで、三人……、えーと、一人と一妖精と、一ペガサスで旅をすることになったの」
一人と一妖精と、一ペガサス……。
その数えかた、とキースは笑ってしまった。ユリエは続ける。揚げ物ももぐもぐ、食事を順調に進行させつつ。
「エースはちょっと悩んでた」
「悩む?」
「うん。私たちのこと、つい助けたけど、怪物はただ自分が捕らえたご飯を食べようとしてたわけで、それを殺して自分の好きな生き物だけ助けるのは勝手なエゴじゃないのかなんとかかんとか。でも、そこでハッと気が付いて、ごめん、今のは独り言だから気にするな、忘れてくれ、お前らの前で言う話じゃなかった、って言ってて、なんだか私、難しい言葉だけどそのエースの独り言が忘れられないの。忘れてって言われると、余計しっかり覚えちゃうのかなあ?」
首を傾げ、まっすぐなまなざしでユリエはキースを見つめる。
「うーん。そういうもんなのかもしれないなあ」
「私もルークもよく食べられそうになるの。たぶん、美味しいんだと思う」
そう言いながらユリエは揚げ物をひとつ、ぺろりと平らげた。
「そうか……。美味しいのか……」
「あっ! キース! 変な目で私を見ないでっ!」
「変な目?」
「今、私のこと、食べようかって思ったんでしょ!?」
「んー。そうだなあ。食べちゃおーかなあ?」
キースは、がおーっとおどけながらユリエに顔を近付ける。ユリエは、きゃーっと叫びながら、皿の上を飛び回った。キースは愉快そうに笑う。
「ははは! 冗談だよ! 食べるもんか! ユリエはかわいくて大切な友だちだよ!」
ユリエの顔が、明るく輝いた。
「わかってる! キース、だあい好き!」
ユリエはキースの首の辺りに抱きつく。揚げ物の油で小さい手が、べたべただ。
笑い合ったあと、ふと、考える。
忘れてって言われると、余計覚えちゃう、か――。
キースは、アーデルハイトの顔をちらりと見た。
アーデルハイトに、クラウスのことは忘れろ、と言ってしまった。アーデルハイトは、大丈夫だろうか。
言葉をかけたことで、余計複雑に意識させてしまったのではないか。一層、クラウスのことが重く心にのしかかってしまったのではないか。だからさっき、アーデルハイトはおかしな態度をとったのではないか、とキースは考えた。
アーデルハイトは、心配なときに心配しろって言っていた。心配だよ。ほんと、心配だよ! 俺は!
しかし、アーデルハイトは「大丈夫だから」、ともキースに言っていた。
大丈夫なときは大丈夫だから、とも言っていた。どっちなんだ!? 今は、大丈夫なのかそれとも心配すべきなのか!?
アーデルハイトは、ユリエに笑顔を見せながら食事を続けていた。
「んー。わ、わからん。どっちなんだろー……」
斜め向かいに座ったアーデルハイトとキースの視線がぶつかる。
アーデルハイトはさっと頬を赤らめ、下を向いた。
ん?
思い返せば、さっきから、アーデルハイトはキースと目を合わせないし話もしていない。
んんん!?
アーデルハイトはフォークで揚げ物を取ろうとしたが、失敗していた。もう一回改めて取ろうとしたが今度はフォークのほうを落としてしまった。
「あきらかに、変だよなー……」
そう言うキースも、スプーンですくったスープを、ぼたぼた下にこぼしていた。
「キース! こぼしてるよ!」
アーデルハイトが気が付き、指摘した。
「あっ! ほんとだっ!」
しかし、そういうアーデルハイトもまた揚げ物を落としていた。
キースの隣に座っていたカイは、そんな二人の様子を見て思わず吹き出す。
「あはははは!」
「カイ! なに笑ってんだよ!?」
「な、なんでもないです!」
二人ともこぼしたのが、そんなにおかしいのか?
カイは、ひとしきり笑ったあと、
「……人間って、本当に素敵ですね」
と感想を述べた。
二人の様子が変な理由を、わかっているかのように――。
「ああっ!?」
キースにはなにがなんだかわからない。もちろん、アーデルハイトもユリエも。
「人間って、不器用ですね。揺れる心が、動作の向こうに透けて見える」
小声でカイが呟いた。そして、キースとアーデルハイトを、ただ眩しそうな目で見つめていた。
「アーデルハイト! 酒でも飲むか!」
いきなり、キースが言い出した。
「えっ……」
「飲めないわけじゃないんだろ? ここは飲んで、ちょっとスカッとしよーぜ!」
「私も飲む―っ!」
ユリエも飲みメンバーに立候補した。
「大丈夫なのか? ユリエ」
「うん! 私、こー見えて大人だもん!」
「あんまり飲んじゃだめだぞー」
そう言いながら、キースは、ユリエにも飲めそうな甘く軽めの酒をとりあえず最初の一杯として店員にオーダーする。ユリエと一緒に飲むことにしたのだ。まさか、ユリエに一人分は飲ませられない。
アーデルハイトも、ためらいながらカクテルのような酒を注文した。
「俺も飲もうかな」
カイの発言。
「えっ? カイは飲めねーんじゃねーの? 食べ物とかいらないって……」
「酒だけは、実は別なんです」
ニッと、カイが笑った。
「クラウスのばーか! キースのばぁーかっ!」
結果、アーデルハイトが一番飲んでいた。二人と一妖精、一剣の、とても楽しい酒盛りになった。どうでもいいくだらない話でおおいに盛り上がった。
すっかり出来上がってふらつくアーデルハイトを、キースが支えながら宿に向かって夜の町を歩く。実は、先に宿をとっておいたので、寝床の心配はない。
近い場所に宿を決めておいてよかった。この状態で知らない町をあちこち歩くのはさすがになあ。
キースは苦笑する。アーデルハイトはさっきから何十回も、クラウスとキースのばかーっ、と叫んでいた。
「アーデルハイト! 私は? ユリエのことは?」
「ユリエ、ユリエちゃんは、おりこうさんよ」
アーデルハイトがにっこりと笑う。
「やったー! じゃ、カイは? カイのことは?」
「カイは……。うーん。やっぱり、ばか、かな?」
「ア、アーデルハイトさん!」
後ろを歩いていたカイの足が止まる。
「がーん。ついに一緒にされてしまった……」
カイ、心の叫びが、だだ洩れである。
部屋は二つとっておいた。アーデルハイトは、もうほとんど眠っているような状態だった。キースは、アーデルハイトを抱きかかえ、ベッドにそっと運んだ。
「ユリエ。アーデルハイトのこと、頼むな」
キースは笑い、ドアのほうへ進む。ドアの向こうの廊下で、カイが待っている。
「うん! 任せて!」
ユリエが元気に、オッケー、また明日ね、と手を振る。
「……待って」
アーデルハイトが呟く。キースは足を止め振り返る。
寝言か。
「行かないで……。私を置いて、行かないで……」
アーデルハイトは、うわごとのように呟いていた。
クラウスの夢でも見てるのか――。
「お願い……。置いていかないで……。キース……。私と、一緒にいて……」
俺!?
「キース……」
キースは、ふっ、と微笑んだ。
「大丈夫だよ。アーデルハイト。一緒だよ。一緒に行こうな。ノースカンザーランドへ」
そうか。ずっと一人で旅をして、不安だったんだな――。
アーデルハイトは、安心したように深い眠りへと落ちていく。艶やかな唇は、密やかに咲く花の微笑みをたたえていた。
キースは、アーデルハイトの美しい金の髪をそっと撫でた。
「じゃあ……。ユリエ。お休みなさい」
「うん! キース! お休みなさい!」
キースは、カイと共に廊下を進み、自分たちの部屋に向かう。
カイが、キースを見上げた。
「……今夜は星が綺麗でしたね」
「うん」
「……三日月も、とっても綺麗でした」
「うん」
「とてもいい晩です」
「うん……!」
キースはそのとき、輝く星々や神秘的な三日月より、まるで天使のようなアーデルハイトの寝顔を心に思い浮かべていた。




