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旅男!  作者: 吉岡果音
第三章 足し算は、無限大
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第14話 抱擁

 手を伸ばす。そうしたら、触れられる距離。


 細い石畳の道、アーデルハイトは大きな背中を見つめながら歩く。

 ペガサスのルークの手綱を取って歩く、キースの背中を。


 あのとき。トモダチ以上の気持ちがあったのだろうか。


 深い意味はないのだ、忘れよう、そう思う。


 でも――、つい思い出してしまう。水晶の洞窟で、キースに抱きしめられたことを――。


 古びた本屋の前に植えられた大きな木には、薄黄色の花。通り過ぎざま、甘い香りが届く。


 期待するな、私。


 そこで、アーデルハイトの足は止まった。


 期待? どうして今、期待、と思ったのだろう? 期待ということは、私は望んでいるのだろうか? 友情以上のなにかを――。私はまさかキースのことを……?


 そこまで考え、アーデルハイトは頭を左右に振った。あまり深く考えるのはよそう、と無理やり心の奥深くに思いを押し込んだ。


 でも、思い出してしまう。キースのあのたくましい胸を、力強い腕を、そして優しいぬくもりを――。


 胸の奥が甘く疼いた。


 触れてみたい。


 広くたくましい背中。手を伸ばせば簡単に触れられる距離――。

 思わず手を伸ばす。


 私は、伸ばした手をどうしたいのだろう……?


 アーデルハイトの細く長い指は、ためらいがちに空をそっとつかみ、そして――。


「……でも! でも! こいつは……、アホなんだ!」


 アーデルハイトは思わず声に出していた。伸ばした手は、もう降ろされていた。


「えっ!? 誰がアホって!?」


 キースが振り向く。キースは「アホ」という単語に敏感になっていた。


「心当たりがありすぎるようですね」


 カイが笑う。キースは、カイを羽交い絞めにした。


「私ったら、どうかしてる……」


 アーデルハイトはため息をつく。


 顔が熱い。体が熱い。一人で、ばかみたい。


 キースのせいだ、とアーデルハイトは思う。


 キースが悪いんだ。キースがあんなに強く抱きしめたりするから――。心まで、抱きしめるから――。


「……ばか」


 アーデルハイトは小さく呟いた。キースもカイもプロレスごっこのようにふざけあっていて、アーデルハイトのため息のような呟きは聞こえていないようだ。

 もっとも、聞こえたところで「誰がばかだって!?」といった具合に、キースは言葉の額面通りにしか受け取れないだろうけれど。その裏にある、繊細で密やかに揺れるアーデルハイトの心のひだには気付かないだろうけれど。




 少し歩くと、大通りに出た。

 たくさんの店が立ち並ぶ。珍しい物を扱った店もある。キースたちは、旅に必要なものや掘り出し物がないか、見て回ることにした。

 ルークが純白のペガサスということで、やはり人目を集めた。通り過ぎる人は皆振り返った。話しかけてくる人も多い。当のルークはというと、我関せず、といった様子で、見知らぬ人に触られても、特別嫌がりも喜びもしないようだった。ちなみに、ドラゴンのゲオルクは、親しげに話しかけられても撫でられても大喜び、常に大歓迎といった様子だった。


「あっ! あんなところに! 甘蜜花!」


 キースの肩の上から、妖精のユリエが声を弾ませる。ユリエが指さすほうを見ると、ちょっと開けた場所に、釣鐘のような形をしたピンクの花が、一本だけ咲いていた。野の花にしては、大きくて目を引く。


「これ、私もルークも大好きなの! とっても美味しいの!」


「へえ。名前から察すると、蜜がとても甘い花ってことか」


 キースが見たことも聞いたこともない、花だった。


「うん! 私もルークも、花びらごと食べちゃうんだ! あっ、でも確かお花は、人間は食べないっぽいけど」


 ルークはキースを元気よく引っ張り、ユリエも早く食べたいとばかり、一足先に花のほうへ飛んで行く。

 瞬間。

 キースは、異様な気配を察知した。


 なんだ……!?


 強烈な違和感。ただならぬ危険な気配を感じた。カイもそう感じたのか、素早く剣の姿に変化する。青い光をまとい、宙に浮いたような状態のカイ――滅悪の剣――を、キースはすくい取るように掴む。


 ギンッ!


 キースめがけ、剣を振り下ろす者がいた。キースはその剣を、「滅悪の剣」で受け止める。剣と剣がぶつかり合う金属音が響く。


「キース!」


 悲鳴のようなアーデルハイトの叫び声。

 突然襲ってきたのは、男。その男は、長い金の髪にアイスブルーの瞳の美しい容貌をしていた。


「貴様、なに者……!」


 剣を合わせたまま、キースが尋ねた。


 まさか……、まさかこいつが……!


「クラウス!」


 アーデルハイトが叫んだ。


「貴様がクラウスか!」


 クラウスと呼ばれた男は、氷のように無表情だった。


「妖精……、ペガサス……、受け継ぐ者……」


 無機質な声で呟いていた。


 こいつ、この目、この気配……。人間じゃねえ!


 キースの感覚が、そう告げていた。

 滅悪の剣が、強い光を放つ。それとほぼ同時に、キースが男の剣をはねのけていた。

 現れたときと同様、唐突に――。クラウスと呼ばれた男は、姿を消した。


「消えた……!」


 驚くキースの目の前に、ひらひらと、白い小さな紙が一枚舞い降りてきた。


「これは……。人形……?」


 その紙は、人の形に切り取られていた。

 アーデルハイトが、その人形を手に取る。


「これは――。クラウスによって練られた術だわ……!」


「さっきの男の正体は、この紙の人形だったのか……!」


 カイが、人の姿に戻る。


「『受け継ぐ者』、北の巫女様の予言の救世主は、証として妖精とペガサスを連れていることになっています。クラウスは、ノースカンザーランドを目指す予言の救世主が、この都市に立ち寄る可能性を考えて、妖精とペガサスが好む甘蜜花の近くに術を仕掛けておいたのでしょう」


 カイが冷静な声で分析した。


「クラウスが……、クラウスが……!」


 アーデルハイトの顔は真っ青になっていた。


「クラウスは本気だわ……!」


 震えるアーデルハイト。今にも倒れそうなアーデルハイトの体をキースが支えた。


「アーデルハイト! やつは、もうアーデルハイトの知っているクラウスじゃない。やつのことは、もう忘れるんだ!」


「クラウスが、本気で……! 本気で人を殺そうと……! クラウス……!」


 アーデルハイトは、うわごとのように呟き、キースの腕の中で震えた。


「あれは、本気で人を殺そうとした術……!」


「アーデルハイト! お前の知っているクラウスは、もうどこにもいなくなってしまったんだ!」


 キースは叫んでいた。


「やつの魂は、もう光の届かない闇の底へ堕ちてしまったんだ!」




 そこから北の小さな町。クラウスは、自分の仕掛けておいた術が破られたことを感知した。


「ふむ。どうやら本当に『受け継ぐ者』とやらが現れたようだ」


 美しい口元に笑みが浮かんでいた。

 クラウスは、予言の『受け継ぐ者』があの程度の仕掛けで始末できるとは最初から考えていない。


「まあ、挨拶代わりにはなったかな?」


 アイスブルーの瞳が、怪しい光を放つ。


「……ふふふ。なあ、『知恵の杯』のラーシュさん」


 クラウスの手には青い杯。『知恵の杯』のラーシュだった。

 知恵の杯のラーシュ。彼は、沈黙を続けていた。




 アーデルハイトたちは、花咲く静かな公園に来ていた。緑の風が優しくそよぐ。


「アーデルハイト。少しは落ち着いた?」


 キースが近くの屋台から、温かい飲み物を買ってくれていた。ベンチに腰かけていたアーデルハイトは、キースから飲み物を受け取る。甘くよい香りの湯気が漂う。


「……ありがとう。キース」


 泣きはらした目。きっと、今自分はひどい顔だ、とアーデルハイトは思う。


「ごめんね……。ごめん……。キースのほうが、恐ろしい目にあったのに……」


 ショックで身動きも取れず、ただ見ていただけだった。なにもできなかった。自分の無力さに、悲しくなる。


 なにが、私がクラウスを止める、よ――。


 また涙があふれそうになる。


「私も怖かった! たぶんルークもゲオルクもカイも、怖かったと思う!」


 ユリエが挙手をしながら、キースの懐から顔を出す。実はずっと怖かったらしく、キースの懐深く隠れていたようだ。


「ユリエ。俺は平気ですよ。キースも、大丈夫です。平気ですよ」


 カイが優しい微笑みを浮かべる。ユリエに、というよりアーデルハイトのために言ってくれているようだった。


「ユリエ。ユリエも温かいの、飲むか?」


 キースが自分用に買った飲み物を、ユリエに差し出す。


「飲むーっ!」


「ユリエには、だいぶでかすぎたか?」


 心配は無用である。ユリエはすごい勢いでカップの飲み物を飲んでいる。

 キースの視線を感じる。


「アーデルハイト……」


 痛いほど、自分を案じてくれている気持ちが伝わってきた。いつまでも、落ち込んでいてはだめだ、と思う。


「……美味しい」


 アーデルハイトは甘い飲み物を、ゆっくりと口に入れた。体中に染み渡るような優しい味。


「アーデルハイト。大丈夫か?」


「うん……」


 目の前を、年老いた夫婦がゆっくりと歩いている。散歩のようだ。仲睦まじく手をつないでいた。


「なんか……。気持ちが落ち着く魔法とかってないのか?」


 心配そうに覗き込む、キースの優しい瞳。


「……あるわ」


 暖かい日差しに、老夫婦の姿は輝いて見えた。


「あるのか。じゃあ、ちょっと試してみたら?」


 魔法――。


「……誰かに抱きしめてもらうこと……、かな?」


 上目遣いで冗談っぽく言ってみた。冗談として、それくらい言ってみても、いいかな、と思った。

 キースは黙ってアーデルハイトを抱きしめた。

 正直、驚いていた。でも――。


 今は、いいよね……?


 卑怯かもしれない、とも思う。


 今。今だけ。だから――。


「うん……。落ち着く……、かも」


 とくん。とくん。


 キースの鼓動が聞こえる。

 ベンチの前を、子どもたちが走り抜ける。楽しそうにはしゃぐ声。しかし、アーデルハイトは安らかな鼓動のリズムに包まれていた。


「ありがとう……」


 アーデルハイトは、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。

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