第10話 アホの種別
「怪物たちとの戦いは、三日続きました。たくさんの血が流れました。しかし、幸いなことに、一人の死者も出ませんでした」
水晶の洞窟の中、カイの声が静かに響く。
「それで……、どうなったんだ?」
キースが尋ねた。
「怪物たちを全滅させ、スノウラー山の頂上で『清めの鈴』のセシーリアの力を使い、スノウラー山と辺り一帯を清めることができました。もう二度とあの地に怪物が生まれることはありません」
「そうか……!」
よかった――! ひいじーさんの活躍もあって、完全に怪物を倒せたんだ……!
キースは、思わず顔を輝かせた。遠い国の話でも、人々の暮らしが守られたことに、純粋な喜びを感じていた。たとえこれが自分の曾祖父が関わっていなかった話だったとしても、キースの喜びは変わらないだろう。
カイは微笑んでうなずき、そして話の続きを語り出した。
「俺たちきょうだいは疲弊し、特に消耗の激しかった俺と一番上の兄である『退魔の杖』のコンラードは眠りにつきました」
「そうか。カイだけじゃなく、一番上のにーちゃんも眠ってるのか」
はい、とうなずくカイ。カイは、一息つき、それから真剣な表情に変わる。
「北の巫女様は、そのとき三つの予言を得ていました」
「三つの予言……?」
カイはふたたびうなずき、話を続ける。
「一つは、今後ノースカンザーランドが怪物に襲われることはなくなったということ。そして――、もう一つは未来、強大な力を持つ魔法使いが『知恵の杯』と『退魔の杖』を手にし、世界を破滅に導くということ――」
世界を、破滅に……!?
キースが、息をのんだときだった。
「『知恵の杯』と『退魔の杖』を手に……!」
アーデルハイトが、叫んでいた。その声は、震えている。
アーデルハイトの青ざめた顔――。カイは、アーデルハイトに視線を向けたようだった。
アーデルハイトは、やはりなにかを知っている……?
事情はわからない。しかしキースは、アーデルハイトを気遣い、声を掛けた。
「アーデルハイト……? どうしたんだ? 大丈夫か?」
「ええ、いえ……。大丈夫。カイ、話を続けて」
カイは、黙ってまっすぐアーデルハイトを見つめる。少しの沈黙の後、カイはふたたび語り出した。
「そして、三つめの予言は、『滅悪の剣』を扱える者、その血を受け継ぐ者が、世界の破滅を防ぐことができるだろう。その者は、受け継ぐ者の証として、水晶の森で出会った妖精とペガサスを従えている――、というものでした」
「それって……、俺のことか……!」
「はい」
カイは、揺るがぬ瞳で、はっきりと答えた。
「キースさん。あなたが予言の救世主です」
「救世主って……!」
不思議な夢、ユリエとの出会い、曾祖父からの手紙、そしてカイの話――。自分が特別ななにかであることは、薄々感じてはいたが、それでもキースの心は、大きな衝撃に揺れ動く。
確かに、俺のひいじーさんは、ノースカンザーランドを救った英雄の一人だったのだろう。だけど、俺が救世主って――!
キースは、思わず立ち上がり叫んでいた。
「そんな救世主って……! イケメンで、救世主だなんて、まるでヒーローじゃないか! どうするんだ! 世界中の美女からモテまくってしまうじゃないか! どう準備する!? とりあえず今からサインの練習でもしとくか!」
沈黙が流れる。洞窟の静けさが、やけにはっきりと認識される。肌に感じる空気が、どこかよそよそしい。
カイが、ゆっくりと口を開いた。
「……今のセリフ、聞き流してもいいですか?」
「……うん。聞き流してくれ」
キースはうなだれ、座り込む。疲れてしまったかのように、大きなため息まで吐いて。
「えっ!?」
ふざけたテンションから、突然シリアスな様子。一同、驚きの声を上げてしまっていた。
「あまりの事のでかさに、心がついていけなくて……、つい現実逃避したくなって、試しに言ってみた。自分で言ってみてさすがに恥ずかしくなった。流してくれ」
キースは、うなだれたまま、けだるそうに片手を振った。
期待されても、正直困るよ……。俺は別に――。
キースがちらりと顔を上げ、様子をうかがうと、カイは大真面目な顔をしていた。
「珍しいですね……。キースさんはいつもふざけたたわごとを、ただただ本気で言ってるのかと思ってました」
表情を変えずに、さらりと言う。控えめに言っても、ディスってる。
「……カイ。俺のことただのアホだと思ってる?」
カイは、にこにことしている。それは、キースをばかにしているというより、むしろ――。
「キース。あなたは、ただのアホではありませんよ。あなたは優しくまっすぐで強い」
へ……?
キースは、ぼんやりとカイを見つめる。
「……アホの部分は否定してくれないのね……」
「あなたの短所でもあり長所でもあると思いますよ」
決して否定しない。
キースは深いため息をついた。カイの言葉に、ではない。予言で救世主と指名されてしまったことを、どう受け止めたらいいか困惑していた。
俺はそんな大それた人間じゃない……!
キースは深くうつむき、手で顔を覆った。
「……俺は、好きですよ」
へ?
心の中ではあきたらず、キースはさらに改めて、声にも出す。
「へ?」
への連打。
「俺は、あなたのそんなところを面白いと思い、尊敬しています」
カイがぼそりと小さな声で言った。頬が赤い。照れてしまうが今言わなければと思い、思い切って言ってみた、そんな様子だった。
「そういう、人間的な部分が、うらやましいとも思います」
「人間的……?」
うらやましい……?
「はい。だからあなたについていきたくなります」
カイは真っ赤な顔で、きっぱりと言い切る。
「救世主に必要なものは力ではありません。心です」
強い口調だった。強く、まっすぐで、純粋な響き――。
「心……」
岩間から降り注ぐ明るい光。水晶は、柔らかな七色の輝きを放つ。
えーと。
キースは、言葉を探す。
「……カイって、シャイなんだよね?」
今、さして重要でもないと思われる疑問が、なぜか一番に浮かんでいた。
「……たぶん。エースさんにはよくそう言われてました」
「その割に、結構恥ずかしいことを真正面から言ってくれるよね」
キースも、顔が赤くなっていた。
「俺は、言わなければいけないと思ったことは言います」
カイは、まっすぐキースを見つめていた。
「……そうか。言わなければいけないって思ってくれたんだ……。ありがとう」
「だから、キースさんはそのままの自然体でいてください」
「ん?」
「あなたなら、きっと大丈夫だって俺は信じています。北の巫女様も、妹のセシーリアも。そして、兄さんたちも」
「私も大丈夫だって思ってるよ!」
妖精のユリエが、明るい笑顔で話に加わる。
カイはうなずき、改めてキースの瞳を見つめる。
「救世主らしくならなければ、などと思わないでください」
「カイ……」
「あなたらしくいてください。それがきっと、救いになります」
「俺らしく……」
俺らしく、とは――。
「そのままの、豪快なアホでいてください!」
豪快なアホ!? 俺は、そういう種別のアホなのか!?
キースの「アホ」の種類が分類された。
キースは、頭をかく。
「……アホだから、どーすればアホじゃなくなるか、そもそもそれがわかんねーんだけど……」
「それでいいんです!」
おお。全力。
全力のカイの肯定。
果たして本当にそれでいいのか……、なんだか釈然としないキースだった。
思いっきりほめられてんのか、けなされてんのか……。
カイの言葉は、心からのものに聞こえた。余計始末が悪い気もするが――。
「その三つが、北の巫女様の予言です」
カイは、まっすぐな瞳で告げた。
それにしても、とキースは思う。
アーデルハイトの動揺は、いったいなぜだろう――。
アーデルハイトは、あれからずっと、黙ったままだった。
いつものアーデルハイトなら、カイの「アホ」発言に即座に同意しそうなものなのだが……。
不思議に思うキースをよそに、カイが再び語り出す。
「大魔法使いヴァルデマー様は、まず『退魔の杖』のコンラードを、そのままスノウラー山に隠すことにしました。スノウラー山は、年に三日を除き吹雪で閉ざされる自然の要塞です。隠すにはうってつけの場所です。コンラード兄さんは、争いを嫌っていました。俺と同じように、もう目覚めてもよいころなのですが、コンラード兄さんは、今もスノウラー山で自分の意思により眠り続けています――。自分が予言の魔法使いの手に渡り、悪用されることのないように、と――」
「そうなのか……。自分の意思で……」
「ヴァルデマー様は、俺たちきょうだいが一つ所にいるのば危険だと判断しました。俺の妹である『清めの鈴』のセシーリア。彼女の強い聖なる力は、決して闇に染まることはなく、悪用される危険性はありません。彼女はノースカンザーランドにそのまま残すことにしました」
「そうか。それで、ええと。あとは、カイの二番目のにーちゃん……」
杯、って、言ってたっけ。
「『知恵の杯』のラーシュ、ラーシュ兄さんは、ヴァルデマー様の一番弟子のアントン様に預けられ、アントン様の故郷に隠されることになりました」
「ふうん。なるほど」
「そして俺は、エースさんに託されました。エースさんが天寿を全うするまで、俺はエースさんと共に過ごしました。そしてエースさんの遺言で納屋に隠されたのです。将来、予言の血を受け継ぐ者が必ず見つけるだろうと信じて――。そして、本当にキースさん、あなたが俺を見つけてくれました」
「俺がお前を見つけたのは、偶然じゃなかったのか……」
「私とルークとこの森で出会うのも、運命だったのよ!」
ユリエがウインクした。
「そうか……。運命……か」
この旅は、俺の使命、というやつなのか。
キースにはよくわからない。自分がそんな特別な運命の人間とは思えない。ただ――、ただ、胸の奥に熱いなにかが湧きたつような感覚があった。キースの青い瞳は、洞窟の天井、岩間から差し込む光を見据えていた。
「『知恵の杯』のラーシュは、アントンさんとやらの子孫が隠し持っているのか?」
「ラーシュ兄さんは……」
カイは視線を下に落とした。なにか表情に出すまいとしているのか、美しいその顔に苦悶の色が見えた――。
「――行方がわかりません」
「えっ……!」
「ラーシュ兄さんは……、おそらく、もう予言の魔法使いの手に渡ってしまっています」
「なんだって!」
「自ら、固く意識を閉ざしているのだと思います。キースさんと俺が旅立つ三日前から交信できなくなりました」
アーデルハイトが叫んだ。
「……カイ! どうしよう……! やっぱり、やっぱりそうだったのね……!」
え……? アーデルハイト……?
アーデルハイトは、取り乱していた。エメラルドグリーンの瞳に、みるみる涙があふれている。
カイは、静かにそんなアーデルハイトを見つめていた。
カイは、激しく動揺する様子のアーデルハイトをこれ以上刺激しないようにと考えたのか、ゆっくりと、慎重に尋ねる。
「アーデルハイトさん……。ラーシュ兄さんのことを知ってるんですね……」
「そうなのか!? アーデルハイト!」
「私の……、私のただの思い過ごしだと思いたかった……! でもきっと、あれがカイのお兄さんだったんだわ……!」
アーデルハイトの頬を涙が伝う。
「ごめんなさい……。カイ……。予言の魔法使いは、私の幼なじみ、私の……、別れた恋人なの……!」
「アーデルハイトさん……!」
「ごめんなさい……! 私、彼を止められなかった……!」
アーデルハイトは、その場に泣き崩れた。