第1話 残念男、キース冒険譚
「マジかー」
炎天下、キースは一人ため息をつく。
どこまでも続く赤茶けた岩だらけの大地。
さっき飲んだ水が水筒の最後の一滴だった。
水場は見当たらない。食料もとっくに食い尽くしてしまった。
「今更だけど、方角、間違ったか?」
昨晩、星を見た。その時点では方角は合っていたはずだった。
地図で見ると、もうそろそろ街に着いてもいいはずなんだけど――。
頼みの綱の地図。
しかし、それは三日前に偶然出会った老人――ずっと民家も見当たらず、やっと見つけた一軒家に住んでいた老人だった――、に書いてもらった手書きの地図だった。いかにも大雑把で適当に書かれている。
あのじいさんに、やられたかも――。
老人の地図が間違っているとしか、思えなかった。
キースは、もう倒れちゃおうかな、と思う。
すっかり疲れ果てていた。
でも、倒れたところでどうにもならねーな。干からびてやがて土に還ってしまうだけだ。俺一人、ここの土の養分になったところで、別に土地が潤うわけでもないし、それじゃあ「死に甲斐」もないな――。
キースは苦笑する。
生きるためにはもう前に進むしかないのだ。
海のように深く青い色をしたキースの瞳は鋭い光を失ってはいないが、黒い艶やかな髪が土埃で薄汚れてしまっている。
キースは精悍な顔立ち、背が高く筋肉質で、風呂に入れて洗い上げればかなりの男前である。腰には恵まれた体格に見合った、大ぶりの剣を下げている。
「もー足が重いなあー。疲れたなあー。喉かわいたなあー。ハラ減ったなあー」
一人で声をあげても体力が消耗するだけでなにもならないわけだが、性格上つい声を上げずにはいられないらしい。外見上は「いい男」なのだが、性格が三枚目街道まっしぐらだった。
「あー。空からなんか降ってこねーかなあー」
だんっ。
「なんか降ってきた……」
目の前に、小さなドラゴンに乗った、美しい女性がいた。ドラゴンを操り、空から降りてきたようだ。
「おにいさん、ずいぶんお困りのようね」
エメラルドグリーンの瞳をした、若い女性だった。ストレートロングの髪が、金色に輝いている。
ドラゴンのほうはまだ子供のようで、人懐っこいようなかわいらしい顔をしていた。
「んー。金髪美女の幻覚が見える……」
キースの青い瞳は、豊かなバストに釘付けになっていた。
「……どこ見てんのよ」
エメラルドグリーンの瞳の女性は、露骨なキースの視線に呆れる。
「えっ!? あっ!? もしかしてあんた、幻覚じゃなくて実在してんの? ほんとに、人、人間なの?」
「当たり前でしょ」
ドラゴンは、僕のことも見て、と言わんばかりにキースに頬を寄せる。
「ラッキー! 三日ぶりの人間だあ! と、二週間ぶりのドラゴンだ!」
人間を見るのは三日ぶり――、しかもじいさん。
ドラゴンを見るのは二週間ぶり――、しかもそいつはでかくて凶悪なやつ、だった。
喜びのあまり、キースは万歳をした。それから、ハッとし、大急ぎで謝ることにした。
「あっ! 失敬! 大変申し訳ありませんでした! 失礼つかまつりました! わたくしとしたことが、ついうっかりあなた様の素晴らしき御胸に目が! 幻覚かと思いましてこれはうっかりの出来心で……! で、でも! 俺、いやわたくしは、特段怪しいやつでもエロいやつでもございません! ええ! ございませんとも! ええと、それで、つまり、その……、実は水も食料もないんです! まさに『ずいぶんお困り』だったのです! もしございましたら、わたくしめにほんの少しだけでも分けていただけないでしょうかっ?」
ここで女性に嫌われて立ち去られてしまっては大変と思い、馴れない敬語を総動員し――結果おかしな言葉になっているのだが――深々とおじぎをした。
「そんなに慌てなくてもあげるわよ」
「あざーすっ! あ、いやいや! ありがとうございます!!」
んー。これは我ながら、かーなーりー、かっこ悪いぜ……。
思わず土下座までしていた。そんな自分に内心キースは苦笑した。
まず、水を飲んだ。一気飲みしたい衝動を抑え、ゆっくり喉を潤す。体中に染み渡っていくようだった。それから、パンももらって食べる。こちらもゆっくり少しずつ食べるよう心掛けた。ようやく一息つく。
「本当にありがとう。おかげで助かった――」
「あなた、どうして同じところをぐるぐる回ってるの?」
「えっ!?」
思いがけない女性の指摘に、驚く。
「俺が同じところを、ぐるぐる回ってるって!?」
「ええ。空から見て、変だなって思ったの」
女性は首を傾げ、キースの瞳を見つめる。
気付かなかったが、ずっと同じところを……! だから、いつまでもどこにもたどり着けないのか!?
「……それになんか、糸ついてるわよ」
「な、なにっ!?」
キースのたくましい背中に、銀色の糸がついているという。見れば糸は長く、岩陰に続いていた。
「こ……、これはまさか……!」
キースは、岩陰へと伸びている銀の糸を掴んで、思い切り引っ張った。ずしりと手ごたえがあった。
次の瞬間――、ハッとし、息をのむ。
「あっ! じ、じいさん!」
糸の先には地図をくれた、「じいさん」がいた。
キースに強く引っ張られ、よろよろと飛び出してきていた。
じいさんは、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
「ばれたか……」
「な、なんだよ!? あんた、なにを……」
「わしの魔力で道を迷わせ、弱らせてから食おうと思っていたのに……」
小さな痩せたじいさんは、そう呟くと立ち上がった。
な、なに……!?
バキバキと、奇妙な音を立て、じいさんの体が変形し始める。
手足が体の中にめりこんでいき、丸い胴体と頭だけになる。
そして、どこに納まっていたのか、小柄な体から黒く長い八本の足が現れた。
八本の足は、すべて途中から外側に曲がっていて、頭部には八個の目がついている。
じいさんは、見る間に巨大なクモの怪物に変身した。と、いうより「じいさん」の変身が解けて、本性を現したようだ。
「クモの化け物かっ!」
シュウウウ……。
口から不気味な音を出し、今にも襲い掛からんばかり、八本の足を蠢かせている。
キースは、思わず叫ぶ。
「俺を弱らせて食うって!? なんだよそれ! 今の俺はたぶん、飢えと渇きで旨みが減ってんじゃねーかよ!? そんなのだめだろっ!? 食うなら俺のベストの状態を狙えよ!」
「はあ!? あんたなに言ってんの!?」
クモの怪物より、女性のほうが思わずツッコミを入れる。
「だって、まずいって思われたら悔しいじゃねーか!」
キースは不服そうに口を尖らせた。
「気にすべきは、果たしてそこ!?」
女性も、ついでに小さなドラゴンも、呆れた顔をした。ドラゴンも、表情豊かだった。
「うまそうな美女とドラゴンも釣れるとは。これはなんという幸運じゃ」
クモの怪物が不気味な笑い声を上げる。
キースが駆ける。風のように。
金属のきらめきが、陽の光を返し――。
ザンッ……。
「うそ……」
目を見張った女性の口から、こぼれる一言。
あっという間にキースが腰の剣を抜き、一刀で怪物の頭部を切り落としていた。怪物から流れ出た大量の血が、乾いた大地に染み込んでいく――。
「は、早い……!」
女性は、呆然と感嘆の声を上げていた。
鮮やかな、無駄のない動き。力強い正確な太刀筋。
キースは、ゆっくりと女性のほうへ振り返る。
「んー。三日も無駄な時間を過ごしてしまったぜ……。俺としたことが。退治するのは一瞬で充分」
「あ、あんた一体何者なの……?」
キースは左手を腰に当て、左足に重心をかけた。ちょっとかっこいい、余裕のポーズをしてみせたのだ。本当は、倒れそうなくらい疲れ切っているのだけれど。
「ん? 俺の名は、キース。ただの旅人さ」
決まった、とキースは、にやりとした。なかなかいい感じの自己紹介だと自画自賛していた。今までのちょっと情けないやりとりは、忘れることにした。
「この怪物は、旅人を惑わして食べていたのね――」
自分でキースのことを聞いておきながら、女性はあまりキースの「かっこよかったと思い込んでいる自己紹介」を聞いていなかった。
キースは剣を自分の肩に乗せるようにして、空を仰いだ。
んー。このひと、俺にはあまり関心ないのね。俺の超かっこいい自己紹介に、惚れちゃうのかと思ったけど。まあいっか。さて、怪物を倒したし、これで先に進めるかな。
「……私の名は、アーデルハイト」
関心がないのかとキースは思ったが――、意外なことに女性は、自分から名を告げた。
「ん?」
「これからどこに行くつもりだったの? あなた、よかったらドラゴンに乗ってく?」
キースの瞳に映るのは、輝く太陽のような眩しい笑顔。
マジで……。
キースは、目を丸くした。まったく思いがけない、願ってもない申し出だった。
ドラゴンが興味津々といった様子でキースのほうへ首を伸ばす。
そしてドラゴンは、キースの手をぺろっと舐めた。ドラゴンは、キースの「かっこいい自己紹介」を気に入ったらしい。
「マジでー!?」
どこまでも続く青空の下、キースは歓声を上げた。先ほどまでの疲労感はすっかり消え去っていた。
空から女神が降ってきた……!
爽やかな風が吹いていた。