第16話 最後の会話、これからの会話
カイは、ふと気が付く。
ささいなことのようで、実は大きな変化に。
あれ? いつの間にか俺、キースさんのこと自然に呼び捨てにしていたな――。
人ではなく、剣であるカイ。カイの主人だったエース――キースの曾祖父――のときは、「エースさん」と「さん」付けで呼んでいた。それはずっと変わらなかった。
キースとその曾祖父エースは、外見も性格もそっくりだった。隔世遺伝というものなのだろうか。しかし、考えてみれば、カイはエースに対して格闘技のまねごとをしてふざけ合うということもなかった。
剣と人間がじゃれ合う、奇妙な話である。
なんだろう、とカイは思う。ささいなことだが、不思議だなあ、と。
いつの間にか、永い眠りの後、俺自身が変わったのだろうか。それとも、エースさんとの交流があってからの出会いだからなのだろうか。それとももしかして、キースが特別不思議な人間だからなのだろうか――。
カイはふと、エースとの最後の会話を思い出していた。
遠い昔。ある秋の晴れた午後。青い空に、紅葉が目にも鮮やかだった。
エースは、すっかり年老いていた。そして自分の命はもう長くないと知っていたようだった。寝たり起きたりの毎日が続いていた。しかし、今日はだいぶ調子がいいようだ。
エースは豪華な装飾の箱――内側は布張りでふかふかになっている――を手にし、家の裏手の納屋へ向かう。足元がおぼつかない。「滅悪の剣」であるカイは、剣の状態でエースの腰に差されていた。
エースは納屋に入ると、カイに声をかけた。
「カイ。俺の体は、もう何日ももたないと思う。出来れば、もう一度だけお前と話がしたい。なんとか……、人の姿になれないだろうか……?」
少しの沈黙の後、カイは青い光を放った。弱弱しい光。光はゆっくりと人の姿を紡ぎ出す。
「……お久しぶりです。エースさん」
「カイ! 久しぶりだなあ!」
なんとか人の姿になることができたが、思っていた以上に負担が大きかった。エースに向かって、微笑む。輝く笑顔を見せてあげたかったが、正直立っているのもやっとで、うまく笑えているかどうか自信がなかった。
「……なんとか変身できました。短い時間でしたら、お話できます」
「ごめんな。どうしても、お前に聞きたいことがあって――」
「なんでしょう?」
エースは語り出す。一言一言ゆっくりと、かみしめるように。
「遺言を書いたんだ。お前のこと、納屋に隠すよう妻に頼むことにしたんだ。俺が死んだら、お前をこの箱に入れて納屋に隠しておくようにって。それで、いいだろうか?」
エースの妻だけが、カイが魔力を持つ特殊な存在であるということを知っていた。妻だけが、エースの不思議な旅の全容を知っていた。
「カイ。お前にとって、それで本当にいいのだろうか? 正直なところ、教えてくれ」
エースが自分のこれからを案じてくれている――、カイは胸がいっぱいになった。
「ありがとうございます。それでいいです」
「暗闇の中、一人で辛いとか寂しいとかないか?」
「大丈夫です。今より深い眠りに移行しますから」
「よかった……! お前が狭い箱の中で苦しんだりしないか、それだけが心配だったんだ!」
「俺のことそんなに考えて――! ありがとうございます」
カイは自分の瞳に、なにか熱いものを感じる。初めての、感覚――。
「……お前も泣くのか」
言われて、気付く。
そうか。これが、涙……。俺は今、泣いてるんだ――。
「泣きます」
「そうかあ」
頬を、涙が伝う。涙。それは、ヒトの涙と同じ、まぎれもない涙だった。
「泣きます!」
自分の感覚を確かめるように、叫んでいた。
俺も、泣くことができるんだ――。
エースの瞳にも、光るものが。エースも、叫ぶ。
「そうかあ!」
顔が、胸が、熱い。カイは、拳をぎゅっと握りしめ、叫ぶ。
「あなたと会えなくなると思うと、さらに泣けてきます!」
「ふふふ。そんなこと言われると、俺も泣けてくるじゃないかあ!」
そのときカイは、ひとつの決意を固める。
今、ひらめいたことだった。
その決意は、とても大切なことのような気がした。
「俺は、言わなきゃいけないと思ったことは、言うことにしました」
傍にいるのに、言葉で伝えられないもどかしさをずっとカイは感じていた。人の「生」の短さを、カイは知っていた。一瞬のはかなさ、大切さをカイは知っていた。
人と違う、自分の久遠とも思える「生」を、後悔で埋め尽くしたくないから――。
エースも、泣いていた。泣きながら、笑っていた。カイもつられて泣きながら笑う。実は、人間でもない自分が、そんな芸当ができるとはカイ自身も知らなかった。
「この姿で、エースさんと会話が出来たのはあの十日間だけでしたが……。でも、ずっと一緒でした。エースさん、あなたの歩んできた道を、常に俺も並んで歩んでいました」
「カイ、今まで本当にありがとう」
エースは、カイを抱きしめていた。
遺言で妻に頼まなくても、自分の手で今、納屋にカイを隠してしまってもよかったのだろうが、エースはそうしなかった。なるべく、本当に最期の瞬間まで共にいる、そう考えていたに違いない。
カイの瞳をまっすぐ見つめ、エースは笑った。
「カイ。お前は死線を越えた仲間。俺の大切な相棒だからな――!」
それから三日後、エースの魂は本当に旅立ってしまった。永遠に――。
最初、キースと出会ったとき――キースが納屋で偶然箱に入っていたカイのことを見つけた――エースの生まれ変わりなんじゃないかと思った。でも、すぐに違うと感じた。
とても似ているけれど、異なる魂。キースと接すると、いつも新鮮な驚きがあった。その驚きは、今も変わらない。そして、この先もキースにはなにかと驚かされることだろう。
カイは思う。もしかしたら、クラウスとの戦いで自分も命を落とすかもしれない。あるいはもしかしたら、クラウスに勝利し、数百年、千年と生き続けることができるかもしれない。長い年月の間、様々な新しい主人に仕えることになるのかもしれない。
どちらにせよ、自分は幸せだと思う。エースとキース、自分を対等のひとつの魂と認めてくれ、まるで友のように接してくれる二人の主人に出会えたから。それだけで、生まれてきてよかったと思う。
ただの魔力を持つ「物」ではない、魂を持ち、名を持ち、一個の人格と呼べるものがある、そう胸を張って言える。今を生きているという実感がある。肉体を持ってこの世界に立っているという確かな手ごたえがある。
二人の主人と過ごす日々、それはこの先何千年経とうと色あせない、きっと自分にとってかけがえのない生きた証の時間となるのだ――、そうカイは感じていた。
夕日が金色に輝く。キースたちは、一つの町にたどり着く。
「今晩はここで過ごすことにしましょう」
アーデルハイトが皆に呼びかける。
「んー。ハラ減ったなあー!」
伸びをしてから、ハッとキースは思い出す。
アーデルハイト、まだ怒ってんのかな?
キースには、なぜ先程アーデルハイトが怒ったのかわからない。わからないから謝りようもない。
「……キース。ごめんなさい」
「へ?」
思いがけず、アーデルハイトのほうから謝ってきた。
「キースは、全然悪くない……。ごめんなさい」
「う、うん?」
「あの……。ありがとう」
今度はお礼を言ってきた。
なんだろう? いったい、なにがなにやら――。
「私のこと、真剣に心配してくれたんだもんね……」
「うん……?」
アーデルハイトは、自分の気持ちをどう表わしたらよいか迷っているようだった。うつむいて少し考え込んでいる――。
「あの……」
「うん……?」
アーデルハイトは顔を上げた。もう、明るい笑顔になっていた。
「私は、大丈夫だから! だから、心配しないで!」
「お、おう。わかった」
言った後、またアーデルハイトは少しうつむいた。またなにか考えている様子。そして急に顔を上げた。
「え、ええと! やっぱり、心配しないで、っていうのは取り消す!」
「へ?」
キースは目が点になる。
アーデルハイトは、俺になにを伝えようとしているんだろう?
「心配なときは、また心配して……!」
「ん?」
どーゆーこと?
キースは戸惑う。どういう意味なのか、よくわからない。
「大丈夫なときは大丈夫だから、心配なときに心配して!」
やや乱暴に叫ぶアーデルハイトの顔は、真っ赤だった。
「よ、よくわかんねーんだけど……」
無茶苦茶な要求だった。
「心配なときに、心配すればいいのか?」
俺は心配だから心配したのだが……?
思わず、首をかしげる。
「ごめん……。あの……」
「んん?」
「……とりあえず、帰れって言うのだけはやめて……」
「……うん。わかった」
ようやく、話が掴めてきた。
そうか。アーデルハイトは、帰ったほうがいいって言われたのが嫌だったのか。
「私、大丈夫だから……」
アーデルハイトは、なんだかもじもじしている。
「……そうか。アーデルハイトは家に帰りたくないのか。家のほうでもなにか色々あるんだ――」
「……そういうことじゃないっ!」
「へ……?」
キースの頭は疑問符で一杯である。
アーデルハイトは、前を向き歩き出してしまっていた。少しばかり、早足で。
なんだか取り残された気分のキース。
「カイ……。今の、なんだったかわかるか?」
カイは笑っていた。
「おそらく、ですけど」
「なんだ? 教えてくれっ!」
「……一緒に旅を続けたいようですよ」
「なーんだ! そんならそうと言えばいいのに!」
カイは、なにか意味ありげに笑っていた。
「あとは、自分で考えてくださいね」
「えっ? なにっ? 今の会話に、まだなんかあったの?」
「さあ……?」
くすくす、とカイは笑う。
「……やっぱり、よくわかんねーっ!」
これからの会話で、焦らず少しずつ積み上げていってくださいね、とカイは思う。
まだまだ、あなたとアーデルハイトさんの間には、時間はたっぷりありますから――。