第14話 抱擁
ちょっと細めの石畳の道、くねくね。
ペガサスのルークのリズミカルな蹄の音を聞きながら、アーデルハイトはつい先ほどのキースの豪快な奢りっぷりを振り返る。
太っ腹が過ぎる。
「見ず知らずの人たち、しかもあんな大勢に奢っちゃって。よかったの? ほんとに」
白い雲が浮かぶ、のどかな晴れ空の下、アーデルハイトは呆れ顔だ。
「いいんだよ。俺がそうしたかったんだから」
キースはなんてことない、といったふうに白い歯を見せた。
「……ほんとに、変わってる」
とんでもない言動。予想外のことをのたまい、そしてしでかす、天然男。
裏道に佇む古びた本屋の前に置かれている、薄黄色の花の鉢植え。通り過ぎざま、甘い香りが届く。
私のこと、急に抱きしめたり。
唐突に思い出す、水晶の洞窟でのできごと。ぼっ、と顔から火が出るような気がした。
いかん、いかん! なにを、思い出して――。
アーデルハイトは、記憶を振り払うように急いで頭を左右に振った。
「あの食堂の連中、たぶんアーデルハイトのことしか思い出さないだろうなあ」
「へっ?」
キースの予想外の呟きに、思わず変な声で返事をしてしまった。まだ自分の顔は、赤い、と思う。
「やっぱ、気になる異性の顔しか、覚えてないだろうからさ」
ははっ、とキースは笑う。
「俺だったら、絶対そうだもん」
アーデルハイトは、ちょっと目が点になってしまった。
俺だったら……?
「あ。でさー、せっかく大きな町なんだから、ここでも買い物とか……」
キースの思考は、すでに次の話題へ移っていた。
俺だったら――。
キースは長旅に必要な買い物をしようと提案している、そのことはわかった。わかったはずなのだが――。
気になる、異性……?
小径に降り注ぐあたたかな日差し、心地よい風。ルークの軽やかな蹄の音。
長い金の髪を風に吹かれるままに、アーデルハイトは自分の頬が勝手に熱いままでいること、その意外な事実に当惑していた。
くねくね道から、まっすぐの道へ。
たくさんの店が立ち並ぶ。珍しい物を扱った店もある。キースたちは、旅に必要なものや掘り出し物がないか、見て回ることにした。
ルークが純白のペガサスということで、やはり人目を集めた。通り過ぎる人は皆振り返った。話しかけてくる人も多い。当のルークはというと、我関せず、といった様子で、見知らぬ人に触られても、特別嫌がりも喜びもしないようだった。ちなみに、ドラゴンのゲオルクは、親しげに話しかけられても撫でられても大喜び、常に大歓迎といった様子だった。
「あっ! あんなところに! 甘蜜花!」
キースの肩の上から、妖精のユリエが声を弾ませる。ユリエが指さすほうを見ると、人ごみから離れたちょっと開けた場所に、釣鐘のような形をしたピンクの花が、一本だけ咲いていた。野の花にしては、大きくて目を引く。
「これ、私もルークも大好きなの! とっても美味しいの!」
「へえ。名前から察すると、蜜がとても甘い花ってことか」
キースが見たことも聞いたこともない、花だった。
「うん! 私もルークも、花びらごと食べちゃうんだ! あっ、でも確かお花は、人間は食べないっぽいけど」
ルークはキースを元気よく引っ張り、ユリエも早く食べたいとばかり、キースの肩から飛び立ち、一足先に花のほうへ飛んで行く。
瞬間。
キースは、異様な気配を察知した。
なんだ……!?
強烈な違和感。ただならぬ危険な気配を感じた。カイもそう感じたのか、素早く剣の姿に変化する。青い光をまとい、宙に浮いたような状態のカイ――滅悪の剣――を、キースはすくい取るように掴む。
ギンッ!
金属音。重い手応え。
な、なに……?
キースは息をのむ。人の気配はなかった。誰もいない、そのはずなのに――。
キースめがけ、剣を振り下ろす者がいた。キースはその剣を、「滅悪の剣」で受け止める。剣と剣がぶつかり合う。
「キース!」
後ろから、悲鳴のようなアーデルハイトの叫び声。
突然襲ってきたのは、男。その男は、長い金の髪にアイスブルーの瞳の美しい容貌をしていた。
「貴様、なに者……!」
剣を合わせたまま、キースが尋ねた。
まさか……、まさかこいつが……!
「クラウス!」
アーデルハイトが叫んでいた。
「貴様がクラウスか!」
クラウスと呼ばれた男は、氷のように無表情だった。
「妖精……、ペガサス……、受け継ぐ者……」
無機質な声で呟いていた。
こいつ、この目、この気配……。こいつは……、人間じゃねえ!
キースの感覚が、そう告げていた。
滅悪の剣が、強い光を放つ。それとほぼ同時に、キースが男の剣をはねのけていた。
現れたときと同様、唐突に――。クラウスと呼ばれた男は、姿を消した。
「消えた……!」
驚くキースの目の前に、ひらひらと、白い小さな紙が一枚舞い降りてきた。
「これは……。人形……?」
その紙は、小さな人の形に切り取られていた。
アーデルハイトが、その人形を手に取る。
「これは――。クラウスによって練られた術だわ……!」
「さっきの男の正体は、この紙の人形だったのか……!」
カイが、人の姿に戻る。
「『受け継ぐ者』、北の巫女様の予言の救世主は、証として妖精とペガサスを連れていることになっています。クラウスは、ノースカンザーランドを目指す予言の救世主が、この都市に立ち寄る可能性を考えて、妖精とペガサスが好む甘蜜花の近くに術を仕掛けておいたのでしょう」
カイが冷静な声で分析した。
「クラウスが……、クラウスが……!」
アーデルハイトの顔は真っ青になっていた。
「クラウスは本気だわ……!」
震えるアーデルハイト。今にも倒れそうなアーデルハイトの体をキースが支えた。
「アーデルハイト! やつは、もうアーデルハイトの知っているクラウスじゃない。やつのことは、もう忘れるんだ!」
「クラウスが、本気で……! 本気で人を殺そうと……! クラウス……!」
アーデルハイトは、うわごとのように呟き、キースの腕の中で震えた。
「あれは、本気で人を殺そうとした術……!」
「アーデルハイト! お前の知っているクラウスは、もうどこにもいなくなってしまったんだ!」
キースは叫んでいた。
「やつの魂は、もう光の届かない闇の底へ堕ちてしまったんだ!」
そこから北の小さな町。クラウスは、自分の仕掛けておいた術が破られたことを感知した。
「ふむ。どうやら本当に『受け継ぐ者』とやらが現れたようだ」
美しい口元に笑みが浮かんでいた。
クラウスは、予言の『受け継ぐ者』があの程度の仕掛けで始末できるとは最初から考えていない。
「まあ、挨拶代わりにはなったかな?」
アイスブルーの瞳が、怪しい光を放つ。
「……ふふふ。なあ、『知恵の杯』のラーシュさん」
クラウスの手には青い杯。『知恵の杯』のラーシュだった。
知恵の杯のラーシュ。彼は、沈黙を続けていた。
アーデルハイトたちは、花咲く静かな公園に来ていた。緑の風が優しくそよぐ。
「アーデルハイト。少しは落ち着いた?」
キースが近くの屋台から、温かい飲み物を買ってくれていた。ベンチに腰かけていたアーデルハイトは、キースから飲み物を受け取る。甘くよい香りの湯気が漂う。
「……ありがとう。キース」
泣きはらした目。きっと、今自分はひどい顔だ、とアーデルハイトは思う。
「ごめんね……。ごめん……。キースのほうが、恐ろしい目にあったのに……」
ショックで身動きも取れず、ただ見ていただけだった。なにもできなかった。自分の無力さに、悲しくなる。
なにが、私がクラウスを止める、よ――。
また涙があふれそうになる。
「私も怖かった! たぶんルークもゲオルクもカイも、怖かったと思う!」
ユリエが挙手をしながら、キースの懐から顔を出す。実はずっと怖かったらしく、キースの懐深く隠れていたようだ。
「ユリエ。俺は平気ですよ。キースも、大丈夫です。平気ですよ」
カイが優しい微笑みを浮かべる。ユリエに、というよりアーデルハイトのために言ってくれているようだった。
「ユリエ。ユリエも温かいの、飲むか?」
キースが自分用に買った飲み物を、ユリエに差し出す。
「飲むーっ!」
「ユリエには、だいぶでかすぎたか?」
心配は無用である。ユリエはすごい勢いでカップの飲み物を飲んでいる。
キースの視線を感じる。
「アーデルハイト……」
痛いほど、自分を案じてくれている気持ちが伝わってきた。いつまでも、動揺していてはだめだ、と思う。
「……美味しい」
アーデルハイトは甘い飲み物を、ゆっくりと口に入れた。体中に染み渡るような優しい味。
「アーデルハイト。大丈夫か?」
「うん……」
目の前を、年老いた夫婦がゆっくりと歩いている。散歩のようだ。仲睦まじく手をつないでいた。
「なんか……。気持ちが落ち着く魔法とかってないのか?」
心配そうに覗き込む、キースの優しい瞳。
「……あるわ」
暖かい日差しに、老夫婦の姿は輝いて見えた。
「あるのか。じゃあ、ちょっと試してみたら?」
魔法――。
そういった魔法があることはあるが、今は使える自信がなかった。
自分自身がどうしようもなく不安で、また倒れてしまいそうだったから。
そう……。たとえば……。
寄り添う老夫婦。支え合う人と人。とてもあたたかい光景――。
「……誰かに抱きしめてもらうこと……、かな?」
上目遣いで冗談っぽく言ってみた。冗談として、それくらい言ってみても、いいかな、と思った。
キースは黙ってアーデルハイトを抱きしめた。
正直、驚いていた。でも――。
今。今だけ。だから――。
「うん……。落ち着く……、かも」
とくん。とくん。
キースの鼓動が聞こえる。
ベンチの前を、子どもたちが走り抜ける。楽しそうにはしゃぐ声。しかし、アーデルハイトは安らかな鼓動のリズムに包まれていた。
「ありがとう……」
アーデルハイトは、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。




