意外な主
『俺は、またキースの故郷で暮らしたいな』
遠く浮かぶ三日月を眺めながら、そう呟いていた、カイ。
なんでこんなときに、思い出すんだろう、とキースは思った。
なぜ急に、なぜ、今――。
なんでもないときだったなら、別にどうってことはない思い出の一コマのはずだった。なぜ唐突に、そしてなぜこんなときにあのときの言葉が、あのはにかんだ笑顔が浮かんできたんだ、とキースは思う。
床に落ちた、「滅悪の剣」。
一瞬のはずだが、時間が止まっているかのようだった。
どうして俺は思い出してるんだ、とキースは思う。
暮らせる、当たり前のことじゃないか、この旅が終われば、とキースは思う。
俺は、故郷に帰る。カイも一緒に帰るのは当たり前じゃないか、とキースは思う。
胸が痛い。息が、うまく出来ない。
頬に流れているのは、たぶん涙――。
キースは、自分に質問する。どうして、俺は、一人震えているんだろう――。
――今、カイのそんな言葉を思い出すなんて、それじゃ、まるでカイが……!
冷たい床に横たわる、世界でただひとつのその剣は、輝きを失っていた――。
「カイーッ!」
キースは「滅悪の剣」を取ろうと走り、手を伸ばす。キースの瞳には、「滅悪の剣」しか映っていない。必死に手を伸ばし、身をかがめたその姿は、まったくの無防備だった。
クラウスは、にやり、と笑う。ほのかな朱色の唇が、耳まで裂けているのではないか、と思われるほどの狂気じみた笑みを浮かべる。
キースの至近距離に音もなく駆け寄ったクラウスは、キースの首元に向け黒の剣を振り上げる――。
「隙だらけだな! 『受け継ぐ者』……! これで、お前も終わりだ……!」
クラウスは、ただ剣を振り下ろす。まっすぐに、頭と胴体を繋ぐその部分に向け。
それだけで、すべてが終わる、そうクラウスは信じていた。
ガッ……!
固い音。
キースの首が落ちた、そうクラウスは思った。
が、床に、それらしきものはなかった。一滴の血すら、見当たらない。
それは、奇妙な手応えだった。
「なっ……!」
クラウスの振り下ろした剣の下には、想定していた人間の皮膚ではなく、なにか異質な物体があった。
意外な物が、剣の軌道の邪魔をしていた。クラウスは驚きで目を見張った。突然出現した邪魔な物それ自体が意外であったが、それ以上にその物を使っていた人物が、クラウスにとって意外な人物だった。
「フレデリク、先生……!?」
クラウスの黒の剣の動きを止めたのは、剣ではなかった。
それは、魔法使いが持つ「杖」だった。そして、それを持っていたのが、フレデリクだった。
クラウスに言わせれば、魔法学校の「凡人」の教師。
「クラウス君……! あなたは、ラーシュ君の誘拐のみならず、キース君の影まで盗み取っていたのですね……!」
フレデリクの眼鏡の奥の瞳が、厳しくも鋭い光を放つ。
「なぜ……!? なぜ……!?」
あの、冴えない変わり者の教員。なぜ、そんな男が剣の邪魔が出来るのだろう、とクラウスには不思議だった。阻止出来たのが偶然、たまたま運に恵まれていたとしても出来過ぎである。自分の剣は「受け継ぐ者」の剣術そのもの、普通の人間に止められるはずはない――。しかも、「魔法の杖」とは大抵木製である。なぜ、こんなに硬いのか、なぜ今だに剣の動きを止めていられるのか、クラウスの頭は様々な疑問で混乱していた。
「ふふ。クラウス君。なにもそんなに驚いた顔をしなくても。私はね、実は魔法より武術のほうが好きでね――」
「な……!」
驚愕の表情を浮かべ続けるクラウスに対し、フレデリクは涼しい顔で――その眼だけは鋭いままだったが――話を続ける。銀縁の眼鏡も、急いでクラウスの剣を止めに入るという激しい動作のため曲がってずれていたが、フレデリクは一向に構わない。
「魔法の才はなかった私ですが、好きこそものの上手なれ、武術の腕には自信がありましてね。この杖も、棒術として戦えるように、ちょっと仕込んであるんです」
「なんだと……!?」
港で、長机を飛び越え、クラウスに掴みかかり、殴ろうとしたフレデリク。そういえば、フレデリクのあのときの動き、尋常ではなく敏捷で力強かった、とクラウスは混乱した頭で思い出す。
「おおっと。つい長話をしてしまうのが教師としての私の悪い癖ですね」
ガッ!
フレデリクの杖が、クラウスの剣を思いっきり弾き返した。そして間髪入れずフレデリクは右足を少し曲げながら風を切るように上げ、すねでクラウスの脇腹を蹴った。フレデリクは瞬時にラーシュ――「知恵の杯」――が隠されている場所を魔法で探り、クラウスの胴体の中でもラーシュに影響が出ない箇所を狙って攻撃したのである。
「うっ……!」
クラウスは蹴られた衝撃で、弾き飛ばされ床に倒れ込む。
「キース君! ぼんやりしてる場合じゃありませんよ!」
フレデリクが、「滅悪の剣」を握りしめたまま震えるキースを怒鳴りつけた。
「カイが……! カイが……!」
キースの頬にはとめどなく涙が流れ続けていた。
――カイ……! ごめん……! ごめんよ……! ああ……! カイ……!
キースは、「滅悪の剣」――カイ――を胸に抱きしめるようにして嗚咽し続けた。
「カイ君は無事です! ただ、今後の戦いは、キース君、あなたの腰に差している細身の剣で戦ってください!」
フレデリクの大声が、キースを現実に引き戻した。
「え……」
――フレデリク先生……? 今、なんて……?
『カイ君は無事です』
言葉として、情報として耳に届いたが、キースはそれをまるで初めて聞く言語のようにゆっくりと心の中で反芻した。
キースはフレデリクを見上げた。
――カイが……、無事……?
手の中の「滅悪の剣」はなにも反応がないように思えた。
キースは、状況がよく飲み込めない。
「さっきの、カイ君を包んだオレンジ色の光、あれは私が放ちました!」
「え……」
キースは、フレデリク先生の眼鏡、曲がりすぎだよなあ、とぼんやりと眺めていた。まだ状況が、フレデリクの言っている内容が理解出来ない。
「カイ君は、あれ以上の戦いは危険でした! 今までの戦いの疲労が、彼の魔力の限界を超えようとしていました。きっと、彼は自分の魔力が尽きるまで戦うつもりだったのでしょう……!」
「え……」
「私が、カイ君の動きを、活動を、無理やり止めたんです! そうでもしないと、カイ君の命が危なかった!」
「え……」
――活動を、止めた……?
キースは、フレデリクの曲がっている眼鏡――それは喜劇のように滑稽だったが――より、フレデリクの瞳をまっすぐ見つめた。
「カイ君は魔法により守られ、一時的に眠っているだけです! だから、キース君は、その細身の剣で戦ってください!」
「え……!」
キースの顔に、たちまち喜びが広がっていく。
カイの、微笑みが心に浮かぶ。
穏やかな声が、心の中に響き渡る。
『救世主に必要なものは力ではありません。心です』
『あなたらしくいてください。それがきっと、救いになります』
『誕生日、おめでとうございます』
『はい! ほんとのただいま、です! キース!』
あたたかな、春の日差しのようなカイの笑顔――。
「カイ……!」
キースの体中に、力がみなぎっていく。希望の、力が――!
「そこで喜んでないで、戦ってください! あんまりぼーっとした顔してると、あなたのことを殴りますよ!」
フレデリクが、キースの目の前で「グー」を作る。行動が奇抜なフレデリクなら、誇張などではなく本当に殴りかねない。
「フレデリク先生! 本当かっ……!」
「ここで嘘を言ってなんになるんです!」
「先生……!」
キースは勢いよく立ち上がった。フレデリクを、抱擁するくらいの勢いで。
「ありがとう! 先生!」
ゴウッ……!
漆黒のドラゴンが、キースとフレデリクを目がけて炎を吐いた。
――しまった! 忘れていた……!
うかつにもドラゴンの炎の攻撃を、キースとフレデリクは忘れていた。
「守りの盾っ! 灼熱の炎より我らを守り給え……!」
大急ぎでフレデリクが防御の呪文を唱えた、そのときだった。
ドーッ!
背後から、勢いよく水音がした。まるで、滝のような水が、キースとフレデリクの背後から、床に対して水平に噴出されていた。
まるで、水道管やホースなどから大量の水が噴き出したようだった。
その水は、漆黒のドラゴンの炎の柱とぶつかり合った。
水の柱と炎の柱は激しくせめぎ合う。二つの力はしばらく拮抗していたが、互いの威力を消し合い、やがて空中で消失した。
「え……!? 今の、魔法ですか……!?」
驚きながらフレデリクが、水の柱を放ったであろう主を見る。
「え……! まさか……!」
キースも驚いていた。
振り返った先、そこにいたのは、アーデルハイトと、ドラゴンのゲオルクだった。
「ゲオルク……!」
意外なことに、アーデルハイトも驚きの表情を浮かべていた。
アーデルハイトは、今見た光景を信じられないと思いつつ、ある結論を導き出す。
「ゲオルク……! あなた、水の柱を放てる、ドラゴンだったのね……!」
「きゅうー!」
アーデルハイトも、今初めて知ったのだった。
ゲオルクは、水の柱を口から放つことの出来る、大変希少なドラゴンだった。
「きゅ!」
皆の注目を集め、ゲオルクは照れくさそうにほんの少し首を傾げた。
実は、ゲオルク自身も自分の特異な能力を、そのとき初めて知ったのだった。




