第11話 白い花の丘
「アーデルハイト……! それじゃあ、予言の魔法使いって……!」
「ええ……。私の恋人だった人に間違いないと思う……」
アーデルハイトの告白に、キースは衝撃を受けていた。しかし同時に、今までのアーデルハイトの時折見せていた憂い、その謎が少し解けた思いがした。
予言の恐ろしい魔法使いが、アーデルハイトの別れた恋人……!
アーデルハイトは小さく震え、泣いていた――。キースの瞳には、その姿が悲しみと恐怖に心が凍えてしまいそうな、幼い女の子のように映っていた。
「アーデルハイト!」
気付けば、抱きしめていた。揺れる心に押し潰され、消えてなくなってしまいそうなアーデルハイトを――。
「……キース……!」
アーデルハイトは驚き、一瞬身を固くした。
「アーデルハイト……」
「キース……」
戸惑う様子のアーデルハイト。だが、すぐにそのしなやかで柔らかな体を預けるようにした。
「……大丈夫か。落ち着いて」
キースは少し、抱きしめる腕の力を緩めた。自分が思っていたより強く抱きしめてしまったことに気付いたからである。そして、アーデルハイトの美しい金の髪を優しく撫でる。
「キース……」
水晶は、優しい七色の光で二人を包み込む。
静寂――。
アーデルハイトの甘いよい香りが、胸の中いっぱいに広がる。
キースはアーデルハイトから、そっと体を離した。本当はずっと抱きしめていてあげたかったけれど、自分はそんなことをできる立場ではない、とキースは思った。
俺は、アーデルハイトの恋人でもなんでもない――。
少しでもアーデルハイトの傷ついた心を癒せたら、そう願っていた。別れた恋人とはいえ、信じていた、愛していた人間がそんな恐ろしい存在になってしまったとしたら――、どれほどの苦悩だろう――。
それから、キースは、ハッとして振り返った。
カイは? カイは大丈夫だろうか?
今度は、カイをぎゅっと抱きしめた。
「うわあっ!? 俺は大丈夫ですっ!」
「大丈夫なわけないじゃないかっ! お前のお兄さんが行方不明になったなんて……! お前、兄さんがどこに連れ去られ、今どうしてるのか、心配で心配で仕方ないんだろ!?」
「だからって、俺のこと抱きしめなくても……!」
カイは、ばたばたと両手両足を動かしていたが、構わずキースは抱擁し続ける。
「ちょっとは気持ちが落ち着くだろ? とりあえず、お前が元気にならなくては」
「うー……」
「それに、俺がこうしたいんだっ!」
「お、俺は、別に……」
ぎゅう。
自分の兄が予言の悪い魔法使いに連れ去られ、しかもその魔法使いはアーデルハイトの元恋人だったとは――。カイの複雑な気持ちを思うと、つい強く抱きしめてしまっていた。
人間じゃなくたって、きっと同じなんだ! 同じようにしゃべり、同じように笑う。悲しみも怒りもきっと一緒なんだ! こいつは、カイは、血の通った俺の相棒……!
「それにしてもカイ! お前ほんと細えなあ! 飯、ちゃんと食ってんのか!?」
「俺は剣だから、飯は食べないです!」
「そうか! お前はそういう仕様か!」
「そうです! これが俺の標準仕様、スタンダードです! カスタマイズはしません!」
わけのわからないことを口走るカイ。
はいっ、と妖精のユリエが挙手していた。
「私も! 私にもぎゅっとして!」
目をきらきら輝かせているユリエ。キースに抱きしめられるアーデルハイトとカイを見て、うらやましくなったようだ。
「ん? そうか! ユリエも不安になっちゃったか! わかった! ユリエもぎゅっとしてやる!」
ぎゅう。
「わあい! あったかぁい!」
人形のような大きさ、人形のような愛らしさのユリエは、キースの胸に頬を寄せた。
気が付けば、ドラゴンのゲオルクとペガサスのルークが後ろに並んでいた。順番に並んで、待っているようだった。ゲオルクもルークも、黒い瞳をきらきらさせている。
「ん? もしかしてお前らも、ぎゅうっとして欲しいのか?」
ぎゅう。
ぎゅう。
アーデルハイトとカイは、ドラゴンとペガサスを順番に抱きしめてあげているキースをぽかあんと眺めていた。
「……ほんと、変な男」
アーデルハイトが呟く。
「……この人の暴走は、予測不可能ですね……」
カイも呟く。
アーデルハイトは呆れながらも――、笑顔になっていた。
「……不思議な人ね」
ふう、とカイはため息をつく。
「……そうですね」
カイも、困ったもんだ、と肩をすくめつつ、苦笑していた。
「カイ。私が知っていることを話すわね」
アーデルハイトが、静かに口を開く。
「はい……。お願いします」
カイは、姿勢を正し、アーデルハイトの言葉を待った。
「私、あなたのお兄さんがどうなったかはわからないの……」
カイは、表情を強張らせた。
「私が知っているのは、、私の恋人だった人が、不思議な魔力を持つ青い杯を盗み持ち去ったこと、そして彼がノースカンザーランドへ向かったということ……、それだけなの」
「そうですか……」
アーデルハイトは、ひとつ大きく息を吸い込んでから――、真剣な表情で告白した。
「私が、ノースカンザーランドを目指しているのは……。その恋人だった男を追いかけるため、なの」
「そうだったのか! アーデルハイト!」
キースは、思わず声を上げていた。
アーデルハイトは、彼を追いかけて……! それで旅に出たんだ!
どきん。
そのとき、胸の奥にかすかな痛みを覚えていた。
アーデルハイトは、まだその人のことを――。
「……もちろん、未練があって彼と復縁したかったからじゃないわ。彼を止めるため……、彼を止めたいと思ったからなの」
ん?
キースは気付く。
あれ? なんで俺、今、ほっとしたんだ?
ほっとしている自分に。
「止めるって、彼がノースカンザーランドへ向かった動機について、なにか心当たりがあったのですか?」
カイが、身を乗り出して尋ねていた。
アーデルハイトは、うなずく。
「ええ……。彼が恐ろしいことを考えているのはわかった……。彼は自分の魔力に、能力に酔っていたわ。実際彼の魔法使いとしての才能は凄まじかった。そして彼は、言っていた――。僕が、世界一の魔法使いになる、ノースカンザーランドにある魔法の杖を、僕が手に入れてやる――、と」
「どうして彼は、『退魔の杖』のコンラードのことを知ったんだ!? 存在を秘密にしていたんだろ!?」
カイの話だと、ラーシュもコンラードも、魔法の力で隠されてあるとのことだった。
二つの存在のありかを、なぜ知りえたのか、疑問だった。
「おそらく……、なんらかの形で『知恵の杯』のラーシュ、ラーシュ兄さんの存在を知り、そしてラーシュ兄さんから情報を無理やり引き出したんでしょう」
カイが呟いた。静かな口調だったが、怒りに燃えているようだった。握りしめた拳が震えていた。
「……たぶん。私も……、そう思うわ……」
アーデルハイトは視線を落とした。そして、重い口を開いた。
「……彼の名はクラウス。私の幼なじみ。子どもの頃は、純粋に魔法が大好きな優しい男の子だったわ――」
十五年前。アーデルハイトの故郷、ハウゼナード。ノースカンザーランドに次いで魔法使いを多く輩出している国である。
実は、伝説の大魔法使いヴァルデマーの一番弟子、アントンの故郷でもあった――。
「アーデルハイト! 見て! これ! お父さんが買ってきてくれたんだ!」
柔らかな金髪の少年――、クラウスは皮の表紙の厚い本を胸に抱いていた。
「クラウス! なあに? その大きな本! 素敵な本ね!」
『初級魔法大全』
「へえー! クラウス、すごいね! これって魔法使いの本なんだあ!」
クラウスは、顔を輝かせていた。
「アーデルハイト! 僕は将来すごい魔法使いになるんだ!」
「じゃあ、クラウスは、魔法学校に行くの?」
「うん!」
まだ幼いクラウスの笑顔は、自信に満ちていた。
「……クラウスが行くなら、私も魔法学校に行こうかなあ」
大好きなクラウス。一段と今日は眩しく見えた。自分もついていきたい、これからも一緒にいたいと思った。学校で共に学び、楽しいことも大変なことも肩を並べながら経験していく、どんなに心躍る素敵なことだろう――。
「ほんと? アーデルハイトも魔法使いになるの?」
「うん! 私も……、なりたい! 私も、魔法使いになる!」
クラウスもアーデルハイトも、瞳を輝かせていた。
「じゃあ、僕が世界一の魔法使い、アーデルハイトが世界で二番目の魔法使いね!」
「ええー!? 私、二番目なの?」
「うん! だって、僕が一番だから!」
白い野の花の咲き乱れる丘。二人並んで本を読んだ。
ずっと、一緒だ、とアーデルハイトは思った。
クラウスと自分はずっと一緒にいる。過去も、未来も、今も、ずっと、ずっと。
クラウスは優しい瞳の男の子。ずっと変わらないと信じていた。
白い野の花が風に揺れる。
夕日が丘を染める。
「アーデルハイト、手をつないで帰ろう!」
「うん!」
幼いアーデルハイトは、二人の絆がずっと続いていくと信じていた。
手をつなぎ、家路につく。白い花の丘に、長い影を落として――。