そして、新しい旅へ――!
『魔力を封じる方法、それはね……』
それは、消されていたアーデルハイトの幼いころの記憶。強すぎる西日が降り注いでいた公園で、見知らぬお婆さんがアーデルハイトに教えてくれた、秘密の魔法――。
『首の後ろ、ぼんのくぼと呼ばれる場所、そこが魔力の放出に関わるところなんだ! そこを、強い封じの魔法で閉じるんだ――!』
『「ぼんのくぼ」……?』
初めて聞く単語に、思わずアーデルハイトは聞き返す。
クラウスが駆けてくる。お婆さんは、慌てながら言葉を続ける。
『いいかい! あの子の力はとてつもなく強い! それを封じるには、強い魔力の者、もしくは強力な魔法の杖が必要だ……!』
『強力な――』
バリバリバリッ……!
今、アーデルハイトは「退魔の杖」をクラウスの首の後ろ――ぼんのくぼ――に向け、魔力を封じる魔法を放っていた。
アーデルハイトは、声を震わせ叫んだ。
「クラウス……! 私は生まれ持った魔法の呪いから、あなたを解放する……!」
アーデルハイトの頬を、涙が伝う。「生まれ持った魔法の呪い」――、アーデルハイトは、そのときそうはっきりと感じていた。クラウスは、自らの能力に縛られている、と。類まれな魔力の才能、それは生まれ持った幸運ではなく彼自身の魂を蝕む呪いだったのだ、と――。
「うわああああっ……!」
黄金色の光に包まれ、クラウスは崩れるように床に両膝をついた。
「クラウス――!」
キースは、細身の剣を構えることを止めていた。クラウスは、両膝だけでなく、両手も床につけ、四つん這いのような姿となり、苦しそうに呻き声を上げていた。
魔力を封じることが出来たのだろうか、魔力を持たないキースにはわからない。しかし、這いつくばるように悶えるその姿は、決して戦えるような状況ではない、それはすぐにわかった。
「アーデルハイト君!」
なにかを察したフレデリクが、アーデルハイトの両目を手で覆い隠した。
次の瞬間――。
ドッ……!
「なっ……!?」
キースは思わず息をのんだ。
クラウスが、手にしていた黒の剣で、自らの胸を一突きしていたのである。鮮血が、ほとばしる。
クラウスはキースを見上げ、笑った。
「ふふふ……! 魔力を持たない僕なんて、もはや、なんの価値もない……!」
血が、流れ続けた。黒の剣は、心臓を貫いていた。
「クラウスッ……!」
「そうだろ……? 『受け継ぐ者』……!」
クラウスの魔力は、完全には消失していなかった。わずかに残る魔力が、彼を苦痛から遠ざけ、彼に言葉を紡がせた。
「クラウス! 価値って、なんだよ!?」
キースは叫んでいた。クラウスの瞳の奥の、震える姿の少年に向かって――。
「もっと……、遠くまで……、行けると思ったのだがな――」
クラウスは、自嘲気味に笑う。寂し気な影が、その笑みによぎる。
キースは声を荒げた。
「遠くって、なんだよ!? 価値ってなんだよ!? おめーは生まれ持った大切な才能を、軽々しく使い、数々の尊い人の命を簡単に奪った! ただそれだけじゃねーか! なにも成し遂げてはいない、そしてどこにも行ってはいない……! そのうえ、自分の命すら自分勝手に終わらせる気かよ……!?」
「軽々しく……、だと……?」
クラウスはキースを見上げ、激しく睨みつけた。自身の血だまりの中に佇みながら。
「だって、そうだろ!? 破壊するなんて、誰でも出来るもっとも簡単な方法だ! 天から授かった恵みを、そんな簡単なことにしか使えないなんて――!」
キースは今まで見てきた。治癒の魔法で、病の少女を癒すアーデルハイトの姿を。疲れた体や傷口を、よい状態へと向かわせた、アーデルハイトやミハイル、妖精のユリエたちの姿を。そして旅で出会った不思議な存在たちの護りの魔法を。それから、防御の魔法を、自分だけでなく周りの人たちのために使うイデオンたちの姿を。人のために魔力を使う彼らの姿を――。
クラウスは、低い声で噛みしめるように呟く。
「……周りから愛され、ぬるま湯の中生きてきたお前になにがわかる……!」
キースは、燃えるような瞳で一喝した。
「わかんねーよ! わかるわけねーよ! くだらねえお前の愚痴なんか……!」
「僕の言葉を、愚痴、だと……!?」
「おめーの行動の、弁解にもなにもなってねえ!」
クラウスは声を立てて笑った。
「僕が弁解!? お前に弁解してなんになるって言うんだ!? 僕が、お前に認められたいと思ってるとでも……!?」
「……そうなんじゃねえのか」
キースは、冷静な口調で言い放った。
「! なにを、馬鹿な……!」
クラウスの声は、震えていた。アイスブルーの瞳も、かすかに揺れていた。
「誰かに認められたい、誰かに褒められたい、誰かに愛されたい――。それがおめーの本音なんじゃねーのか」
「なにを……!」
「別に、最初っから最後まで、『おめー』は『おめー』でしかない。自分を認める、それだけでいい話だったんじゃねえのか」
「なにを……、言って……!」
「王様になんてなってもならなくても、クラウス。おめーはおめーだ。無理やりなったところで、おめーの空虚さは埋まらないはずだ」
クラウスは激しく首を振った。心臓深く、剣が刺さったままだが、魔力が、彼の魂をいまだ肉体へ縛り付けていた。
「僕は……! 王になるべくして――!」
「王から遠いものほど、そう思うんじゃね?」
「僕が、完璧な王国を――」
キースは、深い息を吐くように呟いた。
「ヘリヤ女王陛下の背負っている重みを、苦しみを……。クラウス、あんたにはきっとわからないだろうな――」
限界が、近付いていた。魔力の楔が抜け落ちようとしていた。クラウスは、血の海となった床にふたたび両手をついていた。
「……愛していたよ」
キースがゆっくりと呟いた。
クラウスは、戸惑う。なにを言っているんだ、この男は――。この男は、なにを僕に言おうとして――。
「アーデルハイトも。王女、ビネイアも」
クラウスの思考が、一瞬止まった。
「なにを――」
アーデルハイト……、ビネイア――。二人の、美しいその名が、クラウスの魂に響いていた。
キースは、穏やかな口調で続ける。
「クラウス。あんたのことさ」
クラウスは、キースをふたたび見上げた。
キースは、クラウスの魂に届くことを切に願いつつ、呟く。
「あんたは、見えていなかっただけだよ」
そのとき、意識が朦朧としてきたクラウスの瞳には、キースではなく、自分の父の姿が映っていた。
「! 父さん……!」
「愛していたさ――」
クラウスの目には、父が笑っているように見えた。
父が、自分を認め、うなずいているように見えた。
愛してくれていた――。認めてくれていた――。
それは、幻影にすぎなかったのかもしれない。単なるクラウスの願望の投影だったのかもしれない。しかし、それだけでクラウスには充分だった。
クラウスは微笑みを返し、そしてうなだれた。
クラウスの頬に、一筋の涙が流れていた。それは、真っ赤に染まった床に落ちていくただ一滴の雫であり、うなだれた姿勢のまま誰の目にも留まることはなかった。
「……『受け継ぐ者』。僕は、なにも、敗北を認め逃げるために自分の胸に剣を突き立てたわけじゃないぞ……」
震えるクラウスの言葉は、クラウスの魂が間もなく旅発つことを意味しているように聞こえた。
「返さなければならないものが、あるからね――」
クラウスの細い肩も、倒れそうな体を支える腕も、震えていた。
「返さなければ、ならないもの……?」
キースは思わず聞き返す。
「アーデルハイトが……、アーデルハイトのパートナーが……。影のない男では、さすがにアーデルハイトが少し不憫だからな――」
「! クラウス!」
クラウスは顔を上げ、微笑みを浮かべた。
「ふふ……。まあ、こんな下品な男の影、どう考えてもこの僕には不似合いだからね――」
「クラウス――!」
「ふふ……。なにしろ君と違って、僕は――」
クラウスは、空を見上げるように天井を仰ぎ、目をつむった。
キースは、クラウスの言葉を待った。君と違って僕は、なんと言おうとしたのだろう。しかし、クラウスはそのまま、二度と言葉を生み出すことはなかった。
まるで糸が切れたかのように、クラウスの体は床に倒れた。魔族でも魔物でもないクラウスの体は、消え去ることはなかった。欲望のまま突き進んできた予言の魔法使いは、紛れもなくただの人間だったのだ――。
「クラウス……!」
キースの足元に、キースの影が映っていた。術者であるクラウスの命が果てない限り、影は戻らない、そういう魔法だったとキースは知る。
ギャオオオオオ……!
漆黒のドラゴンが炎を吐こうとした。
「王宮騎士団の仇、滅せよ!」
北の神殿騎士団長オッドが漆黒のドラゴンの体を斬りつけてその注意を引き、王宮騎士団長オッドの剣が漆黒のドラゴンの喉元を鋭く切り裂いた。
漆黒のドラゴンは、自分の主人の隣に寄り添うようにして倒れ、そして息絶えた。
犠牲は、計り知れないほど大きく重かった。
北の巫女の予言は、終息を迎えた。
雪と氷の季節は過ぎ、春の花が咲き始める。
北の神殿では、アップルパイの焼ける香りが漂っていた。
「ねえねえ! 北の巫女様! ほんとにほんとに、今日なの!?」
妖精のユリエが、声を弾ませていた。
「ええ。そうですよ。ユリエちゃん。間違いありません。はっきりとしたビジョンが見えましたからね」
にっこりと微笑む、北の巫女。まばゆい朝日が、彼女の金の髪に一層美しい輝きをもたらす。
「だから、アップルパイを焼いてもらってるんですよ?」
「清めの鈴」のセシーリアも、心から嬉しいようで、まるで歌うように話す。
「ああーっ! 早く、早く会いたいなあーっ!」
ユリエは羽根を震わせ、空中で一回転していた。
「ふふ。ほんとに、久しぶりになりますね」
柔らかな笑みを浮かべるのは、「知恵の杯」のラーシュ。
「きょうだい皆が揃うなんて、夢のようだな――」
同じく微笑む「退魔の杖」のコンラード。服はちゃんと着ていた。
桃色の花が彩を添えるこの日が、北の巫女の予言した晴れの日だった。
あの王宮での戦いの後からずっと、名匠オースムンの技を受け継いだ弟子たち、そしてノースカンザーランドの優秀な魔法使いたちの魔法によって、「滅悪の剣」のカイは「治療」を受け続けていた。
そして、今日、すっかり魔力の回復したカイが、「北の神殿」にやってくる日だったのである――!
どどどどど!
廊下を走る音。
テーブルの上に用意されていた、ティーカップが揺れる。
「キース! そんなに慌てて走らなくても!」
アーデルハイトが走るキースをたしなめる。ちょっぴりはしたないような、大声で。
「だって! 早くカイを迎えてやんなくっちゃあ……!」
「まだ、彼は到着してないと思いますが」
首を傾け、くすくすと笑うオッド。焼け焦げた髪は、短く切られていた。しかしその新しい髪形は、それはそれでオッドに似合っていた。
「体調が回復すると、途端にこの騒ぎですからなあ!」
愉快そうにエリアスが白い歯を見せる。戦いの後、キースたちは北の神殿に滞在し、療養していた。
「回復する前から、キースはなにかとうるさかったけどねーっ!」
レーヴィが、ふふふっと、悪戯っぽく笑った。レーヴィは、赤い髪をちょっと複雑に結い上げていた。新しい髪形になったオッドに触発され、イメージチェンジに挑戦中らしい。
「ところで、ヘリヤ女王陛下は、今月の吉日、正式に王位を継承したことを国民に発表されるそうですね?」
フレデリクが隣に立っていたヴァリオに尋ねる。クラウスの放った魔物との戦いで傷の程度のひどかったヴァリオも、北の神殿で療養していた。
「はい。正式に、女性であること、そして未成年であることを公表なさり、そして王となる旨、国民と他国に向け発表なさるとのことです」
「大丈夫でしょうか――」
フレデリクが、少し心配そうな表情を浮かべる。国民からの反発はないか、他国の態度が急変し不利益が生じないか、不安だった。
「予言の魔法使いが倒されたこと、たくさんの犠牲者が出たことも広く国民に知られています。逆に、少女でありながら王宮を守り抜いた奇跡の王として、国民に勇気と結束をもたらすものとして、歓迎されることと思われます――。それに、我々王宮騎士団が、全力で我らが王を守ります……!」
ヴァリオの力強い声に、オッドもうなずく。
「我々北の神殿騎士団も、同意です……!」
オッドとヴァリオは、笑顔を交わし合う。二人は、ノースカンザーランドの豊かな未来を守ることを、強く決意していた。あの希望に燃えた若き日々のように――。
「あっ! カイ兄さん、宗徳さん、ミハイルさんが来たみたいですよ……!」
セシーリアが明るい声を上げた。
実は、北の神殿の神官たちや国の高官たちの質問攻めや来訪の応対などで、北の神殿内でキースは身動きが取れない状態だった。宗徳とミハイルが、カイの迎えに行っていたのである。
「カイ! 宗徳! ミハイル!」
大声を出し、キースが走る。キースの顔には、輝く笑顔――。
皆も、笑顔になっていた。
北の巫女やセシーリア、ユリエはお茶の準備を始めた。
ベルトルドやハンス、そして幼い子どものいるイデオンやアンネはすでに帰国の途に就いていた。
ラーシュの主人であるフレデリクは、ラーシュがきょうだいと再会出来るよう、北の神殿に残っていた。しばらく滞在ののち、ラーシュと共に帰国する予定だ。
北の神殿騎士団のエリアス、オッド、そして王宮騎士団長ヴァリオは明日から本来の任務に復帰する予定である。
レーヴィは、皆が帰国するころ、一応港町に帰る予定だが、大好きなカイかフレデリク、どちらかについていくのも楽しそうだなどと、不穏な企みも考えている。でも、アタシを待ってる人たちをあんまり待たせられないからあ、と結局は予定通り港町行きになりそうだ。
宗徳は、姉とその家族の家を訪問した後、帰国し自分の両親の墓を守るつもりだ。
ミハイルは、その功績を称えるという形で、コンラードを連れていくことを認められた。神官たちや国の高官たちの反応を待たず、ヘリヤ女王陛下やガーブリエル、北の巫女らによってそう決定された。功績云々は置いといて、初めからヘリヤたちは、「コンラードは、コンラードが主人と決めたミハイルに仕えるべき」、そう考えている。
ミハイルはコンラードと共に自分の故国へ帰り、退魔士として人々の暮らしを守り続けるつもりだ。
キースは、神妙な顔つきでアーデルハイトに尋ねていた。昨晩の話である。
「シーグルトっちの墓参りをしてから、アーデルハイトのご家族に会いに行きたいと思う」
「……うん……!」
アーデルハイトは、キースの青い瞳を見つめ、うなずいた。
「それから――、俺の両親のところに挨拶にきてくれないか……?」
アーデルハイトは頬を染めた。
「……うん……!」
キースの言葉の意味は、わかっていた。
「出来れば……、なんだけど、俺の国で、その――、一緒に、暮らさないか……?」
アーデルハイトの薬指の指輪が、月の光を受け輝いていた。それは、「新巻鮭」の封印されたちょっとヘンテコ指輪なのだが――。
「うん……!」
アーデルハイトは、キースの首に両腕を回し、抱きついた。
「俺と、アーデルハイト、ユリエと、ルークと、ゲオルク。そして……、カイ! 大家族になるけど、いいかなあ……?」
「もちろん……!」
アーデルハイトの目に、涙が光る。喜びの、涙――。
「それにしても、アーデルハイトの生まれ故郷と、俺の故郷、この旅が終わっても、俺たち、なんだか旅だらけだな……!」
「うん……!」
「まあ、人生は『旅』だって言うしね……!」
「うん……!」
二人は笑い合い、口づけを交わした――。
そよぐ風が、春を運ぶ。
北の神殿の玄関に、三人が立っていた。
笑顔の三人。
宗徳と、ミハイルと、そして――。
「おかえり……! カイ……!」
キースは走る。「滅悪の剣」カイのもとへ――。
「はい……! ただいまです……! キース……!」
アップルパイの甘い香り。カイのためには、とびっきりの林檎酒が用意されていた。
旅で育まれた絆。いつかはそれぞれの道を歩む。それぞれがそれぞれの物語を紡ぐ。しかし、今は皆一緒にいた。共に確かな時間を共有していた。
「アップルパイ、美味しいねーっ!」
弾けるような笑い声が青空に響いていた。




